ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

嬉しいながらも困ったセキレイの観葉植物での巣作り

2010-05-31 08:24:32 | 自然

 バルコニーにある観葉植物に、野鳥であるセキレイがどうも巣作りを始めたようです。 先日も、観葉植物に水をあげようとかけたところ、巣作りをしているあたりから、親鳥が飛び出していきました。

 観葉植物にも水をあげないといけないのでしょうが、どうも諦めてセキレイの巣作りを優先するようです。

 バルコニー側のアルミサッシも、風通しを考えてあけたほうがいいんでしょうが、それもセキレイの警戒心を刺激するみたいで、締め切ったままにしています。 もう少し静かに観察を続けて見ましょう。

座禅での胎息は息を止めるというより気の呼吸を楽しむ感覚

2010-05-30 08:19:14 | 胎息

 昨日は久しぶりで、深夜の1時間の座禅を、胎息で楽しみました。 いつも夜は早くに寝ますので、深夜に起きてお風呂に入り、半身浴を行ってから座禅を行います。

 出来るだけ息を長く吐く呼吸を行うようにしておりますが、時として何となく胎息(肺呼吸を伴わない気の呼吸)を、ごく自然に行なったりするのです。

 部屋は真っ暗にしておりますので、目を半眼にするとかの話は、一切関係ありません。 下腹の臍下丹田から発した気が、股下の会陰から臍下丹田の裏側の尾りょう関を通り、背中の侠脊関(きょうせきかん)を通り、頭の後頭部にある玉沈関を一気に駆け上がり、頭のてっぺんにある百会を通り、目の中心部の奥にある上丹田に入り込み、口の中の上あごから舌を通してからだの前部に流れていきます。 胸の中心部にある中丹田を通り、下腹の臍下丹田に戻っていきます。 

 特に、脳は微細な神経の腺がありますので、気の流れに沿ってある神経の腺を刺激しますので、座禅を行っていても、眠くなることもありません。 顔の皮膚の裏側にも気は流れていきますので、微妙な気の流れを感じながらの座禅になります。

 胎息は息をしませんが、気の呼吸は感じます。 そんな気の流れを楽しみながら、深夜の静かな座禅を楽しむのです。

セキレイらしい鳥がバルコニーに来て

2010-05-29 06:33:45 | 自然

 ここ2,3週間ぐらい前から、事務所で仕事をしていると、窓から見えるバルコニーの天端の上を、ちょんちょんと歩く小鳥が、頻繁に見えるのです。 バルコニーには植木鉢に入った観葉植物が所狭しと置いてあり、時々お水を上げたりします。

 先日、サッシをちょっと開けていたら、小鳥が部屋に入って外に出してあげるのに、ひと苦労したばかりです。 始めは水を飲みにきているのかな、と思いながら注意しながら観察しているのですが、どうも巣作りをしているような雰囲気があります。

 野鳥の図鑑をネットで見てみると、どうもセキレイのようにも見えます。 机に座りながら、時々目線に小鳥の動きが見えるので、楽しみが増えた感があります。 今しばらく観察することにしましょう。

体の中心の上下にある沖脈が動く時

2010-05-28 07:23:56 | 

 私が呼吸法を伴いながら座禅を始めた当初、腎臓結石が腎臓から膀胱に行く尿管の途中で、詰まっていました。 結石が一番詰まりやすいのは、腎臓から尿管への入り口で、そこの部分は狭まっており、大きな結石が詰まって、尿意があっても尿が出ないという、冷や汗たらたらの状態になります。 次に詰まりやすいのは腰の辺りで、腰骨があり尿管も多分、入り組んだ状態で位置しているのではないかと思われます。 

 いつも水分を多くとっては、結石部分に振動を与えるべく、階段を何度も何度も叩くように降りては、結石が排出されるようにしていました。 

 いつも半身浴をしていましたが、尿管に結石が詰まっていますので、腎臓は激しく動き、何とか結石を動かそうとしますが、一向に進展がありません。 そんな半身浴を行った後、布団の上で座禅を行っていました。

 吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息が体の中へ入っていくのを追うようにして、吐く息だけに意識を集中して、座禅を1時間以上は行っていたときです。

 胡坐を組んで座る上体のお尻の中心部(会陰)から、頭のてっぺんの百会にかけて、ピストンが動くように何かが上下運動をしていました。 後から考えますと、体の中心部に沖脈という気の大きな通り道があるのですが、そこが活性化して激しく動いていたと感じたのです。

 今では沖脈の動きは感じませんが、相変わらず体の前部の任脈から後部の督脈に流れる小周天の気の動きを感じながら、毎日の生活を行なっております。
今、思い返して不思議な体験でした。

映画好きの恩師のお宅へ伺って

2010-05-27 07:12:22 | 胎児

 殆んど毎日のように映画館に行って映画を見ている私の恩師から、昨日電話があり、先日のクラス会では余り話が出来なかったからと、改めて話をしにお伺いしました。

 小学校3年の時に、1年間しか習わなかったのに、私がいままでに学んだ先生の中では、一番好きな先生です。 80数歳になるのに、相変わらず元気で、いつも奥さんと3人で、お茶を飲みながら話をします。

 昨日は先生のお母さんの話が出まして、亡くなる寸前まで、うわごとのように映画の話をしていたという話を、最後まで看取った奥さんが話してくれました。 先生によると、いつもお母さんと映画を見に行ったそうですが、子供ながら一人でも映画を見に行ったということです。

 たまたま、私が私達の誰でもが、お母さんのお腹の中で、胎外の出来事を気を通して感じるのです、と話しておりましたので、先生の映画好きも、お母さんの映画好きや、先生がお母さんのお腹の中にいたときも、お母さんは映画を見に行ったのではないかと、想像できますねと話して、思わず皆で笑ってしまいました。

 改めてお母さんと胎児がいつも一緒である、体験を共有することを、先生の映画好きを通して感じることが出来ました。 では、先生の機関車好きはどこから来るのだろうかと、家に帰ってから考えたのですが、そのことは今度お伺いした時に話題に出してみようと思います。

吐く息を長く吐くことにより体中のツボが開き宇宙と一体になる

2010-05-25 07:31:40 | 座禅

お尻をどっかりと床につけ、両膝は転倒しない程度に床につけて、上体を頭のてっぺんが、天から引っ張られるような感じで維持しながら、胡坐を組んで座禅を行います。 上体が天と尻(地)が真っ直ぐになるように座ります。 禅宗でいうお尻と両膝の3点維持ですと、重心は3点の真ん中に来ますので、必ずしも天と地が真っ直ぐには、ならないのです。

現在、残されているお坊さんの像を見ても、お尻の高さが上がっているものは、見たことがありません。 どんな像でもどっかりと落ち着いた感じで、座っている姿しか、見ることは出来ません。

口を閉じ鼻だけで呼吸します。 大きく吸ってゆっくり出来るだけ長く吐きます。 全部吐ききろうとすると、苦しくなりますので、そのちょっと前に、軽く息を止めまた大きく息を吸います。 吐く息は実際は鼻から出ていますが、それを一切忘れ、イメージで体の中へ吐いていきます。 吸った息を口から喉を通り、胸からお腹を通り、下腹にある臍下丹田まで導きます。 体の中へ入っていく息を追うようにして、吐く息だけに意識を集中します。

体の中へイメージで息を吐きますと、息そのものは鼻から出ているのですが、自分では分からないかもしれませんが、宇宙の気が体の中に入っていきます。 宇宙の気は半ば眠っていた経絡(気の通り道)を、刺激しながら進んでいきます。 出来るだけ長く息を体の中へ吐くことによって、次第に経絡の奥へ奥へと、進んでいきます。

体の中へ入っていった宇宙の気は、経絡の途中に数多くある経穴(鍼とか灸のツボ)を刺激しながら、進んでいきますが、その多くは経穴から排出されます。 座禅の深化の過程で、衣服を下で宇宙の気が、経穴から出てくるのを、感じることが出来ます。

1時間の座禅を継続的に行うことにより、体中の経穴が全て開いた状態になり、自分の体が宇宙と一体になる感覚を、得ることができるようになります。
何も考えずに、ひたすら吐く息を長く吐きながらの座禅を行っていけば、きっと私達に何かを感じさせ、もたらせてくれるものと思っています。

半身浴の後に座禅を行う

2010-05-24 06:30:40 | 半身浴

私は座禅を始めた当初は、いつも半身浴を行ってから部屋を暗くして、座禅を1時間行っていました。 座禅を始めてすぐに眠くなってしまうような体の調子がイマイチの時は無理をせず、さっさと寝てしまい、目が覚めたらすぐに布団の上で、座禅を行っていました。

最近は仕事場から帰ってくると、すぐに眠くなってしまいますので、さっさと寝てしまい、たいていの場合、深夜に起きて風呂に入り、半身浴を行って上半身びっしょり汗をかいた後に、汗が落ち着くまで団扇で扇いでから、座禅を行います。

今改めて考えてみますと、半身浴を行って下腹を温め、下腹にある臍下丹田も十分温まります。 したがって、胡坐を組んで座禅を行うときに、吐く息をゆっくり体の中へ吐くのですが、体の中の気の流れは、かなり滑らかになっています。 

下腹を温めないで座禅を行うよりも、下腹の臍下丹田を十分温めてから、座禅を行ったほうが、丹田の活性化を促進させるためには、よいのではないかと感じます。

半身浴を継続的に行うことにより、体の経穴(鍼とか灸のツボ)が活性化し、特に背中の骨と皮膚が近接している部分で、ひやりと冷たい冷気を感じることがあります。 これは気を感じる第一歩です。

吐く息を体の中へ吐くことにより、おでこの頭蓋骨と皮膚の近接している部分や、頭部の頭蓋骨と頭皮の近接している部分でも、気の動きを感じることになります。 静かに息を吐きながら座禅を行っていますと、微妙な体の変化を私達に、感じさせてくれるので。 そんな微妙な変化を楽しみながら、1時間の座禅を行います。

お医者さんより看護士さんを知り合いに持ったほうがよい

2010-05-23 08:47:17 | 

 私達の体が具合が悪くなった場合に、具体的にどこの診療科で診てもらったらよいかが、分からないことが多いのが現実です。 昔はお医者さんを知り合いに持ったほうが、よいといわれていたのですが。

 今のお医者さんは、かなりの部分で専門化していて、自分の得意分野以外のことには、よく分からないお医者さんが多いのです。 私は分からない場合は、知り合いの看護士の方に、症状を話しアドバイスを受けることにしています。

 何故か、看護士の方は、様々な外来診療や病棟経験を通して、どのような症状の方がどこの診療科に、一番よく来ていることを知っています。 またどのような症状の患者が、どの病棟にいて結果的に、どのような経過を経るかも知っているのです。

 私自身は、昔、どこの診療科に言ったらよいかに困っている時、的確にどこの病院の何かの先生に診てもらいなさいとまで言ってくれて、とても助かった経験を2度経験しております。

 病院によると、ベテランの看護士さんが、窓口でアドバイスしているようですが、私達も十分そのことを承知して、診てもらったほうがよいのです。 何しろ、自分の体は自分しか分からないし、守ることは出来ません。

吐く息を長く吐くことによって微細な神経がある脳を刺激する

2010-05-21 08:12:22 | 座禅

 私達は長く息を吐きながらイメージすると、イメージしながら息を長く吐くと、イメージ通りに気が動くことを知り、体もイメージするように動くことを、呼吸法を通していずれの日にか、感得します。

 30分の座禅時間では、いつも野球でいえば肩ならしでしかなく、いつまで経っても先に進むことは、至難の業です。 1時間の座禅を継続的に続けることによって、様々な微妙な体の変化を感じます。

 生来、眠っていた経絡(気の通る道)を、長く息を体の中へイメージで吐くことによって、少しずつ刺激し通りを良くしていきます。 経絡は神経の腺に沿って流れていますので、背骨の周りにある太い神経の腺を刺激し、微細な神経が集中する脳を一番強く刺激します。

 脳細胞は私達が一定年齢に達すると(幼少時といわれていますが)、それ以降は毎日10数万個以上の単位で、脳細胞は死滅していくといわれています。 私はもう60数歳になっていますので、今の段階で脳が活性化して脳の開発率が高まったとしても、子供のころの脳細胞の数に比べれば、その比ではありません。

 幼少期から逆腹式呼吸を取り入れて刺激をしてあげれば、どれだけの変化があるかは分かりません。 学習塾で勉強するより、どれだけの劇的な変化があるかは、想像できます。 

 このようなことは、ここ10数年の座禅を通して感じてきたことですが、自分自身がある意味では、手遅れの感がありますので、若いこれからの人に出会うと、改めて意識する長い呼吸の大切さや座禅の良さを、おせっかいながら話すようになってしまうのです。

吐く息に意識を集中すれば多少の雑音は気になりません

2010-05-20 08:19:16 | 座禅

 私は、呼吸法を伴いながら座禅を行い始めた当初は、夜、半身浴をして汗をかいた後に、家族がテレビを見ている隣室で、部屋を暗くして1時間の座禅を行っていました。 場合によると、ガンにかかった友人の無事を祈って、3時間の座禅も行っておりました。

 私をその当時、オリンピックのレスリングの選手達が、八田さんの指導の下、精神力と集中力を高めるため、照明のランプをつけたまま寝ていたという話を思い出し、ゆっくりと長く吐く息に集中しさえすれば、多少の雑音は気にならないものと思って、ひたすら隣室から漏れるテレビの音が聞こえながらも、座禅に集中していました。

 よく座禅をしていると眠くなってしまうという声を聞きますが、私自身は意識しながらゆっくりと、イメージで体の中へ息を吐き、体の中へ入っていく息を追いながら、座禅を行っていますので、眠くなったことは一度もありません。 

座禅を始めようとした時に、ちょっと今日は疲れているなとか、眠たい感じがするなと思ったら、さっさと寝てしまいます。 一眠りして深夜や早朝に起きて、さっぱりしたところで座禅を行ってきました。 何も決まった時間に行なう必要はありません。 人の生活は、いつも毎日決められたスケジュールで、進んでいるわけではないのです。 その意味で、自宅で行なう座禅は自由なのです。