杉内(ソ)3勝、中村(西)11号、チェン(中)2勝、ゴンザレス(巨)1勝、木田(ヤ)3勝
「給付金」不支給例も 2月以降死亡の特養入所者家族」
特別養護老人ホーム(特養)入所者が2月以降に死亡した場合、入所者に支給されるはずだった定額給付金を家族が受け取れない例が県内で出ている。入所者の多くが行政の指導で住所を施設に移しており、死亡と同時に給付金の受け皿となる世帯主が不在になってしまうためだ。居住市町村の給付時期や利用施設の種類で、給付金受け取りの可否が異なる不公平が生じている。
盛岡市在住のタクシー運転手の男性(62)は、市内の特養に入所していた母親(93)を3月20日に亡くした。
定額給付金は2月1日時点の世帯全員分が世帯主に給付されるため、もし母親が家族と同居で死亡していれば、世帯主が母親の分の給付金二万円をもらえるはずだった。
しかし母親は特養に入所する際、市の指導で住所を施設に移し「一人世帯主」になっていた。戸籍上別世帯である家族は、母親の給付金を受け取れない。
【詳しくは岩手日報本紙をご覧下さい】 (2009/05/04)
「行政が特養入所者に住所移転を指導するのは、入所が長期にわたり実質的に生活の本拠地となるため」と説明する。つまり、施設は「生活する場」なので、それまでの家族・世帯から離して施設に移動するのは当然である。措置制度のなごりが強く、行政が職権で指導し、施設側も本人の郵便物や情報が得られやすく好都合である利点があった。いわば、施設利用料を担保する交換条件ともいえるのではないか。
一方、病院への長期入院や老人保健施設への入所の場合は、同様の指導はほとんどない。「治療や訓練の場」なので、いずれは家庭へ戻る事を基本としているのだ。
今回、「定額給付金」の波紋で「住所地のあり様」が重要になった。
本人確認のためには正確な住所、居住地の確認が必要となり、もし、住所が違っているとこれを証明しなければならない。
特養施設へ入所し住所もそこにあれば、施設側で一括して申請できるメリットがある。いろいろ考えると「一人世帯」には、個別事案によって微妙にメリットとデメリットがあるような気がする。
つい数年前から、行政も施設側も「選択」を指導している。家族がいれば協力して「支える」ことが前提となる。もし、家族がいなければ「社会連帯で支え」なければならない。選択性は良い事である。
成年後見の仕事をしていると「家族」がいないとか、疎遠状態とか複雑な状況の場合が多い。「本人を守ることが使命」となるのである。
定額給付金が支給されるか、されないか?・・・大きな問題ではあるが、「住所地のあり様」は更に深刻な問題点を提起しているような気がする。
「戸籍」のあり様にも発展するかもしれないが、ホームレスの方やDV被害者への対応も表面化したように、国民1人1人へもれなく給付するという前代未聞のバラマキ施策の功罪である。
「給付金」不支給例も 2月以降死亡の特養入所者家族」
特別養護老人ホーム(特養)入所者が2月以降に死亡した場合、入所者に支給されるはずだった定額給付金を家族が受け取れない例が県内で出ている。入所者の多くが行政の指導で住所を施設に移しており、死亡と同時に給付金の受け皿となる世帯主が不在になってしまうためだ。居住市町村の給付時期や利用施設の種類で、給付金受け取りの可否が異なる不公平が生じている。
盛岡市在住のタクシー運転手の男性(62)は、市内の特養に入所していた母親(93)を3月20日に亡くした。
定額給付金は2月1日時点の世帯全員分が世帯主に給付されるため、もし母親が家族と同居で死亡していれば、世帯主が母親の分の給付金二万円をもらえるはずだった。
しかし母親は特養に入所する際、市の指導で住所を施設に移し「一人世帯主」になっていた。戸籍上別世帯である家族は、母親の給付金を受け取れない。
【詳しくは岩手日報本紙をご覧下さい】 (2009/05/04)
「行政が特養入所者に住所移転を指導するのは、入所が長期にわたり実質的に生活の本拠地となるため」と説明する。つまり、施設は「生活する場」なので、それまでの家族・世帯から離して施設に移動するのは当然である。措置制度のなごりが強く、行政が職権で指導し、施設側も本人の郵便物や情報が得られやすく好都合である利点があった。いわば、施設利用料を担保する交換条件ともいえるのではないか。
一方、病院への長期入院や老人保健施設への入所の場合は、同様の指導はほとんどない。「治療や訓練の場」なので、いずれは家庭へ戻る事を基本としているのだ。
今回、「定額給付金」の波紋で「住所地のあり様」が重要になった。
本人確認のためには正確な住所、居住地の確認が必要となり、もし、住所が違っているとこれを証明しなければならない。
特養施設へ入所し住所もそこにあれば、施設側で一括して申請できるメリットがある。いろいろ考えると「一人世帯」には、個別事案によって微妙にメリットとデメリットがあるような気がする。
つい数年前から、行政も施設側も「選択」を指導している。家族がいれば協力して「支える」ことが前提となる。もし、家族がいなければ「社会連帯で支え」なければならない。選択性は良い事である。
成年後見の仕事をしていると「家族」がいないとか、疎遠状態とか複雑な状況の場合が多い。「本人を守ることが使命」となるのである。
定額給付金が支給されるか、されないか?・・・大きな問題ではあるが、「住所地のあり様」は更に深刻な問題点を提起しているような気がする。
「戸籍」のあり様にも発展するかもしれないが、ホームレスの方やDV被害者への対応も表面化したように、国民1人1人へもれなく給付するという前代未聞のバラマキ施策の功罪である。