ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

排尿の時に心臓に何となく負担を感じるので腎臓と心臓は相関関係があるのではと思ったのですが

2021-04-03 01:01:14 | 生命
最近になって排尿の時に、心臓に負担を感じるようになって来ました。 高齢化のひとつとして男性ならば誰しも感じる前立腺の肥大を、私自身も罹患して泌尿器科の先生に、お世話になっております。 その結果として定期検診をしながら、薬の服用も行っています。

そのお陰で当初、排尿時間が2分近かったものが、最近では1分近くと短くなって来ました。 また夜、寝てから数時間ごとに起きてはトイレに通うことが続いていましたが、最近では寝ると4、5時間経ってからトイレに行くように改善されて来ています。

そんな時ふと、排尿時に心臓に負担を感じるようになったのです。 念のためにネットで、心臓と腎臓とは相関関係がないかを、検索してみました。 するとズバリ相関関係があることが、記載されておりました。

若い時に元気はつらつ時には感じなかったことが、改めて高齢化の中で腎臓も心臓も弱っている状態で、その関係を知ることになったのです。 私は25年以上前に毎日、仕事を手伝ってくれる方々と12時過ぎまで深酒し、数ヶ月後にはお酒も喉に入らなくなり、結果的に腎臓内が結石で珊瑚状になり、温浴の中で高周波処理する治療法で破砕しました。

然しながら破砕した結石は数年かかって、排石するようになり、ある意味では腎臓にかなりの負担をかけてしまいました。 また4、5年前には朝歩きを1時間おこなっていたのですが、最初の出だしの坂道では、何となく心臓に負担を感じておりました。

その後、機会があって循環器内科で、心臓の造影剤によるMRI検査を行い、冠動脈の一部が細くなっていることが分かりました。 先生はステントの挿入を勧めたのですが、私自身は嫌で風船治療を選択しました。 その後、上級病院で静的状態と動的状態での精密検査を行いましたが、異常はないとの診断でした。

そのような体の状態での、腎臓と心臓の相関関係を感じることになったのです。


石原慎太郎さんが死生観についての本を出されて死は虚無だと云うのですが

2020-06-27 19:42:00 | 生命

報道で87歳になられた石原慎太郎さんが、88歳になられた曽野綾子さんとの対談で、死生観についての本を出されて、死の先は虚無だと述べられているのを、ダイジェスト版で観ました。

石原慎太郎さんは右翼のコンコンチキだと云う印象を持っておりましたが、10数年前に武蔵野会館で講演会があると云うので、電車に乗って聴きに行ったことがあり、その話の内容に真実を感じて、それ以来、石原さんに対する見方が変わったことを記憶しております。

私たちの最終的な行き先は、石原さんが述べられているように、虚無と云う風に感じる方もおられるでしょうし、違う感じ方をされる方もおられると思います。 人それぞれが自分の人生の様々な経験や体験で、色々な感じ方があっても良いとは思っております。

私は深呼吸の要領で、大きく息を吸ってから出来るだけ長く吐く呼吸を、吐く息をイメージで体の中へ吐く呼吸を行いながら、真っ暗闇の中で1時間、時には3時間実践し、その過程で読んだ本が、私には相当、影響があったと感じております。

子供の頃に吃りで、治すためにお医者さんから長く吐く呼吸を勧められて、実践して治癒されて、その後、大阪大学に進学した後、大学に残って数多くの学科を履修した後、研究に没頭して数多くの発明をされて特許申請を行い、特許が取れたその日に無料開放されて来られた政木和三さんの文章を読みました。

この世に不可能はないー生命体の無限の力 を読んだ時の記述で、電気製品等の発明の過程で、様々なサジェスチョンがあり、新しい人類の役に立つ発明に繋がったと云う記述。 また人を見ると、その方の霊が見えて、何世代前のどのような方であったかが見えると云う記述であった。

また親しくさせて頂いている方から、芹沢光治良さんの神の微笑みシリーズの本を頂いて、何回も読み直しをしました。 この本は、芹沢さんが90歳になる時に、神の啓示があり、天に還られるまで毎年1冊を書き上げたものです。天理教の親さまと話したり、世界の指導者の方々と話されていることが記述されております。

私は長く吐く呼吸を伴う座禅を通して感得した内容や、政木和三さんや芹沢光治郎さんの本から、私が何時も記述する、天に還るとは 魂が天に還ると云うように理解しております。

 


加齢化と共に美しく生きたいと云う願望が強くなって来ましたが

2019-10-09 04:03:40 | 生命

私は何時の時からか、自分を見守っている方が存在していると、思うようになりました。 時として人の道に外れたことを行った時には、何らかの罰を私に与えるのです。 そのことによって私の軌道修正を、暗示するのです。

これまで進んで来た道を振り返ってみると、先ず体験することから学ぶと云う姿勢で過ごして来た感があります。 有り余るエネルギーの発散するために、中学生の時には夜間に一人で走り、時として仲間と一緒に走っておりました。

北園高校時代は何時もバスケットボールの練習を体育館で行なっていて、1年の休みは正月の元旦だけと云う生活でした。 従って男子校であったのですが、教室では学ぶだけで学友と話したり一緒に過ごすことは、殆どありませんでした。

その反動からか横浜国立大学時代は、クラブ活動は程々で、専ら赤羽から建築学科のある弘明寺までの通学とアルバイトの生活でした。 人の真似をするのが苦手で、当時の建築家の方々の考えを学ぼうとする意欲に欠け、従って建築計画の考え方が分からず、演習課題も、悶々としながらも提出せず結果的に留年することにもなりました。

そんな自分を見て拾ってくれる先生のお手伝いをする中で、物の考え方が少しずつ分かるようになって来て、学園紛争の中で追試を受けながら、卒業させてもらいました。

研究室の先生の紹介で8月から、入江三宅設計事務所にお世話になることになりました。 10年務めた後で独立しようと考えていたものの、8年で辞めて1年間は先輩事務所のお手伝いをさせてもらいながら過ごしました。

然し乍ら自らの設計計画の仕事をするために、前事務所を退職したことを思い返して、ゼロから出発することに決意しました。 経済的にも余裕はなく、母から当面の生活費として300万円を借りての生活でした。

大学時代の級友の面白い設計提案をしていたことを思い出しました。 友人は学校に何時もパブリカと云う車で通っておりました。 経済的に豊かであると発想も豊かになり、面白いことが考えられるのだと思い、その時から敢えて朝早く起きて、近くのテニスコートで早朝テニスを始めたのです。

私の場合は、経済的には余裕はなかったのですが、テニスを行うことによって精神的に豊かになれば、自然と面白い発想が出来ると考えたのです。 然し乍ら朝の6時から9時頃まで、ヘトヘトになるまでテニスを行い、家に帰ってシャワーを浴びて机に向かうものの、仕事どころではありませんでした。

そんな生活を実践する中に、経済的に豊かではないものの、対外的には余裕が滲み出て来てのか、今でも余裕があるように見えるのは、不思議な感があります。

ここに来て加齢化と共に、自分のこれまでを振り返ってみても、今後は美しく生きたいと思うようになって来ました。 街で見かけるお年寄りの方々を見るにつけ、そのような思いが強くなってきたのです。

 


AIロボットをひとりで創られる古田貴之さんの集中力には驚くばかりですが

2019-09-22 04:16:14 | 生命

激レア と云うテレビ番組でAIロボットをひとりで創って来られた古田貴之さんが、紹介されていました。  短期間で創ってしまうことにも驚くのですが、その集中力の凄さに驚いてしまいました。

一心不乱に製作に集中する結果、食べるものも殆ど無いような状態で、なおかつ横になって寝ると云うことも忘れて、作業中に何時の間にか寝ていると云うような状態だったようです。

従って食べるものも一般的に私たちが食するようなこともないので、一つのAIロボットを創り終えると、体重は10数キロ減ってしまうと云うのです。 エネルギーの大半を製作創りに集中してしまうのです。

背の高さが190センチ近くある方が、体重は40キロ台だと云うのです。 痩せすぎて体脂肪率は測定不能と云う。 然も驚くことに、あり意味では断食を行なっていると同じような状態ですので、悪かった視力も治り、1.5又は2.0になってしまったと云うのです。

古田さんは輝いて見えました。 いい刺激を頂きました。


この世に生まれて来た意義を考えることがあるのだろうか

2019-05-30 07:45:57 | 生命

私は大学を6年かけて卒業をさせてもらいました。 4年目の時には佐藤仁先生が研究室に来なさいと声をかけてくれて、論文の作成のお手伝いをさせて頂き、少しは建築デザインのものの考え方の勉強をさせてもらいました。

然し乍ら大学は数学科も受験するほどに関心があったにも拘らず、5年目も6年目も試験に合格点をもらえませんでした。 当時の心境を思い出してみると、正常な精神状態ではなく、もやもやとした状態でした。

6年目の数学の試験の追試を受けさせて頂き、学園紛争の中で何とか遅れて、卒業することが出来ました。 佐藤先生の口利きで入江三宅設計事務所に、8月から入所させて頂き、建築の計画と設計監理の仕事を、何とか出来るようになりました。

友人で日大の理工学部に親の勧めで入学したものの、自分には合わないとて江古田の芸術学部の授業に通った友人も、親からの仕送りもストップされて、荒川の土手で昼寝をしていて、目が覚めて目に入った電信柱の求人広告を見て、就職した先が舞台製作の会社でした。

友人は舞台製作を通して浅利慶太さんをはじめとする演出家の方々や、舞台デザイナーや演技者の方々との交流を持つようになったのです。 

そのように育って来た自分や友人の姿を見ながら、方や大学の級友が閉じこもりの状態で、月に1回大学病院に検診に行く以外は、一歩も自分の部屋から出てこない状況の人もおります。

今後どのような形で推移していくのかは、誰もが分からないのでしょうか。


受胎した受精卵が生長するスピードはとても早いが

2019-01-06 03:24:25 | 生命

私たちが生まれてくる過程で、受胎した受精卵が成長し、生まれ出てくる10月10日の時期は、とても大切な時期です。

私はよく、ぶらりと本屋さんに行って何か面白そうな本がないかと、探すことがあります。 そんな時に見つけたのが「胎児はみんな天才だ」と云う本でした。

作者は日本人の女性で、米国人の方と結婚して、ご主人に云われるままに受胎した瞬間から2人で、胎児に何時も話しかけるように育てられた方です。

公園に散歩に行けば、その情景を話しかけるようにしました。 音楽を聴けば同じように2人で胎児に、自分たちが感じたことを伝えるのです。 勿論2人で喧嘩することは、ご法度です。

作者は自分でも思いもよらぬ形で、3人の女の子は育っていったのです。 3人が3人とも飛び級して育っていったのです。 胎児の時に話しかけながら育てる以外は。

この事実は、受胎して受精卵から生長する過程でも、胎児は胎内で様々な胎外での出来事を感じながら育っていることを示しているのです。

私はこの本を読んで自分自身で実践してみたいと思ったのですが、残念ながら連れ合いは既にそれなりの年齢になっておりました。 では外でそのようなことが出来るかというと、何時も胎児と一緒にいることが前提にありますので、今の連れ合いと別れなければなりません。

従って実践することは出来ませんでした。 私は自分が出会った若いカップルに、そのことを伝えようと思い、その都度、話し伝えて来ました。 そのように育てて私の言っていることが事実としたら、一報下さいと。

学習塾に通わずとも、それなりに生長して行くのですが。 我が子が育つ時の状況はどうであったか、改めて反省する事ばかりでした。 自らも実践してみたかったなあと反芻するばかりです。


身近で病状生活を観て来た弟のことを思わず今頃になって胸が痛くなり

2018-11-25 08:18:09 | 生命

4、5年前から健康診断で血便が出ているものの、何ら対応して来なかった弟から7月31日の早朝に電話があり、昨夜、多摩南部地域病院に緊急に入院したので、連れ合いに連絡を取って寝間着等の必要なものを持って来てくれとのことでした。

便秘が続いてここ10日間、食事が出来ずジュースやヨーグルトのようなものだけで、生活をしているというのです。 その日に担当医師から病状を告げられ、大腸ガンのステージⅣで余命1年、早ければ3ヶ月ですとはっきりと本人立会いの中での宣告です。

本人に何故、早期の段階で詳細な検査を行わなかったのか、早期に内視鏡で検診すればポリープは簡単に取れたのにと云うと、それは結果論だと他人事のような答えが返って来ました。

そんな弟のその後の病状を観ながら、医師の先告通り3ヶ月で天に還ることになりました。 その時には感じなかった弟に対する虚しさや思い出を、改めて今になって感じるようになりました。

5歳下の弟と子供の頃に、負けず嫌いの弟が兄弟喧嘩で、最後まで私に食ってかかって闘ったことを思い出しました。 私と同じ都立北園高校に入学し、同じようにバスケットボールを行い、卒業後、同じように予備校に通うも大学には行かず、ロゴス英語学校で2年間過ごすも、その後は本屋さんに関係する会社に入って過ごしました。

弟のこれまでの生き方を思い出してみると、果たして充足した人生を送ってこれたのだろうかと、考えさせられました。 


弟が天に還ったら1ヶ月の間に訃報が続いて胸が痛みます

2018-11-19 20:12:41 | 生命

先月の27日に、大腸ガンのステージⅣが発覚して、十分な治療を行うこともなく、食欲不振から次第に痩せて行き、病院に入ってから担当医師の説明の通り、余命1年早くて3ヶ月と言われて、結局3ヶ月で天に還って行った5歳下の弟。

その後、大学のクラス会の通知と同時に、級友が4月に天に還って行ったとの電話が、幹事からありました。 奥さんと連絡を取ると、医者嫌いで軽い病の始まりの予兆があっても、医者にかかることもなかったようです。

2人に共通するのは、早期の段階での診察、治療を怠ったような雰囲気があります。

すると本日、娘から会社の上司が天に還って行ったとの、一言の電話がありました。 h煙草が好きで先日、肺がんで入院し、自宅で療養中に意識を失い、更に病状が悪化して入院治療中の出来事でした。

ここ1ヶ月以内に3人の訃報に接することになり、今日の娘からの電話の後、仕事をしながらも何となく胸が痛くなってきました。


弟が天に還って行きつつある姿を身近に観ていて

2018-10-28 02:00:58 | 生命

5歳下の弟から7月30日に、緊急で入院したと電話連絡があったのが、31日の早朝でした。 腸閉塞で便秘が続き、食事も満足に出来ないとの話の内容でした。 連れ合いが早朝のアルバイトで連絡がつかないので、直接、連絡してほしいとのこと。

早速、10時過ぎに連絡が出来て、一緒に多摩南部地域病院に向かいました。 聞けば10日ほど便秘が続いていて、水分を摂りながら仕事(生活)をしていたと云うのです。 後から判明したのは、2週間便秘が続いていたと云うではありませんか。

検査の結果S状結腸部分にガンがあり、その部分で腸が狭くなって便が出ない状態になっていると云う。 また腸の一部に穴が開いていて、腹腔内に食べたものの一部が漏れて、腹膜炎も起こしているとのこと。

その後の担当医師の説明では、大腸ガンのステージⅣの病状であり、余命1年か場合により3ヶ月かであるとのこと。8月18日に退院して、9月10日に2泊3日で抗がん剤治療が出来るように、その受け入れ口を胸に作るために入院しました。

13日に退院するも入院中から胃に違和感があり、食が進まないと話しておりました。

9月26日に治療のための入院があると云うので、家まで迎えに行きました。 すると退院時とは全く違った様相をしておりました。 食欲が無く殆んどジュース類とかヨーグルトしか、口にしなかったと云うではありませんか。

治療のための入院にも拘らず、殆んど現状の状態を維持することとなり、昨日(10月27日)の夕方に天に還って行きました。 昼過ぎに見舞いに行くと息をするのがやっとと云う状態で、酸素マスクをしながらも、側にいてもこちらが息苦しくなるような雰囲気でした。

その前の晩から余り寝ることが出来ず、少し強めの睡眠導入剤の点滴を行うかどうかの家族への相談がありました。 結局、その睡眠導入剤のしようが始まると、まもなく寝れる状態になると同時に、しばらくすると息もしなくなりました。

私自身は、暫く席を外していたのですが、連れ合いからの電話連絡で駆けつけましたが、病室に入ると同時に弟は、天に還って行きました。 10月に入ってから何度か危機的な状態はなりましたが、これまで、その都度また回復するという波が続いたのです。

流石に今回だけは無理だったようです。 葬儀の手配だけして、弟の家族3人と、お蕎麦を食べながら弟のこれまでの生活ぶりを思い出しました。


我が家のお母さん猫が子猫を舐めるように育てられていれば生命を大切にするのでは

2018-07-19 02:09:36 | 生命

我が家のお母さん猫のエルちゃんが初めて子猫を産んだ時には、お腹が少しは大きくなっていたのも知らずに、いきなり押入れの中から子猫の鳴き声がした時には、びっくりしました。

3匹生まれてエルちゃんは子猫の首を咥えては、得意そうに家の中をぐるぐる回っておりました。 ちょっと若いお父さん猫を尻目に、エルちゃんは舐めるように育てました。

私自身も母親から怒られたり打たれたりしながらも大きくなり、自身も結婚して子供を育てることになりました。 長女が生まれた時には、連れ合いと初めて子供のことで喧嘩をしました。

長女は私が夜遅くに帰って来るのを待ってかのように、なかなか寝つきません。 仕方なくおんぶをして3人で夜道の散歩です。 お風呂を入れるのが好きで、すぐ近くにあった銭湯に行って、泳がせる真似をしたりしておりました。

勿論、おしめの交換もしました。 私自身も舐めるように子供を育てました。 子供が未だよく噛めないと思い、私の口で噛んだものを、口移しで子供のあげておりました。 今になって子供からは、虫歯菌を移されたと言って文句を云われます。

私自身も反芻すれば、子供の育て方には多々問題があったように感じますが、少なくとも子供たちは生命を大切に思うような感情を持っているようです。

昔も今も変わりはないかもしれませんが、簡単に生命を断つ行為をしてしまう現況を見ると、少なくとも、そのような方々は親の愛情を十二分に受けて来なかったのではないかと、感じてしまいます。

そのような方々が親になった時、果たして十二分の親の愛情を子供達に与えられるでしょうか。 そのような悪循環の中で、次第に生命を大切にしない人々が増えてしまうのかなあとも思うのです。 残念ながら。