坊主が読経は当たり前

 今日の話題は神奈川新聞一面の記事から。
 今日のトップ記事はNHK受信料の義務化と同時の20%値下げだが、目に付くのはキャビネ大のカラー写真の記事。横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山・総持寺本堂で実施された、近くの女子中学・高校の生徒約500人が参加した恒例の「耐寒参禅会」を紹介するものだ。郷秋<Gauche>の記憶によれば、毎年この時期には必ず一面で紹介されている行事である。

 その学校は総持寺近くの私立鶴見女子中学・高校。神奈川新聞には学校名しか書いてないが、実は鶴見女子中学・高校の設置者は学校法人総持学園なんだな。つまり総持寺が母体となって設置された学校だ。お寺さんが経営する学校、つまり仏教系ミッションスクールで、宗派が曹洞宗なんだから座禅を組むのは当たり前。キリスト教系の学校で礼拝やミサをするのと同じだ。

 同じ横浜のミッションスクール、こちらはキリスト教系だけれど「フェリス女学院中学校・高等学校で礼拝が行われました」という記事を神奈川新聞で見た記憶はない。フェリス女学院がキリスト教系ミッションスクールであることは誰もが知っていて、キリスト教系ミッションスクールなんだから礼拝が行われるのが当たり前だと、誰もが思っているからである。

 当たりまえの事を当たり前のように行っても新聞ネタにはならない。だから「今朝4時過ぎ、神奈川新聞青葉台地区販売店社員のGさんが朝刊を配達していました」というのは新聞ネタ、ニュースにはならない。同様にフェリスで礼拝があってもニュースにはならない。なのに鶴見女子中学・高校が総持寺本堂で「耐寒参禅会」をするとニュースになる。何故か、それは鶴見女子中学・高校が仏教系ミッションスクール、しかも総持寺が設置した学校であることを知っている人が少ないからである。

 もし鶴見女子中学・高校が、設置法人の名前を取って「総持寺女子中学・高校」であったとしたら、新聞ネタにはならなかっただろう。だから記者は「総持寺が経営する・・・」とは書かない。ニュースは、すべてを書くことでだけで成り立つのではなく、時に書かないことによっても成り立つこともある、と言うわけである。


 今日の1枚は、椿。横浜市指定の古木・銘木の藪椿(2本)の隣なりに生えている、多分「古木・銘木」の子供の花。
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