座禅を行い始めて大きく変わったのは、ただひたすら静かに1時間座っているだけの座禅が楽しくできるので、ほかの日常的な全てのことを、楽しくできる、楽しもうとする気持ちを、いつも持っていられるようになったことです。
日常的には、いいことばかりではなく、嫌なこともありますが、それ自身を素直に受け止めて、嫌なことを、どうやっていいことに繋げていかれるかなどを、考えることによって、意外と局面が打開できることがあるのです。
また全てのことを楽しもうとして、いつも微笑みを持てるようになった気がいたします。 自分の顔を鏡でいつも見ているわけではありませんが、全てのものに(動物や植物も含めて)、優しく接する気持ちに、なってきているような気もいたします。
自分自身は、まだまだ我欲を捨てきれずにいますが、半身浴を行いながら90歳になってから書き始めたという、芹沢光治良さんの「神のシリーズ」を読みながら、心身ともに洗い清められ、またパソコンに向かいながらも、クラッシック音楽を聴きながら、胸の中心部になる心を痛く刺激し、なおかつ、深夜の清新なエネルギーが満ち溢れている中での1時間の座禅が、日常的なストレスから解放され、崇高な至福感を感得することによって、徐々に変わってきているのかもしれません。
いずれにしても、座禅が楽しく感じられるのは、幸せなことに違いありません。
今日は、朝早くから家族4人で、秩父まで両親のお墓参りをしてきました。
お墓を掃除してからお花をあげ、父が好きだったお酒(日本酒の武甲)とお饅頭をおいて、お線香が消えるまで、お墓の前で過ごします。 お線香が消えたらば、掃除をしてから帰ります。 もう既に36年以上が経とうとしています。
子供たちには、お墓参りをするのが当たり前だという意識を、知らず知らずのうちに身につけているはずでしょう。
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