ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

意識を一点に集中するのは数息法か長く吐く呼吸法か

2012-03-31 09:59:33 | 座禅

 座禅の時に一番大切なことは、如何に意識を一点に集中出来るかです。 禅宗のHPには数息法のことしか書かれていませんが、私は数息法を行なったことがありません。 従って数息法を云々できません。 数息法とは、ひたすら数を数えることによって、意識を一点に集中する方法です。 

 私自身は長く吐く呼吸に、意識を集中する方法しか行なっていませんが、吐く息に意識を集中するほうが、良いのではないかと感じています。

 私の場合は、口を閉じ鼻だけで呼吸し、大きく吸ってから出来るだけ長く吐きます。 吐く時にイメージで体の中へ吐きます。 吸った息が喉から気管支、胸を通り下腹の臍下丹田(どこにあるか分からなくても良いのですが)へ向けて吐きます。 体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中します。

 この呼吸を繰り返し行います。 出来るだけ長く吐く呼吸に慣れるに従い、1時間の座禅時間は、あっという間に過ぎていきます。 足のしびれも、座禅に慣れる従い、痺れも感じなくはずです。

 目を一点に集中しながら半眼にし、ひたすら数を数えながら意識を集中する(曹洞宗の場合)よりは、体の中へ吐く呼吸に意識を集中するほうが、簡単にできるのではないかと感じています。

 臨済宗・黄檗宗でも、長く吐く息に集中しなさいとは、HPに記載はなく、やはり数息法のことしか、書かれてはいません。

 私は、いつも下腹の臍下丹田はどこだろうと思いながらも、ひたすら体の中へ吐く息に、意識を集中しながら座禅を行なっていました。 今は3時間続けて座禅を行なってきたことが、懐かしく思い出されます。

梅の花も桜の花も1週間いつもより遅いのかも

2012-03-30 07:26:44 | 文化

 先週、秩父までお墓参りに行ってきましたが、いつもだと白い梅の花が、満開なのですが、紅梅だけが咲いていて、白い花は蕾のままでした。

 来週の3日には、駅前の乞田川沿いのビルのオーナーが、関係者に集まってもらって、恒例の桜見会が開かれる予定ですが、今日は19度ぐらいまで気温が上がるものの、何分咲きまでになっているでしょうか。

 桜見会はお手製の鉄板2台で、参加者が適宜、自分の役割を心得ているのでしょうか、下ごしらえをする人、調理する人、食べる人、飲む人、私はどちらかというと、バーベキューの周りで講釈しながら、賑やかにすることに徹しています。

 私はいつもチリの赤ワインを持参します。 ワインではネットショップで有名な森沢商店が近くにありますので、買って持っていき、自分でもよく飲みます。 先日、森沢商店にお昼ご飯の帰りに、友人と買いに行ったら、若女将から南アフリカの赤ワインと南フランスの赤ワインを勧められ、つい買い足してしまいました。

 チリの赤ワインは、ビン仕込みと樽仕込みがあり、私はビンの方が飲みやすいと感じていたら、若女将も「私もそう感じている」と、意見が一致していました。 ワインの飲み方も、一日で飲みきれない場合は、その残りを翌日に飲むと、またその味わいが深まるということでした。

 森沢商店は、店売りというよりもネット販売が多いので、忙しくみんなで荷造りしていました。 桜の花が、せめて5分咲きぐらいになっているのを、期待しましょう。

静かを探求する私を導いてくれたものは何かー7

2012-03-29 06:28:21 | 座禅

 生まれて初めて座禅(静功)を行なってから、ちょうど1ヶ月半になった時に、突然、下腹の臍下丹田が心臓のように動き始めたのです。 後で分かったことは、自発動という気が充実して起こる現象でした。

 私は座禅をはじめてからは、いつも自然の流れに任せ、自然の摂理に従う気持ちが大切であるということを感じていましたので、臍下丹田の鼓動を楽しむように、胡座を解き布団の上で、上掛けをかけて寝ました。

 臍下丹田の鼓動は30分ぐらい続いたでしょうか、その後、鼓動は右足の大腿部に移り、20分ぐらい続いたあとに、今度は右足のかかとに移り、10分ぐらい続いたあとで、収束しました。

 何故。私が短期間で、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めたのかを、改めて考えてみると、座禅を始める前にいつも下腹の臍下丹田を、半身浴で温めていたことも、関係があるのではないかと思います。

 十分に温まった臍下丹田に向けて、息を無我夢中で吐いていたのです。 息ではなく実際は宇宙の気が、臍下丹田に向けて入っていったのでしょう。 殆どは経穴から排出されたとしても、少しずつ体内に溜まって行ったのでしょうか。

 胡座を組んでひたすら息を体に吐いて、静かになっていく過程をいつも楽しんでいたように思います。 禅宗の修行僧のように、苦しいものではありません。

 振り返って考えてみれば、お釈迦さまは厳しい修行をされても、悟りまでは至らなかったといいます。 菩提樹の下で瞑想されることによって、悟りを開いたと云われています。

 動くことなしに静かに座ることによって、微妙な体の変化を感得します。 体を動かすとか、動きの中では微妙な変化は分かりません。 そんな変化を楽しみながら、ひたすら座っていれば、決して眠くはなりません。

 私は、今まで眠いと思った時には、さっさと寝てしまいます。 座禅を行おうと思って途中で止めたことは、ほんの数えるほどです。 ひとり座禅の良いところは、自分の生活サイクルのペースで、行えることです。

静かを探求する私を導いてくれたものは何かー6

2012-03-28 06:28:49 | 座禅

風の便りで前の事務所で、私の前の席にいた彼女(女性という意味)が、がんになったという話を聞いたのです。 彼女は「燃えるがごとくガン細胞を焼き尽くす」の作者の長尾宣子さんで、我が家からヒマラヤンのメスの子猫(ジョルジュサンドという名前で本にも登場)が、もらわれていった親戚のような関係です。

私は毎晩、1時間の座禅が終わったあとに、引き続き2時間、彼女の病気回復を願って座っていました。 清新な宇宙エネルギーを、ひたすら彼女の体に向けて送ったのです。 

私は全てが分かっていて、行動したわけではありません。 全て無我夢中で行なってきました。 彼女に病気回復するように願って気を送る行為を通して、特別なことを行おうとすると、天目が開くということを知ったのです。

手塚治虫の漫画「三つ目が通る」に出てくる主人公のように、おでこの中心部が目の形をしている天目が、あることを感得したのです。 私の彼女への願いが、目の形をした天目から、出て行くのです。 私はその時、普通ではない特別なことを行おうとするときには、天目が開くのだということを知ったのです。

 天目はいつも開いているわけではなく、世のため人のために、特別なことを行おうとするときに、開くものだというふうに理解しております。

静かを探求する私を導いてくれたものは何かー5

2012-03-27 07:13:06 | 座禅

 吐く息を体の中へ向けて、出来るだけ長く吐いていくと、次第に体の中に少しずつ溜まっていき、もうこれ以上息は入らないという状態になったことが、何度かあります。

 体の中へ吐く息は、実際には息ではなく気が入って行っているのですが、基本的には体の中へ入っていった気は、体の中へは溜まりません。 全て体中の経穴(体の気の通りを調節する弁)から出ていきます。 衣服を通して気が排出される感覚は、ある時期にくれば感じることができるはずです。 特に背中の骨と皮がくっついている部分で、感じます。 逆腹式呼吸が自己免疫力を高める理由は、息を体の中へ吐くことによって、経穴の気の調節機能を、いつも最善の状態に保ってくれるためなのです。

 体の何処かの部位の調子が悪いと、そこに関係する経穴の調子が悪くなります。 鍼とか灸で体のツボに施術するのは知られてはいますが、始皇帝の時代に人体実験をして、その関係性をはっきりさせたのです。

 私は当時、腎臓結石が尿管の腰骨にかかる部分で止まっていて、腎臓系統の調子は本調子ではありませんでした。 そのため腎臓に関係する経穴で、体の中の気が滞留していったのではないかと、感じたのです。

 ところが、何回かそのようなことが続いたあと、プッツンと糸が切れたように、その滞留していた気が、体外へ排出されたのです。 一種、焦げ臭いような匂いでした。

静かを探求する私を導いてくれたものは何かー4

2012-03-26 06:51:55 | 座禅

 週に1回の静功の会では、8人前後の参加者がおりましたが、暗闇の静寂さの中で、私の長く吐く息音だけが聴こえていたらしく、一緒に参加していた級友から、3回目が終わった帰り道で「もう少し静かにしてくれよ」と、私の息音を注意されたのです。

 私は、早速、静かに、出来るだけ息音が聴こえないように、長く吐き始めました。 吐く息が、吐いているかどうか、呼吸をしているかどうか、分からないぐあいに静かに吐きました。 この吐き方が結果的に、肺呼吸を伴わない気の呼吸ー胎息に結びついていったのでした。 

 体の中へ息を吐く呼吸は、体の中にある経絡を刺激し、経絡と絡み合うように流れる神経の腺を刺激します。 特に微細な神経が集中する脳を刺激します。 私は一時的に、脳を普段でも絶えず刺激しますので、鬱陶しいと感じたことがありますが、いやこれは世のため人のために使いなさいと、云われていると考えることにより、悩まなくなりました。

静かを探求する私を導いてくれたものは何かー3

2012-03-25 08:53:11 | 座禅

 私に静功の会の声かけをしてくれた友人は、私が参加する日以外にも参加し、1週間に3日参加し、そのうち1日は24時間というものでした。 多分、相当な参加料の支払いがあったと思われましたが、私には無理ですので、そうか私は毎日、あらゆる時間を使って、やってみようと思ったのです。

 電車を待っている間、電車に座れた時には浅く座って、軽く目をつむって、ひたすら吐く息を出来るだけ長く吐いていました。 事務所でも、ちょっとした時間に長く吐く呼吸を行なっていました。 時として葬儀の時に、弔辞を聴きながら、ひたすら体の中へ吐く息を行なっていました。

 私は、当時いつも寝る前にお風呂に入っていました。 半身浴をして下腹の臍下丹田を、十分に温めていたのです(後で考えて見たら)。 その上で、布団の上で部屋を真っ暗にして、隣室から家族がテレビを見ている音も聴こえてきます。 

 ぺちゃんこの小さな座布団をお尻に敷いて、普通の胡座で両手は、上に向けて重ねて膝の上におきます。 口を閉じ鼻だけで呼吸をします。 吐く息だけ出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中へ吐きます。 また体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中していました。 1時間の座禅時間は、あっという間に過ぎていきます。



静かを探求する私を導いてくれたものは何かー2

2012-03-24 07:30:26 | 座禅

 大学の泊まりがけのクラス会で、千葉に住む級友が、今度、私の住む近くで、静功の会が開かれるので参加するという声かけをしてくれたのです。 そのころ私は、心臓付近で何となく違和感を感じ、知り合いの看護婦さんに問合せをして、近くの総合病院の先生を紹介するという話まで聞いていました。

 足の付け根にカテーテルを入れ、心臓をチェックし場合によれば、治療まで行うことになるということを、ネットで検索し頭に入っていました。

 そんな時に友人からの話が出て、気功は体に良いらしいということは、何となく分かっていましたので、参加料も結構高かったので、迷いました。 結局、思い切って参加することにしたのです。

 生まれて初めて胡座を組んで、真っ暗闇に中で1時間、静功(座禅)を行いました。 日本気功協会編の気功の基本という本を、とりあえず読んでおきました。

 その会の先生は、子供の頃から気功を行なっていた中国からの留学生でした。 意念派と呼ばれる流派に属する方でしたが、いま振り返ってみれば、教え方は必ずしも上手というわけではなく、私自身は、その方の指導通りにはせず、無我夢中で、吐く息だけを出来るだけ長く吐く呼吸を行なっていました。

 息を吐く時には、空手の極真会の創始者である大山倍達さんの自伝映画「空手バカ一」の演武で行なっていた、息を体の中へ吐くような息音をたてる呼吸を、行なっていたのです。

 すると頭のてっぺんにある百会が活性化し(後でわかったことですが)、電子の輪の帽子を被ったような感覚になったのです。 生まれて初めて行なった1時間の静功(座禅)でです。

静かを探求する私を導いてくれたものは何か

2012-03-23 06:58:51 | 座禅

 座禅(静功)に無関心であった私を、今では毎日、深夜に1時間の座禅を楽しませてくれるようになったのは、その時々にこれはということが、あったように思われます。

 座禅をはじめる1年前に、知人から半身浴の話を聞きました。 丁度その時に、どのようにしたら毎日汗をかけるかを考えていた時でした。 歩くといっても多分、雨が降ったりすれば三日坊主だなあ、などと思っていたのです。

 半身浴は、お湯の面がお臍のちょっと上ぐらいにして入る、お風呂の入り方です。自分の好きな温度で良いのです。 私はそれまでは、カラスの行水で湯船には、3分も入っていなかったのです。

 お風呂の入り方を、ちょっと変えるだけで、毎日汗をかけるなら、これに越したことはないと、すぐその日の晩から半身浴で入りました。

 汗をかくということは、新陳代謝がよくなり血流の流れも良くなるのです。 1年間、生まれて初めて座禅を行う時に、そのことが後で考えれば、思わぬ結果をもたらしまのです。

順腹式呼吸そのものの考え方が間違っていたのではないか

2012-03-22 07:41:47 | 逆腹式呼吸

 私は、誰かから現在行なっている逆腹式呼吸を教わった訳ではなく、ただ子供の頃からラジオ体操の時に行なっていた深呼吸を、吐く息だけ出来るだけ長く吐こうと、しただけなのです。 

 自分自身の体験から、その呼吸が逆腹式呼吸であることや、体の中へ吐く息が、結果として体中にある経穴(鍼とか灸のツボ)から、気が排出されることを実感し、そのことが経穴の気の調節機能を改善し、自己免疫力が高まるということを感得したのです。

 今まで私のブログでは、逆腹式呼吸の良さだけを取り上げてきましたが、最近になって、順腹式呼吸がよいのか逆腹式呼吸が良いのかのコメントをもらって、改めて順腹式呼吸について考えてみました。

 禅宗の方々や丹田呼吸を推奨されている方々の記述を見ると、下腹の臍下丹田を私たちが体の仕組みから理解している臓器と、同じレベルで考えています。 息を吸う時には、丹田の気も一緒に吸うと考えています。 息を吐く時には、丹田の気も一緒に吐くと考えています。

 この考え方が基本的に間違っているのではないかと、最近になって感じるようになりました。 

 私は息を吸う時には、丹田の気は吐いている。 息を吐く時には、丹田の気は吸っている。 これが自然の流れではないかと思うのです。

 私は、我流の逆腹式呼吸・ただひたすら吐く息を体の中へ吐く呼吸を行なっていたのですが、息は実際には鼻から出ていて、イメージで体の中へ息を吐くことになったのです。 このイメージで体の中へ息を吐いたときに、実際には宇宙の気が体の中(臍下丹田)へ、入って行ったのです。

 そうでなければ、私が生まれて初めて行なった1時間の静功(座禅)で、頭のてっぺんにある百会が活性化し、電子の輪の帽子を被ったような感覚になれる訳はありません。

 また、座禅をはじめて1ヶ月半で、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動する訳はないのです。 私も実は、そのように導かれていったような感覚を持っています。 

 更に、吐く息音が聴こえるのを一転して、今度は出来るだけ静かに、息をしているかどうか分からないぐらいに吐くことによって、結果的に私たちの誰もが、お母さんのお腹の中で行なっていたであろう胎息という、肺呼吸を伴わない気の呼吸にたどり着いたのです。

 胎息というと、特別な呼吸法であるとか仙人の呼吸法であるかの記述を見かけますが、私は上記の理由で、誰もが胎児の時に行なっていた呼吸法であると思っていますので、特別なものであるとは、さらさら思ってはいないのです。