ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

車を運転中の認識している意識と無意識の意識について

2021-03-25 07:30:09 | 
私は車を運転している時に、ふと日常的に問題になっていることを、考えることがあります。 本来であれば車はある意味では、動く凶器になりかねません。 従って運転中は、車の運転に意識を集中する必要があります。

最近になって、普段から交通ルールを厳粛に守る癖を付けていれば、冒頭の運転操作からふと雑念が湧き、そのことに意識が移った場合でも、認識していた意識が無意識にであっても、認識していた意識通りに動くのではないかと感じております。

従って、覚醒している時には、意識して注意深く車の運転をするように心がけています。

例えば、T路地や交差点前の一旦停止線では、必ず車を停止してから安全確認を行いながら、徐々に車を動くようにします。 また信号のある交差点でも、安全確認のため車の速度を緩め、人や車が飛び込んでこないことを意識してから、車を進めます。

特に早朝とか深夜の運転の際には、信号を無視して飛び込んでくる車や自転車を意識して、車の速度を緩めます。 勿論、昼間でもこちらが青信号でも、車を緩めて進めます。 

実は私自身は、かつて車の運転中に信号のない交差点で、ふと浮かぶ雑念に気を取られ、危うく車の衝突を起こしそうになった経験があります。 そんな時に、友人から車は一旦停止線のある交差点では、必ず一旦車を止め、それから安全確認を行って徐々に車を進めることが大切である、と云われたことがあります。

その当時は私は、一旦停止線では、少しは車を緩めるものの、車を止めることはありませんでした。 それで良いと思っておりましたが、ふと過去の事故寸前の記憶がよみがって、改めて考え直してみました。

日常的に交通ルールを厳粛に守っていれば、運転中に無意識な状態になっても、無意識に普段からの意識の中で、運転出来るのだと改めて思うのですが。

家族3人で先日秩父までお墓参りに行って来て隣のお墓に花が添えられていて

2021-03-22 02:18:28 | 家族
先日、春のお彼岸で所用のある娘を除いた3人で、秩父までお墓参りに行って来ました。 8時半に出発して途中、コンビニ寄りながら道の駅でお花とお酒、お饅頭を買って12時近くに到着しました。 何時も隣の知人のお墓には何もないのですが、お花が添えられていました。

思わず座り込んで神戸にいるKちゃんに電話をしました。 未だ20歳前後にお会いした記憶がありますが、近況を話しながら東京に住む妹さんの電話番号を訊きました。 直ぐに携帯に電話をしました。 若い頃の顔を思い出しながら、何時来られたんですかと。 妹さんのTちゃんも可愛らしい子でした。

改めて年齢を訊くと、お兄さんが75歳で妹さんが74歳になっていると云う。 SMSで住所を送って下さいと電話をきりました。 電話をしている最中に、弟の嫁さんと長男が後から到着して、お墓の清掃をしておりました。 弟も父母と一緒に、このお墓に入っているのですが。 何となく久しぶりで話が出来たりしましたので、嬉しくなってしまいました。

何時もお線香が消えるまでお墓の前で過ごし、帰りがけには花だけを残して、お供えのものは持って帰ります。 帰りの道は途中で見つけた ステーキガスト に寄って 遅くの昼食を食べて家に17時半に戻りました。 コロナがなければ秩父の温泉に寄って帰るのが、楽しみのひとつですが、感染を回避するため取り止めです。

ですが嬉しかったなあと云う1日でした。 KちゃんとT ちゃんと話が出来たことが、何よりも楽しかったことでした。 早速、SMSでTちゃんとやりとりをしました。 どんな顔になっているかなあと想像するのですが。

大きく胸いっぱいに息を吸ってから出来るだけ長くゆっくりと息を吐く

2021-03-21 05:56:37 | 座禅
出来るだけ息を長く吐こうと思えば、はじめに大きく息を吸うのが自然です。 ここでの長く吐く呼吸法は、いわゆる禅宗(一般的な)の呼吸法とは相違します。 私は幸いなことに、一般的なはじめに息を吐き出す腹式呼吸を知らずに、長く吐く呼吸を行いながら、10年近く座禅を行っておりました。

子供の頃に行っていたラジオ体操での深呼吸です。 大きく息を胸いっぱいにして、ゆっくり息を吐く呼吸です。 自分の体験から肺での呼吸と下腹の臍下丹田と呼吸とは、体の生理的な動きからは同期しないと云うことを感得したのです。

大きく息を吸う時には胸は拡がりますが、下腹は凹むのが自然です。 凹むと云うことは下腹の臍下丹田は気を吐いているのです。 息を吐く時には胸は元の大きさに戻り、下腹も元の大きさに戻り、臍下丹田の気は気を吸うのです。 これが生来行って来た自然の動きです。 つまり肺の動きと臍下丹田の動きは同期しないのが、自然の動きなのです。

ここでの吸う吐くの1回の呼吸は、はじめは長く吐くことは出来難いのですが、慣れるに従い長く吐けるようになります。はじめは1回の呼吸は30秒ぐらいかも知れませんが、次第に長く1分を超えるようになって来ます。

ここでの座禅時間は最低でも1時間は行って頂くように、座禅の真髄を感得できるようにお勧めしておりますが、1回1分以上長く吐く呼吸ができるようになれば、60回呼吸を続ければ1時間経過したことになり、1時間の座禅時間はあっという間に過ぎてしまいます。

口を閉じて鼻だけで呼吸を行い、大きく胸いっぱいにして息を吸い、出来るだけ長くゆっくりと息を吐きます。 息を吐く時にはイメージで体の中へ吐くことにより、この呼吸法がより長く吐くことが出来る呼吸法であることを、自ら感得することになるのです。

長く吐く呼吸は全部吐き切る寸前まで吐きます。 全部吐き切ってしまうと苦しくなって、後が続きません。 寸前ちょっと手間で軽く息を止めて、また大きく息を吸います。 あくまでも吸う吐くの呼吸を、苦しい中にあっても、出来るだけ自然の流れに沿うように行います。

長く吐く呼吸のみに、意識を集中します。 このことだけに意識を集中すると、雑念は起こらないものです。 然しながら、このように長く吐く呼吸に意識を集中しているときに、ふと浮かぶ雑念は払うことなく、その雑念を考えても良いのです。 その過程でまた思考力が深まることを、自ら感得するはずです。

無財の七施 とは

2021-03-15 14:14:15 | 気づき
無財の七施とは、どのような意味でしょうか。 無財とはお金や物を持っていないと云うことです。 七施の「施」とは、お布施(ふせ)のことだと云う。 仏教では布施を施すことを最も大切な仏道修行としています。「施しは無上の善根なり」と云う言葉もあります。

施しとは、物でもお金でも、今それを必要とする人々のために心を込めて捧げることです。然しながら、どんなに尊い仏道修行でも、無いものは捧げることが出来ませんが、お金や物を持ってが無くても出来る施しがあると云う。 それが無財の七施と云うのです。

その七つの布施とは、

一、眼施(慈眼施)
慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。

二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。

三、愛語施(言辞施)
ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。

四、身施(捨身施)
自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。
人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

五、心施(心慮施)(しんりょせ)
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。

六、壮座施(そうざせ)
わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。

以上が無財の七施です。 ネットで検索して自分自身が理解するために、改めて簡略に記載してみました。

円空の仏像の微笑みの研究者 長谷川公茂さんの話から 無財の七施の言葉を知る

2021-03-14 06:32:41 | 気づき
今朝の こころの時代 で円空の作った仏像の微笑みに、青年期に心を救われて来た87歳になる長谷川公茂さんの話を聴きました。 円空の作った仏像を求めて全国に行き渡り、その微笑みの源は何処にあるかを探究されて来ました。

自らも内観法による修行を行い、時には円空が実際に修行された2000mの山にも出かけて見て、円空が至った境地を思うのでした。 そのお話の中で、「無財の七施」と云う言葉が、素晴らしい言葉だと感じ、ネットで改めて検索してみました。

「無財の七施」とは、物でもお金でも、今それを必要とする人々のために、心を込めて捧げることの大切さを表す言葉であると云うことです。 改めて心が洗われる感じになりました。 

3月11日の電車の中で14時46分に震災対策訓練があるとアナウンスがありましたが

2021-03-13 21:31:00 | 社会・経済
先日の3月11日に、京王多摩センター駅から九段下経由で浦安駅まで、仕事で往復しました。 丁度10年前には、東日本大震災があったことを、朝から思い出しながら家を出ておりました。 往復の電車の中で、何度も14時46分になったら、震災対策の訓練があり電車が停まるようなことを、アナウンスしておりました。

13時過ぎには多摩センター駅までに戻って来ましたので、どんな訓練があったかは分かりませんでした。 電車内でのアナウンスは、正確には時間はよく聴き取ることは出来ませんでしたが、改めてネットで検索して14時46分18秒と分かりました。

当時は駅前の7階の事務所で、棚から物が落ちないように押さえていたことを、思い出します。 娘の誕生日で府中の伊勢丹まで行って、トップスのチョコレートケーキを買いに行く準備をしておりました。

電車もストップして、多くの通勤客が遅くまで帰れなくなったことを思えば、電車内でのアナウンスは、とても良い訓練のアナウンスであったと感じたのでしたが。

バスの手摺に縋り付くように立っていたら声をかけ席を譲ってくれたご婦人から

2021-03-11 20:17:20 | 
道を横断している時に滑って、すべり込みセーフのような格好で滑って以来、普通に歩けなくなってしまいました。 立っている格好が、股関節の足の筋肉の付け根が痛く、長く立っていることが出来ず、何かに体を預けるようにしなければなりません。

電車で出かける時も、始発に乗るか空いている電車に乗るか、心掛けております。 今日は浦安市役所へ出かけて行きましたが、京王多摩センター駅では、始発の準特急に乗り、笹塚経由、九段下経由で浦安駅に到着しました。 駅前からお散歩バスで浦安市役所へに向かいましたが、バスの前の方で立っていました。

勿論、手すりにもたれかけるように立っていましたら、近くで座っておられたご婦人から、声をかけてくれて席を譲って頂きました。 有難うございますとお礼を述べて、滑って転んでから歩くことも、普通に歩くことが出来なくなりましたと、話をさせてもらいました。 ご婦人によれば、バスに乗り込んでから私の様子を見ていて、たまらなくなって声をかけましたと云うのです。

するとプールで歩くことによって、歩くことが困難だった方が歩けるようになった方がいますよ。 是非 プールで歩いてみられたらどうですか、と声をかけてくれました。 私自身は歩くことがリハビリになると感じて、出来る限り歩くようにはしておりますが、改めてネットで、プールで歩くことの効果についての文章を探し、普段使わないような筋肉がつくとのことで、スポーツクラブに入会してみようと思いました。

日本の国土は火山地帯が多く4つの大陸プレートが潜り込むような所にあるのですから

2021-03-08 20:45:13 | 自然
火山地帯では地下数㎞~10数㎞の部分に、深部から上昇してきたマグマがマグマ溜まりをつくり1000℃以上の高温になっています。 地表に降った雨や雪の一部は地中にしみ込んで地下水となります。 この地下水がマグマ溜まりの熱で温められ、断層等の地下構造や人工的なボーリングなどによって地表に湧き出してきたものが火山性の温泉です。

上記の文章はネットで検索した温泉の仕組みについての記述です。 日本には全国つづ浦々に温泉があります。 地中を掘るボーリング技術がない時代から温泉地が数多くあると云うことは、その地域には断層地であると云うことになるのでしょうか。 

東日本大震災を起こした日本海溝での北米プレートの下に、毎年10センチずつ潜り込んで行く太平洋プレート。 ユーラシアプレートの下に滑り込んで行く、四国沖の南海トラフでのフィリピン沖プレート。 房総半島沖にある相模トラフ。 また北米プレートとユーラシアプレートとのせめぎ合いなど。

そんな少しずつでもプレートが動いている国土の上に立地する日本にあって、果たして原子力発電所が存在して良いのだろうかと、改めて考えてしまうのですが。 現在、活断層が近くにあるかどうかが、存在の有無の判断になっているようですが。

座禅は当初は足は痺れますが慣れれば痺れを感じなくなります

2021-03-05 03:50:30 | 座禅
私は生まれて初めて胡座を組んで座禅(静功)を、大学の級友の声がけで始めた時に、最初から1時間、真っ暗な中で座布団に座っておりました。 勿論、足は痺れましたが、我慢をして何とか過ごすことが出来ました。

たまたま頭のてっぺんで何やら微妙な変化を感じたもので、それ以来、毎晩1時間、家族が隣室でテレビを観ている音が聴こえる部屋で、真っ暗にして深呼吸の要領で、はじめに大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、座り続けました。

足の痺れは、慣れるに従い、長く吐く呼吸に意識を集中するに従う内に、痺れを感じなくなってきました。 痺れよりも長く吐く呼吸を行うことによって、体に微妙な変化があったことへの興味の方が大きかったのかも知れません。

座禅の真髄は、最低でも1時間を続けることによって、感得することになります。 初心者だから15分や30分の座禅では、座禅の本来の良さは分かりません。 是非、日常的なストレスから解放されて、崇高な至福感を感得して下さい。 自らの実践しか感得出来ないのですから。

空の理念 はじめに息を吐き出す呼吸法が本当に正しいのだろうか

2021-03-04 03:47:07 | 逆腹式呼吸
禅宗の臨済宗・黄檗宗のHPに座禅の時には、長く吐く呼吸に意識を集中し、先ずはじめに息を吐き出すとあります。 一般的に云われている腹式呼吸のことが記載されております。 いわゆる「空の理念」により、はじめに体の中に内在するものを全て吐き出すことの大切さが、書いてあります。

禅宗でも曹洞宗は、壁面の一点を見つめることにより、意識を集中するとあり、呼吸は普通呼吸とあります。

幸いなことに私は後年、上記のことをHPを見て知りました。 

長く吐く呼吸を行おうとする時には、はじめに大きく息を吸うのが自然です。 私が生まれて初めて胡座を組んで座禅(静功)を行った時には、ごく自然にラジオ体操の時に行った深呼吸を思い出し、はじめに大きく息を吸ってから、ゆっくりと息を吐き出していました。

上記の呼吸法を毎日1時間行なっていたら、結果的に生来持っていた気感を感得することになりました。 はじめに大きく息を吸う時には胸は拡がり、下腹は凹むのです。 これは息を吸う時には、下腹の臍下丹田は気を吐き出しているのです(凹んでいる事実から)。

息を吐き出す時には胸は元の大きさに戻り、下腹も元の大きさに戻ります。 息を吐き出す時には、下腹の臍下丹田は気を吸うのです(凹んだ状態から元の大きさに戻り結果的に拡がるからです)。

臨済宗・黄檗宗の呼吸法は、はじめに息を吐き出す時には、下腹からも同時に吐き出しなさいとあります(残念ながら具体的に臍下丹田の記載はありませんが)。 これは肺の動きと下腹の臍下丹田は、同期するとあります。 また息を吸う時には下腹の臍下丹田も気を吸うことになります。

私は自分の体験から、体の生理的な自然の動きは、肺の動きと下腹の臍下丹田の動きは同期せず、逆の動きが自然である。 生理的に自然な動きをするから、本来持っている機能(気感)を取り戻すことに繋がってくるのではと思っております。