下記のアドレスは今年の年賀状です
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光りは何か特別なものがあるのではないかと感じ、長く吐く呼吸を伴う座禅の中で、光りをイメージしてみました。
はじめに自身が座禅する姿をイメージして、実際に自分は長く吐く呼吸をしながら座禅を行ってはおりますが、光りに包まれて光りの放射を浴びているイメージをします。 とても気持ちが良くなってきます。
次に自身と光りが一体になるようにイメージし、光り輝くようにイメージします。
次に自らが光り輝くようにイメージします。
これを長く吐く呼吸をしながら、繰り返しおこないます。
光りの持つ独特な雰囲気を感得します。
私は、この世の創造主は光りではないかと想像するのですが。
蓮の花の上に座る仏像や蓮の花の上に立つ菩薩を見て、池の中の泥の中から育ち大きな蓮の葉が開き、その後、白桃色の花を咲く蓮に何らかの意味があると云う。
どんな意味があるのか自分自身が、蓮の花の上に胡座を組んで座禅を行っていることを、イメージしてみました。 深呼吸の要領ではじめに大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き入れながらの座禅です。
すると間もなく体全体を光のようなものが覆っているような感じになりました。 改めて蓮の花は、何らかの意味があるのだと感得したのでした。
15分や30分の座禅を断続的に行う座禅を実践されている方がおられるようですが、残念ながらいわゆる体の深層部まで静かになるには、時間が足りません。
禅僧の方の修行での座禅時間は、1本のお線香が消えるまでの時間 45分間の座禅を小休憩を交えて断続的に行うようですが、私の体験からは45分は、やっと深層部まで静かになりかける時間なのです。
出来ることなら最低1時間は続けて、その後、小休憩を交えて1時間単位で続けて頂きたいものです。
私の友人が、毎日お経を30分、座禅を30分続けていることを聞いて、座禅は1時間は続けて欲しいと話しました。 なかなか実践はされなかったのですが、ある日 電話があり、1時間座禅を続けたら、今までとは違った変化があったと喜んでおりました。
長く吐く呼吸に意識を集中しながら、胡座を組んで座禅を続けていますと、45分経つ頃から少しずつ静かな状態になり、その静かな状態を維持します。 すると日常的なストレスから解放されて、崇高な至福感を感得することになります。
これこそが座禅の真髄なのです。
どうせ座禅を行うならば、座禅の真髄に触れる方が良いに決まっています。
座禅を通して、私達に様々なことを教えてくれるのですが。
無 ゼロの概念で長く息を吐きながら、無限大の宇宙に自分ひとりポツンと居るイメージを行なってみる。 無心 無欲を探求する意味でも、無 何も無い、存在するけど無限大の宇宙の中では、殆んどゼロに近い、無。
深呼吸の要領で息を出来るだけ長く吐きながら、出来るだけ息をしているかどうか分からないぐらい静かに呼吸を行いながら、人工衛星から地球を見る、テレビ放映で見かけますが、大きな地球を見ると茶色い大地と青いうみ、所々にしろいくもも見えます。
そんなイメージをしながら、長く吐く呼吸を行います。 そこから少し離れて行くと、今度はバスケットボールぐらいの大きさに見えてきます。 さらに離れて行くとピンポン球ぐらいの大きさに見えてきます。
さらに離れて行くと今度は、殆んど点にしか見えません. さらに離れて行くと、殆んど見えなくなり、気がつくと大宇宙の中に、自分ひとりがポツンと居ます。 すると昔 海に潜った時にシーンとするような感覚になって来ます。
このイメージを出来るだけ長く息を吐きながら、繰り返し繰り返し続けます。 出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら座禅を続けていますと、1時間はあっという間に過ぎて行きます。
座禅は最低でも1時間は続けます。
私は生まれて初めて胡座を組んでの座禅を行なって以来、長く吐く呼吸に意識を集中しながらの座禅でしか行なってはおりません。 禅宗のHPによれば、曹洞宗は壁面の一点を見つめる意識の集中の方法です。 また臨済宗・黄檗宗は、長く吐く呼吸に意識を集中する座禅です。
私自身は、壁面の一点を見つめながらの座禅を行ったことはありませんが、感覚的に長く吐く呼吸に意識を集中する方が、比較的取り組みやすい方法ではないかと感じています。
現に禅宗のお寺の数は、曹洞宗の数の方が多いにもかかわらず、座禅の会のように一般の方々に開放しているケースは、臨済宗・黄檗宗のほうが多いようです。
曹洞宗のHPを見ると、壁面の一点を見つめるときの呼吸は、普通呼吸でおこなうとあります。 よくかんがえてみると、壁面の一点を見つめながら、長く吐く呼吸をおこなえば、意識の集中は出来るとは思うのですが。
ここでの深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸を行なっていると、自然と生来持っている機能を取り戻して来ます。 イメージで息を体の中へ吐き入れることによって、身体中にある鍼とか灸のツボを刺激して、体の中の気の循環を促します。
最初に微妙な変化を表すのは、頭部です。 後頭部の頭骨と頭皮の間を気が流れるのですが、下から流れて来る気を感じることになります。 また気の通り路は神経の腺に沿って存在すると云われており、微細な神経細胞がある脳を、刺激することになります。
私は、生まれて初めて行った静功(座禅)で直ぐに、何時も日常的に脳を刺激する感覚を、感得することになりました。 それまでにない感覚に、当初は鬱陶しいと思ったのですが、素直に全てを受け入れようとしたのです。
すると鬱陶しさは直ぐになくなり、その微妙な変化を楽しもうと思ったのです。 また1時間の座禅を続ける内に、崇高な至福感を感得するようになったのです。
反芻しますと、ここでの長く吐く呼吸を通して、心身ともに深層部までも含めて静かな状態になると、至福感を感得できることを認識しました。 体の動きも体の中を流れる気の動きも、滑らかにゆったりと流れる感覚です。
胡座を組んで座禅を始めたばかりですと、気の動きも硬く強く感じますが、時間の経過と共に、その動きも優しくゆっくりと滑らかさが、増して来るのです。
座禅の真髄は、心身ともに静かな状態をつくることにあると感じております。 意識を集中しやすい長く吐く呼吸が、結果的にそのような状態を創り出していくのではないかと、改めて感じるのですが。