ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

もう少し座禅時間を長くしなさいと云われているようで

2012-10-31 08:16:47 | 座禅

 このところ、深夜の1時間の座禅時間は、もう少し長くなりつつあります。 そろそろ、もう少し座禅時間を長くしなさいと云われているような気がするからです。

 私の考えでは、座禅時間が30分で野球の投手でいえば肩慣らし、45分では肩慣らしが終わって、これから本格的な練習がはじまる時間、45分以上の時間が、本格的な練習時間となるのです。

 従って、1時間では本格的な練習が、15分しか出来ていないことになります。

 私は一時期、3時間行なっていたことがありますが、現在では深夜に胎息で1時間しか、座ってはいませんでした。

 いずれにしても、作為を持たず自然の流れに従って、2時間を目処に座ることになりそうです。 座禅をもう少し長く楽しみたいと思います。


上半身の重心が垂直の軸にあるように座る・筋力が働かず

2012-10-29 07:31:41 | 座禅

 今朝の坐禅の時の雑念は、このところ改めて坐禅の時の座り方は、どうあるべきなのかについて考えました。 気がついたら2時間近く座っていました。

 お釈迦さまが、どのような座り方をしているのだろうかと、ネットで検索してみると、菩提樹の下で吉祥草を敷いて、お尻が痛くないようにして座っておられたとの記述がありました。

 多分、土の上に吉祥草を敷いていたと想像できます。 禅宗のようにお尻の半分を座布団の半分にかかるようには、座ってはいなかっただろうと思います。 また、お釈迦さまは半跏趺坐であったとも、書かれておりました。

 体に筋力が働かないような座り方をしようとすれば、上半身の重心が垂直の軸にあるように座るが、正しい座り方ではないかと、改めて思うのです。 禅宗のいうお尻と両膝の3点支持で、上半身を維持しようとすれば、力学的にも重心は体の垂直上の軸から外れます。 従って維持しようとする両膝に力が掛かり、上半身にも筋力が働くのです。

 力を体から抜くという考え方を大切にすれば、床の水平面に上半身の荷重が、垂直にかかるように座る座り方が、正しい座り方ではないかと思います。 不思議なことに、そのような座り方をして、3時間続けて座っても、どこも痛くなってはいません。 力が抜けているので、一番楽な姿勢になっているからでしょうか。


鶴牧東公園の芝生の小山からは富士山やスカイツリーが見えます

2012-10-28 09:34:24 | 自然

 健康診断で数多くの数値がオーバーし始めたのをきっかけに、朝歩きをはじめて2年が過ぎました。 この間、2ヶ月ぐらい歩かなくなったことを除けば、雨が降らない限り5時半に家を出て、7時近くに駅前の事務所に、そのまま行ってしまいます。

 当初は、1周1キロの多摩中央公園を、2、3周してからいたのですが、出会った人にくっついて歩くようになって、大廻りするようになりました。 その中でも鶴牧東公園の芝生の小山からは、周囲360度が開けていますので、とても気持ちの良い場所です。

 西方には富士山や大山、高尾山(富士山はよくわかるのですが)がよく見えます。 今は雪が上の方にかかって見えます。 東方にはスカイツリーや東京タワーが見えます。 イルミネーションも綺麗に見えるらしいのですが、私自身はまだ夜には来たことがありません。

 大気が湿気が含んだ状態ですと、山々も霞んで見えます。 これからは北西風の乾いた風が吹くでしょうから、遠くまでよく見えることでしょう。

 朝日が出ていると多摩ニュータウンの住宅群の屋根の色も、よく見えないのですが、曇の時にはイタリヤに行った時のように、茶色の屋根の色がよく見えます。

 この小山に登ることによって、何か幸せになるような感覚になるから不思議です。 これからは赤く朝焼けになった空を通して、木々が影絵のように美しく見える時期が、近づいてくるのを感じます。


構造設計者の寺田賀一さんから間違えを指摘されて

2012-10-26 07:39:13 | 座禅

 先日の直方体の話で間違えがありますよと、寺田さんからお茶を飲みながら指摘されました。 前提条件が、多分違っているんじゃないですか。 私の話の条件でいけば、内部に応力は、圧縮力がかかるからPの力がかかるはずですとのこと。

 私の記憶は、30数年前の話ですので、うろ覚えかもしれませんので、素直に訂正することにしました。

 然しながら寺田さんには、坐禅の姿勢では力がかかってはいないのですが、と反論しました。 寺田さんが説明するには、背骨が真っ直ぐで上半身の荷重を維持し、筋力が働かないような姿勢であるので、力がかかっていないように感じるだけです、と云うのです。

 寺田さんは構造力学の専門家ですので、そうですかと納得するしかありません。 再度、自重だけのPの荷重がかかった場合でも、内部応力は0にはなりませんかの問いにもノーでした。

 昨日の深夜の1時間の坐禅の雑念で、水平面に体の軸が垂直保たれるような姿勢が、もしかしたら本当に頭のてっぺんが、天から引っ張ってもらっているのではないかと感じたのです。 

 寺田さんの構造専門家の論には従うべきでしょうが、この世には理屈では説明出来ない、よく分からないことが多いので、とりあえず、私の坐禅の姿勢が、天から引っ張られているということに、しておきたいと思います。 何しろ坐禅の姿勢が、一番楽なのですから。


立っても座っても上半身は天から引っ張られた感じで

2012-10-25 09:05:13 | 座禅

 座禅をはじめて何が変わったかと問われれば、上半身を肩の力を抜いてリラックッスし、立っても座っても上半身は、頭のてっぺんが天から引っ張られた感じで維持する姿勢で、いつもいられるようになったということでしょうか。

 従って、日常生活の中で、どんな場面でも構えることなく、自然の流れを大切に対処するということが、当たり前になってきているように感じます。

 また、深夜の1時間の座禅が、私の日常生活の中心になっているようにも感じます。 何しろ夜、自宅に帰ると途端に眠くなり、お風呂に入らなくても、そそくさと布団を敷いて寝てしまうことが、多くなってきます。

 夜のテレビも見なくなりました。 ラジオは昼間、パソコンに向かいながら、radikoで音楽や話を聴いています。 食事も朝食を軽く食べ、お昼ご飯を近くにいる友人たちと、レストランで話しながら食べ、夕食は食べないでそのまま寝てしまいます。

 友人たちが話をしに訪ねて来るときに持参する茶菓子を、唯一間食しています。 私は下腹にある臍下丹田が活性化して、心臓のように鼓動しておりますので、そのことが腸の蠕動運動を促し、胃腸関係も快調です。

 時々、胸に手を当てると思い起こすようなことをしておりますので、その時には、それなりに体に変化を起こさせ、反省を促します。 

 そのうちに又、座禅を長時間続けることもあるとは思っておりますが、何ごとも作為を持たず、自然の流れを大切にしたいと思っています。


学生時代にひと夏を円覚寺で座禅を行なった茂呂肇さん

2012-10-24 08:11:22 | 座禅

 茂呂肇さんは、大学を出て初めて入った入江三宅設計事務所の先輩です。 事務所を8年勤めた独立後、何かとお世話になっています。 先日、久しぶりで会食した時に、自分は大学2年の時に、ひと夏中を鎌倉の円覚寺の禅堂・居士林で、座禅を行なったことがあるというのです。

  早速、ネットで禅堂・居士林を検索して見ました。 その中で、居士林だよりが目につきました。 10月17日付けの文の中で、正しいものの見方を身につけることが大切である。 また、お経の通りに、教祖の言うとおりにすることを否定し、本来、私たちは生まれながらに、正しい判断ができる力が、備わっているということを、臨済禅師の言葉として、管長さんの淡青坐禅会で提唱したとありました。

  何と素晴らしいお話なのだろうかと、改めて感心し、一度、参禅し、お話を聴きに行きたくなってしまいました。 茂呂さんの話から、思わぬ居士林だよりを知ることが出来ました。


垂直に立つ直方体に真上から荷重Pがかかるとき内部の応力は0

2012-10-23 07:22:33 | 座禅

 これは力学の基本的な問題で、一級建築士の試験にも出題されたことがあります。 水平面の上に、垂直に立つ直方体に真上から荷重Pがかかる時、水平面の下部からは、反力Pがかかります。 従って直方体内部の応力は0である、という問題でした。

 座禅を行うときには、上半身を頭のてっぺんを、天から引っ張られているように維持します。 上半身の荷重は床面にまっすぐ乗ります。 両膝は転倒しない程度に、床面に付きます。 そのことによって、上半身を真っ直ぐにしても、上半身内部は力が、かからなくなります。

 禅宗のHPにはお尻と両膝の3点支持により、上半身を維持するということが書いてありますが、これでは上半身の重心が上半身の垂直の軸から、外れることになり、両膝にも力が、かかってしまい、脚が痛くなる原因になってしまいます。

 あくまでも坐禅の姿勢は、体のどこにも、力がかからない姿勢が正しいのです。 いつも座禅を行なっているときに、姿勢をまっすぐ天から引っ張られているように維持するときに、いつまでも維持できることに、ふと昔の力学的な問題を、思い出してしまうのです。

 力が抜けてくるときに、はじめて座禅が楽しくなってきます


肺呼吸を行わず胎息で座禅を楽しむ

2012-10-22 07:57:33 | 座禅

 最近は、長く吐く呼吸を行わず、もっぱら肺呼吸を行わずに気の呼吸である胎息で、深夜の1時間の座禅を楽しんでいます。

  呼吸はしなくても、舌は上の歯の付け根に、そっと付けておきます。 体の後ろ側にある督脈から、体の前部にある任脈をつなぐのが、舌です。 上記のように付けておかないと、その気の主要な流れは、途切れてしまいます。 気を感じなくても、舌は上の歯の付け根に付けておく必要があります。

  胎息では、絶えず体の中を流れる気が、脳を刺激しますので、その刺激方を感じながら、座禅を行うことになります。 肩の力を抜きリラックスし、ひたすら座り続けながら、静かになるのを待つ感覚です。

  時間の経過とともに、その流れはゆったりと優しくなってきます。 脳は水泳で潜水したときに感じる、シーンとしてきます。 そんな深夜の座禅を楽しんでいます。


力が抜けてくれば自然と目は半眼になります

2012-10-21 07:38:53 | 座禅

 私は座禅をいつも深夜に行うことが多く、しかも部屋を真っ暗にして行いますので、目のことには頓着しておりませんでした。 こんなにも素晴らしい坐禅会を行なっているお寺はあるだろかと、ネットで検索したところ、近くの臨済宗のお寺がありました。

 どんな和尚さんが開いているのだろうかと参禅した時に、はじめて和尚さんに、目を半眼にしなさいと注意されました。 その後、座禅を行いながら、なぜ半眼にしなければならないだろうかと雑念の中で考えてみました。

 私は、昼間に日常的に呼吸法の練習を行うときには、目を軽く閉じていました。 従って早朝のお寺での座禅では、軽く目を閉じていたようです。 深夜の真っ暗闇の中では、どうだろうかと確認してみました。

 座禅では、肩の力を抜きリラックスし、吐く息を出来るだけ長く吐きながら、体のあらゆる細胞も含めて、静かな状態をつくっていきます。 あらゆる部分の力が抜けた時には、目は自然と半眼になるのではないかというのが、私の結論です。

 従って、目を半眼にする のではなく、目は半眼になる ということを私が感得したことです。


座禅は崇高な至福感を感得し心を清め高める

2012-10-19 06:45:24 | 座禅

 吐く息を体の中へ出来るだけ長く吐く逆腹式呼吸を1時間、継続的に続けることによって、セクシャルなエクスタシーを遥かに超える、崇高な至福感を感得することになります。

 日常的なストレスから解放され、心身ともに崇高な至福感を、継続的に感得することにより、心が洗われ、清められ、結果的に高まってきます。

 肩の力を抜いてリラックスし、ひたすら体の中へ長く吐く息だけに、意識を集中しながら1時間行えば、誰もが至福感を感得できると、確信しております。 30分ではなく、45分ではなく、1時間以上は必要なのです。