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田老の医療支え退任
医師・黒田さん…被災後も診察続ける
最後の診察を終えた黒田医師(30日、宮古市田老の田老診療所で) 自ら被災しながらも、約4000人が暮らす宮古市田老地区の医療を一人で支えてきた黒田仁医師(43)が31日、退任した。
仮設診療所で30日に最後の診察を終えた黒田さんの元には、多くの患者たちが訪れ別れを惜しんだ。
同日、あいさつに訪れた同地区の仮設住宅に住む松本キワさん(84)は「患者のために尽くしてくれた立派な先生。
いなくなってしまうのはさみしい」と涙を流した。
黒田さんは2001年、田老病院(当時)に着任。
07年に勤務医が自分1人となり、病院が「国保田老診療所」と変わってからは、1日平均約60人の診察に加え、往診もこなしてきた。
休みは月1回。「私が倒れたらこの地域の医療は切れてしまう」と増員を市に何度も訴えたが受け入れられず、昨年2月に辞表を出した直後に震災が起きた。
診療所は津波で被災。高台にある宿泊施設の一室に臨時の診療所を設け、診察を続けた。
地域住民から激務を心配されたが、「医者として当たり前のことをやっただけ」と平然と話す。
昨年12月、同じ宿泊施設内に仮設診療所が完成し、医師も1人増えた。
4月からはこの医師が後任所長となる。今後、実家がある埼玉県内の病院に勤める黒田さん。「田老の患者さんのことはこれからも気になる」と語る一方、「宮古市には、もっと真剣に現場の声を聞いてほしかった」と苦言を呈した。
(2012年4月1日 読売新聞)
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残念だ
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宮古市との合併、町立田老病院から国保田老診療所へ、昨年3・11の東日本大震災、過酷な医療活動・・、今回退任に至った。
黒田先生は、「医者として当たり前のことをやってきただけという」。
田老の住民は、黒田医師の長年の診察・医療活動に感謝し、退任を悲しみ、別れを惜しむ。
行政・市当局は、地域医療の現状を認識して十分な対応をしているのか。
黒田先生の後任は1名確保されたが、困難さや勤務の厳しさは変わっていない。
先の不安はないのか。後味の悪い結末である。
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