ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

逆腹式呼吸は脳細胞の開発率を高めることになる

2013-06-29 07:41:05 | 逆腹式呼吸

 私たちの脳細胞の数は、幼児期のある年齢になると、増えることもなく、毎日10数万個単位で死滅するというのです。 また一般的には、脳細胞の開発率も数パーセントに過ぎないという。

 私が生まれて初めて、呼吸法を伴う座禅(静功)を行うようになったのは、今から15年ぐらい前ですが、吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中へ吐く(特に下腹の臍下丹田に向けて)逆腹式呼吸を行って、常に脳が刺激されることを感得しました。

 子供の頃から、この逆腹式呼吸を行っていたなら、多分、脳細胞の死滅率も軽減され、なおかつ脳の開発率も高まっていただろうと、今さながら感じるのです。

 今朝のテレビで、認知症の患者が増えていて、その予防対策の一つに歩くことが有効だというのです。 歩くことによって足の裏を刺激し、足の裏を通して全身の経絡、神経、血管、筋肉などを刺激することに繋がります。 そのことが結果的に脳細胞の劣化を防ぐのでしょう。

 余り馴染みのない長く吐く呼吸を、日常的に行うことでも、認知症対策にはなってくるのではないかとも思うのですが。


早朝にウィンブルドンテニスの試合をテレビ観戦する

2013-06-28 08:15:17 | 文化

 テニスをやめてから20数年経つでしょうか。 家に近くのテニスコートでプレイしている人たちを、いつも冷ややかな目で見ていたにもかかわらず、勤めていた事務所を退職し、独立して間もなく仕事もないのに、朝の6時ごろから9時まで、雨が降らない限り毎日、テニスをやることになりました。

 精神的にも経済的にも余裕がないのを、あえて精神的に余裕を持つために、あえて硬式テニスを始めたのです。 経済的に豊かでなくても、精神的に豊かであれば発想が豊かになれるのではという信念からでした。 

 連れ合いからは、仕事もないのによくテニスばっかりやっているわね、といわれました。 へとへとになるまでプレイして、家に帰ってからも、すぐに仕事とはいきませんでした。

 丁度、着物の帯の仕立てを行なっていた人とコートで知り合い、毎日のように独自で練習メニューを考え、練習の終わりにはシングルスの試合を行います。 7対3で私が負けるのですが、右ひざが悪い割には、粘りっこいプレイが信条でした。

 トータル丸3年で3000時間は、プレイしていたでしょうか。 そんなことがあってか、ウィンブルドンテニスは毎年のようにテレビ観戦しております。

 今年は、どうしたことかシード選手が次々と敗れる中、女子の伊達公子さんが42歳にもかかわらず、得意のライジングボールを打つショットで、今日も2回戦を勝ち抜きました。

 男子の11シードの錦織選手も2回戦を、手堅く勝ち抜きました。 まだ空中に飛んでショットする業も、封印しています。

 テニスの試合を見ていると、精神的な強さの如何が、とても大切なような気がいたします。 また試合の流れを読み取ることも大切です。 プレイしている選手は、なかなか分かるものではありませんが。


フリーのルポライター丸本武さんが天に還る

2013-06-27 16:24:35 | 友人

 昨日、知人の丸本さん宅にお伺いした時に、部屋の中を見てまわっていたら、素敵な絵がいっぱいありました。 これはどなたが描かれたのですか、と聞くと息子さんのだといいます。

 フリーのルポライター丸本武さんだというのです。 聞けば、高校卒業と同時に、世界各地に浮浪の旅に出かけたとのこと。 そのうち、世界各地で起きている出来事、特に紛争地の真っ只中に入って、写真と記事を発信する仕事を選ぶようになったというのです。

 イスラムの世界で被り物をした女性が、目だけは見えるという社会にも長くいたようで、その奥底に光る目をキャンパスの中に描いていました。

 雑誌に丸本武さんの顔写真がありましたが、厳しい環境で長くいたせいでしょうか、顔立ちは彫りが深く、無駄な贅肉がないというような雰囲気を持った写真でした。

 お母さんから、本人がニューヨークから帰ってきたときに、自分の絵はまだまだ未熟だと痛感したと、話していたそうですが、私がそこで見る絵は、厳しい環境の中にも、冷徹にものを見ても何か温かい感じがする、否、本人の優しさが溢れているような感じがいたしました。

 今朝、息子に駅に向かいながら、その話をしました。 すると、是非、その絵を見たいといっていました。 7月にまたお伺いするので、その折にお願いして、写真を撮らせていただくことにします。

 生きるか死ぬかの紛争地の中で、真剣に生き抜いてきた武さんも、5月の1日に天に還っていったそうです。 改めてご冥福を祈ります。


我を捨てる

2013-06-26 07:44:41 | 座禅

 最近、我(が)を捨てると云うことに、関心を持つようになってきました。 日常的なあらゆる場面で、我を捨てるということを意識します。

 自分中心でものごとを考えていくと、自分以外の意見に対して、一応は耳を傾けるのですが、やはり自分の意見を強く言いたくなってくるものです。

 したがって自分の意見に反するものには、時には腹も立ってきます。 しかし、ここで相手の意見をよく吟味して、天命に従う気持ちを持つことによって、不思議と腹も立っては来ないのです。

 自分自身では、どうしようもない時などは、特にそうです。

 努力をしてみて、最後は我を捨て、天命に従うということです。 考えてみれば、座禅の時に、自然の流れに任せ、自然の摂理に従う、ということに通ずるのかもしれません。


三男であっても上がいなくなれば長男と同じ

2013-06-25 06:27:02 | 友人

 親しくしている友人は三男ですが、既に長男、次男は天に還っていきました。 友人には、いつも三男であっても、上がいなくなれば長男として、対応する必要がありますよ、と私自身が長男であるだけに、その心構えについて話しています。

 三男ですから仏壇はないにしても、コップに水を入れ、お線香を上げてチンと鐘を鳴らすぐらいのことを、やられたらどうですか、とも話しておりました。

 どうやら、お水だけはあげて毎朝、拝んでいるようです。 また長男の家を守る義姉のところにも、時々金一封を持って、お墓参りもしているようです。

 私の弟は、父母のお墓参りは、殆んどしないようですが、甥や姪は、時として秩父まで、お墓参りをしているようです。

 長男は生まれつき、父母のことを思う気持ちが、強いのかもしれませんが、母が病院や特別養護老人ホームにいるときでも、弟は殆んど母を見舞いに行ったことはないのです。

 あちこちの長男坊に聞いてみると、弟達は兄貴に任せたという意識に、なってしまうようです。 友人にも、そのようの傾向はありましたが、今では、出来るだけ長男としての勤めをしようと、心がけているようでもあります。

 天で温かく父母や兄達が、見守っていてくれることでしょう。 友人が毎朝、お水だけでもあげて、お祈りをしていると聞いて、嬉しくなってきてしまいました。 きっと何かが変わってきてくれるに、違いありません。


力が働かないように坐り全てが静かになるように

2013-06-24 07:57:57 | 座禅

 肩の力を抜いてリラックスし、上体の重心が体の垂直上にくるように座ります。 姿勢をよくしようとして、胸を反らすと筋力が働きますので、頭のてっぺんが天から引っ張られているような感じで、上体を維持します。

 両膝は床面に転倒しないように維持するだけにします。 座禅のときの姿勢は、力が抜けていて力が働かないような姿勢が、正しいと私は思っております。 

 座禅に入る時も、力が入らないようにすることが大切ですが、時間の経過と共に、更に微細な細胞レベルまでも含めて、見た目だけでなく静かになることが肝要なのです。 

 そのためには一定時間が必要です。 私は最低でも1時間は必要と考えています。 2時間、3時間と長くなればなるほど、静かになることが出来ますが、集中力の維持が難しくなってきます。

 法界定印で手印を組みますが、親指の爪を切っておくことも大切です。 触れ合う親指の先までも、力はかからないのです。 

 座禅の時の、上半身を上記のように維持していますと、自然と立っているときでも、椅子に坐っているときでも、上半身にはどこにも力が入らなくなっているのに、気がつくはずです。


専修大学管弦楽団のコンサートでグリエールを聴く

2013-06-23 09:53:48 | 文化

 昨日は専修大学のフィルハーモニー管弦楽団のコンサートを、川崎市多摩市民館ホールで聴いてきました。 指揮者の西村友さんの動きが、私に心地よい印象を与えてくれました。 

 はじめに勇ましい楽曲が流れてきたと思ったら、専修大学の校歌でした。 その属する校歌を奏でるなどということは初めてでしたので、新鮮な感じがしました。

 歌劇「イーゴリ公」からの序曲、バレエ組曲「くるみ割り人形」と続き、最後にグリエールの交響曲第1番でした。 はじめて聴く曲で、とても新鮮な感じがしました。

 聞けば指揮者の西村さんも初めてだそうでしたが、全身を使っての指揮ぶりを見るにつけ、見ているだけでも楽しく感じました。 それにしても演奏者は、もう少し演奏する姿を考えたほうがよいと感じました。

 中には顔は無表情で、演奏する時の動きも画一的な方が、意外と多いように感じました。 せっかく指揮者が演奏者の音を引き出し、楽曲として纏め上げようとしているのですから、その動きと一体になったほうが、よいのではないかとも思うのですが。

 最近は前から4列目ぐらいで、聴くようになってきています。 

 前日の4時間に及ぶ楽しい飲み会に続き、昨日も楽しいひと時を、過ごさせていただきました。  ひたすら心を磨いているようにも感じます。 コンサートで音楽を聴いていると、曲目によりますが、胸が痛くなってくることがあります。


今日は母が生きていれば97歳の誕生日です

2013-06-21 07:48:27 | 

 両親が天に還って行った日は、春と秋に行く墓参りで思い出すのですが、不思議と生まれた日は、いつも頭の中にあります。

 丁度、今日は母が生まれ出た日で、生きていれば97歳になります。 私の周りで親の介護の話をされている方の話を聞くにつけ、我が母のことを思い出し、胸がいたくなってきます。

 父は65歳の時に、交通事故で天に還っていきました。 父のときは、前日に我が家に電話があり、連れ合いに、私を頼むとか、私の姉を頼むとか話していました。

 父のことは時間がだいぶ経ちますので、思い出すことは滅多にありませんが、母のことは6年ぐらいしか経っていませんし、自分の創造主だと思うくらいですから、当然なのかもしれません。


深化の過程で胸を膨らますというより下腹を凹ますに推移する

2013-06-20 06:55:29 | 逆腹式呼吸

 長く吐く呼吸を行いながら座禅を1時間行うとき、出来るだけ息を吸ったほうが長く吐けますので、深呼吸の要領で先ず息を胸いっぱいに吸います。 それを出来るだけゆっくりと長く吐きます。

 始めの内は、胸を膨らますことを意識しますが、胸を膨らますと自然と下腹が凹んでいるのです。 胸いっぱいに吸った空気を、口を閉じて吐くのですが、鼻から吐くことを意識せず、下腹の臍下丹田に吐くようにします。

 実際には鼻から少しずつ息は出ていますが、一切そのことは忘れ、ひたすら出来るだけ長く限界ぎりぎりまで吐きます。 全部吐ききってしまうと後が続きませんので、吐き切る寸前に、軽く息を止めまた大きく息を吸います。

 吸う、吐くのリズムは、無理をしながらも、あくまでも自然の流れのように、呼吸を行うことが大切です。 体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中します はじめは空気を吸う、吐くを意識しながら呼吸を行いますが、深化の過程で、次第に息を吸うときに、胸を膨らますというよりも、自然と下腹を凹ますようになっているのに、気がつくのです。

 酸素を取り入れる肺呼吸ではなく、下腹の臍下丹田で行なう気の呼吸に、知らず知らずのうちに、推移していくのです。

 はじめは吐く息が体の中へ入っていくのを実感するため、わざと息音を立てて吐きます。 この呼吸に慣れてきたならば、今度は一転して、出来るだけ静かに息を吐いていきます。

 息をしているかどうか、肺呼吸をしているかどうか分からないぐらい、出来るだけ静かに呼吸を行います。 この呼吸を続けるうちに、胎息という気の呼吸が、どういうものであるかを感得することになるのです。


中沢池公園にて真っ暗闇の中でホタルの光を見てきました

2013-06-19 08:09:45 | 自然

 祐乗坊進さんの情報で、中沢池公園でホタルの光が見えると聞き、昨夜、家族4人で見てきました。 昨年は、ちょっと遅かったために、数匹しか見ることが出来なかったのですが、昨夜は、かなり多くのホタルを見ることができました。

 息子は始めて見るホタルの光に、感動していました。 娘は手で囲んでホタルを見ては、また放してました。

 ホタルは水のきれいな(湧き水のあるような)、草が生い茂っているようなところでしか見ることが出来ないようです。

   ホタルの光は、私たちに、そこはかとなくせつなく、何か深遠なものを、感じさせてくれる気がいたします。 娘も息子も、何かを感じてくれているのでしょう。