私が初めて座禅を行うようになったのは、気功のほうの静かな功である静功でした。 静功といっても、静かに座ることには変わりはありません。 禅宗でいう観想法といっても良いかもしれません。
私が参加したのは、意念法という静功で、あることを強く意念しながら、座禅を行うというものでしたが、私は何故か、その中国から来られた先生の言うことを、最初から無視するように、無我夢中でひたすら吐く息を,真っ暗闇の中で1時間、深呼吸の要領で、大きく息を吸ってから出来るだけ長く吐いていたのです。
その時の意念法の解説では、胸の中心を熱く燃えるような感覚で、意念しなさいということでした。 呼吸のことは一切、話はなかったのです。 いま思い出しても,何故、ひたすら吐く息を出来るだけ長く吐いていたのかも、思い出すことは出来ません。
生まれて初めて行った座禅(静功)で、頭のてっぺんにある百会が活性化し(後にそのようなことであったと感得したのですが)、電子の輪の帽子を被っているような感覚になったのです。
これも後から感じたことですが、吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中へ吐くことによって、体の中に循環する経絡(気の通る道)を活性化させるということです。