ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

1時間の座禅を通して微妙な体の変化を感得し楽しむ

2011-01-31 09:31:10 | 座禅

 私は呼吸法を伴う座禅(静功)を行っていた時、何かを期待したわけではなく、ただ只管座禅を行っていました。 真っ暗闇の中で、静かに吐く息を出来るだけ長く吐くことだけに、意識を集中していました。

吐く息を出来るだけ長く、無理をせず吐こうとすると、自然と息は体の中へ吐いていたのです。 

 体を動かさずに静寂さの中では、身体への微妙な変化が、とてもよく分かります。 吐く息を体の中へ吐きますと、体の中の気の通る道―経絡を刺激しますので、骨と皮が近接している部位で、感じさせるものがあります。

 経絡が皮膚のすぐ裏側に流れているためなのですが、頭部や背中の背骨部分で、身体への微妙な変化が、現れてきます。 

 体の中へ吐く息は、体の中には貯まることはなく、殆どが鍼とか灸のツボ8経穴)から出て行きます。 この呼吸は逆腹式呼吸というのですが、この呼吸法が自己免疫力を高める理由が、ここにあるのです。

 経穴から息(気)が出ていくときに、経絡の気の通りを調節する働きをすることが、結果的に自己免疫力を高めることにつながるのです。 体のどこかが具合が悪くなると、その部位に関係するツボ(経穴)の気の通りが悪くなることが、紀元前の中国の皇帝が、人体実験をして確認されているのです。

逆複式呼吸を継続的に続けることによって、経穴の気の通りもよくなり、病気になりにくい、病気になっても軽くてすむ体質になっていくのです。 座禅を通して、そんなことも感得出来て来るはずです。

体を動かすことによってエネルギーの燃焼システムが正常化する

2011-01-28 17:21:03 | 健康

 昨年の8月から歩き始めて、改めて自分の身体を通して、ある一定時間以上の連続の動き(例えば歩くのが20分以上)があって、食べたもののエネルギーの燃焼が、正常化するのではないか、と思ったのです。

 ここ10数年静かに呼吸法を伴いながらの座禅は行ってはいたものの、家から事務所までの徒歩で10数分の道のりを、のんびりだらりと歩くだけで、殆んど連続して体を動かすことは、ありませんでした。

 体を動かさないでいると、どうもエネルギーがいつも不完全燃焼をするだけで、日が経つに従い燃焼できないエネルギーが、体内に内臓脂肪のような形で、堆積されて行くのではないかと感じたのです。

 例えば1日に20分連続して歩いたとしましょう。 すると燃焼システムが一度は完全燃焼するために、その後少し体を動かしても、燃焼するのではないかと思われます。

 8月から歩いて考えてみますと、殆んど休んではいません。 つまり殆んど雨が降っていないということなのです。 ここ半年で歩けなかったのは、数日だけです。

 8月前と現在と違ったことは、とにかく歩くことが自然にできるようになったことです。 まだ暗いですが早朝6時半には、歩き始めます。 寒気が厳しい中、その寒さを体全体で感じながら、50分位歩いてから事務所に向かいます。

 夜は8時には寝てしまいます。 1時過ぎには目が覚めて、お風呂に入り半身浴で30分入ります。 汗びっしょりになってから出て、汗を拭き今度は、布団の上で羽毛の枕をお尻に敷いて、座禅を1時間行います。 

 そんな毎日の生活が、無理もなく自然のリズムになっているような感じが致します。 勿論、歩く途中で朝日も浴びます。 このところ、なんとなく何かが深化しているような気がします。 楽しむ、そんな感じが致します。

座禅を始めた当初から半身浴をしてから座禅をしてきたのですが

2011-01-25 16:00:42 | 座禅

 私が生まれて初めて座禅(静功)を行う1年前から、知人から教わった半身浴を行っていました。 今、改めて反芻すると、半身浴をして下腹の臍下丹田を、十分温めてから呼吸法を伴う座禅を行ってきたことになります。

 しかも吐く息をイメージで体の中へ(特に意識して臍下丹田が活性化するように念じながら)吐いていたのです。 温められた臍下丹田は、当時は未だ活発には動いてはいなかったかもしれませんが、動き安かったに違いありません。

 イメージで体の中へ息を吐きますと、経絡を刺激してその気の通りをよくするように働きます。 多分、私自身が気を感じ安かったのかも知れませんが、下腹が温められたことと、逆腹式呼吸で経絡を刺激したことが、結果的に、はじめて座禅を行った初日に、頭のてっぺんの百会が活性化し、1ヶ月半で臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めたのかも知れません。

 座禅を始めるまでは、座禅の座の字も関心がなかったのですが、考えてみますと不可思議な感じが致します。

足の裏の呼吸をしながら寝ています

2011-01-23 11:31:03 | 

 8月から一日1万歩を目標に歩いているせいか、足の裏が刺激を受けて、寝ているときに足の裏で呼吸を意識しなくても、ごく自然に気の呼吸をしていることが多いのです。

 以前は、両手をお腹の上におき、目を瞑り大きく息を吸って、吐く息を体のなかへ吐く呼吸を行っていました。 下腹の臍下丹田を意識しながら息を吐いたり、体の中を通って足の裏から息を吐いたりしておりました。

 そんな呼吸をしているうちに、眠くなって寝てしまい、気がつくと翌朝だったということが、毎日の日課でした。 不思議なことに翌朝は、気分爽快です。

 意識して吐く息をゆっくり吐きながらイメージしますと、イメージどおりに体の中が動く感覚になります。 私達は元々そのような機能を持っていたようにも思います。 私たちの体は、血液の循環だけで生命を維持しているわけではないことを、呼吸法を伴う座禅によって感得します。 そのことは意識しなくても、自然に感じることなのです。

 足に裏は宇宙の気を吸うことが出来ます。 地の気を吸うことが、私達が立っているときの機能になるようです。 勿論、足の裏は気を出すこともあるのですが、吸うことが主のようです。

 手のひらは気を外へ出すことが、主のようです。 赤ちゃんが生まれたばかりのときに、手を握っているのは、持って生まれたものを外に出さないためと、感じております。 大仏さまが、手を開いて私達に向かっているのは、私達に大仏さまが持っているものを、私達に与えてくれようとしていると思っています。

 私はまだ多くの方々に向かって、手を開くことは出来ません。 未だ先ず自分自身を高める必要があるからですが。 従って、いつも手は握っております。

初めて呼吸法を行うときに胸式肺呼吸がよいか腹式呼吸がよいか

2011-01-21 14:25:57 | 座禅

 座禅を行うときの呼吸法は、禅宗では下腹の丹田を意識した腹式呼吸=丹田呼吸が一般的なようですが、私は吐く息を出来るだけ長く吐く、という呼吸だけを意識したもので、生来行ってきた胸式肺呼吸を、ごく当然のように行ってきました。

 私の呼吸法は、結果的に逆腹式呼吸という呼吸法を行っていた事を。後日、本を読んで知ったのです。 私は初めて座禅(静功)を真っ暗闇の中で、無我夢中で吐く息だけをできるだけ長く、吐いていたのです。 しかも体の中へ息を吐いていたのです。

 その日の1時間の座禅のなかで、頭のてっぺんの百会が活性化して、電子の輪の帽子を被っている感覚になったのです。 その後、1ヶ月半後に自発動という気が勝手に動く現象が起きて、下腹の臍下丹田が活性化して、心臓のように鼓動を始めたのです。 

 その後、今度は胎息というお母さんのお腹のなかにいた時の気の呼吸も、できるようになったのです。

 私のそのような体の変化は、決して自分で期待したものではなく、私なりの呼吸法を続けていたら、そうなっただけなのです。 そのことを反芻して、私の呼吸法は決して間違ってはいなかったと、感じているのです。 

 胎児の胎息から生まれでた当時の赤ちゃんの腹式呼吸から、次第に肺呼吸に変化していく私たちの呼吸のあり方の変化。 私はその逆を行ったことになるのです。 そんな呼吸法が自然ではなかったのかとも思うのです。

 現在、深夜の座禅の時の雑念として、このところ座禅を始めたばかりの人が、慣れない腹式呼吸をいきなり行うのは、本当に良いことなのだろうかと、思うのです。 まだ思案の真只中にいます。

斎藤一人さんの元気が出る言葉を聞いて

2011-01-20 16:34:35 | 生命

 友人から斎藤一人という方の元気の出る言葉を、ラジオで聴いたと話してくれました。 早速、ネットで検索してみました。 ユーチューブで見ることができました。

 どんなことにも前向きに、物事を考えようということを、言っているように感じました。 何事にも嬉しく感じ、楽しく感じ、感謝の気持ちを持つことが、物事が前向きに進んで行くという。

 事態が悪くなっても、悪くは感じることはなく、謙虚に、明るく、建設的に考えるようにする。 そのことによって、全ての事態は、良い方向に進む事が多いし、また結果的にそうなるという。

 斎藤一人さんは、常に声を出して「嬉しい」と声を出し、「楽しい」と声を出し、また「感謝します」と気持ちを込めて表す。 

 否定的な言葉使いはせず、悪く考えず、全てを一旦受け止め、悪い結果を招いた相手を悪くは考えず、自分のことと捉えて考えるという。 ネットで検索しても、どんな顔貌をしているかは不明な斎藤一人さんでした。

寒さを感じながらひたすら歩く

2011-01-18 17:58:33 | 健康

 このところ西高東低の気圧配置になり、北風が寒さを一層際立てています。 夜明けの時間も少しずつですが早くなりつつあり、うす明かりの6時半には、家を出るようにしております。

 半袖のシャツと長袖の綿シャツの上にセーターを着て、下はトランクスにズボンを着ます。 首周りに襟巻をし頭には毛糸の帽子を被って、早朝の歩きです。 風が強く吹くとセーターを通して、冷たい風が腕や腹部にあたります。

 昨年はユニクロのヒートテックの下着を初めて着て、手放さなかったのですが、今年は未だ着ておりません。 痩せ我慢をしているわけではなく、8月から雨が降らない限り、歩いている効果が出ているのでしょう。 おかげで6時間寝ていても、腰が痛くなりません。

 50分位歩いた後に、朝日を浴びるようにしております。 足を肩幅ぐらいにして立ち、肩の力を抜いて朝日に対面します。 ちらっと朝日を見た後、合掌をしてから目を瞑って、朝日を浴びます。 太陽の恵みを与えて下さいと祈りながら。

 5分ぐらいしてから、また歩きはじめます。 体を日常的に動かすことで、食べたもののエネルギーが、上手く消費されるようで、多少の食べすぎも関係なく、ある一定の体重以上には増えないようになりました。 どうも歩くことが生活サイクルの中に、組み込まれてしまったようです。 

 義務感で歩くのではなく、歩くのが楽しみになる感覚がいいのでしょう。

体の中へ吐く息が経穴から出てくることを感得できます

2011-01-17 10:08:37 | 逆腹式呼吸

 口を閉じ鼻だけで呼吸する。 大きく吸ってゆっくり吐く。 ここでは普段行っている肺呼吸を行います。 出来るだけ長く吐こうとすると、自然と吐く息は体の中へ入っていきます(イメージで)。

 実際には息は鼻から出ていくのですが、イメージで吐く息を体の中へ、結果的に吐いて行くことになるのです。 そのようにイメージしながら息をゆっくり吐きますと、息は鼻から出ていくのですが、イメージした通りに体の中へ宇宙の気が、入って行くことになるのです。 このことは自分自身が意識しなくても、自然とそのようになります。

 気というと何か異質なもの、不可思議なものと捉えがちですが、私達は誰もが、お母さんのお腹にいたときには、気を通して胎外の出来事を感じる能力があったのです。 その能力もお母さんのお腹から生まれでた瞬間から、肺呼吸を始めて次第に気を感じる能力が、薄れてきただけのことなのです。

 息を出来るだけゆっくり体の中へ吐きながら、静かに呼吸を継続的に行うことにより、次第に気感を取り戻してくるのです。 

 イメージで息を体の中へ吐いた息は、イメージ通りに宇宙の気が、経絡という気の通り道を通して、体の中へ入っていきます。 経絡に入って行った気は体中にある経穴という気のツボ(鍼とか灸のツボ)から、出て行きます。 経穴は皮膚の表面にありますので、気が体から出てくる感覚を、味わうことが出来るようになってきます。

 骨と皮膚の間が狭い頭部とか、背中の背骨があるような部分が、一番感じやすい部位になります。

 1時間の座禅を、このような呼吸法で続けていけば、ふっと感じることになります。 呼吸法を、座禅を楽しんで下さい。

長く吐こうとすると自然と吐く息は体の中へ吐くのか

2011-01-16 14:01:05 | 逆腹式呼吸

 私は初めて座禅を行ったときに、訳も分からず無我夢中で生来行ってきた肺呼吸を、吐く息だけ出来るだけゆっくりと吐くことだけを、意識して行ってきました。

 たまたま極真空手の創始者の大山倍達の映画「空手バカ一」を見ていましたので、型を行うときに息音をたてて、呼気を行う映像を見ておりました。 息を吐く時には「ウー」とか「スー」とかの息音をたてながら、座禅を行っていました。

 その当時はよく分からなかったのですが、息を出来るだけ長く吐こうとすると、自然と吐く息は体の中へ吐いて(結果としてイメージで)いたように思われます。 実際は鼻から息は出ているのですが、鼻から息を出すことは意識せず、ひたすら息を長く吐こうとするだけなのですが。

視点を変えて楽しむー座禅

2011-01-15 18:05:47 | 座禅

 知人に座禅をやってみてはどうですか、と問いかけますと、多くの場合、時間がありません、余裕がありませんなどと返って来ることが多いのです。 多分、私も無関心であれば、そのように答えているかもしれないのですが。

 私の場合は余裕があって、座禅を始めたわけではありません。 むしろ余裕がないから始めたのかも知れません。 私は座禅といっても禅宗からのスタートではありません。 気功の静かな功である静功が、私のスタートです。 

 生まれて初めて行った座禅は、胸の違和感が少しでもよくなれば、ということが発端でした。 

 子供のころからいつも走ってはいたのですが、小学校時には野球をやり、中学時には卓球を我流で行い、高校時代にはバスケットボールを、無我夢中で行っていました。 正月休み以外は毎日のように、体育館で過ごしました。 結婚し独立してまもなく、仕事がないときに毎日のように、雨が降らない限りテニスコートに、朝の6時から9時ごろまで、へとへとになるまで3年間行いました。

 動くことが好きな自分でしたが、まさか胡座を組んで静かに1時間の座禅を、毎日行うとは思っても見なかったことです。

 体を動かしているときには分からなかった体の内部の微妙な変化は、ある意味では不可思議な感じがしないわけではなかったのですが、私自身は、何かを感じることにより、そのことを少しでも他の方の役に立てることができれば、幸いであるということを、ある時期から感じ始めたのでした。

 私はどうも何事も拘束されるのが嫌いなほうで、自分のペースで自分の好きな時間、場所で出来る座禅は、自分には合っていたのかも知れません。 10数年座禅を行っておりますが、生活サイクルの中に完全に入ってしまっている感が致します。

 義務感で行っているわけではなく、座禅は楽しいから行っているのです。 家族のお風呂の入る順番が決められているため、私は深夜に起きてお風呂に入ります。 お風呂は半身浴で汗でびっしょりになります。 最近は湯上りの深夜に、1時間の座禅を行っております。 一時期、友人の病気回復を願って、3時間胡座を組んでいたことがありますが、現在は1時間になっています。 肺呼吸を行わない気の呼吸である胎息で、楽しんでいます。

 先日のテレビで、暗黒のエネルギーが宇宙を膨張させているという報道がありましたが、静かに座禅を行っていますと、宇宙にも関心が及んできます。