ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

魂の先生だった、我が恩師の米田健治先生

2013-02-28 07:13:26 | 座禅

 自分にとって、何故、黒門小学校の1年間しか習っていなかった米田先生が、こうも私に強い印象を与えているのか、分かりませんでしたが、芹沢光治良さんが90歳になってから書き始めた「神のシリーズ」の8冊を、何度も読むうちに、その理由が分かりました。

 芹沢さんの本の中で、まだ会ったことのない読者の二人が、芹沢さんの本を読むことによって、それぞれの奥さんに、芹沢光治良さんは自分の「魂の父」というふうに話しています。

 そうか、私にとって米田先生は、魂の先生だったからだと、改めて感じたのです。 私だけでなく、米田先生は、かたや「ゲンコツ先生」でもあったのですが、多くの生徒たちにとっては「魂の先生」であったようにも思うのです。

 一緒に学ぶ中で、私たちの心に自然と、心の襞を刻んでいたんでしょうか。

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自らが光り輝く

2013-02-27 07:32:10 | 座禅

 座禅を生まれて始めた当初、私は太陽が水平線から上がって来る時の、穏やかな光をイメージして、静かに座っていたことがあります。

 そんな穏やかな光を浴び、しばらくしてからその光の中に自らが入り、光の放射を浴び、またしばらくして、今度は光りと一体になって、自らも光り輝くということを、何度も繰り返し行いながら、座っていた事があります。

 すると微妙に体が変化するのが分かりました。 その時に、光りというものは独特なものだと感じたのです。 よく神は光のようなものだということを、本で読んだり人から聞いたりしたことがあり、やはり光りをイメージすると、違う感覚になるのだということを、改めて思ったりました。

 イメージしながら静かに座るということも、最近はなくなりましたが、改めて、はじめから光り輝くということをイメージしながら、胎息(肺呼吸を伴わない気の呼吸)で、静かに座ってみようと思っております。

 自らが光り輝くことによって、一人でもよいから良い影響を及ぼせたらとも思うのです。

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息を長く吐こうとすれば大きく息を吸ってから吐くのが自然

2013-02-26 07:29:17 | 逆腹式呼吸

 吐く息を出来るだけ長く吐こうとすれば、出来るだけ胸いっぱいに息を吸ってから吐くのが自然です。 従って、ここでは始めに大きく息を吸いますが、吸う時には胸を膨らますときには、下腹は自然に大きく凹みます。

 始めに体の中に入っているものを吐き出すという「無」の理念を、否定するつもりはありませんが、いわゆる禅宗でのこの呼吸法は、体の生理的な自然の動きに、必ずしも良いとは私自身は感じておりません。

 禅宗でも、曹洞宗と臨済宗・黄檗宗の座禅時の呼吸の行い方は、相違します。 ここでは、これまでも私のブログ上で、述べていますので触れません。

 私は自分自身の体験から、胸で息を吸う時には、下腹の臍下丹田は気を吐きます。 胸から息を吐くとき(吐く息を体の中へ吐く)ときには、下腹の臍下丹田は気を吸います。 この動きが、私たちが生来、持っている機能の自然の動きなのです。

 息を吐く時には、拡がった胸は元に戻り、凹んでいた下腹も元の大きさに戻るのです。 その動きこそが、ごく自然の動きなのです。

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座っている座禅が楽しければ全てのことが楽しくなる

2013-02-25 06:56:07 | 座禅

 大学の級友の呼びかけで、思い切って始めた座禅(静功)が、こんなにも楽しく、色々なことを教えてくれるとは、思いませんでした。 我流の深呼吸の要領で、吐く息だけを出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、肩の力を抜き真っ暗闇の中で、ひたすら座って1時間。 

 これが私に、別な意味で楽しみを与えてくれ、またこれが貴重な私の財産にもなっているような気がします。 この貴重な財産を、出来ることなら一人でも良いから、分けてあげたいという気持ちで、ブログも書いています。

 座禅を始めた当初は、足のしびれも気になりましたが、時間とともに足のしびれも感じなくなり、日常的なストレスからも解放され、いつも自然体でいる感じがします。

 ただ静かに座っているだけが楽しいのですから、ほかのどんなことも楽しくなってきます。いつもいつも楽しいことばかりではありませんが、嫌なことがあっても、それを楽しもうとする感覚になってくるから不思議です。

 勿論、人間ですから、嫌なことは避けたいのです。 避けて通れれば一番よいのですが、いつも避けてばかりはいられません。 その渦中に入ることもあります。 そんな時そこ、楽しもうとするのです。 深夜の真っ暗闇の中で、静かに長く吐く呼吸を行いながら、意識を集中してただひたすら座っています。

 そんな時にも、ふと昼間の嫌なことが頭に浮かびます。 それを雑念と思わずに考えてみます。 すると宇宙の叡智が、こう考えたらどうですかと、サジェスチョンを与えてくれます。 天はあらゆる形で、私たちに試練を与えてくれるのです。

 その為にも、いつも明るく、前向きで、楽しむ感覚が大切なのです。

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ネットをしない友人のタブレット端末購入を手伝って

2013-02-24 09:24:16 | 座禅

 友人の「いくらを訪ねて」の作者の伊倉雅晴さんから、多摩ニュータウンの私たちのまちにある樹木の写真を撮り始めたが、それをタブレット端末に移して、現地を回る時に、樹木の確認するために、持ち歩きたいので購入するというのです。

 本人は、どういう訳かネットを利用しておりませんので、昨日、近くのケーズデンキへ行って、32GBのタブレット端末を購入しました。 事前に、グーグルのものを購入しようとしましたが、お店の説明で、アマゾンのほうが画素数が多いから、そちらのほうがいいですよとのこと。しかも5000円ぐらい安いのです。

 購入するときに、パソコンはいじってはいるが、本人はネットを行っていないことを十二分に説明したつもりでした。 私の事務所に来てパソコンに、タブレット端末を接続し、移したい樹木の写真をコピーしましたが、タブレット端末は作動しません。

 すぐにアマゾンのコールセンターに連絡したところ、一度、ネットに繋げてからでないと作動しないということが分かり、私のパソコンで試してみましたが、結局、無線LANのルーターがなければ、作動しないことが分かり、再度、ケーズデンキに連絡し、出かけることにしました。

 お店でネットの仮の登録をして、無事、使えるようになりましたが、私にも良い経験でした。

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逆腹式呼吸で脳を刺激し崇高な至福感を感得する

2013-02-23 09:54:53 | 座禅

 座禅というとすぐに無心・無欲という言葉が出てきますが、その境地になるには結構、時間がかかるのです。

 また一番大切なことは、如何に一点、一心に集中するか、出来るかです。 この集中するやり方は、数息法により、ひたすら数を数えるか、長く吐く呼吸に意識を集中するかです。

 私は、多分、長く吐く呼吸に集中するほうが、集中しやすいのではないかとも思っています。 私自身は、数息法は行ったことがありませんが、数を数えるのは苦手なもので。

 吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中(下腹の臍下丹田)へ吐き、体の中へ入って行く息を追うようにして、そのことだけに意識を集中する座禅の行い方を、結果的に行ってきて、その呼吸法が逆腹式呼吸であることが後から分かり、またその呼吸法が、私たちが生来持っていた気感を取り戻しさせるということが分かりました。

 幸いなことに私は、座禅(静功)を生まれて初めて行なって以来、最低1時間は行なっていました。 後で考えて見ると1時間の座禅時間が、とても大切であることが理解できました。

 都内の龍源寺で1回参禅したことがありますが、1回20分前後であったように記憶しております。 20分が休憩を挟んで2囘ありました。 隣市の普門庵に参禅した時には、休憩を挟んで30分の座禅が、2回ありました。 どこのお寺でも、坐禅の時間は1回当たり30分前後が、多いようです。

 ここでいう逆腹式呼吸を行いながら、1時間の座禅を行っていますと、体の中の経絡を流れる気を感じるようになります。 その気の流れも、はじめは硬く、時間の経過と共に、緩やかになってくるのが実感できます。 

 気の流れを一番感じやすいのは脳ですが、45分前後、経過すると、その流れも次第に緩やかになります。 流れが緩やかに滑らかになるにつれて、脳は日常的なストレスから解放され、崇高な至福感を感得するようになるのです。 それゆえ座禅時間は1時間ぐらいが、必要になります。

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いつも肩の力を抜きリラックスし自然体の癖をつける

2013-02-22 08:31:38 | 座禅

 座禅を行うときに肩の力を抜きリラックスし、上半身が頭のてっぺんから天から引っ張られているような感覚で維持します。 この上半身の姿勢は、立っていても同じです。

 床に座っていても、胡座を組んで座ったほうが楽に感じます。 ただし、普段座るときには、普通の胡座でよいのですが。

 椅子に座っている時も、背もたれに寄りかからないように座ります。 上半身の姿勢は変わりません。 できることなら浅く座ります。 私は事務所で来客があるときには、ソファーで胡座を組んで、応対したりします。 胡座の姿勢の方が楽なので。

 座禅を始める前から比べると、どんな時も肩の力が抜けていて、いわゆる自然体でいることが多くなったようにも感じます。 従って、ほとんど肩こりというものを、感じたことがありません。 

 勿論、寝るときも、座っている時の上半身の姿勢を、そのまま後ろに倒した形で、上を向いて寝ます。 枕は羽毛で、頭と上半身の関係は変わらなく寝ます。

 両足を開き、両腕も体から離して寝ます。 手足が体にくっついているだけで、熱くて眠れなくなります。 横になって寝るのも、熱くなりますので、そのような姿勢で寝ることは、ほとんどありません。

 上に向いて寝るのが、一番楽な姿勢です。 横になって寝たり、うつ伏せで寝ることは、体が休まりにくいのです。 私の親しくしている友人に話しても、横を向いてしか寝れないというのです。 そのくせ、肩が凝ったとか云うんですが。 

 かくいう私も、いつも横を向いて寝ていたのですが、15年ぐらい前、網膜剥離で入院した時に、砂枕を顔の両側に置かれて、顔が横に向かないように、強制的させられました。 またその時、目が見えない状態の中で、看護婦さんが優しく「上を向いて寝るのが一番内蔵にはやさしいのですよ」と云われて以来、私は上に向いて寝るのが、癖になったのでした。

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体の遺伝子の継続と生命体の継続とは相違がある

2013-02-21 07:17:56 | 座禅

 肉体の中での遺伝子の継続と、人の体の中にあるとされている生命体の継続とは、別のもののようです。 科学が発展して遺伝子の研究がされて、遺伝子を調べれば、発見された遺骨から、自分の祖先であるかどうかも分かるようになってきました。

 然しながら、目の中心部の奥にある視床下部辺りにあるとされている生命体は、肉体が滅びると、天のどこかに行ってしまうようです。 また、いずれの日にか新しい生命の誕生とともに、その肉体に宿ると云われています。

 無心・無欲で世のため人のために尽力していると、その生命体も見えるようです。 政木和三さんの本によれば、そのことに触れています。

 政木和三さんは、子供の頃、吃りで、お医者さんから長く吐く呼吸を行いなさいと云われ、ひたすら長息法(この場合は鼻で吸って口から吐く呼吸法)を行い、吃りは治ったものの、その後もその呼吸法を続けてようです。

 その結果、脳の開発率が高められ、大阪大学のあらゆる学科を履修して、大学に残りながらも、数多くの発明を行い、特許を取ると、その日に無料公開するということを行なって来ました。

 それほどまでに。無心・無欲であったためでしょうか、色々な人に生命体が見えたということを、その著書に残しています。

 ひとり静かに、長く吐く呼吸を行いながら、座禅をおこなっていますと、そのようなこともあるだろうと感じられるのです。 私自身は、まだまだ我欲が強く、無心・無欲には、なかなかなることはできませんが、ただひたすら座禅を行うのは、楽しいのです。 不思議な感じがいたします。

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ブログ上で名前を書き入れるようになった理由は

2013-02-20 09:10:34 | 座禅

 私のブログでは、長い間、何処に住んでいるかは勿論のこと、個人の名前を書き入れることはありませんでしたが、親しくしている友人が、天に還って行った後に、ネットでその友人の名前を入れて検索して見ました。

 すると友人の名前は、ある会合での出席名簿の中でしか、見つかりませんでした。 友人はイラスストレーターとして、本の装丁にも関わり、また地域の中にあっては、それなりに活動をしてきた方でした。

 とても寂しく感じたのです。

 それを機会に、本人の承諾を得た上で、ブログ上に本名を書き入れることにしました。 少なくとも、ネット上に名前は残ることになるのです。

 私の周りで出会った素敵な方たちを、私のブログ上で出来るだけ表現できればとの思いです。 既に何らかの形で、ネット上に掲載されている方は、記述しても構わないと考えて、支障のない範囲で表現しているつもりです。

 かくいう私も、名前はいずれの時に公表するつもりでいます。 私の周りには素敵な人がいっぱいいますので、そのうち少しずつ現れてくるものと思っています。

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静かに座っていても脳と心のエクササイズ

2013-02-19 09:42:46 | 座禅

 長く吐く呼吸を行ないながら、静かに1時間座るようになってから、早15年以上が過ぎています。 比較的早くに体の中を循環する気を感じるようになり、絶えず微細な神経が集中する脳が刺激を受けながら、毎日の生活を送っています。

 肩の力を抜き、全身をリラックッスしながら、長く吐く呼吸を行いながら、静かに座っていても、体の内部では動きを感じます。 表面的にはじっとして動かないのですが、体の内部では、神経に絡み合うように流れる経絡の中を流れる気の動きを感じます。

 人間の脳波は、普段はβ波だと云われていますが、長く吐く呼吸を行いながら座禅を行うと、α波になると云われています。 私自身の脳波を調べたことがありませんが、日常的にはα波であるような気がしています。

 α波になると、脳の状態がシーンと、水の中に潜った時に感じるような感覚になるようです。 体を動かしていると、その感じ方は弱まるのですが、静かに座っていると、その感覚はよくわかります。

 脳のエクササイズを、いつもしているような感覚になります。 情緒とか感情を感じる部分が、胸の中心にあるとされていますが、体を循環する気が、同じように胸の中心部の中丹田をも刺激しますので、クラッシック音楽を聴いていると、曲目によっては胸を痛く感じる時もあります。 ある意味では鋭敏になってきているようにも感じます。

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