ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

顔の髭を抜くと頭の頭皮にチクリと反応がありますが

2021-04-11 11:24:56 | 自分
私は顔の髭を抜く癖があり、過去に10数年続けていました。 その当時は気づかなかったのですが、最近になって、顎の髭の剃刀でカット出来損なった髭を、指の爪を立てて抜くことがあります。

すると頭皮の一部が、チクリと反応するのです。 そうか顔の髭と頭部の毛は関係があり、繋がっていたのだなと感じるようになりました。 従って、感じるようになってからは、髭を抜くことはしません。

然しながら10数年間、髭を趣味のように抜き続けた結果、頭皮の前頭部の毛が、ほとんど抜け落ちてしまっております。 残念ながら、後の祭りでした。

人を憎むと云う感覚が加齢と共に無くなって来たように感じます

2019-12-05 05:05:15 | 自分

これまで様々な形で色々な方々と接して来ましたが、中には悪い印象や態度で接する方もおりました。 そんな時には人間ですから、その方を良くは思わず、なるべく接しないようにしてきました。 場合によっては憎んだりします。

最近になって、ふと感じるのですが、そんなことがあっても、その方を憎んだりせず、何も考えずに、その方の幸せを願ったりするように変わって来ました。

何故そのように考えるようになったのかは、自分ではよく分かりません。 ごく自然に、そのような対応をする様になったのです。

不思議な感じが致します。


これまで何事も実践する中で学ぶことが多かったように感じますが

2019-10-23 01:57:26 | 自分

数年前に躓いて、滑り込みセーフするように転んでから、脚の筋肉の付け根部分が痛んで、普通に歩くことが出来なくなってしまいました。 駅前の整形外科に行くものの、✖️線で検査するものの異常なしと云うことで、湿布薬の処方箋をもらいストレッチをするように云われるものの、長い間ストレッチをせずに、湿布薬を貼るだけで過ごしてきました。

私のブログに脚の筋肉が付く部分が痛むと書いたところ、米国でバレーをされているご婦人から、脚の筋肉が付く部分に脂肪の塊が付いてしまったので、ストレッチを継続的に行うことによって、その脂肪の塊を溶かせば治りますよと、ご自分の体験から伝えて頂きました。

それまでストレッチらしいことを殆どすることなく過ごして来ましたが、ご指摘のことが自分の体には合致していると感じ、それ以来、自分なりに考えたストレッチを行い始めました。

するとストレッチを実践する中で、具体的に体のどこの部分が具合が悪いか、良く分かるようになりました。 上に向いて寝るのも、ちょっとした痛みで、ゆったりとした気持ちで寝ることが出来なかったのですが、普段から足をぶらぶらさせたりすることによって、痛みも和らぐことが分かりました。

何もせず痛みが続いた期間が長かったので、痛みが癒されるのは、それなりの時間がかかるものと思い、気長にストレッチを行うつもりでおります。

先日、敬愛する多摩南部病院の外科の古川健司先生から、定期検診時に瞑想を続けて下さいねと改めて云われて、気持ちを新たにしてこの痛みを克服する気持ちになりました。


小学校の時のあだ名は オヤジ 中学校の時は チャメコ でしたが

2019-09-11 06:59:18 | 自分

f黒門小学校の時のあだ名は「オヤジ」と呼ばれていました。 何かのゲームの時に、お父さん役になったのがきっかけでした。 附属の幼稚園も2年間通ったあり、また級友の松尾澄夫くんによれば、当時よく野球をやっていたのですが、上手くもないのに威張っていたこともあり、自分でも「オヤジ」と呼ばれることには、何となく心地よい気持ちでいたのでしょうか。

今でも苗字で呼ばれることもなく、ごく自然に「オヤジ」と呼ばれます。

堀船中学校の時は、台東区の上野黒門町の下町の小学校でしたが、その後、北区の栄町に住まいが移り、全くお付き合いがなかった人たちと一緒に学ぶことになりました。

入学前の試験で一番だったのかも知れませんが、入学式の時に、前日にいきなり担任の富田洋子先生から、代表して挨拶をするように云われました。

何も分からないので、母が作成した挨拶文を丸暗記して、当日しどろもどろに挨拶したのは云うまでもありません。 飛鳥山の桜も綻び森羅万象、春の喜びに溢れている今日この日に入学出来ましたのは、大変 喜ばしいことで云々。 

小学校の時のトラウマがあり、中学校では女子とは一切口を訊きませんでした。 ふざけるのが好きだったので、いつしか「チャメコ」と呼ばれるようになりました。

現在、加齢化と共にふざけることが相変わらず好きで「チャメコ」がぴったり合っている雰囲気があります。

 

 


私は昔から自ら体を動かし その過程で感得して行くと云うスタイルでしたが

2019-07-14 09:57:06 | 自分

子供の頃は父が朝早くに近くにあった不忍池(しのばすの池)で、大きな声で詩吟を詠っておりました。 父は若い頃に働きながら長距離を走っていて、神戸-明石間のマラソン大会で優勝したことがあると聞いておりました。

従って専修大学の陸上部ぼ方々が、我が家に来て池の周りを走っていたことも、思い出されます。 そんな父の影響からか、私自身も小学3年の頃から池の周りを走るようになりました。

中学生になっても、余りあるエネルギーの発散先として、ひとりで家の周辺を走っておりました。 何時しか仲間と毎晩 集まっては、上中里から赤羽まで往復する毎日でした。

北園高校に入って、それまでやってはいなかったバスケットボール部に入って、何時もバスケットコートで長い時間を過ごすことになりました。 級友と付き合うよりはバスケ仲間と一緒にいることが多かったのです。

コーチから殴られる姿を見て、もう少し選手の自主性を伸ばすような練習方法があるのではないかと、感じたりしておりました。 

大学は建築学科に入学しましたが、設計製図の時間は演習課題を出されても、どのようにデザインして良いかが分からず、エスキスの時間にも出ずに悶々としており、結果的に留年することになりました。

その姿を見て佐藤仁先生が、自分の研究室に来なさいと云われて、結果的に先生の研究論文をお手伝いする過程で、物事の考え方を感得したのです。 勿論デザインの考え方も学ばせて頂きました。

大学を留年しながらも紛争中の最中に卒業して、先生の紹介で入江三宅設計事務所に働くことになりました。 10年経ったら独立しようと考えておりましたが、8年で卒業することになりました。 大きな計画でも纏めるのはひとりであると云うことを、学ぶことが出来たのです。

長女が生まれ1歳になった時に、多摩ニュータウンに引っ越すことになりました。 引っ越しをした年の梅雨に、真新しい畳からダニが発生し、幼い娘のことを考えて怒りから、ダニ対策委員会を作ることになり、上の2階の住む井上さんと一緒に、東京都と公社を相手に住民闘争を行うことになりました。

畳の高周波処理を行う工場の管理状況が悪く、処理前の畳から処理後の畳にダニが浮遊して来て、処理後の畳にまたダニが存在し、ねずみ算ならぬダニ算の増え方がh、比較にならないぐらい多く発生してしまうことも分かりました。

そんなことがあったなあと思い出されるのですが、本を読んで学ぶよりも、自ら体を動かして何かを感得して来た自分に気づくのです。

これは座禅についても云えることですが。


40年位前のテニスをやっていた頃の写真が出て来て子供たちに送ったら

2019-06-14 08:03:55 | 自分

大学を卒業して10年勤めたら辞めようと思いながら、満8年で退職してウロウロしながら1年が過ぎたところで、一念発起して、経済的にも余裕がないにも拘らず、敢えて精神的な余裕を持つためにテニスを始めました。

何時も楽しい提案をしていた大学の級友が、車で通学する姿を見て、経済的に余裕のある人は精神的にも余裕があり、従ってデザイン的にも面白いものを提案出来るのだと感じたのです。

私は、それまでやったことがなかったテニスを、朝6時から9時まで近くにあった市のテニスコートで、コートで知り合った自営のTさんと、雨が降らない限りコートの改修工事が行われるまで、3年間プレイしました。

はじめは自分たちの考えた練習方法で行い、最後は1対1のシングルスの試合をして終わるのです。 家に帰ればヘトヘトで仕事のことを考えることも出来ないような状態でしたが、幸いなことに先ず当面やらなければならない仕事は無く、これから先どのようにして建築の設計の仕事を創って行くかが仕事でした。

私には小学校に行くか行かないかぐらいの子供が2人おり、得るべき収入が無いため母から300万円を借りておりました。 後年もちろん返済した上で、会社を設立した時には監査役として迎え、毎月10万円の仕送りをさせて頂きましたが。

テニスをやっていた3年間、子供たちが学校に通う道すがら私の姿を見ていて、その頃の姿が一番格好が良かったと、最近になって云うのです。

そのような状況にあった時の写真が、机の中から出て来ましたので、改めて長女と長男にメールで送ったのです。 勿論、連れ合いが毎日見ているアイパッドにも送って、若々しい私の姿を見てもらおうと思って、送りました。

娘からはひと言、「老けたね」と返って来ましたが。

 


ネクタイが嫌い腕時計も嫌いですが

2018-11-29 01:03:37 | 自分

私は大学を卒業して入江三宅設計事務所に勤めて始めて以来、殆んどネクタイをしたことがありません。 地鎮祭とか上棟の時とか、竣工式の時は例外です。 何か首を絞められている感じがするからです。

喪服等の黒い礼服を着る時は例外です。 黒い礼服は若い時の細身の服は、加齢化と共に多少の肉付きのために、少し大きめの服に変わってきましたが、これとても葬儀の時以外は着用しません。

腕時計も若い時には腕に付けておりましたが、東京ガスの展示会でもらった首にかける時計を、しばらくの間身に付けておりましたが、何処かで出会った素敵な女性に差し上げてしまいました。

それからは、あちこちの時計ショップで首にかける時計を探し求めましたが、残念ながら無く、身に付ける時計なしの生活を送ることになりました。

携帯電話を持つようになってからは、サラサラ腕時計を腕にはめるようなことは、一切考えることはしません。 反芻すると首からかける時計も、何となく嫌な雰囲気はあったものの、ちょっぴりお洒落な感覚があったので、身に付けていたのかも知れません。

ネクタイも腕時計も、何か拘束を受けているような感じがするから、嫌なのかも知れません。 せめて自分に身に着けるものからは解放されて、自由でいたいという思いが強いのかも知れないのでしょうか。


暑い夏が来ると高校時代に体育館の中でやかんの水をラッパ飲みしながらバスケをやっていたことを

2018-08-31 03:12:13 | 自分

これまで夏になってもエアコンは点けずに扇風機だけで過ごして来ましたが、今年はそう云う訳にもいきません。 時々エアコンを点けながらの生活を送っております。

異常な暑さも明日ぐらいで終了するようで、秋雨前線が日本を覆うような雰囲気になって来ております。

何時も暑い夏がやって来ると、北園高校で温められた体育館の中で、汗をかきながら必死でバスケットボールを行った記憶が思い出されます。 大きなやかんの水をラッパ飲みしながら、体を動かしておりました。

練習に明け暮れ、確か休みは元旦の日だけでした。その日も練習はないものの、顔を合わせておりました。

家の近くに明大中野高校の野球の練習所があり、何となく応援する気持ちになりますが、今年も5回戦で都予選を敗退してしまいました。

私たちのバスケットボールの練習は、OBのコーチが指導をして、卒業間もないOBたちが練習に参加してくれ、練習の最後は必ず練習試合を行なっておりました。

OBのコーチや練習参加によってチームも強化され、インターハイも青森大会、福井大会と、東京都代表として参加することが出来ました。

そんなことを思い出すと、明大中野高校の野球部の練習に、OBたちも参加されているだろうかと、強くなってもらいたい願いを持ったりするのです。


半身浴 静功 座禅 宇宙 気 小周天 臍下丹田 天目 無心 無欲

2018-08-17 19:05:07 | 自分

座禅を始めてから、もう20年が過ぎました。 その1年前に仕事先のオーナーから半身浴の話を聞いて、直ぐその夜から浴槽に洗い場用の椅子を入れて、半身浴を始めました。 臍のちょっと上に湯面が来るように入ります。 汗が出て来るまで入ります。

その1年後に大学のクラス会が大月で開かれた折に、千葉に住む級友から多摩センターで開かれる静功の会のことを聞いたのです。 参加費が高かったので躊躇するもの、結局  参加することにしました。

2ヶ月で参加を取りやめましたが、真っ暗闇の中で1時間、胡座を組んで何も分からないままに、深呼吸の要領で長く吐く呼吸を行いながら、座り続けました。

生まれて初めて胡座を組んで静かに座り続けた初日に、頭のてっぺんにある百会が活性化し、電子の輪の帽子を被った状態になりました。

毎日 自宅で長く吐く呼吸を伴う1時間の座禅を続けている内に、1ヶ月半経った時に、突然 自発動を伴いながら、お臍の下にある臍下丹田が、心臓のように鼓動を始めたのです。

丁度その頃、前の事務所で対面で仕事をした長尾宜子さんが、ガンになったという話を聴いて、お見舞いに行きながら、何度も手術をした痕が生々しいお腹に向かって、早く良くなって下さいと念じたのです。

それを機会に深夜、彼女の住む方向に向かって3時間 病気の回復を願った、念じていた時に、おでこの中心部が目の形をしながら、そこから気が発して彼女の方向に向かっていくのを感じたのです。 天目の存在を感得したのです。

当初は長く息を吐きながら、イメージをしながらある強い意思を持って、静かに座り続けたのですが、肩の力を抜いてリラックスしていると、自然と次第に無心 無欲という方向に進んでいきました。


弱音を吐かない 自分だけに仕舞っておく 前向きに考える

2017-10-02 03:39:02 | 自分

私は人前では決して弱音を吐くことはありません。 勿論、私も人間ですから弱いところはあります。 弱音は自分の中だけに仕舞っておくのです。 

何時の頃からか、自然とそのような姿勢でおります。 また人前で愚痴を云うことも、殆んどありません。 何時もどのような話をして、相手の心を刺激して笑いや喜びをもたらすかを、考えているからでしょうか。

真面目な話を、真面目に話すのではなく、それを面白おかしく話して、遠回しに分かってもらえるような話し方を、しております。 夜 女性のいる飲み屋さんに行っても、何時もそのような振る舞い方です。 どんなに飲んでも、決して女性の体に触れることは致しません。 人間はどんな立場であっても、対等な関係であると思っているからでしょうか。

また私自身を衣を取って、何時も私自身の裸を、お見せするようにも心がけております。 自分の一生の中で出会った方と、どれだけ心が触れ合えるかをも意識しています。

これまで話す内容は、明るく前向きで建設的な内容を話すことが殆んどです。 ただし時々は、只々、面白いことを云うだけの時もありますが。

私は人間が好きで、人と接することが好きなのでしょう。 ですから時々、閉じこもり状態になってしまっている大学の級友のことを、思い出すのです。 何故そのような状態になってしまっているのかを考えるのですが。