ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

半年前に風船治療を行った冠動脈の詰まりが未だ拡がったままでいて

2017-11-30 06:16:09 | 

昨日は冠動脈の詰まり気味であった血管を、半年前に風船治療を行っていたのですが、時間が経過してしまったので改めて、造影剤を使ったカテーテルの検査を行いました。 詰まり具合によっては、そのままステント挿入手術を行う予定でした。

幸いにも未だ拡がった状態を維持していて、取り敢えず検査のみで終了しました。 午前中3番目の手術で11時の予定でしたが、緊急の患者さんの手術が入ったりして、結局、しゅじゅつしつに入ったのは、14時45分でした。

検査のみでしたので1時間10分の検査時間でした。 私の次なるステップは、目の中心部の奥にある動脈瘤の治療に移ります。 脳神経外科の先生から説明を受けた話しでは、孔を開けて手術する方法と、足の付け根からステントを入れて手術する方法があるようですが、再度、どちらにするかは先生と相談しながら、決めたいと思っております。

これまでの食生活や生活習慣、更に自身の所業の結果として、現在の様々な病を引き起こしているのですから、とにかく一歩一歩階段を上がっていくしかありません。

若い頃は体を動かすことが好きで、まさか自分がこれ程までにお医者さんのお世話に、なるとは思ってもいませんでした。 またこれ程多くの医療費を使うことになるとは。 栄養指導を受けて改めて、これまでの食生活がデタラメであったのかを、痛感することになりました。

ちょっと遅すぎた感がありますが。


水平線から朝日が昇るのが見える病室で冠動脈のカテーテル検査を向かえますなどの

2017-11-29 08:55:37 | 

腸の憩室炎関連の開腹手術を終えたと思ったら、今度は冠動脈の詰まりの解消のための造影剤でのカテーテル検査を行うために、2泊3日の予定で多摩総合医療センターの循環器内科に入院です。 詰まりの状態によっては、ステントの挿入を行う予定になっております。 

昨日は複数の方々と一緒に栄養指導を受けました。 塩分の摂取量は、1日グラムということで資料にもとづきの説明でした。 1食2グラム平均と考えれば、ラーメンや蕎麦の汁を飲んだら、それだけで1日の摂取量になってしまうのです。 改めて如何に、これまで塩分の摂取量のことを考えて来なかったかを、反省することばかりでした。

今朝は久しぶりで水平線から上がって来る朝日を浴びました。 10数年前には何時も、朝日を浴びながら胡座を組んで座り、上半身、特に顔に太陽の光が当たるようにしておりました。 穏やかな太陽の光を、有り難く頂くような雰囲気で浴びておりました。

特別なことを考えなければ開かない、おでこの中心部にある天目が、太陽の光を浴びることによって開くのです。 天目は目の形をしていて、宇宙の清新なエネルギーを吸収するのです。

朝歩きをしている時も、朝日が上がっているところに出くわすと、しばらく立ち止まって、足を軽く開き太陽に向かって自然体で立っておりました。


昨日は申告で税務署等に回り友人と仕事の打合せを行いました

2017-11-28 02:32:37 | 

昨日は開腹手術を行って退院してから、3週間過ぎました。 未だ十分に体力が回復してはおりませんが、体の検診や現在進めている設計作業を、支障なく計画工程に遅れないように、行う必要があります。

東京都の補助金事業であるので、近々に内示の通知が来る予定になっております。 それに合わせて昨日は、事業の確定申告で日野税務署と八王子都税事務所、多摩市役所に決算書等の書類を提出し、夕方から友人と設計の打合せを行いました。

ひと通り打合せが終わってから、奥さんも交えて私の病の治療について話を行いました。 どうも体力を回復するのは術後、1ヶ月はかかるようだと話したところ、友人が50代で大腸ガンの手術を行った時の話をしてくれました。

仕事が忙しくて、術後すぐに仕事を再開したと話してくれた時には、びっくりしました。 私と同じように大きくお腹を切って、開腹手術を行ったというのに、退院して直ぐに仕事をしたとは。 若さゆえとの話もありましたが。

勿論、手術の内容も違うのですが、私自身も退院後、翌日から事務所へ行って作業を行おうとしていたのですが、流石に体力に衰えは気力をも減退させます。

憩室炎関連の手術は終えたものの、今後さらに検査とそれなりの手術が、待ち構えております。 開腹手術ではないものの、相変わらず病院のお世話にはなるのです。 全てはこれまでの私自身の所業の結果です。

素直に受け入れさせて頂き、淡々と毎日の生活を送らさせて頂くだけです。


糖尿病の友人がメタバリアSとブロリコでヘモグロビンa1cの値が

2017-11-27 18:27:07 | 

親しくさせて頂いている友人は、ヘモグロビンa1cの値が7.7まで行った、正真正銘の糖尿病患者でした。 その数値を境に食生活を改め、夕ご飯は、御菜だけにしてご飯を食べないようにしました。

又、ネットで知った富士フィルムのメタバリアSと、自己免疫力を高めるブロリコを摂取するようになりました。 7.7まで進んだ数値は、ひと月毎に0.5ずつ下がり6.0までになりました。

先週の金曜日の血液検査の結果を聞いたところ、ヘモグロビンa1cは6.2となり、血糖値は130であったという。 私はその数値が5.5まで下がっていることを、密かに願っておりました。

残念ながら、期待値にまでは下がってはおりませんでしたが、ひと月後の検査結果を期待することにしました。 自分の体の回復をさて置きながら、親しい友人の健康も気になってしまうのですが。


親しくさせて頂いていた大学の先輩が急性白血病で急逝して

2017-11-24 03:44:28 | 

多摩ニュータウンに娘が1歳になった昭和47年に、住宅の抽選に当たって清瀬から引っ越して来ました。 引っ越した年に、畳からダニが大量発生して、娘が床に落ちているものを舐めたりすることを思うと、直ぐにその日の朝から2階のご主人を誘って、勿論2人とも会社を休んでですが、私の住む棟の30軒を訪ねて調査を行いました。

結果は30軒全部に畳の縁に、小麦粉ほどの小さなコナダニがおりました。 特に一軒は家具に大量に張り付いていて、困ったような状態でした。

もともと私はノンポリでしたが、一気にボルテージが上がって住民運動に参加することになって行きました。 もしも娘がいなかったら、そこまで踏み込んで運動していたかは分かりません。

その後、勤めていた入江三宅設計事務所を8年で辞め、何のあてもないのに独立しました。 全くゼロからのスタートです。 どういう訳か私はこのゼロという感覚 概念が好きです。

あるかないかというよりも、0の概念が限りなくゼロなのか、或いは無限にゼロに近くかという考え方が、無限大という概念に通ずるからです。

多摩ニュータウンで住み、自分の周辺で建築の計画を行う、一つ一つの建物造りを通してまちを創って行ければと思いながら、設計活動を行っておりました。 建築の勉強をして来た人間は、地域活動を実践しながらソフトなまちづくりを行うのも、自分たちの使命ではないかなどとも感じておりました。

そんな活動を行なっている内に、大学の先輩が既に地域で活動されていることを知り、多摩都市・建築設計協会を一緒につくることになりました。 多摩センター駅前で開かれたガーデンシテイ多摩フェアに、木片チップを使って子供たちに積木遊びをして楽しんで貰うイベントに参加して、今やフェアも子供まつりに変貌するものの、30数年間参加しております。

あらゆる活動を通して親しくさせて頂いた先輩の奥さんから、15日、電話を頂きました。 20数年前に若くして天に還っていかれた息子さんと同じ病名で急逝したと。 急性白血病です。

残念ながら私は未だ術後の回復途上ですので、告別式には参加出来ませんでした。 奥さんには改めて元気になっら自宅にお伺いしますと言って、電話を切りました。 先輩は私よりも一回りちょっと上ですが、今でもご婦人方に絵の指導を行っているせいか、顔色は良くツヤツヤして、とてももうすぐ大台に近づく人とは思えないような方でした。


冠動脈の詰りを解消してから目の奥の動脈瘤の治療を行なうことに

2017-11-23 14:56:37 | 

眩暈と吐き気で救急車で運ばれ、定期健診で頭部のMRIを撮るつもりでいたので、多摩丘陵病院での救急センターで急遽、MRIの撮影を行いました。 結果的には目の奥に動脈瘤が見つかり、私の体の治療は更に難しいものになりました。

 

多摩南部地域病院で、憩室炎がらみの手術を行った後に、冠動脈の詰まった部分にステント挿入の手術を行うことになっていたのに、頭部の動脈瘤の手術を優先するかどうかの判断が、しにくい状況になりました。

 

頭部の動脈瘤の治療は秘中の多摩総合医療センターで行うことになり、同時に冠動脈の治療も並行して治療を行なってもらうことになったのです。

 

取りあえず来週、冠動脈のカテーテル検査を行い、その後ステント挿入手術を行い、更に体が安定した時期に、頭部の動脈瘤の手術を行う予定になりそうです。

 

体重も60キロ近くになり、日に日に元気が戻りつつあることを自覚できつつあります。


開腹手術後2週間になりますが日に日に元気が回復する実感が

2017-11-20 00:56:40 | 

入院中は退院したら翌日から直ぐに、事務所へ行って作業を行おうと思っていたのですが、とんでもなく体力も衰え、思うように体が動かないことから、自然と気力も失せてしまう有様でした。

術前に63キロあった体重も、58.5キロということですが、げっそりした顔も少しは丸みを帯びて来ました。 車の運転する気力もなかったのですが、先週の金曜日の多摩南部地域病院行きには、近くですので車で出かけてみました。

ごく普通にゆったりと運転することが出来ました。 明日は事務所へ行って溜まっているメールのチェックを行い、簡単な作業を行ってくるつもりです。

火曜日と水曜日は、ちょっと離れた府中の多摩総合医療センターまで検診に行く予定です。 バスと電車で乗り継いで行っておりましたが、どうやら車で行けそうです。 

それだけ元気が回復して来た証拠かも知れません。


開腹手術を行うとこれ程までに体力と気力が落ちるとは思ってもいなかったので

2017-11-17 08:52:18 | 

私は6日に退院したら、早速 翌日から事務所に行って、設計中の建物の作業を行い、更に計画中であったホテルの計画も、進めようと思っておりました。

残念ながら、そう思っても体は自由に動きません。 仮のストーマが付いたので、お尻の穴は関係ないにも関わらず、何かと違和感を感じ、まともに座ることも出来ません。

腸の憩室が炎症を起こし、近接する内臓 膀胱に穴を開けてしまい、雑菌の巣窟と無菌の膀胱が繋がって、ある意味では異常事態になっていたのです。

幸か不幸か私は呼吸法を伴う座禅を行なっておりましたので、他の人よりも数倍、自己免疫力がありましたので、何とか普通の生活が出来ておりました。

発覚した7年前は、その管も細く影響力も耐えられる範囲でしたが、最近になって管も成長して太い管になっておりました。

さすがの私にも、体の変調が現れて、急遽、入院して回復手術を行い、管が繋がっている膀胱の一部を切り取り、管そのものの切除を行なったのです。

家に帰ってから小水もなかなか出るのも、普通のようには出なかったのですが、16日になって突然、自然に一気に出るようになったのです。

回復途上にも関わらず、頭部のMRIで分かった目の奥の動脈瘤の検診や、冠動脈の詰まり状態解消のための、ステント挿入のための手術の検討のための検診を、思うようにならない体を動かして、少し遠い府中にある多摩総合医療センターに通っております。

これもリハビリと思い、日1日毎の回復を願い動いております。


仮のストーマを付けて13日間の入院生活から本日退院します

2017-11-06 07:06:40 | 

生まれて初めての開腹手術でした。 腸と膀胱が繋がっていた可なり太くなっていた管(憩室)と、膀胱の一部を摘出する手術でした。 立ち会った娘がその部分を見せてもらったと話してくれました。

2日間は集中治療室で過ごし、3日目から一般病棟で過ごしました。 3日目4日目は重湯の食事です。 看護師同伴で直ぐに歩くことを要請されます。

5日目6日目は三分粥の食事です。 未だ排尿は管がチンポの先から入っていて、自動的に排泄される状態です。 この頃になってはじめて自分自身で、ストーマを付けることを教わります。

7日目8日目には五分粥の食事になり、10時と15時にはおやつが出ます。 15時の時はクッキーも一緒です。 この時にはじめて自分でトイレに行って、ストーマに溜まったものを処理します。 造影剤の検査を経て異常がないかの確認の上で、チンポの先から挿入されている管を取りました。

自分でトイレまで歩いて、簡単に小水が出ると思いきや、夜間に2度行くも冷や汗が出るだけで、一向に出る気配がありません。 看護師さんに頼んでオムツパンツと尿取りパットの体勢をとりました。

深夜になっても小水は出る気配はありません。 当直の先生に来てもらって再度 管の挿入を依頼するものの、救急患者の対応でなかなか来てくれません。 先生が来られる寸前にオムツの中に排尿されました。

9日目10日目は全粥の食事になります。 この時はじめて浴室で、自分自身でストーマを外してから、シャワーを出しながらボデイシャンプーを泡だてて、患部を洗います。 体も髪もシャンプーで洗います。

体を拭き終わると自分自身で、患部周りを拭き取り、患部周辺に専用のパウダーを軽く振りかけた後、手鏡を見ながらストーマのセットをします。

11日目は退院に合わせて再度、浴室にてストーマの取り外しと患部の洗いを行い、新しいストーマの装着を行いました。

退院の今日は午前中に浴室にて、厳しい看護師さんの下で、ストーマの取り扱いの卒業試験を経て、昼食後に連れ合いと一緒に栄養指導の話を聞いたのち、無事退院する運びになるはずですが。

 


米国大統領選挙時におけるロシアゲート疑惑で関係者が司法取引で供述と

2017-11-02 00:00:12 | 社会・経済

ネットのニュースで先の米国大統領選挙時における、トランプ大統領の主要な選挙関係者が、特別検察官の取り調べの中で、司法取引に応じて所謂ロシアゲート疑惑について、真実の供述を行なったと云う。

司法取引と云えば思い出すのが、ロッキード疑惑で当時の田中角栄首相が辞めざるを得ないような状況が、作り出されたことです。  当時の政治状況を思い出すと、日本は中国との国交回復が計られ、日本と中国が極めて近しくなりつつある状況でした。

また田中首相を中心とした派閥が群を成して、勢いが増しておりました。 米国としては、これ以上勝手に日本の田中首相に動かれてはまずいと感じたのでしょうか、米国の航空機メーカーの日本への輸入に絡んで、田中首相がワイロを貰ったことが判明し、政治の世界から引退せざるを得なくなりました。

米国では、基本的には多くの人々が、神に誓って真実を述べますが、残念ながらわが国では、神に誓うと云う性癖をを持ち合わせてはおりません。 従って平気で嘘を云います。

日本にも司法取引制度が取り入れられるようになれば、もう少し違った司法裁判が見れれるのでないでしょうか。