ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

逆腹式呼吸、坐禅を通して経絡を刺激する

2008-05-31 16:17:11 | 座禅
 体の中の大きな気の道(経絡)で、任脈と督脈の大きな流れのほかに、百会と会陰を上下に結ぶ沖脈と呼ばれる経絡があります。 逆複式呼吸を行いながらの坐禅を続けていきますと、沖脈をも刺激し、その動きを表すことがあります。

 私が坐禅を始めた当初、体の中心をピストンのように、上下する動きを感じたことがあります。 この動きは何だろうと後から本を読んで、沖脈が活性化し、上下運動をしていたと、理解しました。

 今では沖脈での上下運動はありませんが、いつも臍下丹田が心臓のように鼓動し、督脈から任脈に流れる小周天の大きな気の流れを、背中、後頭部、頭部、前顔部の骨と皮膚がくっついている部分で、感じながら生活をしております。

 経絡は、神経の線に沿って流れているともいわれていますので、脳内もいつも刺激し、気がつくとシーンとした感覚になっています。

 吐く息をゆっくり体の中へ吐いていくだけの逆複式呼吸によって、知らず知らずのうちに生来持っていた気感を回復します。 楽しみながら逆腹式呼吸に慣れ、楽しみながら坐禅を1時間は、続けていってほしいと思っています。

先ず意識を呼吸に集中する

2008-05-30 11:09:27 | 座禅
 坐禅のときの姿勢は、肩の力を抜き(日常生活からいつも肩の力を抜くことを心がけます)、頭のてっぺんが天から引っ張られているような感じで、上体を維持します。 姿勢をよくしようとして、胸を張るように反っては、筋力が働くのでよくありません。

 呼吸については、ここでは自己免疫力を高めるといわれている、逆複式呼吸を行います。 生来、呼吸については、私たちは無意識に呼吸を行ってきましたが、呼吸を意識しながら行うようにします。 特に、吐く息をゆっくりと体の中へ、入っていくようなイメージで行います。

 イメージしやすいように、ここでは目を瞑って行います。 口を閉じ鼻だけで呼吸をします。 大きく吸って(軽くでもよい)、鼻から息を出すことを一切忘れて、体の中へ入っていくようなイメージで、10秒ぐらいかけて吐きます。 吸った息が少し口の中に残っていますが、、その息がのどを通り、お腹を通り、へそのちょっと下辺りにあるといわれている臍下丹田に、入れていくような感覚で行います。

 息を全部吐ききりますと苦しくなりますので、そのちょっと手前で、またすーっと息を吸います。 体の中へ息が入っていくことだけに、意識を集中していきますと、雑念は一切沸くことはありません。 雑念が沸いてくるケースは、まだ逆腹式呼吸がリズムよくできないか、意識を吐く息だけに、集中できていない場合だけです。 

 逆腹式呼吸は、決して無理をせず、ゆっくり息を体の中へ吐くだけでよいのです。 慣れるまでは、日常生活のあらゆる時間、場所で行ってみます。 形式や形にこだわらないことが、大切です。 ただし、どんな場合でも上体は、いつもリラックスさせていることは、守ってほしいことです。 きちんとした服を着なければとか、静かなとこでなければならないとかは、一切ありません。 むしろ、どんな場合でも(騒音や明るさなど)、障害と考えずに行えることが、静かで暗闇の深夜や早朝の坐禅の時には、意識を呼吸に集中しやすくさせたりします。

 禅宗のあ寺では、お線香1本分ということで、坐禅を30分でやめてしまいますが、私の経験では、最低でも1時間通して、行ってほしいと思っております。 なぜか、それは体の中を流れる宇宙の気が、30分ではその流れも硬く、45分以上経たないと、滑らかになってくれないからです。 滑らかになることによって、脳を優しく刺激し、癒してくれ、私たちに至福感を与えてくれるからです。

 30分の坐禅時間では、いつも肩慣らしだけで終わってしまい、いつも本格的な練習をする前に、終わってしまうからです。 意識を吐く息だけに集中して1時間も経てば、耳がキーンとしてきます。 いずれ感得することになりますが、全身の経穴(鍼とか灸のツボ)が開き、宇宙と一体という雰囲気に、なることができます。

お母さんの胎児との心の交流

2008-05-29 06:38:32 | 座禅
 深夜の座禅を終え、寝ながら感じたことですが、胎児をお腹に抱えているお母さんは、寝ながらも胎児と心の交流が、出来るのではないかということです。

 布団の中で上を向いて眠ります。 両手をお腹の上に置き、逆腹式呼吸を行いながら、胎児に話しかけます。 無事に生長し生まれ出てくることを、話しかけ念じます。 生まれ出た後に、将来の夢なども語りかけます。 

 私の今までのブログの中で、お父さんとお母さんが、胎児に話しかけながら生活することの大切さを、書いてきましたが、お母さん独自の胎児に対する話しかけも、四六時中いつも一緒ですので、とても大切です。

 胎児が生まれ出る瞬間まで、いつも話しかけながら、育てて欲しいものです。 否、生まれ出た以降も、すぐに赤ちゃんは自分の側に置きたいものです。 何故か、お母さんのお腹の中で、すくすくと育ち安心していたにもかかわらず、病院などではお母さんから離れた新生児室に置かれたりします。 その時の不安感が、心のトラウマになったりすると、何かの本に書いてあったと記憶します。

 胎児といつも心の交流があれば、生まれ出た以降、決して変な子供には育つわけがありません。 日常的に、寝るときも、いつも両手をお腹にやり、念じてください。 何事もなく無事生まれますようにと。

 

死刑判決と懲役7年の差はどこにあるのか

2008-05-28 07:14:05 | 社会・経済
 先日、長崎市長を殺害したとして地裁で判決があり、もと暴力団の被告に対して、民主主義の根幹を揺るがすものとして、死刑判決がありました。 片や、昨日妹を殺害し切り刻んで遺棄したとして、被告の兄を7年の懲役刑の判決が出ました。

 長崎市長事件については、その判決に対しては、すんなり受け入れることができましたが、妹殺害事件については、その判決に対しては、疑問を感じざるを得ませんでした。 検察の14年の求刑も、どうかと思いますが、判決では死体遺棄に対しては、心神喪失であったので、罪は問わないという内容でした。

 人を殺すという行為を犯す場合、精神的に正常であれば、誰も殺人を犯す人はありません。 精神的におかしくなるから、犯罪を犯してしまうのです。 それを心神喪失であるから、無罪であるという考え方に、どうしても納得がいきません。

 今の刑法の考え方が、私たち一般人の常識からは、遊離してしまっているように、思えてなりません。 テレビや新聞報道で知りえる情報だけでも、今の弁護士活動のあり方にも、おかしさしか感じることができません。

 どこかが狂っていると、感じます。 殺された人の人権は、どこに確保されているんですか。 殺した人も殺された人も、その人権に変わりは無いのではありませんか。 余りにも殺された人の人権が、軽んじられている気がしてなりません。 そう考えるのは、私だけでしょうか。

気の呼吸ー胎息とは

2008-05-27 06:42:27 | 座禅
 私自身は体の変化が先で、後から本を読んで、ああこういうことだったのかと、感じることが多かったことが、多々ありました。 胎息についても、説明がありましたが詳細については、分かりませんでした。

 吐く息を体の中へゆっくり吐く逆腹式呼吸。 息音をたてながら息が体の中へ、入っていくのを体感しながらの呼吸。 一緒に座禅を行っていた友人から、静かな暗闇の中で私の息音だけが聞こえるのを注意され、それから息音を殆ど聞こえないくらいにして、行った座禅。 

 もう既に逆腹式呼吸は、日常的なあらゆる場面、時間に行っておりましたので、スムーズに呼吸は出来るようになっておりました。 座禅を始めて1ヶ月半で、下腹にある臍下丹田が心臓のように動き始め、それを機会に胸の中心にある中丹田、目の中心の奥、視床下部にある上丹田、頭のてっぺんにある百会、上丹田の真後ろにある後頭部の玉沈関、中丹田の反対側にある背中の侠せき関、臍下丹田の反対側にある尾りょう関、又下の中心にある会陰を、次々と意念により活性化させ(鼓動させる)、いわゆる体の主要な気の流れである、任脈、督脈の気の流れをスムーズにさせる小周天が、達成することが出来ました。

 そんなある時、座禅の時の吐く息が殆ど吐いているかどうか、分からないような状態に気付き、あれ殆ど呼吸をしていないような感覚を覚えましたので、息を止めてみたらどうなるのかを、試してみました。 

 臍下丹田が心臓のように鼓動し、日常的に胸の心臓の鼓動を感じるよりも、臍下丹田の気の心臓の鼓動を感じるようになると、体の中を流れる気をいつも感じるようになります。 宇宙のエネルギーである気が、自分の体を支えてくれているような感覚にも、なってきます。

 普段の生活のなかでも、ふと気がつくと肺呼吸をしない自分に、気が付くこともあります。 気の呼吸ー胎息とは、私たちがお母さんの中にいたときに行っていた呼吸であり、本来、私たちみんなが生来持っていた機能、能力であると、いつも強く感じています。 特別なものではなく、この世に生まれた瞬間から、気の呼吸から肺呼吸をを始め、時が経過すると共に、気の呼吸の感覚を忘れていった結果であると、思っています。

 私は、胎息をしようと思って、出来るようになったわけではなく、逆腹式呼吸を通して自分自身が感得してきたものです。 

禅宗の座禅時のお尻に引くものは意外と高い

2008-05-26 07:22:25 | 座禅
 先日、臨済宗のお寺で座禅を行いましたが、お尻に引くものの高さが、意外と高いのが気になりました。 私自身はいつもぺちゃんこの小さな枕にも使っていた座布団を、お尻に敷いて布団の上で、座禅を行っていました。 眠るときにはその座布団を枕に、そのまま眠ります。 今は、羽毛の枕を使っての座禅で、ほとんど高さは高くはありません。

 お寺では足の裏を上に向ける胡坐を組むやり方で、お尻の位置も高く、ひざの先とお尻の3点で座りなさいとの、和尚さんの話でした。 足の裏を上ー天に向けるのは、それなりの意味があると思いますが、お尻を1点にして座るほうが、自然だと思うのですが、どういうもんでしょうか。

 基本は、肩の力を抜いて上体をまっすぐにし、頭のてっぺんが天から引っ張られるような感じが、大切ではないかと思っております。 その考え方からすれば、膝頭を含めた3点で上体を維持するというのは、ちょっと疑問を感じました。

 お釈迦様が悟りを開いたときの座禅の姿は、そのような高い引き物をお尻に引いていたとは、考えにくいのです。 

 私の場合は、いつも逆腹式呼吸を行いながらの(現在は胎息)座禅の雑念の中で、感じることが殆どです。 普段、疑問に思っていることが、ふと頭をよぎります。 すると、このように考えるのがよいのではありませんかと、宇宙の叡智がサジェスチョンしてくれます。 

 静かな暗闇の中で、ひとり座禅を行い、宇宙の気が脳を優しく癒してくれるときに、ふとささやいてくれるのかも知れません。 吐く息を体の中へ吐くことだけに、意識を集中しながら座禅を1時間以上行えば、きっと遠くない時間に、そのような状態を導いてくれるに、違いありません。 

 座禅は脳の静かなエクササイズです。 体を動かすエクササイズよりも、私たちにより深いものを、感じさせてくれるはずです。 楽しんでください。

友人二人の座禅の近況報告

2008-05-24 03:44:56 | 座禅
 親しくしている友人が、座禅を行っての体の変化を、話してくれます。 一人は、昨日私と話をしながら、今このように話している最中でも、体の中を流れているのを感じることが出来ると、話してくれました。 またもう一人の友人からは、昨日、とても気持ちの良い座禅が出来ましたと、メールが届きました。

 座禅は、意識をどの1点に集中出来るかが、大切です。 集中できなければ、座禅を深めていくことは出来ません。 吐く息を体の中へ、ゆっくりと入っていくことのみに、意識をします。 すると、そのことのみに意識が集中するために、他のことを考えるような雑念は、起きてこないのです。 雑念が起きてしまうのは、呼吸に意識を集中できないからですし、逆腹式呼吸がスムーズに、リズムよく出来ていないためです。

 友人は、日常のちょっとした時間にも、逆腹式呼吸を行うようになったと、話してくれましたが、座禅を開始して15分ぐらいしないと、リズムよく呼吸が出来ないと、話してくれました。 リズムよく呼吸が出来るようになると、途端に体に変化が表れ、頭部に電子の輪のようなものを感じ、おでこの中心部を強く刺激するようになるとのこと。 まだ40分ぐらいの座禅時間ですが、きっと徐々に座禅する時間も長くなり、なお一層の体の変化があることと、思っております。

 ひとり座禅のよさは、何ものにも縛られず、自分の意志で自由に、自由な時間に出来ることにあります。 形に縛られず、座禅を行えることに、意味があります。

 もう一人の友人は、だいぶ意識を呼吸に集中出来るようになったようです。 時間も1時時間は超すように、なってきています。 逆腹式呼吸を行うことによって、体の中の気の通り道(経絡)を刺激し、その通りをよくしていきますので、深まれば深まるほど、自然と気の通りもよくなり、結果的に脳への刺激も行ってくれ、時間が過ぎるほどに気の流れも滑らかになるため、至福感を感得することが出来ます。 ごく自然の成り行きなのです。 特別なことでもありません。 

 二人の話を聞いていますと、次第に座禅の楽しさ、素晴らしさを感じ始めてくれているようです。 楽しんでください。

 

頭部やおでこに何かを感じるのは何故ですか

2008-05-23 06:49:37 | 座禅
 逆腹式呼吸を行いながらの座禅を、胡座を組みながらしておりますと、早晩、頭部やおでこの周辺を刺激する何かを、感じることになります。 いずれ自分自身でも理解できるようになることですが、体の中には大きな気の流れの道(経絡)があります。 

 逆腹式呼吸を行うことによって、少しずつですが気の通り道を刺激し、気の流れがスムーズに流れるようになります。 また、気の流れも自分自身で実感できるように、なってきます。 督脈と任脈という大きな気の流れる道がありますが、流れている所は、皮膚のすぐ裏側に流れています。 従って、皮膚と骨が密接している頭部やおでこの部分は、一番気の流れを感じやすいところでもあります。

 背中の背骨付近も感じやすく、逆腹式呼吸を行っていきますと、背骨周辺から吐いていった息(気)が、鍼とか灸のツボ周辺から、出て行くのが感じられるようにも、なってきます。  頭部がもやもやしたり、おでこの辺りに刺激を感じるのは、気の通りを感じるようになった、証拠でもあります。

 男性の場合は頭部の後ろから前側に、気は流れていきます。 背中から頭部まで駆け上がってきた体の中の気は、いったんおでこの辺りで少し流れがリズム的に遅くなるために、おでこの中心部を刺激することになります。 おでこから目の中心の奥の視床下部に入り込み、上の歯の付け根から、舌を通して(舌はいつも軽くそっと上の歯の付け根につけておきます)前の体のほうへ、流れていきます。

 前の体部分は、肉が多いので気の流れは、感じにくいのです。 おでこの中心部には天目という、特別なものを感じたり行ったりする、第3の目といわれる部分があります。 天目は、特別なことをしようとしたときだけ、開き働きます。 私自身は、遠くにいる友人の病が癒されるように、毎日3時間の座禅を行っていたときに、始めてその存在を知ることになりました。

 天目は目の形をしていて、そこから友人の住まう家に向けて、宇宙の気が出て行くのを感じました。 今では、特別なことを思うことが、ありませんので、殆ど天目が開くことはありませんが、胎息(肺呼吸を伴わない気の呼吸)を行うときには、時々天目が開いているのを、感じることはあります。

 吐く息が体の中へ入っていくことだけに、意識を集中していけば、また最低でも1時間の(30分+休憩+30分ではいけません)座禅の時間を続けていれば、比較的早くに気の流れも感じるようになると。思っています。 早かれ遅かれ、小周天も獲得できると思います。 座禅を楽しみながら、行ってください。 至福の感覚が、貴方を待っています。












仏教の中の観想法

2008-05-22 08:14:48 | 禅宗
 私自身は、余り仏教関係の本を読まないので、よく分かりませんが、時々散見する本の中でも、お経を暗誦しながらお釈迦様や観音様を、イメージすると、読んだことがあります。 

 私たちは、喧噪の中での日常生活の中で、心を落ち着けることはなかなか出来ません。 呼吸法を伴う座禅を通して、心を集中する訓練を行うことに繋がります。 吐く息をゆっくりと、ここでは息を体の中へ吐くこと1点に、意識を集中します。

 逆複式呼吸がスムーズに行え、意識を呼吸に集中出来るようになった段階で、次にイメージをする世界に移ってきます。 先ず、無、無心のイメージを行ってみます。 よく座禅の時には、無心になりなさいという話を聞きますが、そんな簡単にできるはずはありません。 意識を一点に集中出来るようになれば、イメージを通して無心の境地に、近づくことができます。

 テレビや新聞報道で、宇宙ステーションから地球の映像を見る機会がありますが、それをよくイメージしておきます。 青い海、茶色い大地、白い雲を伴った大きな地球をイメージします。 少しずつ地球から離れていきますと、あれほど大きく見えた地球が、バスケットボールぐらいの大きさになりました。 更に離れていきますと、ソフトボールの大きさになりました。 

 更に離れていきますと、ピンポン球の大きさに。 更に離れていきますと点ほどの大きさになりました。 更に離れていきますと、もう殆ど見えなくなり、気がついてみると大きな宇宙に自分一人がぽつんといます。 このようにイメージしたときには、耳がキーンとしてきます。 昔、プールで潜水したときに、耳がキーンとしますが、その時のような感覚になってきます。 

 大宇宙の中に自分一人が、そこにポツンといる、そのイメージが無、無心のイメージになります。 限りなくゼロに近い、それが無の概念なのです(数学の世界の話ですが)。 逆腹式呼吸の時の吐く息だけに意識を集中出来るようになれば、比較的簡単に、無、無心のイメージが出来、その境地に達することが出来ます。

 座禅を実践する立場でお話すれば、イメージしながら座禅を行うことは、とても大切なことと感じております。 禅宗であっても心ある修行者は、そう思っておられるだろうと、想像しています。 座禅と共に遊ぶ、座禅を楽しむ感覚が、とても大切なように思えてなりません。 楽しんでください。

逆腹式呼吸はリズムよくできればいい

2008-05-21 07:26:56 | 逆腹式呼吸
 親しくしている友人が、ここのところ逆腹式呼吸をしながらの坐禅を、続けてくれているようです。 私は、今では胎息(気の呼吸)で坐禅を行うことが多く、友人が逆腹式呼吸について実践する中で、気付いたことを話してくれるので、改めて感ずることが多々あります。

 友人が話してくれるには、呼吸がスムーズに行くまで15分ほどかかり、スムーズに出来た途端に、頭部がもやもやしてくるということでした。 最近は、輪のようなものが頭部を覆い、おでこの周辺を刺激するということです。 30分から40分の坐禅時間です。 友人には、30分では肩慣らしで終わってしまいますよ、本格的に行うには最低でも、1時間の坐禅時間は必要ですよと、いつも話しています。 慣れるに従って、だんだん面白くなってくると思われます。 今後が楽しみです。

 体の中へ吐く息を長くしようと、吐ききるまで行うと苦しくなります。 そのちょっと手前で、またすーっと息を吸います。 坐禅の時に行う呼吸法は、無理をせず出来るだけ自然に行うほうが、良いと思います。 吐く息が体の中へ入っていくことだけに、意識を集中すれば、雑念は起こりようがありません。 雑念が起きるという方は、呼吸法がスムーズにいかない場合や、吐く息が体に入っていくことに、意識を集中していないからです。 

 逆腹式呼吸を通して、生来持っていた機能、能力(気感)を、回復してください。 坐禅は楽しい、楽しんでください。