フェラーリのバーコードは?

 14日にその姿を現したフェラーリF2007(2006年の248F1から順当な名称に戻している)について、昨日「フェラーリレッドは勿論変わらないものの、マールボロのロゴが無くなったことから、慣れない目には随分と『まぬけ』に見えてしまうが」と書いたが、つい3ヶ月前までマールボロのロゴがあった場所が白いバーコード状になっているが、これは何故なのか。

 昨シーズンまでは、マールボロのロゴがあるべき場所が白く塗られるのはタバコの広告が出来ない国のサーキットにおいてであったのだが、2007年はタバコの広告が一切禁止となっているから、この場所にMarlboroの文字が躍ることはもうない。それなのに、エンジンカバーサイドとノーズ上という一等地がバーコードとなっているのである。

 ホンダ、トヨタ、ルノー、BMWといったメーカー系のチームは、言ってしまえば市販車の販売促進のためにF1に参戦している。エンジンサプライヤーとして参戦しているメルセデスも同じだ。F1での成功は高い技術力の証であり、取り分けヨーロッパにおいては販売実績にダイレクトに影響を与える(らしい)。

 その意味では、なかなか勝てないトヨタは逆効果も懸念されることから、2007年は言わば背水の陣の臨むことになるだろうし、かつて参戦したプジョー(エンジンのみ)は早々に見切りをつけた。

 だがしかし、フェラーリは違う。市販車のセールスのためにF1に参戦しているのではなく、F1に参戦するための資金を得るためにナンバーの付くクルマを作りそして販売しているのである。もちろん、F1で優勝し続けることで市販車が売れていくわけだが、それはつまりF1運営資金が潤沢になるという仕組みなのである。

 そんなフェラーリも2007年にはタバコマネーのみならずボーダフォンも失っているのだから、大口のスポンサーを欲しくないわけはない。だからこそ、これまでマールボロに貸し出していた「一等地」の所在を明らかにして、新たなスポンサーが現れるのを待っているのだろう。果たしてどんなスポンサーが付くのか。

スポンサーと言えば、結局2006年シーズンをメイン・スポンサーなしで走りきってしまたスーパーアグリも大口スポンサーが欲しいチームの一つである。SAは、いったいぜんたいどこからチームの運営資金が出ているのか不思議なチームであるが、2007年には冠スポンサーを見つけることが出来るのか。マーティン・ブランドルやクリスチャン・ダナーをシルバーストーンで走らせたのも、スポンサー探しのためのプロモーションだったのだろうか。


今日の1枚は、久しぶりの白黒。撮影はいつもの東京都下某所。
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2007年シーズン用F1マシン続々登場

 12日にトヨタがTF107を発表したのに続き14日にはフェラーリがF2007をお披露目。これから月末にかけて2007年シーズンを戦うニューマシンが続々と登場の予定。そう、長かったオフ・シーズンも終わりに近づいているのである。

 「フォーミュラ」の名の通り、F1マシンはそのシーズンに適用されるレギュレーションによって規定されるが、2007年シーズンにもっとも大きく変わるのはエンジンの回転数が19,000に制限されることだろう。

 エンジン本体が大きな変更を受けることはないと思われるが、2006年、トップチームでは20,000を超えるといわれる回転数で稼いでいたパワーの不足をトルクで補う必要があることから給排気系の一層の洗練化が進むのではないかと思われる。

 一方では回転数が制限されることにより信頼性は向上するだろうから、レース中のエンジントラブルは大幅に少なくなることが予想される。また、同じ理由から発熱量が減少することから冷却系はよりコンパクトになり、それはサイドポンツーンの小型化あるいは空力的デザインの自由度へと振り向けられるであろうから、2006年用マシンとの見た目の違いはサイドポンツーンの形状と周辺の空力デバイスに大きく現れることだろ。

 F1のメカニカルな部分についてそれほど大きな興味を持たない方にとっては、タバコ広告の禁止にともなうカラーリングの変更が大きな変化となるだろう。

 ディフェンディング・チャンピオンたるルノーは、マイルドセヴンのライトブルーをダークブルーにチェンジしたことからイメージが大きく変わっているらしい。フェラーリのフェラーリレッドは勿論変わらないものの、マールボロのロゴが無くなったことから、慣れない目には随分と「まぬけ」に見えてしまうが、速さを失ってはいないことだろ。

 これまでのテストを恒例の「カラス」ですごしてきた我らがホンダはグリーをまとうのではないかともっぱらの噂である。地球に優しいことをアピールしグリーンを選んだようであるが、スポンサーとの関係はどうなのか。グリーンをコーポレートカラーにしている企業と言えば、郷秋<Gauche>は真っ先に富士フイルムを思い出すけれど・・・。

 マシンとドライバーについての興味はフェラーリ、マクラーレン、ルノーの3チームに集中するが、その他のチームで気になるのはスーパーアグリとトロ・ロッソのシャーシに関する知的所有権問題である。いろいろな憶測が流れ、最終的な結論が出るまでは予断を許さない状況であるが、2チームが出走できないという最悪の事態だけは止めにして欲しいものである。

注:昨年までF1に関する記事のgoo的カテゴリは「車・バイク-->カーレース」としておりましたが、2007年から「スポーツ-->モーター・スポーツ」に変更いたしまします。


 今日の1枚は、冬の穏やかな陽の光に輝く奈良川の川面。奈良川はすみよしの森あかねの森との間を流れる、恩田の森唯一の水系です。と書くと、さも美しい川と誤解されますね。いや、美しかったから郷秋<Gauche>は撮ったんですけどね。
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~親から子、子から孫へ~ 歌いつごう日本の歌百選

 文化庁と社団法人日本PTA全国協議会の主催で実施した「親子で歌いつごう日本の歌百選」の選考結果が公表された。百選と言いながら101曲あるのがなんとも不思議だが・・・。
 詳細はこちら

 主催団体を考えれば、その結果はある程度予想はできるが、予想通りの童謡や小学生唱歌を中心としながらも、幾つか比較的最近の歌も含まれているなど、その結果はなかなか面白い。

 もう20年以上前のことになるが、山口百恵が歌った「いい日旅立ち」と「秋桜(コスモス)」がランクインしている。さらに20年前に坂本九が歌った「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」も選出されている。120年程の間の歌としてはいずれも極々最近の歌であるが、もっと最近の歌としては「涙そうそう」「世界に一つだけの花」が代表か。この2曲は合唱用に編曲され、中学校・高等学校の合唱コンクールでも盛んに歌われているようである。

 「翼をください」「四季の歌」「高校三年生」は団塊の世代の支持を得たのか。滝廉太郎の「花」と共に喜納昌吉の「花」が選ばれているのも同様か。中島みゆきの「時代」も同世代の支持を得たとものと思われるが、ランクインはちょっと驚き。

 ざっと見たところ、作詞者としては野口雨情(赤い靴他)、北原白秋(からたちの花他)、作曲家としては中山晋平(雨降りお月さん他)、山田耕筰(この道他)、中田喜直(夏の思い出他)の作品が多いようであるが、この当たりは順当と言えるだろう。

 面白いのは「日本の歌」としながらも「埴生の宿」「冬の星座」「旅愁」「むすんでひらいて」などの外国曲がいくつか選出されている。ところで、「むすんでひらいて」の作曲者をご存知だろうか。実はこの曲、フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーの作曲なのである。彼は実に多才であったようである。

 さて、昨年末に選定されたこの百曲、果たして10年後に同様の調査(募集)をしたとするとどのような結果になるのか、興味深いところである。


 今日の1枚は、残したい横浜の里山、恩田の森からなるせの森の冬の尾根道。
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春、到来

梅の花が咲き出すと、春が来たんだなぁと、つくづくと思います。


 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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「携帯」って何?

 今日も神奈川新聞の記事から。ただし1面ではなく23(社会)面。
 事件・事故の記事が中心の社会面であるが、郷秋<Gauche>の気になる記事が右上の方に3つ並んでいた。

1.【警官 女性に抱きつく】「その後、自分の携帯電話の番号とメールアドレスを渡し(後略)」
2.【少女を買春し覚せい剤打つ】「二人は携帯の出会い系サイトで知り合った(後略)」
3.【携帯サイトで大麻大量密売】「携帯電話向けのインターネットサイトを使い(後略)」

 どれもこれもろくでもない事件だが、いずれも「携帯電話」がそれぞれの事件の大きな要素となっているという共通点がある。でもだ、3つの記事を比較すると、1と3は「携帯電話」と標記しているが2の記事は「携帯」とだけ書かれ「電話」の二文字がないことに気づかれることだろう。

 「携帯」とは広辞苑によれば「たずさえて持つこと。身に着けて持つこと。」という意味である。それを2の記事にそのまま当てはめると「二人は身に着けて持つ出会い系サイトで知り合った(後略)」となるだろうか。しかしこれではまったく意味するところはわからない。

 1と3は「携帯電話」と書かれているが、これに広辞苑に書かれている意味をそのまま当てはめると「身に着けて持つ電話」となる。当たり前の話だが、誰もが知っているケータイのことである。

 「携帯」の語の後に、たとえば「ラジオ」と付けると「ラジオは、本来は持ち運びできるものではないが、特別に持ち運びできるように作られたラジオ」という意味になる。「携帯冷蔵庫」「携帯トイレ」もまったく同様。本来は携帯できる種類のものではないが、携帯できるように特別に設計・製造された「冷蔵庫」「トイレ」という意味である。

 しかし、ラジオのようにかつては真空管を使い100Vの電源がなければ作動しない、据え置き型が当たり前だったものも、トランジスタの登場以降は「携帯」できるタイプがあたり前になると、携帯できないものは「据え置き型ラジオ」などと呼ばれるようになり、単に「ラジオ」と言えば「携帯ラジオ」を指すようになるなど言葉の意味も変わってくる。

 では、携帯電話はどうか。かつて電話は携帯できる代物ではなかった。100Vの電源こそ必要とはしなかったが、コードが壁のローゼットにネジ止されていたから、コードの長さ以上に遠くに持っていくことはできなかった。移動できないのが常態。

 ところが、携帯電話の電源は電池、情報は電波を使ってやり取りするから、壁にもどこにもつながっていない。だからどこにでも自由に持ち運び、つまり「携帯」ができる。だから「携帯電話」だ。しかし、人口1億2700万人のこの国で、1億台の携帯電話が使われ、電話を携帯することが常識になっても「携帯電話」の「携帯」の二文字が取られることはなく、いつまでたっても「携帯電話」である。逆に携帯できない電話のことを指す「イエデン(家電)」などという摩訶不思議な言葉が登場するなど、ラジオの時とは随分と様相が違うのである。

 さて、神奈川新聞の記事の話に戻そう。2の記事の「携帯」が「携帯電話」を指していることは誰もが了解するだろうという前提で「電話」の二文字を省略し「携帯」とだけ書かれているのに対して、1と3は「携帯電話」と省略なしに書かれている。記者は、「携帯」とだけ書いたのでは「携帯ラジオ」や「携帯トイレ」と勘違いする読者がいないとも限らないと考えたのだろうか。「携帯ラジオの番号とメールアドレスを渡し」「携帯トイレ向けのインターネットサイトを使い」では、確かにチンプンカンプンである。

 こうして同一新聞の同一面に並んだ記事で使われている用語を比較すると「神奈川新聞には記事に用いる用語に統一された解釈は存在しないのか」と考えてしまう。ある記者は「携帯」と書けば当然「携帯電話」であると考え「携帯」とだけ書く。ある記者は「携帯電話」なのか「携帯トイレ」なのか、読者が混乱しないように「携帯電話」と書く。同じ新聞社で、これはまずいんじゃないのかな?

 ちなみに郷秋<Gauche>は、携帯電話のことを「ケータイ」と書くことが多い(はずである)。それは、これまでの電話(機)とは多くの相違点を持つ新しい情報機器なのだから、新しい名前を付けるのが良いと考えているからである。


 今日の1枚は、二週間前の恩田の森の梅の花の蕾(「の」が五つ!)。明日はどうなっていることでしょうか。
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坊主が読経は当たり前

 今日の話題は神奈川新聞一面の記事から。
 今日のトップ記事はNHK受信料の義務化と同時の20%値下げだが、目に付くのはキャビネ大のカラー写真の記事。横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山・総持寺本堂で実施された、近くの女子中学・高校の生徒約500人が参加した恒例の「耐寒参禅会」を紹介するものだ。郷秋<Gauche>の記憶によれば、毎年この時期には必ず一面で紹介されている行事である。

 その学校は総持寺近くの私立鶴見女子中学・高校。神奈川新聞には学校名しか書いてないが、実は鶴見女子中学・高校の設置者は学校法人総持学園なんだな。つまり総持寺が母体となって設置された学校だ。お寺さんが経営する学校、つまり仏教系ミッションスクールで、宗派が曹洞宗なんだから座禅を組むのは当たり前。キリスト教系の学校で礼拝やミサをするのと同じだ。

 同じ横浜のミッションスクール、こちらはキリスト教系だけれど「フェリス女学院中学校・高等学校で礼拝が行われました」という記事を神奈川新聞で見た記憶はない。フェリス女学院がキリスト教系ミッションスクールであることは誰もが知っていて、キリスト教系ミッションスクールなんだから礼拝が行われるのが当たり前だと、誰もが思っているからである。

 当たりまえの事を当たり前のように行っても新聞ネタにはならない。だから「今朝4時過ぎ、神奈川新聞青葉台地区販売店社員のGさんが朝刊を配達していました」というのは新聞ネタ、ニュースにはならない。同様にフェリスで礼拝があってもニュースにはならない。なのに鶴見女子中学・高校が総持寺本堂で「耐寒参禅会」をするとニュースになる。何故か、それは鶴見女子中学・高校が仏教系ミッションスクール、しかも総持寺が設置した学校であることを知っている人が少ないからである。

 もし鶴見女子中学・高校が、設置法人の名前を取って「総持寺女子中学・高校」であったとしたら、新聞ネタにはならなかっただろう。だから記者は「総持寺が経営する・・・」とは書かない。ニュースは、すべてを書くことでだけで成り立つのではなく、時に書かないことによっても成り立つこともある、と言うわけである。


 今日の1枚は、椿。横浜市指定の古木・銘木の藪椿(2本)の隣なりに生えている、多分「古木・銘木」の子供の花。
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夢は白黒か

 今朝、クルマの中で聞いていたJ-WAVEで、映画監督の塚本晋也氏が「夢は白黒なので・・・」と話していた。本当に白黒だろうか。

 郷秋<Gauche>は余り夢を見ない。目覚めた時に覚えていることが少ないと言うべきなのかも知れないが、まっ、見たとしても覚えていなければ見なかったのと同じだ。もちろんまったく見ないというわけではない。が、ストーリーは覚えていても、その夢が白黒(あるいはセピアなどのモノクローム)だったのかカラーだったのかは覚えていない。覚えていないのではなく、色についての認識はほとんどないというのが正直なところである。

 夢を「ストーリーのある映像(動画)」と考えれば、それは睡眠中に自分自身が作り出す映画やテレビドラマのようなものであるとも言える。現実の映画やテレビドラマ、静止画像である写真も特殊な効果を狙ったもの以外は、今はほとんどすべてカラーである。新聞、週刊誌や自治体や各種団体の「お知らせ」のように低廉な経費で印刷されるものには白黒の写真も使われてはいるが、それとて1面には大きなカラー写真が配されていることが多い。

 かつてはどうであったか。郷秋<Gauche>の家に初めてやってきたテレビジョン(テレビのことだ。これが正式名称だと思う。普及の初期には正式名称で呼ばれることも多かったと記憶している)はもちろん白黒であった。2台目も白黒で、カラーになったのは3台目であった。新聞にカラー写真が掲載されることはなかった。雑誌もカラーは巻頭の特集記事の、それも最初の数ページだけでそれ以外は同じグラビアでも白黒であった。

 映画がどうであったのか、記憶が定かではないが白黒のものとカラーのもの、両方があったように思う。「パートカラー」という、肝心な部分だけがカラーになっているものも存在していたことは後になって知った。家庭や写真館で撮影する写真は、もちろん白黒。カラー写真がなかったわけではないが、それは「ハレ」の日にだけに使われる特別なものであった。高価であったが、発色も悪く退色も早かった。

 つまり、かつて(昭和30年代以前と考えて欲しい)は目にする映像や写真のほとんどすべてが白黒であった(幕末~明治期には白黒の写真に絵の具で着色した彩色写真が作られていた)。動画、静止画を問わず、画像は白黒と言うのが常識であったはずである。

 だとすれば、睡眠中に自分自身が作り出した映画やテレビドラマたる「夢」もまた、当時の人々は白黒の映像として認識していたのではないだろか。だから「夢は白黒」。現在はどうだ。現実に目にする画像はすべてカラーである。だから「夢もカラー」。

 画像と言えばカラーが常識である時代以降に生まれた人の夢はカラー。画像が白黒であった時代を知っている人はカラーもあれば白黒も。場合によってはパートカラーもあり。白黒の画像しか知らない時代の人が見た夢は、白黒。郷秋<Gauche>の仮説である。

注:必ずしも厳密ではないが、ここでは「画像」には動画と静止画の両方を含み、動くものは映像あるいは動画、動かないものを静止画(像)あるいは写真と標記している(はずである)。


 今日の1枚は、晩秋以降に草むらを歩くとズボンにくっついてくる厄介者、小栴檀草(コセンダングサ)の実(種)。マクロレンズでぐっと寄って見ると、ズボンにくっつく、その仕組みが良くわかりますね。
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違和感、もしくはズレ

 郷秋<Gauche>はもう30年もCAR GRAPHIC(カーグラフィック、略称CG。二玄社刊)を愛読している。月刊誌だから12冊×30年=360冊。CGの他にcar MagazineとNAVIが20年分以上あるから・・・。まぁ、この話はいい。今日書きたかったのは郷秋<Gauche>の部屋に本が溢れかえっていることではない。

 そのCG、2007年2月号を今日ようやく手にした。本来は毎月1日発行のCGだが、所謂「年末進行」と言うヤツで、いつもより数日早く発行になる。12月28日頃の発行だったのだろうか。CGは定期購読しているが、郷秋<Gauche>は今どき珍しい「配達」でこのCGを(他の定期購読誌、注文した書籍も)受け取っている。もっとも自宅ではなくオフィスで、ということだが。

 昨年末はCG発行前に冬の休暇に入っていたために、昨年中には手に取ることができなかったCG、今年になって受け取っても積んだままになっていたCGをようやく手に取ることができた。1月がようやく1/3過ぎた今日でさえも「2月号」と言うのはなんだか違和感を感じるけれど、12月に2月号が出ちゃうってのはどんなものだろう。業界的にはいろいろ経緯も理由もあるんだろうけれど、どうも「ズレ」を感じるな。で、違和感もしくは「ズレ」を感じながらページをめくっていると、なに?

 「2006年が幕を閉じようとしている。」(p.88)って、オイオイ、それは12月号に乗せる台詞だろう。この「台詞」が書かれたのは12月の中旬だろう。当然年末に読まれることを念頭に書いている。でもだ、掲載されているのは2月号だぞ。変じゃないか?年末に12月号が出て、次の号が出るまでの1月丸まる一ヶ月間「12月号」が並んでいたのではまるで中古屋・・・、元へ、古書店じゃないんだから、これは確かに変だ。だから1月号だろ。

 じゃぁ、2月号が12月末に出ちゃうってのはどうだ?やっぱ、違和感、もしくはズレだよ。業界の常識かも知れないけれど、常識ある読者の感覚とは相当にズレている。「業界の常識=世間の非常識」だな。いや、記事はちゃんと読ませてもらいますよ。中身は雑誌と呼ぶのが憚られる程の「世界一等」の月刊クルマ誌ですから。


 今日の1枚は、こんなに大きくなった白木蓮(はくもくれん)の花芽。いかにも暖かそうな毛皮に包まれて開花の時を待ちます。
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開いていた大輪の菊の花

 どうも一度で上手く開かず心配していた大輪の菊の花が36,000km上空で12月26日に無事に開いていたことを今日の新聞で知ることができた。

 昨年12月18日に種子島宇宙センターからH2Aロケット11号機で打ち上げられた技術試験衛星「きく8号」が無事に初期の軌道に投入できたニュースは翌日の新聞で確認できたが、その後、12月25日から翌日にかけて行われた、折りたたんであったアンテナの展開作業で、超特大の送信用が上手くいかずに延期となったことも新聞で知ることができたが、果たしとその後の再挑戦が成功したや否やの報道が無く、郷秋<Gauche>は心配していたのであった。

 結局翌日の再挑戦で無事に送信用アンテナが展開でき、これでテニスコート1面分にもなるという超大型のアンテナが送受信用各1基、計2基開き、予定の静止軌道(東経約146度)へ約2週間かけて移動させ、その後に搭載された通信機器のチェックが開始される予定のようである。

 なぜ、静止軌道上にこれほど大きなアンテナをもった衛星を打ち上げたのかと言うと、より小さな電力での通信を可能にするためである。

 通信に用いる電波の周波数を仮に3GHzとすると(携帯電話の約2倍)その波長は10cm。1波長つまり10cmのアンテナで地上と通信を行うために1000Wの送信出力が必要だと仮定する。これに対してテニスコート1面ほどもあるアンテナを使えば、通信に必要な送信出力はおそらくは1/1000以下、つまり1W以下になるだろう。

 人工衛星搭載の機器が消費する電力(電気)は主に太陽電池から供給されるが、太陽電池の発電効率が極めて低いのはご存知の通り(宇宙空間での場合には地上の場合よりは相当効率が高いと思われるが)であり、いかに大きなパネルの太陽電池を用意しても通信機器に安定的に供給できる電力は限られる。つまり大出力の送信装置を利用するのが困難なのである。

 そこで考えたのが大きなアンテナ、つまり高利得のアンテナを使うことで送信出力を抑える、消費電力を抑えようという発想である。これは地上で用いる通信機器にもいえることで、だから衛星通信用の地上局は大きなパラボラアンテナを用いるのである。地上局が「固定」であれば電気も使いたいだけ使えるわけだからこれでいい。

 しかし、携帯電話のような可搬式・小型の通信機器を利用しようとした場合にはアンテナの大きさにも電力供給にも大きな制約を受けることになる。そこで考えられたのが今回「菊8号」に搭載した超大型のアンテナなのだろう。地上局用に大きなパラボラアンテナを用意するのではなく、宇宙局の送信出力を抑えかつ地上局のアンテナと送信出力を小さく・少なくするために、宇宙局、つまり人工衛星の方に大きなアンテナを搭載すると言う、逆転の発想である。素晴らしい!

 この超特大アンテナに助けられれば、地上で用いる通信機器はおそらくアンテナを含んで15年前の携帯電話程度の大きさのもので十分なのではないだろうか。いや、その程度の大きさの地上局用通信機器を想定し、今回のテニスコート大×2のアンテナが計画されたのだろう。

 かつて「イリジウム」という低軌道を回る多数の通信衛星を用いた携帯電話サービスがあったけれど「菊8号」はこれを静止軌道に打ち上げた1基の衛星でまかなう実験をするようである(サービスエリアは日本国内限定だろ)。低軌道を回る多数の衛星を運用するための経費が莫大だということで「イリジウム」は頓挫したはずだが、たとえ1基とは言え、静止軌道にでかい衛星を打ち上げそして運用する経費だって、結構なものだろ。

 そこで郷秋<Gauche>は、気球を使った通信システムを提案したい。日本の上空10,000~15,000m程(ジェット気流の影響も受けず航空機の邪魔にならないためにももっと高高度か?)のところに飛行船を飛ばすのだ。もちろん無人の飛行船だが、定点に留まっていられるように自動制御する。その気球に通信機器を搭載するのだ。これならば地上局の通信機器として今の携帯電話がそのまま使えるはずである。電源は燃料電池と太陽電池を併用し、定期的に地上に下して燃料の補給と機器のメンテナンスを行う。

 日本の上空に20個程の飛行船を飛ばせば全国をカバーできるのではないだろうか。人工衛星の場合、たった1基(良くても1基のバックアップ機)で運用するわけだから、故障でもしようものならアウトである。その点、郷秋<Gauche>方式「気球衛星」なら、付近の他の気球を少しずつ移動させて故障した飛行船のカバーエリアを他の飛行船が担当することも可能だ。その間に故障機を地上に降ろして修理すればいい。代替機だってすぐに上げることができるだろう。

 まっ、素人が考えるこの程度のことは既に誰かが考えているだろ。既存の技術ですぐにできそうであるにも係わらず実現していないところをみると、問題があるんだろうな。この程度のアイディアでは商売にはならないか・・・。

注:初出時に「気球」としたものを、定点に留めるためにはより制御しやすい飛行船型だろうと考え、そのようにあらためてみました。(1/9早朝)


 ちょっと寂しい冬枯れの写真が暫く続きましたので今日の1枚はこれ。乙女椿です。西洋のバラにも匹敵する「日本の銘花」と言われることもあるようですが、盛りを過ぎても木に付いたまま褐色に変わって行く姿か好きではないという方も少なくないようですね。
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二重・三重の安全対策を

 大韓航空のボーイング737-900が秋田空港の誘導路に降りてしまったようですね。
 新聞によれば、6日午後0:20頃、韓国・仁川発の大韓航空769便が、滑走路ではなく、平行して設けられている誘導路に誤って着陸した。誘導路に降りた以外、着陸自体には特に問題は無く機体の損傷も、もちろん乗員乗客に怪我などは無かったとのこと。

 ジェット旅客機が就航している空港の場合に、滑走路の長さは2000m~4000mまでいろいろですが(たいていは500m刻み)幅は45mか60mとなっています。2000mの場合の幅は45mです。2500m以上の長さの滑走路の場合には60mが標準になりますが函館、仙台、岡山、熊本、大分、鹿児島、那覇のようにジャンボ機(ボーイング747)就航の3000m滑走路でありながら幅45mという空港も少なくありません。

 で、秋田空港はと言えば2500m×60mと地方の空港としては長さ・幅ともに十分な規模で、問題の誘導路の幅は30mとなっており、全幅64.44mの747が45m幅の滑走路に降りられるのならば、全幅が747のほぼ半分、34.3mの737-900が30mの誘導路にだって、降りることはもちろん可能。問題は、着陸のための誘導装置が設備されていないと言うことでしょう。

 今回のトラブルは、風向きの影響で計器着陸装置が使えない西側から目視による着陸を試みたことが主たる原因のようです。つまり、本来の滑走路に着陸したとしても計器着陸装置用の誘導装置は使えなかったわけです。もっともこれまで西側から進入しても誘導路に降りてしまった飛行機はなかったわけですが。769便の機長は「着陸時は雨で視界が悪く、滑走路がはっきりわからなかった」と話しているそうです。

 「滑走路がはっきりわからなかった」と言うのは、滑走路が見えないのに降りたと言うことだと思いますが、それが十分な長さのある誘導路だったから良かったようなもので、考えてみるとゾッとしますね。もちろん誘導路上に直前に着陸した、あるいはこれから着陸しようかという飛行機がいたならば大惨事となっていたことでしょう。

 事故機のパイロットは幅30mの誘導路にでも降りることのできる技量をもっていたわけですが、そのパイロットでも本来の滑走路以外の場所に降りると言うミスを犯しているわけです。もちろん計器着陸のための装置があったとしても、故障しないとも限らない。優秀な操縦技術と判断力をもったパイロットが、確実に作動する誘導装置をもった空港に降りてこそ安全な着陸が保障されることになるわけですが、果たして自分の搭乗機のパイロットの技量がどの程度なのか、果たして着陸する空港の誘導装置がどの程度のものなのか、乗客には知るすべが無いのが問題と言えば問題ですね。

 少なくとも今回の事故で、秋田空港の場合には西側から降りる場合には計器による誘導は得られないと言うことがはっきりしたけれど、こういう空港って他にも沢山あるんだろうなぁ。


 今日の1枚は、福島県中通り地方の冬枯れの田園地帯の最終回です。一昨日のものと同じく天栄村で撮影のものです。

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 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 

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冬好日

 晴れ、曇り、雪、曇り。4日周期で冬の間繰り返される、これが郷秋<Gauche>の故郷、福島県中通り地方の冬の典型的な天気のパターンだ。晴れや曇りでも冷たい北西からの風に、どこから運ばれてくるのか雪が混じることもある。そんな中通り地方だが、今年の正月は実に穏やかな天気が続いた。もっとも今日は雪のようであったが。

 先に田んぼの真ん中に鎮座するお地蔵さんをご覧いただいたが、今日は同じように田んぼの真ん中にあるお社。こちらは鎮守の森といっても良いほどの樹木が小さなお社を取り囲んでいる。この一枚から雪解け間近の1枚のようにも見えるがさにあらず。これから本格的な寒さと雪の季節を迎える、その前の気まぐれな晴れ間である。

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国内線にファーストクラス!?

 国内線の旅客をANA(全日本空輸)に奪われ不振が続くJAL(日本航空)が、業績回復の切り札として収益率の高い「ファーストクラス」を導入するとの報道を新聞で読んだ。

 JALは既に通常の座席よりも幅の広いシートの「クラスJ」(通常運賃に1000円追加)を2004年から導入していたが、更にゆったりしたシートで高級料亭の弁当も楽しめるANAの「スーパーシート」(通常運賃に3000~5000円追加)に奪われた客を再び呼び戻すための切り札として、国際線のファーストクラスに相当する豪華なシートをサービスを登場させるというのだ(名称は未定の様子)。

 最も乗客の多い東京-札幌便でさえも1時間30分、次いで多い東京-福岡便で1時間45分(復路は1時間35分)、一般的には最も長距離となる東京-那覇便でさえも2時間30分(フライト時間3時間25分の札幌-那覇便もあるが、季節により直行便はわずかに1便程度と少ないのでここでは例外として考えたい)の国内線に「ファーストクラス」が果たして本当に必要なのか大いに疑問な郷秋<Gauche>である。

 郷秋<Gauche>も「クラスJ」の前身たるJASのレインボーシートを何度か利用したことがある。確かにリッチな気分でフライトを楽しむことができた。わずか1時間30分程度のことではあるけれど、更に快適なサービスが提供されるクラスがあれば利用したいと言う旅客がいることは確かだろ。

 JALの旅客離れが、サービスに対する不満、よりリッチ(快適)な旅を求める旅客のニーズに応えていないが為のものであるならば、これでよい。だがしかし、JALの旅客離れの主たる原因は度重なる運行トラブル、もっと言えば、あわや大惨事を引き起こしかねない「事故」によってもたらされたものである。

 ならばだ、旅客を取り戻すための唯一の方策はトラブルを無くすこと、つまり徹底した安全対策を行うこと以外には無いはずである。それなのに、旅客が離れ収益が落ちたから収益率の高い「ファーストクラス」を登場させるって、勘違いにも程があるんじゃないか、JAL。

 今日の1枚は、一昨日、昨日に続いて郷秋<Gauche>の郷里近くの冬の田園風景。先の2枚は須賀川市のもの、今日の写真は天栄村で撮影したのものです。
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11人兄弟

 実は、昨年末(先週のことだ)に伯母が亡くなり一度帰省している。その時の「精進落とし」(葬儀後の会食)の席で、伯父が11人兄弟であった話をし始めた。もちろんそのことは母から聞いて知ってはいた。祖母は11人の子供を生んだ。しかし若い内に3人が死に、成人したのは9人であった。9人のうち男が5人、女が4人で、先週はその長女の葬儀であった。その前になくなったのは四男で、伯父は男5人の兄弟であったが、自分より年長の4人は既に亡くなったこと、そして自分のすぐ上の、長女であった姉が今回亡くなったことをあらためて聞かされた。自分よりも年上の兄弟姉妹がすべて亡くなり、9人いたはずの兄弟が今では4人になり、自分がその中の最年長であることを静かに語っていた。次は自分の番であることを自分に言い聞かせていたのかも知れない。

 11人兄弟と聞けば今では多くの人が驚くが、当時はそれほど珍しいことではなかったようである。時は「富国強兵」「産めよ増やせよ」の時代であり、国からの褒章は12人以上の子供をもうけた夫婦に贈られたのだという。11人という子供の数は、少なくは無かったにしても決して珍しいほど多いというものではなかったというとなのだろ。

 いま、11人あるいは9人でもいいが、もしそれほどの子だくさんの家庭があったなら、テレビ局が取材に来るか、目ざとい会社がスポンサーにでも付きそうな、そんな子供の数である。だって、今では1人かせいぜい2人というのが一組の夫婦の子供の数なんだから。

 母の実家は洋服の仕立屋であったと聞いている。最盛期には数人の使用人も使っていたようで、多少は生活にゆとりがあったのかも知れないが、それにしても9人すべてが旧制の中学校、女学校を卒業し、男の内3人は大学(旧制の帝国大学)あるいは旧制の専門学校(今で言うと短期大学あるいは5年制の高等専門学校に相当)を卒業している。今でこそ大学・短大進学率が50%を超えているが、太平洋戦争前の旧制中学校進学率(男子)は10%程度であったと記憶しているから、平均を大きく上回る教育を、祖父母は子供たちに授けたことになる。

 現代の平均的収入を得ている家庭において(たとえば主たる家計支持者が公務員であることを想定すればいいだろう)子供2人を大学に進学させるのは相当大きな経済的負担を伴うことは身をもって体験していることであるが、60~70年前に9人の子供すべてに旧制中学校以上に進学させると言うのは並大抵のことではなかったであろうことは想像に難くない。

 だとすれば何故に可能であったのか。それは、想像ではあるが基本的な生活に経費がかからなかったからなのではないだろうか。今では一家に1台以上が当たり前のクルマ(自家用車だ)を買う必要も無い。当然ガソリン代も税金も保険代もかからない。パソコンも携帯電話も必要な。当然プロバイダーの料金も電話代も必要ない。冷蔵庫も洗濯機もテレビもDVDも要らない。当然電気代もかからない。当たり前の話だ。クルマこそなかったわけではないが一般家庭で買えるような代物ではなかったし、パソコンも携帯電話も冷蔵庫も洗濯機もテレビも無かったのだから(冷蔵庫は無くはなかった)。もちろん冷房はないし暖房だってせいぜい火鉢程度。

 食事だって基本的には米と味噌、野菜とわずかな魚程度で済んでいたはずである。和食オンリーだから中華鍋もパスタを茹でる鍋も必要ない。食器も所謂和食器だけで事足りる。電子レンジもオーブンも、ない。外食もしないし昼食には「日の丸弁当」持参だ。

 つまり、基本的な生活にかかる経費が現在とは大違いだったのだろう。支出と言えば人が生きていくために必要な根源的な部分だけであり、言ってみれば付加価値的な部分に対する支出がほとんど無かったのである。だからこそ9人もの子供を育てられた。ただし、同じ理由で、中等教育以上の教育を授けるための学費の支出(捻出)は現在以上に大変であったろうことも想像ができる。

 昔(といっても6、70年前)の暮らしは実にシンプルだったんだな。今言われる豊かさやゆとりのために経費と時間を費やすことはほとんど無かったのだろう。でもだ、当時書かれた小説を読み、当時を生きて来た人たちの話を聞くにつけ、なんと豊かな時を送ってきたのだろうかと感じるのはどうしてなのだろうか。今よりも時間はゆっくりと流れ、豊かな自然に囲まれ、おおらかな人間関係の中で人は生きて来たのだな。今と当時と、果たしてどちらが豊かな時代であるのか。


 今日の1枚は、昨日の写真、田んぼの真ん中にある木の下に鎮座していたお地蔵様。赤いちゃんちゃんこと帽子は新年のために新調してもらったばかりのようでした。
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冬枯れ

 確かに寒々しい風景ではありますが、郷秋<Gauche>は好きです。むせ返るような生命力を漲らせた夏の雑木林もいいけれど、すっかり葉を落とし空が見えるようになった雑木林の中は気持のよいものです。

 たった一本で森を成すほどのケヤキの大樹はいいものですが、冬場に見上げる、力強く天を突くその幹と枝との凛としたその姿は、夏のそれとは違ったケヤキの生命力を感じさせてくれます。

 冬の田んぼもそうです。田植えが終わったばかりの田は希望に溢れている。風になびく青田は清々しい。金色に輝く稔りの時もいい。でも刈り取りの終わった田んぼを、空を見上げながら、切り株を踏みつけながらただ歩くのもまたいいものです。

 今日は実家の近く、福島県の中通り地方の西寄り、会津地方との間に横たわる山が間近に迫る辺りを歩いてみました。

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寒いっす

 今日、実家に帰ってきました。東京からわずか200Km北に来ただけなのに、異常な寒さに参っています。駅で新幹線を降りた時には思いの外暖かいなと思ったのでしたが、夜が更けるにしたがってその寒さが深々と・・・。

 こんなに寒いならばいっそのこと雪でも降っていればよいのですが、ただただ寒いと言う状況です。まっ、雪がないということは、明日撮影にいけるかな?って感じですね。昨年の夏に帰省した折りに、田んぼの写真を撮っていますが、今度はうっすらと雪を被った山をバックにした冬枯れの田んぼを撮れるかも知れません。

 ところで、帰省した折りにはこれまでPHS経由でInternetに接続していたんだけど、さっき、試しにワイヤレスネットワーク(無線LAN)のチェックをしたところ二つの電波を検出できて、その内の一つに無事?接続することができました。これで帰省中も完全にワイヤレスのネットワーク環境が整ったというわけです。って、こういう接続方法って違法?


 今日の一枚は、年末に撮ったなるせの森から見た、みなとみらいの「ランドマークタワー」。近そうに見えるのは300mmの望遠レンズのせいで、実際には直線距離で20Kmといったところでしょうか。
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