ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

1年の締めくくりーお餅つきを終えて

2008-12-31 14:00:47 | 社会・経済
 昨日は例年続いているソフトボール仲間との餅つきがあり、朝の9時から後片付けが終わった3時まで、年末行事がありました。 小さな臼ですので2キロから2.5キロのお餅を突くのがやっとで、私はいつも合いの手が係りです。 

 動体視力が衰えたのがきっかけで。私はすでにソフトボールから離れて久しいのですが、年末は、かつての仲間達と、自分の分担を黙々とこなしながら、お餅を突きます。

 2つの釜を用意して、火をおこしお湯をつくり、蒸篭にもち米を入れて蒸します。 私はいつも桜海老のかき餅と、海苔餅をつくりますー突いてもらいます。 焼いて食べる桜餅と海苔餅の匂いは、なんともいえません。 日ごろお世話になっている方に、届けた残りが我が家のお餅です。

 30年ぐらい続いている餅つきですが、住宅群の中で響く餅を突く音には、近隣のかたがたは、年末の風物詩と捉えているのか、その餅音を静かに聴いているようでもあります。 自分で仕事を始めて、いつも年を越すのが大変だなあと思うのが、毎年のことですが、今年はどうやら無事、皆さんの協力で越すことができそうです。

 年越しは、いつものことながら、隣の部屋から聞こえるテレビの音を聞きながら、胡坐を組んだ座禅をしての年越しとなるでしょう。 

普門庵での今年最後の座禅会

2008-12-28 17:33:33 | 座禅
 第2、第4の日曜日、朝7時からの座禅会に参加するようになって、今年最後の座禅会が本日ありました。 このところ、すっかり冷え込むようになり、法界定印で手印を行う親指の先が、特に寒く感じるようになりました。

 和尚さんは、外気が道場に入り込むように、いつも玄関の戸は開け放されています。 いつもは半袖の下着にカラーシャツ2枚という姿なのですが、今日はさすがに毛糸のセーターを着込みました。 半跏趺坐の足の親指も寒いのですが、手印の親指の先だけは、どうにも冷たすぎた感じがします。

 お寺での座禅会に参加する日でも、大抵は深夜に1時間の座禅を、自分の布団の上で、パジャマ姿では行っております。 今日は改めて、自分は座禅を楽しんでいるなあと、感じた次第です。 生活サイクルに、完全に入り込んでいるのかも知れません。

 ただひたすら座禅するー只管打座、理屈を抜きにして、理屈を先行させないで、先ず実践する、そんな考え方が、自分には合っているような気が致します。 私の親しくしている友人は、どちらかというと理屈が先行するタイプで、なかなか1時間の座禅は、取り組めないようです。 一番私の身近にいるのですが、あと一歩踏み込めません。 来年に期待することとしましょう。 

 百会や玉沈関が活性化したもうひとりの友人も、年末の忘年会続きの中で、その後停滞しているようです。 仏教の本をよく読み、勉強されていますので、この方にも来年は、なお一層、期待することにしましょう。 

座禅は脳と心のエクササイズー心を鍛える

2008-12-27 19:38:51 | 座禅
 私は、毎日深夜に深酒しない限りは、1時間の座禅を続けていますが、最近では殆ど胎息(肺呼吸を伴わない気の呼吸ー私たちがお母さんのお腹の中でしていた呼吸)をしながら、静かな暗闇の中で、体の中を流れる気を楽しんでおります。

 座禅時間が45分から1時間になりますと、脳を刺激する気の動きが緩やかになり、脳を優しく刺激し、癒し、私たちにセクシャルなエクスタシーを遥かに超える至福感を、与えてくれるようになります。 日常的な問題解決しなければならないようなことが、雑念として浮かんできても、意識を集中する中では、不思議なことに、ふとどこからかサジェスチョンが、与えられたりします。

 脳だけではなく、目と目の間の奥にある上丹田を刺激し、そこに潜む生命力を、結果的に高めることもします。 また、胸の中心部にある中丹田も刺激することになります。 中丹田には情緒とか感情に関係する心があるように感じます。 体の上半身を気が一回転する小周天を通して、中丹田も強く影響するように感じます。

 

座禅は脳と心のエクササイズー生命力を高める

2008-12-26 19:07:30 | 座禅
 鼻だけで呼吸し、吐く息を出来るだけゆっくり吐き、吐く息は体の中へイメージで吐きます。 鼻から吐くことを一切忘れ、あくまでも体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中します。 そのような呼吸ー逆腹式呼吸を継続的に行うことによって、自分でも分からないままに、自己免疫力が付いてきます。 

 また、眠っていた体の中の経絡(気の通り道)を刺激し、主要な気の流れである任脈と督脈の流れを促進させ、小周天ができあがります。 日常的な座禅を通して、常に体の気の流れを良くすることによって、気の調節を行うツボー経穴を刺激し、そのツボに関係する内臓機能をも、活発にさせます。 

 気の流れを一番感じやすい部位は脳ですが、後頭部の下から駆け上がってきた気は、脳内を通ったあと、おでこから目の中心部の奥にある上丹田に、入り込みます。 上丹田には私たちの生命体があるとされていて、気の循環の過程で、いつも上丹田を刺激することになります。

 経絡は神経の線に沿って流れているため、神経系統の疾患は、時間はかかるかもしれませんが、呼吸法を続けることによって、治るのではないかと、いつも座禅の雑念の中で、感じております。 常に気を小周天させることによって、神経系統だけでなく、生命力そのものも、高められるのではないかとも思っております。 

 体を動かすエクササイズも、汗をかいたりして楽しいかも知れませんが、畳半畳で行う座ったままでの座禅の楽しさは、遥かに運動以上の楽しさがあると、いつも思っています。 生来、意識してこなかった呼吸を、意識することによって、目には見えませんが、自分自身で感じることが、出来るようになるのです。

座禅は脳と心のエクササイズー脳を鍛える

2008-12-25 07:17:26 | 座禅
 呼吸法を伴う座禅は、脳と心のエクササイズになります。 生来、意識しなかった呼吸を意識し、吐く息をゆっくり吐き、吐く息だけに意識を集中します。 すると、いずれ近いうちに、体の中を流れる宇宙エネルギーである気を、感じるようになります。 

 最近、脳を鍛えるというタイトルの本を、見かけるようになりましたが、深夜いゆも1時間の座禅を行っていると、脳をはじめは強く、時間の経過とともに優しく刺激するのを感じると、これ以上の脳の鍛え方はないのではないかと思います。

 口を閉じ鼻だけで呼吸します。 吐く息をゆっくり体の中へ吐くようにイメージします。 鼻から息を吐くことを、一切忘れます。 息を吐きながら、吐きながらイメージしますと、自分では意識しなくても、体の中を流れる気は、自分が思うように流れていきます。 

 また体の中の気だけではなく、体のあらゆる組織、細胞までもが、自分が思うように動くことを、いずれの日にか感じることになります。 

 気の通り道(径絡)は、神経の線に沿って流れているといわれ、神経細胞が集中する脳は、特に一番その気の流れの影響を受けやすいのです。 吐く息をゆっくり吐きながら、1時間の座禅を続けていきますと、体の中を流れる気が、脳を刺激してくれることを、感得することになります。 

 脳を鍛える本では、脳の一部しか刺激はしませんが、呼吸法を伴いながらの座禅では、脳のあらゆる部分を刺激します。 また、脳を部分的に刺激しようと思えば、そのようなこともできるようになります。

 私は、座禅を始めた当初は、面白半分で、吐く息をゆっくり吐きながら、体の中の臓器をイメージしながら、動かしてみた経験もありますが、今はそのようなことはしておりません。 

畳半畳で行う座禅は、強力な脳のエクササイズではないかと、いつも感じながら胡坐を組んでいます。 楽しんでおります。

腰痛ですが胡坐を組む姿が一番楽なんです

2008-12-24 14:12:23 | 座禅
 猫が我が家にいたとき、いつも早朝に私にご飯の催促をしにくるお父さん猫のジュンちゃんに、寝ぼけ眼の目をさすりながら、先ず突っ立ったまま、水を取り替えようと斜めに腰を曲げたとたん、生まれて初めて腰痛を体験しました。

 いわゆるヘルニアになってしまったのでした。 痛くて這って歩く感じでした。 その後、もう一度、同じようなことをして、電気が走り歩けなくなってしまいました。 それ以来、腰を曲げるときは、ひざを曲げてから腰を曲げるようにはしています。 時々、腰が痛くなり、おじいさんのように腰を曲げて歩く時間が、長くなったりしますが、時間の経過とともに、痛みも和らいできます。

 いつも寝るのは、畳の上に無圧布団を敷き、その上に薄い枕をおき、上を向いて羽毛布団をかけて寝ます。 いつも大の字になり上を向いて寝ます。 4時間が過ぎるともう腰が痛くなって、寝ていることができません。 早速、胡坐を組んでの座禅を行います。

 不思議なことに、座禅の姿では腰は痛くはありません。 私に座禅を長くしなさいと、サジェスチョンを受けてるような気がいたします。 布団の中では、横になったりすることがありますが、体が熱くなって、すぐ目が覚めてしまいます。

 大の字になって寝るのも、体に手の一部や足がくっついていると、体の中の気が、そこでショートサーキットするように、熱を帯び熱くて熟睡することはできないのです。

 胡坐を組む座禅の姿が、一番楽で長くその状態を保てる形であるのが、改めてよく分かります。

日野原重明さんも毎日30分の座禅を行っています

2008-12-23 11:04:48 | 座禅
 親しくしている友人から、聖路加病院の97歳になる現役の病院長が、今でも30分の座禅を行っているという話を聞きました。 薬代もいらず無料で健康を享受しているということの趣旨が、述べられれているとのこと。

 私の仕事仲間のスタッフと、先日電車の中で一緒になり、長く仕事以外の話をする機会が得られ、話の過程で座禅を行っていることを話すと、実は自分も3年ぐらい前から、月に一度、都内のほうのお寺の座禅会に、参加してますと嬉しい話がでました。 

 それによると、30分の座禅の後に法話を聞くといいます。 いつも日常生活に追われ、精神的に落ち着く時間が持てないことを考えれば、例え30分でも呼吸に集中することは、とてもよいことではありますが、できることなら30分ではなく、1時間は座禅を行っていただきたいところです。

 お寺での座禅会は、お線香が消えるまでの時間ということで、30分単位とか45分単位で、行われることが一般的のようです。 30分では、このブログでも繰り返し話している通り、肩慣らしでしかないのです。 座禅を通してもう一歩踏み込んだ形で、進もうとするならば、否進もうとしなくても、最低1時間は行ってほしいのです。

 座禅の真髄は、今まで意識しなかった呼吸を意識し、吐く息をできるだけゆっくり吐き、吐く息に意識を集中することによって、無心の心境を感得できるのです。 そのような呼吸を繰り返すだけで、次第に今まで感じなかった宇宙エネルギーである気を感じ、その気を通して、体の中を循環する気を感じ、またその気が脳を優しく刺激し、癒してくれることを感得できるのです。

 

健康診断をしないとある日突然具合が悪くなります

2008-12-22 19:28:03 | 
 私の友人の奥さんが、ある日突然、脳溢血で倒れ、そのまま意識がないまま、数年の病院生活の末に、亡くなってしまいました。 友人の話によると。毎年の健康診断があっても、一切参加せず、いわゆるキッチンドリンカーになってしまったようです。 さしたる運動もせず、スマートだった体型も、少し太り気味になっていたようです。

 いつも毎朝会う近所のおじさんと、先日昼間、駅に行く途中で、前を歩く姿を見つけ、忙しくどこに行かれるのですかと尋ねました。 奥さんが病院に入院しているのでとのこと。 何故、病院なのですかと聞くと、糖尿病で入院ですとの答え。 健康診断をしていたんでしょうと尋ねると、30数年来、健康診断をしてないといいます。

 ご主人は健康診断しているんでしょうと尋ねると、毎年行っていますよと。 奥さんは健康診断をしようといっても、一切受け付けなかったそうです。 さすがに、病院に入院するにあたり、最近では退院したら、健康に気をつけると話しているそうです。

 その方の奥さんは、まだ意識もあり、これから気をつければ何とかなりますが、友人の奥さんのように、手遅れになってしまうケースは、どうしようもありません。 期せずして、自分の廻りで健康診断をしないで、突然具合が悪くなってしまう人がいたので、改めて、定期的に行う健康診断の、ありがたさを感じました。

捨てようとしていた囲碁の本が話のきっかけになるとは

2008-12-21 10:40:07 | 
 知人と駅の傍で会って、久しぶりでドトールでお茶を飲むことにしました。 私が仕事を通して、いろいろな人を会うのは楽しいと話したところ、友人からこんな話があったと話してくれたのが、捨てようとしながら結果的に捨てられず、上着のポケットに入れておいた囲碁の本のことでした。

 初めて会う方と指定された場所で会い、仕事上の話をし終わったとき、相手先の方が、ポケットの入っていた囲碁の本を見つけ、囲碁の話になったそうです。 たまたまその方はアマチュアの囲碁の5段の方で、囲碁の話に盛り上がり、駅から離れたその方の家に行って、改めて細かい話をすることになったそうです。

 その方の家で話しながら、ふと書棚にある俳句の本を見つけ、俳句の話に入り込んだそうですが、俳句は奥さんの趣味だったそうで、結局帰りは駅まで、奥さんに送っていってもらったそうです。

 知人は、公立図書館で見つけた囲碁の本を、会う場所までの道すがら、何度も捨てようとしたそうですが、捨てきれず上着のポケットに、無造作に入れられていたことが、一歩踏み込んだ関係作りに、役立ったことになります。 勿論、その後、あった目的は、順調に進んだものと推察されます。

  

人の尊厳や自尊心を傷つけないように注意するのは難しい

2008-12-19 09:08:37 | 
 私はいつも一緒に仕事をするときに、間違いを起こしたときに注意をしますが、注意の仕方はとても難しいと感じます。 話すことによって、何かがよくなることであれば、積極的な話し方をしますが、場合によれば、結果は本人が一番分かっていることですから、何も話さないこともあります。

 子供を育てるときもそうでしたが、人間の尊厳や自尊心を傷つけるような場合には、普段は殆ど放任主義ですが、そのときだけは猛烈に怒ります。 私にとっては、人の尊厳の大切さや、自尊心を傷つけることへの大変さを、子供には教えておきたかったからです。

 私の周りにも、時々、平気で自尊心を傷つけるようなことをする方がいますが、何かが足りないような気がすると、いつも感じております。

 以前私が、ある計画の継続的な仕事を受け継いだ時に、前任者の責任者が不手際をした担当者を、多くの人に前で怒ったという話を、聞いたことがあります。 たまたま前任者は、私の知人であったので、なお更どんなものかなあと、思ったことがあります。

 いずれにしても、人に注意したり、怒ったりするときには、配慮が必要ではないかと、いつも感じております。