ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

胡座を組んで座る時も横になって寝る時も小周天しながら胎息で静かに過ごすことが多くなって来ましたが

2021-04-17 20:53:54 | 胎息
仕事柄、パソコンやiPadで液晶画面を見ることが多いのですが、疲れて胡座を組んで座る時や横になって寝る時には、長く吐く呼吸を行うよりも、胎息で小周天を行う気が、脳を刺激するのを感じながら静かに過ごすことが、多くなって来ました。

本来であれば長く吐く呼吸を行なっていた方が、体には良いと思いながらも、胎息の方が楽な感じがしますので、ついそのように過ごしてしまいがちです。

背中から駆け上がってくる気が頭頂部を通るときに、脳を刺激します。 はじめは硬い感じで刺激をしますが、次第に優しく刺激するようになりなります。 

長く吐く呼吸を行いながらの座禅を行ない始めた当初は、特に硬く感じ、45分から1時間を経過すると、その流れは滑らかになり、日常的なストレスから解放されて、崇高な至福感を感じるようになるのです。

胎息の場合は、比較的早くに気の流れは滑らかになるようです。 

自然の摂理に素直に従う気持ちを持ちながら長く吐く呼吸を続けながら1時間の座禅を続ければ

2020-07-29 04:08:30 | 胎息

私は何も分からずに、ただひたすら毎晩、家族が隣室でテレビを観ている音が漏れ聴こえる隣室で、照明を消して真っ暗闇の中で1時間、ここでの深呼吸の要領ではじめに大きく息をすってから、出来るだけ長く息を吐きながら、普通の胡座を組んで毎日、座禅を行ってからおりました。

イメージで体の中へ吐く息だけに意識を集中しながら、吐く息が喉から気管支を通って胸から下腹に入って行く息を追いかけながら、そのことだけに意識を集中しておりました。 かなりの時間は集中できるものの、然し乍ら途中でふと雑念が湧くのです。 

日常的な問題解決しなければならないような問題です。 私はふと浮かぶ雑念を払うことなく、そのことを長く吐く呼吸を行いながら考えました。 すると不思議なことに、こう考えたらどうですかと云うようなサジェスチョンがあるのです。

私は、このように長く吐く呼吸に意識が集中している時に起きた、ふと浮かぶ雑念は払うことなくか考えてきました。 結果的に、そのように考えることによって、自分のものの考え方-ものの価値観、何を大切に考えるべきかなどのことが、次第に構築されて来たのではないかと感じました。

ここでの大切なことは、自然の摂理に従う気持ちに素直になると云うことです。

ここでの長く吐く呼吸、イメージで吐く息を体の中へ吐き入れる呼吸は、結果的に眠っていた体の中の経絡(気の通る路)を刺激し、様々な形で体に変化を与えます。 その現象に驚くことなく、素直に受け入れることが、とても大切なことなのです。

私たちの誰でもが、お母さんのお腹の中にいた時には、胎息と云う気の呼吸を行なっていたのですが、生まれ出る瞬間から気の呼吸から空気を吸う肺呼吸に、オギャーと云う鳴き声と共に変化するのです。

ここでの長く吐く呼吸、イメージで体の中へ吐く呼吸を、日常的に毎日1時間行っていけば、いつの日にか気を感じるようになり、更に気の呼吸である胎息を感得することになると確信しております。

決して巷に流布してあるような特別な仙術ではないのです。


久しぶりで胎息で静かに座ってみましたが

2020-07-14 03:30:43 | 胎息

私は生まれて初めて座禅(静功-静かな気功)を行った時には、深呼吸の要領で、大きく息を吸ってから出来るだけ長く吐く呼吸を行なっておりました。

また吐く息をイメージで体の中へ吐き入れ、自分自身で息が体の中へ入って行くのを実感するために、息音が聴こえるように長く吐いておりました。

大学の級友の呼びかけで思い切って始めたのですが、一緒に真っ暗闇の中で私だけの息音が聴こえたようで、3回目の帰り道で、おい、もう少し静かにしろよ、と声をかけられ、その日いらい、今度は一転して、出来るだけ静かに息音が聴こえないように、長く吐く呼吸を行うようになりました。

出来るだけ静かに長く吐く呼吸を行っていた時に、本で胎息と云う言葉に出会ったのですが、本にもその意味は明確には記載はありませんでした。

とうじ、静かに長く吐く呼吸を行っていて、呼吸をしているかどうか分からないような状態になっておりましたので、ひょっとすると胎息とは、肺呼吸を伴わない気の呼吸ではないかとおもい、思い切って肺呼吸をやめてみました。

勿論、下腹の臍下丹田は気の呼吸を行い、心臓のように鼓動しておりましたが。

すると結構長く肺呼吸をせずに続けられたのです。 気の呼吸をやめ、肺呼吸に変える時に、非常に苦しい感じがしました。 後日、胎児がお母さんのお腹から生まれ出てくる時に、オギャーと泣きますが、これと同じ現象ではないかと感じたのです。

胎児は、お母さんのお腹の中では、胎いきと云う気の呼吸を行いながら生長しますが、生まれ出てからは肺呼吸に変わるのですが、その時に発するのが、オギャーと云う泣き声ではないかと感じたのです。

長く吐く呼吸にすれ、胎息にすれ、いずれにしても最低でも1時間座り続けて、体の深層部までも含めて静かな状態を作ることが、とても大切なことではあります。 体内の凡ゆる活動を停止するような状態づくりをすることに、座禅の基本があるのです。

その実践の中で、自分自身が何らかのものを感得するのですが。


寝ている時も座っている時も静かに胎息で気の動きを楽しむことが多くなりましたが

2018-12-30 19:11:17 | 胎息

上を向いて寝ている時や胡座を組んで座っている時も、静かに軽く眼を瞑って体内を回る気が、脳を刺激するするのを楽しむことが多くなって来ました。

肺呼吸をせずに後頭部から駆け上がって来た気が、微細な脳神経がある脳を刺激しながら、前頭部のおでこを通り、眼の中心部に入り込んで行きます。

そんな気の動きを静かに感じながら少しの時間、過ごすのです。

私の場合は年がら年中、体の中を循環する気が、絶えず脳細胞を刺激してくれておりますので、体のあちこちに不具合があっても、脳だけはいつまでの元気でいるのだろうなあと思っております。

深呼吸で行うはじめに大きく息を吸い、出来るだけ長く息を吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐く呼吸が、結果的に脳の老化を防ぐことになるのになあ、この呼吸法をひとりでも良いから実践してくれたなら、高齢化による痴呆症も防いでくれるのになあと、同時に思うのです。


静かにしている時は胎息で気の動きを楽しむことが多いのですが

2018-11-26 01:32:42 | 胎息

静かに床に座っている時や、横になって休んでいる時には、多くの場合、肺呼吸を伴わない気の呼吸を行いながら、体の頭部周辺で動く気を楽しんでおります。

宇宙に無尽蔵にあるとされている気は、私たちの体の中では経絡と云う気の通る道に流れています。 経絡は神経の腺と絡み合うように流れているとされ、特に微細な神経細胞がある脳では、極めて感じやすくなっております。

私自身もそうでしたが、生来、気の動きを感じることはありませんでした。 たまたま千葉に住む大学の級友が、多摩センターで開かれることになった静功の会(気功の静かな功)に、参加することになったということを聞き、心臓に違和感を感じていたこともあり、気功は健康に良いと言うことも伝え聞いていたので、躊躇するものの結果的に2ヶ月間参加しました。

深呼吸の要領ではじめに大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、静かに1時間座り続けたのです。 生まれて初めて胡座を組んで、静かに真っ暗闇の中で1時間座っていたのですが、その初日に頭の上で電子の輪の帽子を被ったような状態になって、何となく興味が湧いて来たせいでしょうか。

その日から毎晩、半身欲で入浴後に、隣室で家族がテレビを観ていて、その音が漏れ聴こえる中で、部屋を真っ暗にして1時間、静かに座り続けたのです。

後で反芻してみると、いわゆる禅宗での腹式呼吸(はじめに息を吐き出すと同時に、下腹からも吐き出す呼吸法)を、幸いなことに知りませんでした。 多分ここでの呼吸法(深呼吸の要領で行うはじめに大きく息を吸い、出来るだけ長く吐く呼吸法)を行えば、誰もが気を感じるようになるのではと感じております。

静かに座る座禅を通して様々なことを感得して来ました。 意識を呼吸に集中している時に、ふと浮かぶ雑念は払うことせずに考えてみると云う事も、そのひとつです。

胎息という言葉に出会った時に、胎児がお母さんのお腹の中にいた時に行っていた気の呼吸であるということも、そのひとつでした。 私自身の長く吐く呼吸が、当時ほとんど息をしているかどうか分からない位になっていた時に、では息を止めてみようと思い、長い間、息を止めてみました。

かなり長い時間、止めることが出来たのですが、気の呼吸から肺呼吸に切り替える時に、とても息苦しく感じたのです。 その息苦しさは、胎児が生まれ出てくる時に、「オギャー」と泣く声ではないかと感得したのです。


何時でも何処でも軽く目を閉じて胎息でいることが多くなりました、

2018-10-23 00:02:46 | 胎息

私は座禅を始めた当初は、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を行い、またイメージで吐く息を体の中へ、吐き入れておりました。 吐く息音が自分自身でもよく聴こえるように。

級友のもう少し静かにしろよと云う言葉をキッカケに、今度は一転して出来るだけ静かに、殆んど息をしているかどうか分からない感覚で、呼吸を行うようになりました。

座禅を始めた初日に、頭のてっぺんにある百会が活性化して、電子の輪の帽子を被った状態になり、そのことが結果的に毎晩、半身浴で入浴後に1時間部屋を真っ暗にして、座禅を行うようになりました。

疲れて眠くなるような時は無理をせず、さっさと寝てしまい、翌朝、早く起きて同じように1時間長く吐く呼吸を行いながら、座禅を行いました。 毎回、体に何時も微妙な変化があり、そのことも毎晩行うことにもつながったように感じます。

出来るだけ長く吐く呼吸をおこなっていると、1時間はあっという間に過ぎて行き、無理することなく毎日、座禅を続けることが出来ました。

座禅を始めて1ヶ月半経った時に、自発動を伴いながら下腹の臍下丹田が、心臓のように動き始めたのです。 その後、胎息と云う言葉に出会い、その意味を推量する中で、当時、殆んど息をしているかどうか分からないぐらいなら、呼吸になっておりましたので、胎息とは肺呼吸を伴わない気の呼吸ではないかと感じ、思い切って息を止めてみたのです。

結果的に、それを機会に胎息で座禅を行うようになりました。 長く吐く呼吸で座禅を行なったり、胎息で行なったりするようになったのです。

現在は軽く目を閉じて胎息で頭部周辺の気の動きを楽しみながら、過ごすことが多くなりました。


ある時期に胎息という言葉に出会ってふと浮かぶ雑念の中で考えましたが

2018-09-24 03:38:00 | 胎息

ある時期に「胎息」という言葉に出会いました。 どんな息の仕方なのかを、座禅の時のふと浮かぶ雑念の時に考えてみました。

当初はイメージで吐く息を体の中へ吐く息音が、自分自身で分かるように聴こえるように呼吸を行なっておりましたが、次第に息音が殆ど聴こえず、呼吸を行なっているかどうか分からないぐらいに、静かになっていました。

胎息とは、ひょっとすると肺呼吸を伴わない呼吸ではないかと考え、思い切って息を止めてみました。 するとかなり長い間、息を止めることが出来ました。

然し乍ら再び息を吸おうとした時に、とても息苦しくなったのです。 後に胎息とは、肺呼吸を伴わない気の呼吸ではないかと感じました。 気の呼吸から肺呼吸に切り替わる時には、息苦しく感じるものなのだと思ったのです。

私たちの誰でもが、お母さんの胎内にいる時には、気の呼吸をしながら成長し、生まれ出る時には気の呼吸から肺呼吸に変わり、その時点で息苦しさの中で「オギャー」と泣き声をたてて、生まれ出るのだと感じたのです。

それ以来、肺呼吸を伴わない気の呼吸−胎息で座禅を行ったり、クラッシック音楽を聴いたりするようになりました。 そのようなことも出来るのは、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動をしているからなのかとも思うのですが。


胎息とは私たちの誰でもがお母さんのお腹の中にいた時に行っていた気の呼吸です

2018-06-10 03:05:14 | 胎息

私が「胎息」たいそくと云う言葉に出会ったのは、毎日1時間の座禅を行うようになってから、1年ほど経った時期だと記憶しております。 当時の私は深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸を、相変わらず続けておりましたが、殆んど呼吸を行なっているかどうか分からないぐらい、静かに行っておりました。

胎息というのですから、何となく胎児が行なっていた呼吸ではないかと考えておりましたが、具体的にはどんな呼吸であるかは、皆目 分かりませんでした。

当時の呼吸を行なっているかどうか分からない呼吸であったため、もしかして息を止められるのではないかと考え、実践してみました。

するとかなり長い間、息を止めることが出来たのです。 息を止めても私自身は、下腹の臍下丹田が心臓のように鼓動していたため、想像では その間、気の呼吸を行なっていたのではないかと、考えました。

長い間、息を止め臍下丹田の気の呼吸を行った後に、また肺呼吸に戻ろうとする時に、すごい息苦しさを感じたのです。 後日、この体験から、私たちが、お母さんのお腹から生まれ出る時に「オギャー」と泣く行為は、胎内での気の呼吸から、胎外での肺呼吸に変わる息苦しさから発する言葉ではないかと感じました。

胎息は、特別な修行をして極めないと出来ないという文章を見ることがありますが、ここで云う呼吸法を通じて、生来持っていた機能を取り戻すことによって、誰でもが出来うる気の呼吸であると改めて、確信するのです。


たまたま受胎した時から胎児に話しかけながら育てたお母さんに出会って

2018-05-05 01:45:27 | 胎息

先日、京王多摩センター駅周辺で開く子ども祭りで、木片チップを1万数千個用意して、子供たちに遊んでもらっている中で、1年生の子供を中心にしてお父さんとお母さんも楽しく、積み木遊びをされている家族に声をかけました。

お父さんたちの助言にお構いなく、自分の考えを貫きながら積み木遊びをする姿に、話しかけることも多くなっていきました。

子供が未だ1年生ということもあって、未だこれからもお子さんを生む機会がありますかと訊ねますと、いや、5年目でやっと妊娠出来たので、ヒヤヒヤしながら祈るような気持ちで、あらゆる場面で胎児に話しかけるように育てたのですと、話されたのです。

実は受胎した瞬間から胎児に話しかけるように育てると、お腹の中にいた時の胎外で起きていることを全て吸収して、生まれ出た時にはその集積の下で成長するので、一般的な人よりもベースが違って、受験のための塾などは行かなくても済みますようと、話すつもりだったのです。

するとお母さんから意外な言葉が出て来ました。 自分の子供は、お腹の中にいた時の出来事を、自分が体験したかのように話すのです。 また胎児がお腹の中にいた時によく歌っていた歌を、子供は知らないはずが口ずさむのです、と言うのです。

胎児が、お母さんのお腹の中にいるときに、話しかけながら育てるという意味は、実はここにあるのです。 胎児は、お母さんやお父さんが話しかけてくれることを、全て気を通して感じるのです。 その情報は急速に生長する脳にも深く刻まれていくのです。

公園を散歩している時には、その情景を話します、音楽聴く時にも話しかけながら、一緒に体感するように心がけます。

まさに、出会ったお母さんは、無事に成長することを望みながら、話しかけながら育てられたのです。 お母さんには多分、学習塾には行く必要はないと思いますよ。 むしろこう大人の感覚で拘束することなく、伸び伸びと育てて下さいねと頼みました。

今後の生長を確かめるためにも、念のため子供の名前も聞いたほどです。 楽しみです。 どのように成長されて行くのか。


深夜 気がつけば足裏が鼓動し胎息状態で天目を刺激しながら寝ていましたが

2017-02-04 03:45:28 | 胎息

足裏が鼓動しているので、体全体が燃えるように熱くなっていました。

しばらく、その状態を楽しみながら、静かにそっとしておりました。

昨夜は、府中の森での桐朋学園大学音楽部の、合唱を聴きに行って来た関係でしょうか。

目を瞑って、肺呼吸を伴わない胎息で聴いておりました。 久しぶりで胸の中心部にある心を刺激し、快いひと時を過ごしたせいでしょうか。

帰りがけにセブンイレブンに寄って、恵方巻を買って頬張ったせいでしょうか。

いずれにしても快い時間が、深夜の睡眠まで続いたことになっています。

因みに昨夜の合唱の夕べは、男性と女性が分かれて歌っておりましたが、合唱ですから混成の歌も聴きたいと感じました。 残念ながら、男性の数が足りないのでしょうが。

高校大学の男性だけで歌った合唱が、快く感じたものですので。 然しながらパイプオルガンの伴奏での合唱も良かったし、ピアノの伴奏による合唱も、それぞれ特色があって、素晴らしい集いでした。