ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

なぜ舌を上の歯の付け根に付けておくのか分かるのが歯医者で

2014-08-31 08:21:13 | 

 私は子どもの頃に、キャラメルをよく舐めていたので、青年になるころには虫歯だらけで、よく歯医者さんに通ったものです。 今でも検診を兼ねて3ヶ月毎に行っております。

 

 歯医者さんで治療を行なうときには、口を開けて行ないますが、ある程度治療が終わると、綿を上下の歯で噛んでいるように、先生から云われます。 すると上の歯から下の歯へ、強く体の中の気が流れるのを感じます。

 

 深呼吸の要領で、大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐く呼吸を、継続的に続けていきますと、いずれの日にか体の中を流れる気の動きを、感じるようになります。

 

 長く吐く呼吸を行うときには、舌を上の歯の付け根に、そっと付けておきます。 この理由は、体の上半身を流れる主要な経絡で、背中から体の前部に流れるときに、上あごから下あごに流れるときの、大切な役目を行なうのが舌なのです。

 

 舌を上の歯の付け根に付けることによって、スムーズに体の前部に気は循環するのです。

 

 歯医者さんでの治療は、口を開けていますし、舌は上の歯の付け根から離れています。 従がって、綿を噛んだ上の歯から下の歯を通して、体の中の気は流れることになります。

 

 先生からは強く噛んでいるように云われますので、その気の流れも強く大きく流れるのを、感じることになります。

 

 この気を感じるー気感は、誰でも生来、感じていたものなので、特別なものではありません。 私たちは、この世に生まれ出てから肺呼吸を行うようになって、次第に気を感じなくなってきただけのことです。

 

 上記の呼吸法を行なうことによって、生来、持っていた機能を回復しただけのことだと、私は思っております。


スケジュール通りに計画が進められてほっと一息が

2014-08-30 06:34:37 | 社会・経済

 昨日は、仕事の上でスケジュール通りに、計画が進められ、ほっと一息がつけることが出来ました。 朝歩きはしとしと雨なので、歩くことは出来たのですが、残念ながら未だ一仕事が残っていたので、事務所でクラシック音楽を聴きながらの作業を行ないました。

 

 朝一番の約束でしたので9時に相手先に出向き、何とか間に合わせが出来ました。 お昼はお客さんからのお誘いで、京王プラザの和食のあしびで会食でした。 昼間からビールを頂き、懇談のひと時でした。

 

 最近では滅多に根を詰めて仕事をすることは無いのですが、改めて深夜の1時間の座禅での、意識の集中力の蓄積が、仕事の上でも現れているのかなあと、思ったりすることがあります。

 

 まだ9月半ばに向けて、また集中力を発揮する必要がありますので、一日一日を楽しみながら、送っていければと思います。


夕食をやめてから お腹がグーと鳴るようになりました

2014-08-28 07:49:43 | 健康づくり

 いつも事務所から帰って来て、軽く夕食を食べた後は、すぐ寝てしまう生活を長く続けてきました。 2年半ほど朝歩きも止めていましたので、その結果、見る見るうちに胴回りも太く、体重計には乗らなかったものの、それなりに増えていたものと思われます。 6時半か7時には寝てしまっていたものですから。

 

 朝歩きを再開して1ヶ月が過ぎましたが、何となく体内の細胞が、弾力性を持ってきたように感じます。

 

 寝る時間は同じものの、殆ど水しか飲まないで寝ます。 夜中の1時前後に目を覚ますのですが、トイレに行きとりあえず又、顔を洗ってから座禅を行います。

 

 久しくお腹が鳴らなかったのですが、しきりとお腹がすいたよと「グー」と何度も鳴ります。 南雲吉則先生によれば、グーと鳴ることによって、体が飢餓に対する反応を示し、あらゆる良いことをしてくれるように、なるというのです。

 

 南雲先生は、現在では一日一食、それも夕食だけとのことです。 奥さんと冷蔵庫も別で、自分で料理するといいます。

 

 私は残念ながら、食欲からは離れられませんので、とりあえず一日二食ということで、食も楽しみたいと思います。 それにしても、お腹が「グー」と鳴る感覚は、そのような環境におかなければ、ならないものです。

 

 しばらく「グー」という鳴る音を楽しみたいと思います。


力を抜いて姿勢を正し心身ともに静かになるのを待つ

2014-08-27 07:58:57 | 座禅

 深呼吸の要領で、大きく息を吸ってから出来るだけ長く吐く呼吸を行い、イメージで吐く息を体の中へ吐く行いながら、1時間座り続ければ、いずれの日にか生来、持っていた気感を取り戻すことになります。

 

 体の中へ長く吐く呼吸が、眠っていた経絡(気の通る道)を活性化させ、気の通りを良くしていきます。 更に深化の過程で、下腹にある臍下丹田(気の心臓にあたる部分)も活性化し、心臓のように鼓動を始めるのです。

 

 経絡は体中のある神経の腺に絡み合うように、流れているといわれ、その経絡の気の流れが良くなってくると、微細な神経細胞がある脳を刺激することになります。

 

 何故、静かに座る時間が1時間は必要かというと、自分自身で実践すれば分かることですが、経絡内の気の流れは、始めは強く硬いのです。 それが時間の経過とともに(45分ぐらい過ぎると)、その流れは緩やかに優しくなってくるのです。

 

 その感覚は、セクシャルなエクスタシーをはるかに超える、崇高な至福感を感得することになるのです。 勿論、日常的なストレスから解放されことは、いうまでもありません。

 

 私は、長く吐く呼吸ではなく、今では胎息で、ただひたすら静かになるのを待ちながら、胡坐を組んで真っ暗闇の中で座り続けているのです。 深夜の1時間の座禅が、私の生活の中心になっているようです。 

 

 生活習慣になっていますが、これは楽しいから続くのでしょう。


肩の力を抜いてリラックッスするも上半身は天から

2014-08-26 07:22:46 | 座禅

 ふと両親のいつもの姿を思い出してみると、母はいつも背筋が伸びていましたし、父も特に姿勢が悪いということもなかった記憶があります。 父は交通事故で天に還っていきましたが、母は腎臓結石の関係で、最終的には腹膜透析をするようになりながらも、92歳までこの世にいました。

 

 呼吸法を伴う座禅を行なうようになって、改めて肩の力を抜いてリラックッスし、上半身を頭のてっぺんを天から引っ張られているように、維持していることの大切さを感じるのです。

 

 立っているときでも、椅子に座っているときでも、歩いているときでも、勿論、床に座っているときでも、姿勢はいつも一緒です。 いわゆる自然体でいるのです。 

 

 姿勢を良くしようとして反ってしまうと筋力が働きますので、よくありません。 いつもどんなときでも、力を抜くことに意味があります。 上半身はいつも垂直です。 

 

 胡坐を組むとよく分かるのですが、上半身が床に対して垂直であれば、上半身の荷重分の反力を床から受ける為に、上半身の中心部は全く力が0であるような、感覚になるから不思議です。

 

 従がって長時間座っていても、なんでもなくなるのです。 深化の過程で。


退職と同時に1型の糖尿病になってしまった方がおり

2014-08-25 07:39:54 | 

 朝歩きで出会う方の中で、もう既に10年近く、朝歩きをされているという方がおられます。 その方と歩きながら話を聞いたところ、退職と同時にⅠ型糖尿病を発症したというのです。 それまでは何でも無かったのにです。

 

 ネットで検索してみると、いわゆる生活習慣で糖尿病になるのは、Ⅱ型糖尿病といわれるもので、運動や食事に注意をすることによって、回復する余地があるのですが、Ⅰ型は急激になることが多く、場合によれば、ゆっくりとなることもあるというのです。

 

 歩きながら、朝歩きを毎日1時間もしていれば、インシュリンの量も少しずつは、減らすことが出来るのではありませんかと問いました。

 

 定期健診を行ないながら様子を見てられるようですが、今のところインシュリンの量を減らすことまでは、考えられていないとのこと。

 

 歩くスピードは、私よりも格段の速いのです。 ご婦人ですのに。


その方がいるだけで幸せ感を感じることが出来れば

2014-08-24 07:25:31 | 気づき

 朝歩きをすると、いつも出会うコリー犬のデュークがいます。 ご主人は私と同年齢で上野の御徒町駅を挟んで、湯島側にある黒門小学校が私、Tさんは反対側にある竹町小学校の卒業です。

 

 Tさんはその後、御徒町中学校へ行き、私たちの学校からもそこへ進学したものもいます。 そんな話も、たまたま立ち話で分かったことですが。

 

 デュークは品が良く、その存在そのものが、私たちに幸せ感を与えてくれるんです。 出会うといつも頭を撫でてあげます。 そんなことを改めて、歩きながら考えてみると、私たち人間にとっても、その存在が、人に幸せ感を与えることが出来れば、もっと良いに違いありません。

 

 私自身は、自分の胸に手を当てれば、色々と想い起こすことがいっぱいあり、今から身を清めたところで、追いつくものではありません。

 

 それでも、そのような存在に近づくことは出来るはずです。 遅まきながらも深く静かに、黙って潜行することにしましょう。


カラスウリの花が咲くというので観てきましたが

2014-08-23 07:38:19 | 自然

 朝歩きでいつも会う依田ご夫妻が、先日デジカメを見せて、カラスウリの花が咲いていましたと話してくれました。

 

 場所を聞いて何度も歩きながら探すのですが、見つかりませんでした。 その旨を伝えたところ、昨夜、お友達と確認してきたら、いっぱい咲いていましたというのです。

 

 今朝お会いしたときに、ご夫妻は改めて逆戻りしながら、ここですよと連れて行ってもらいました。 旧サンピア多摩の現在では、桜美林の施設の駐車場の出入り口前にある多摩中央図書館(旧落合小学校)側の土手に、昨夜咲き乱れた後のように、花弁がしぼんだ状態で、残っていました。

 

 カラスウリは夕方から咲き始め、朝方にはしぼんでしまうといいます。 昨夜の8時には、一杯咲いていたというので、早速、今夜デジカメを持って見に行くことにします。 今から楽しみです。


体幹を鍛えるには体を動かすことしかありません

2014-08-21 08:23:11 | 健康づくり

 高校生の時には、毎日のようにバスケットボール部で運動していたので、特に体を動かすことには、ごく自然なことのように思えていました。

 

 それなりに歳をとってくると、自らが動こうとしない限り、体を鍛えることは出来ません。 スポーツジムに行くことはためらいがあり、その意味では3年間、毎朝行なってきたテニスは、私にとってはハードな運動でした。 6時に家を出て9時に帰ってくると、へとへとになってしまい、さあこれから仕事をしようなどという雰囲気にはなりませんでした。

 

 勿論、独立したばかりで仕事があるわけでもなし、さあ、これからどのように仕事を創っていこうか考えることから、始まりました。 仕事が無い状態が続いたので、母から借金をして生活していました。 娘も息子も生まれ、専業主婦の連れ合いもいながら、何とか暮らしていました。 悲壮感も持たずに。 反芻すれば若かったのかもしれません。

 

 小学校のときも、不忍池の周りを入っていましたし、中学生のときは上中里から飛鳥山を通り毎夜、走っていました。 その後、友人たちと陸上部でもないのに、家に上中里から王子を通り、赤羽まで走ってユーターンして、さらに走っていました。

 

 歳をとるに従い、過食ぎみになり、人間の飢餓に対するごく自然な生理で、体脂肪を蓄えるようになってしまいました。 その意味では、朝歩きは手軽な運動ではあります。 自分にその意思さえあれば。

 

 2年間朝歩きをサボって、改めて朝歩きの良さを体感しています。 体の中が躍動しているような、代謝も良くなってきているような気がいたします。

 

 朝歩きをしていると、ふと、富士山の山登りをしているときのように、朝歩きを行列で行なっている姿を想像すると、どんな雰囲気になるのかとも思うのですが。 丁度、今ぐらいの出会う歩く人の数で、良いのかなあとも感じます。


ウイーン大聖堂で歌うサラ・ブライトマンから発展して

2014-08-19 09:29:43 | 文化

 ユーチューブでウイーンのステファン大聖堂で歌う、サラ・ブライトマンの美しい歌声のことを、昨日のお昼ご飯をジョナサンで一緒に食べた寺田さんと話をしているうちに、教会の大聖堂で歌うと聴くほうは、どのような音色が聴けるのだろうかということになりました。

 

 ユーチューブでは、マイクから入ってきた歌声と、楽器や合唱団の音色を機器を通して録音しているので、雑音は一切ありませんので、それなりに美しい歌声が聴こえてくるのです。

 

 大聖堂の改修資金を調達する為にも、教会をイベントに貸し出しているようですが、正規のホールではない天井が高い雰囲気のところで、どのような響きが出てくるかは、とても興味はあります。

 

 さて、そのような素敵な空間でのコンサートは、日本ではどうかというと,なかなか無いようにも思えます。 あれば教えていただきたいのですが。

 

 そんなことを寺田さんと話しているうちに、平屋で1000坪ぐらいの建物として、坪当り300万円としても、総額30億円ぐらいで出来そうです。 高くなっても50億円ぐらいか、もっと高くなっても100億円ぐらいか。

 

 新国立競技場の建設費から考えても、100億円ぐらいで素敵なホールが出来るとすれば、安いものではないか、というような二人の結論ですが。 例え100億円が200億円かかったとしてもです。

 

 初台にあるオペラシティホールや新国立オペラホールなどは、大小5つのホールがあるとはいえ、また違ったホールがあっても良いのではないかと思うのですが。