福島の酒が売れている、らしい

東日本大震災、それに続く原発事故とその風評被害によって売り上げが大きく落ち込んだ福島の酒だが、4月に入ってから首都圏を中心に遠くは関西方面他全国から注文が入り、各蔵元は「4月の売上は昨年を上回る勢い」と話していることが報じられていた。 

 

郷秋<Gauche>は46日掲載した「花見をしよう、酒を飲もう」と題する小文にこんなことを書いた(全文はClick here)。

 

「今月中には東北新幹線も運転を再開できそうだと云う。5月の連休には東北地方の温泉に行こう。そして美味い料理を食べ旨い酒を飲もう。東北にカネを落として来よう。客が来てこそ雇用が確保されるのだ。多くの観光地に足を運び遊ぶことだって立派な復興支援だと、くどいようだが、郷秋<Gauche>は思うぞ。」

 

郷秋<Gauche>も何度か行ったことのある町田の居酒屋では東北地方の地酒の「持ち込みキープ」を始めたらしい。キープ料は100cc当たり100円とのことだから一升瓶なら1800円、四合瓶なら720円と云うことか。一升2000円の酒をキープすると一合380円となり、普通に飲むよりも5割割安になる勘定だな。郷秋<Gauche>一人が思うだけではなく、多くの人が経済が回ってこその復興だと云う事を感じ実践してくれていると云う事なのだろう。

 

地震・津波被害の大きかった地方ではこれから復興に向けて大きく動きだす。もちろん海水を被ってしまった田畑では土地改良が必要だろうし、流失してしまった自宅、商店や工場を再建するためには時間も資金も必要だが、たとえ時間がかかったとしても前に進むことが出来る。

 

ところが原発被害を被っている福島県は違う。土地があるのに耕作できない。工場があるのに操業できない。店があるのに商売ができない。家があるのに住めない。避難を余儀なくされている30km圏以外であっても風評被害により多くの農産物や水産物が出荷できない、あるいは出荷しても安値しかつかない状態が続いている。原発事故は過去の出来事ではなく、今まさに起こりつつある現在進行形の事故なのである。

 

福島県からの避難者に対する云われのない差別は人権侵害以外の何ものでもないが、福島県産品に対する偏見も同様。そんな中で福島の酒を飲もう、福島県産品を食らおうと云う動きは嬉しい。この動きが一過性のものではなく長く続くことを願わずにはいられない郷秋<Gauche>である。

 

福島に行こう。温泉につかり美味い料理を食べ、旨い酒を飲もう。 

 

 

 今日の一枚は、100を超す蔵元があると云う福島県の酒の中からたまたま買い置きがあった、二本松は奥の松酒造の「あだたら吟醸 奥の松」。

 

特に関西以西での知名度が低く(どこにあるのかわからない方も少なくなかったらしい)、全国的にもその認知度は47都道府県中35番程度であった福島県だが、図らずもその知名度を大きく上げた。「福島」だけではなく「FUKUSHIMA」はいまや世界的にも有名になり、スリーマイルアイランドやチェルノブイリ級の地名になったようである。

 

県としては岩手県に次ぐ面積を誇る福島県は、その地勢から県の東側、海沿いの「浜通り」、東北新幹線や東北自動車度道が通る県中央部の「中通り」、そして県西部で新潟県などと県境を接する会津地方の三つに分けられる。三つの地域はそれぞれ山脈・山地で隔てられており、気候も言葉も違い、所謂県県民性も三地方で少しずつ異なる。

 

 交通で云えば、浜通りの人たちは首都圏から常磐線(在来線)を使って行き来するのに対して、中通りの人たちは東北新幹線を使う。会津の人々は東北新幹線で郡山まで来て、そこで磐越西線に乗り換えて会津に向かう。中通りの人間からすると会津の人たちが比較的身近なのに対して、浜通りの人に対して余り親近感を持たないのは、このような交通事情も大きく影響していると云える。

 

 話が横道に逸れたが、福島にある100を超える蔵元の多くは会津若松や喜多方と云った会津地方に集中しており次いで中通りに多く、浜通りには余り多くない。とは云っても、中通にある蔵元だけでも、あるいはどこかの県全部よりも沢山の蔵元があるかも知れない。

 

 奥の松酒造のある二本松は、「あれが阿多多羅山(あたたらやま)、あの光るのが阿武隈川。」(樹下の二人)、「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。(中略)智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。」(あどけない話、いずれも「千恵子抄」より)で有名な高村光太郎の妻、千恵子の故郷である。そして千恵子の実家もまた造り酒屋であった(のちに破産。千恵子が精神を病む原因の一つにもなったと云われる)。

注:「阿多多羅山」は、今は「安達太良山」と書かれるのが普通。利根川が坂東太郎の異名と持つのと同じような意味合いでの「安達太郎」である。

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大甘菜

東京都下某所で大好きな大甘菜(オオアマナ)の花が咲いているのを見つけた。もうそんな季節なんだと思ったが、そうか、花韮が咲いて二輪草が咲くと次が大甘菜だったことを思い出した。でも、我が家の大甘菜は葉っぱだけだったと思い、いま懐中電灯をもって確かめてきたら、どうも蕾らしきものを付けた茎が出始めていた。ここしばらくの暖かさに誘われ間もなく我が家でも開花か。

 

山法師の木の下に花韮、二輪草そして大甘菜を植えてそれぞれ何年になるだろうか。いずれも年々その株を増やしているように思える。特に二輪草は随分増えてきているし、大甘菜も植えたのは2株だったはずかけれど、いつの間にか45株に増えている。今年も根を痛めないように、葉が出ているうちに腐葉土を沢山入れてあげることにしよう。

 

 

 地中海沿岸原産で日本には明治末期に入ってきたようである。もちろん観賞用であった訳だが、いまでは庭を逃げ出し道端などに自生しているものも良く見かける。郷秋<Gauche>の庭の山法師の木の下のものも、もとはと云えばすみよしの森道端で咲いていたものを二株ほど堀り起こして来て移植したもの。

 

ネット上で検索すると「ユリ科 オーニソガラム属 学名:Ornithogalum」と出てくる。別名「ベツレヘムの星」。ベツレヘムの星とはイエス・キリストが生まれたときに空に輝いたと云われる流れ星。その流れ星を目印に三人の博士がベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶で眠るイエスを探し当てたと云われている。クリスマスツリーの頂上に輝いているのがこの星、「ベツレヘムの星」なのである。

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MRJを飛ばして元気になろう、日本

 地震・原発事故関連のニュースが多く、それ以外のニュースの扱いが小さくなっているためについつい見逃してしまっていたが、郷秋<Gauche>的にはかなり重要なニュースのいくつかをここ数日で発見・発掘した。

 

 これまでもたびたび書いているMRJが来年、2012年の初飛行をめざして45日に機体の組み立てを開始したとのこと。起工式とか鍬入れ式と云うのは聞いたことがあるが、今回は「鋲(びょう)打ち式」を行ったと書かれていた。操縦室の天井部分にある乗員用非常脱出扉周囲の井桁構造の鋲打ちからスタートしたようだが、個々の部品の製作は実は昨秋からスタートしていたようで、意外と早くヒコーキの形が現れるのかも知れないな。

 

 時を同じくして、ヨーロッパでの販売を強化するためにオランダのアムステルダムに現地法人を設立し、51日から営業活動を開始することも発表された。ご存じYS-11は十分な数の販売が出来ずに赤字となり当初の予定よりも早く製造を終了し事業会社も解散してしまった。その轍を踏まないためにも営業に力を入れようと云う事だろう。

 

 そりゃそうだ。現在MRJANAから25機(確定15機、オプション10機)、アメリカ合衆国のエアライン、トランス・ステーツ・ホールディングスから100機(確定50機、オプション50機)を受注してはいるものの採算ラインにはほど遠く、アメリカ合衆国に次ぐ大きなマーケットであるヨーロッパではまったく契約に至っていないのである。

 

 しかしだ、リージョナルジェットがまったく新しいマーケットならいざ知らず、既にエンブラエル(ブラジル)とボンバルディア(カナダ)が市場を二分し、更にはロシアと中国のメーカーが参入しようと云う、航空機の中でも最も競争の激しいマーケットに参入しようと云うMRJである。そう容易く商談がまとまるとは思えないが、是非とも採算ラインに乗せるために、そして震災によって大きなダメージを負った日本が再び大きく羽ばたく、その象徴ともなるように、MRJには日本の空をそして世界の空を是非とも飛びまわって欲しいものである。

 

 

今日の一枚は、まさしく羽ばたく、飛び立とうとする小鷺。

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ファームウェアをバージョンアップしましょう

 昨日トライしたけれど、どうしても解凍できなかったD7000用のファームウェア、F-D7000-V102W.exeファイルだが、仕方がないので郷秋<Gauche>のオフィスにあるWindows XPのマシンでダウンロードしてダブルクリックしてみたら、何事も無かったかのように自己解凍できた。Windows 7との相性が悪いのか、あるいはセキュリティ関係の設定の問題なのかはわからず。取りあえず解凍したファイルをUSBメモリに入れて自宅に持ち帰りD7000に導入した。

 

今回のファームウェアは一週間程前にNikon Rumorsで、NRの読者がサービスに出したD7000のファームウェアが新しくなって戻ってきたことから、近く最新のファームウェアに関するアナウンスがあるのではないかと噂されていたものである。AB、二つあるファームウェアがいずれも1.01から1.02になり、これを導入すると7つの項目が改善されるらしいが、特に新しい機能が追加されたりより高性能になるのではなく、発売時にあった「バグ」の修正である。

 

 郷秋<Gauche>の使用状況の中で関係しそうなものに、GP-1GPSユニット)を装着した時に方位が「0.00"」と表示されるものを「---.--」と表示されるように修正したと云うものがあるが、これなどは明らかなバグである。つまり、GP-1は緯度・経度、標高を計測して表示・記録するが、方位を計測する機能は持っていない。なのに「0.00"」と表示されれば、(レンズが)真北を向いていると勘違いする人がいるかも知れない。データがないのだから「---.--」が正しいわけだが、計測できない方位が項目として表示されること自体がそもそもの間違いである。考えようによっては、方位も計測できるGP-2の登場が近いと云う事なのかも知れないが。

 

いずれにしてもD7000をお使いの方は忘れないうちに新しいファームウェアを導入しましょうね。

 

 

新しいファームウェアをコピーしたSDカードを挿入して「ファームウェアバージョン」のボタンを押すとこんな画面が表示される。バージョンアップàOKを押すと新しいファームウェアの導入が始まるが終了まで3分ほどかかるので、慌てず騒がずじっと待つこと。間違っても電源をOFFったりしてはいけない。

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AF-S Nikkor 50mm f/1.8G 登場

一週間前に「AF-S Nikkor 50mm f/1.8G登場の謎」と題する小文を書いたが(see here)、その50mm f/1.8G6月に発売されることが今日、発表された(驚くべきことに、”Expected shipping date is June 16th, 2011.”と具体的な発売日を記したWebsiteもある)。

 

先の小文で、郷秋<Gauche>はその価格を「25,000円くらい」と予想したが、発表によれば税込希望小売価格が28,350円とのことなので、実際の売り出し価格は22,000円程度になるものと思われる。しかしだDX35mm f/1.8よりも安いと云うのは驚きだが、低コストで小さく軽く明るい、もっとも作りやすいと云われる50mmの為せる技と云って良いのだろうな。

 

しかしやっぱり不思議なのは、ニコンはこのレンズを云った誰に使ってもらおうと考えているのかと云う事である。

 

こちらのページには「超音波モーター(SWMSilent Wave Motor)を搭載しているため、(中略)ボディー内モーターを備えていないデジタル一眼レフカメラ「D5100」や「D3100」などのDXフォーマットのエントリーモデルでもAF撮影が可能です。」と書かれているが、DXフォーマットのSLRで使うと75mm相当のレンズ、先の記事の繰り返しになるが「帯に短し襷に長し」でまったく使いにくいレンズだと郷秋<Gauche>は思うぞ。

 

確かに、そのボケ具合や被写体(モデル)との程よい距離感から、85mmがポートレート撮影に向いたレンズだと云われ75mmはそれに極近いが、ニコンが云うところのDXフォーマット、つまりAPS-CサイズのイメージセンサーのSLRでは十分な「ボケ」が得られないような気がするし、バストアップショットなどでは必要なワーキングディスタンスが取れないんじゃないかと心配になる。郷秋<Gauche>はそう云う写真は撮らないからいいけれど。

 

まさか、キヤノンがEOS Kiss X50に「こだわりスナップキット」と称して、18-55mmのズームに更に50mm F1.8をセットしたキットを出したのに対抗した訳ではあるまい。いったいぜんたい、どんな人にどんなカメラで使って欲しいのか、ホント、謎のレンズである。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、日に日に緑濃くなるなるせの森の番匠谷戸。記事とは関係がないと書いたけれど、奇しくも焦点距離50mmAPS-Cセンサー搭載のD300に装着しライカ版換算75mm相当(と云ってもいつもの18-200 VR(II))で撮った一枚である。

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解凍できません

いえ、冷凍食品を解凍しようとしているわけではないんです。D7000用のファームウェアをPCにダウンロードしたんですが、このexeファイルをダブルクリックすると自己解凍するはずなんだけどしないんです。どうしてだろう。PCを立ち上げなおしても駄目だし・・・。明日もう一度やってみよっと。

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郷秋<Gauche>、鳥を撮る(その二)

「鳥撮り」の撮影のスタイルは、歩き回って被写体を探す風景や草花の写真とは随分と違う。つまり、被写体となる鳥が来そうな場所に陣取ることが良い鳥の写真のためには第一の条件となるようなのである。三脚に100万円クラスの超望遠レンズを装着したカメラを据え(価格からも云っても大きさから云っても「カメラ本体を装着した超望遠レンズを据え」の方がより正確な表現かも知れない)ピントも所謂「置きピン」で、狙った場所に鳥が来るのを待つのである。

 

そう云ったスタイルの「鳥撮り軍団」に何度か遭遇したことがある。たいていは馴染の連中が良い場所を抑え、新顔や飛び入りは端の方にようやく三脚を立てる場所を見つけるのである。よい場所にカメラ、元へ、カメラを着けたレンズを据えて大御所は赤外線リモコンの子機をもってやや離れた場所に置いた椅子にふんずり返って、仲間とおしゃべりしながら鳥が来るのをひたすら待つのである。何かに似ていると思って思い当たったのが「釣り」である。結果として来るか来ないかわからない魚を、来そうだと思う場所に釣り糸を下げて日がな一日待つ釣りと同じである。

 

まつ、こんな撮り方をするのは必ずしも一般的ではないかも知れないけれど、少なくともこう云った「鳥撮り軍団」に、郷秋<Gauche>が数度と云わず遭遇したのは事実である。

 

 

今日の一枚は、昨日に続いて恩田の森唯一の水系、奈良川で撮った、郷秋<Gauche>にしては珍しい、鳥(小鷺)の写真である。ちなみに郷秋<Gauche>は毎週の恩田の森での撮影には三脚は持っていかない。一脚は常に持参しているが、めったに使わない。これも手持ちであるが、15分程粘った末の一枚である。

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恩田の森、更新

 昨日、恩田の森で撮影いたしました写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田の森Now 

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郷秋<Gauche>、鳥を撮る

写真にはいろいろなジャンルがあり、それぞれのジャンル毎に専門家がいる。ジェット戦闘機の後部座性に搭乗して他の戦闘機などの航空機を撮るジャンルなどはもっとも特殊なものの一つだろう。水中撮影も特殊なジャンルの一つだが、そのジャンルの専門家は、先の戦闘機の搭乗写真家よりは多いようである。スペースシャトルなどの人工衛星からの撮影は更に限られた人のみが可能な特殊なジャンルだが、あれは搭乗員が「ついで」に撮っているのであり、写真家が写真撮影の為にスペースシャトルに搭乗したと云う話は聞いたことがない。

 

アマチュア写真家の間でも人気の高いジャンルに「鳥撮り」がある。文字通り鳥を専門に撮る人たちだが、これはアマチュアの中でも特に「カネ」のかかるジャンルである。何故ならば、400mm f/2.8とか600mm f/4と云った100万円超クラスの超望遠レンズが必要だからである。このレンズにつけるボディは高速連射が可能なD3が欲しいところだが、高速連射性能も悪くなく、更に400mmレンズを装着すると600mm相当の画角になることからD300(S)を愛用者する方も少なくないようである。

 

こんな具合に、鳥を専門に撮ろうとすると、機材に相当の投資をしないと難しいし、決まったポイントでカメラを三脚に据えて延々と被写体になる鳥が来るのを待つことになるのだが、大型の鳥の場合には、一般的な高倍率ズームレンズでも「ついで」にちょっととることが可能な場合もある。今日ご覧いただくのがその一例。ただし、露出補正マイナス1/3では足らなかったようで純白の羽が白トビしてしまっている。このカットの場合だと思い切ってマイナス1程の補正が必要だったようである。反省。

 

 

 と云う訳で今日の一枚は、恩田の森唯一の水系、奈良川で獲物を探す、小鷺。

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梨の花咲く頃

 梨は日本全国ほぼどこでも栽培が可能な果樹のようである。鳥取が梨の一大産であると、小学校で習う。鳥取で採れるその梨は「二十世紀」だと習った記憶があるが、二十世紀梨の故郷は千葉県習志野市なのだと何かで読んだことがある。

 

郷秋<Gauche>の故郷、福島県も梨の一大産地で、県内ほぼ全域で栽培されているようだが、取り分け福島市郊外には果樹農家が多い。東京でも多摩川梨と云って多摩川流域の各所で栽培され、特にお稲城市では熱心にPRもしているが、実は横浜でも栽培農家が多く「浜ナシ」のブランドで出荷されている。

 

恩田の森周辺にも梨栽培農家が多い。固定ファンがいるようだが昨年は夏の高温がたたったのが、十分な量の確保が出来ずに販売を取りやめた農家が多く、ファンをがっかりさせてようだが今年は如何に。

 

 

 今日の一枚は、すみよしの森南麓にある梨園で満開の時期を迎えた梨。棚の下に並んでいる三つの木箱は蜜蜂の巣箱。蜜を取るのではなく、受粉の為に借りてきている「レンタル蜜箱」のようである。

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一眼レフの命は操作性と信頼性

Nikon Rumorsに、DxO MarkによるD5100のイメージセンサーのテスト結果が紹介されていた。これによるとD5100は、価格が50%も高いD7000とまったく遜色がなく、主たるライバルであるキヤノンEOS Kiss X5との比較では2クラス上かと思われる程の結果となっている。

 

この結果(だけ)から云えば、ボディ価格が1万円高いX5もまったく相手にならず、4万円高のD7000と比較し同程度の画質なら、小型軽量かつ可動式モニタのD5100が当然「買い」となるのだが、ちょっと待って欲しい。特にD5100にしようかD7000にしようか悩んでしますと云う、ちょっと予算に余裕のある方には今日の記事をぜひ最後まで読んで欲しいのである。

 

SLR(一眼レフ)の命は、操作性と信頼性にあると云う事を、郷秋<Gauche>はまず云いたい。物には大き過ぎず小さ過ぎない適切な大きさと重さが必要である。持ち運びだけを考えれば小さく軽い方が良いに決まっているが、小さ過ぎては操作しにくくなる。軽ければ良いかと云えば、あまりに軽すぎるカメラは手振れを誘発する。

 

F2.8クラスの、明るいけれど大きく重たいレンズとの組み合わせの時には、ある程度以上の重さのボディでなければ重量バランスが取れない。重量バランスが取れていれば重くとも快適に振り回し撮影することが可能となり手振れも少なくなる。単純に重さの問題ではなく、要はシステム全体としてのバランスの問題なのである。

 

もう一つ重要な問題が操作性である。例えばISO感度、ホワイトバランスあるいは露出補正がワンアクション、つまりボタンを一つ押しただけで操作できるかどうかが問題になって来る。そのためには勢いボタンの数が増えてくる。それも適正な位置に配置しなければならないから場所の取り合いにもなる訳だが、ボディが絶対的に大きければ、ボタンを配置する自由度も増してくる。つまり操作性の良いボディとすることが可能になる。

 

信頼性は、必ずしもボディの大きさと比例はしないが、十分な防塵防滴性能が与えられていることがまずポイントとなる。シャッターレリーズの耐久性は外見からはわからないが15万回以上を保障しようとなればそれなりのコストが必要になる。

 

 D7000と同じものを使っているのだから、イメージセンサーのテストでD5100D7000と同等なのは当たりまえなのだが、ならば4万円の価格差は何のためかと云えば、快適な操作性、耐久性を保障するためなのである。

 

アマチュアカメラマンが南極や北極、チョモランマの頂上やサハラ砂漠の真ん中、アマゾンの奥深くで撮影することはまずないだろうが、撮影中に雨が降ってくることはあるだろうし、一瞬のチャンスを逃さないために素早い操作が必要なことだって、勿論ある。

 

 そのために+4万円を支出できる方は、騙されたと思って是非ともD7000を買うべきである。そうじゃない方は、D5100だって十分以上なのだから良い写真の制作に励めば良い。ちょっと考え方を変えれば、D7000との差額分でマクロレンズを購入すると選択肢も見えてくる。カメラ選びは、迷うのが楽しいのである。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、先週日曜日に雑木林で空を見上げた図。たぶん今日あたりは、もう空が見えない程に若葉が生い茂っていることだろう。

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幸せの黄色いバス、大船渡市へ

311以来、郷秋<Gauche>は随分多くの時間をかけて震災関係の新聞とWebのニュースを読んでいる。読まずにはいられないのである。犠牲者の数が行方不明者の数を上回ったのは数日前の事だった。捜索が進むと共に被害の全貌が少しずつ明らかになっていく。つらく悲しいニュースも多いけれど、時間が経つにつれて、悲しいけれど心温まる記事、つらい中にも一筋の希望を見出す記事が増えてきているような気がして嬉しい。

 

今日はWebで「はとバスが大船渡市に大型バス寄贈」と云う記事を読んだ。昨年、「はとバス」が大船渡市の協力を得て「夏の三陸・大船渡ツアー」を実施したことが縁となり、はとバスのトレードマークである黄色い車体の大型バスを寄贈したもの。同市は寄贈された55人乗りのバスをスクールバスとして利用すると云う。

 

 寄贈に際してはとバスは、大船渡市出身の同社のガイド、谷地あいさん(26歳)と佐藤真唯さん(19歳)を派遣。市内の避難所でZARDの「負けないで」などを披露し、寄せ書きを紀室輝雄副市長に手渡したと云う。

 

 いろんな人が、いろんな企業・組織が、それぞれの仕方で被災地を支援しているニュースを読むたびに、日本も捨てたものではないなと思い、きっと311以前よりも素晴らしい地域に、素晴らしいい国になるだろ、ならねばならぬとのと思いを強くする郷秋<Gauche>である。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、散漫で捉えどころがない不出来であるが、いま時らしい春の色をご覧頂きたくて恥を忍んで掲載する。

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AF-S Nikkor 50mm f/1.8G 登場の謎

 正式発表後にオープンになるはずのであったAF-S 50mm f/1.8GWebPageNikon USAからリークしたのは(あるいは意図的な、一種のティーザー広告なのかも知れないが)10日程前の事であったかと思うが、dpreviewでは既成の事実でもあるかのように、堂々とその全容が紹介されている(see here)。

 

 広角から準望遠にf/1.4と云う明るい単焦点レンズを展開中のニコンだから、50mmでは更に明るいf/1.2あるいはf/0.95等を登場させるのならばわかるが、なぜ今、FXフォーマットの50mm f/1.8が必要なのか、郷秋<Gauche>にはまったく理解できない。

 

 ニコンには既にAF-S Nikkor 50mm f/1.4Gがある。実売価格は40,000円程度。そこにf/1.8の登場だが、価格はAF-S DX 35mm f/1.8Gと同程度の25,000円くらいかと思われるが(距離指標窓が付くので若干高くなるか)、FXフォーマット対応のレンズだから装着するボディは実売価格180,000円程度のD700が相当となるが、この価格のボディにはAF-S Nikkor 50mm f/1.4Gの方がお似合いだろう。D700のユーザーが予算の関係でf/1.4を選ぶとは思えない。

 

 ならばAF-S 50mm f/1.8Gはいったい誰が買うのか、と云うより誰に買って欲しいのか、ニコン。

 

 AF-S 50mm f/1.8Gは、価格的にはFXフォーマット(フルサイズ)のD700D3ではなく、D7000以下のDXフォーマット(APS-C)機がより相応しいレンズだと思うのだが、DXフォーマットのボディに装着すると焦点距離75mmと中望遠にはちょっと短いし、標準レンズにしては長すぎる、何とも中途半端な焦点距離(画角)のレンズとなってしまうし、初めからイメージサークルの小さいDXフォーマット専用に設計すれば更に小型軽量化が可能なはずである。

 

そんなこんなを考えるとAF-S 50mm f/1.8Gがますます中途半端な「謎レンズ」に思えてならない郷秋<Gauche>であるのだが、ひょっとして25,000円程度の単焦点レンズが標準レンズに相応しいFXフォーマットのボディ、D7000FX版のようなものが同時に登場するとでも云うのだろうか。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、ハナミズキ。日本に入ってきたのは1915年と意外と新しい。なんでも1912年にワシントンDCに染井吉野を贈った返礼として日本にやって来たとのとこ。アメリカにある桜の木よりも日本にあるハナミズキの方がはるかに多いのではないかと思われるほど街路樹や公園の植栽、庭木としてごく普通に見かける。横濱辺りではこれから盛りを迎える。

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D800は7月に発表?

 いやはや、遅れに遅れと云うのか、待たせに待たせと云うのか、何だかもうどうでもいいやと云いたくなるほどその登場が遅れているD700の後継機となるD800だから、別にいつ発表されようがされまいがどうでも良い感じなのだが、D800に関する情報であるのなら、ほとんど条件反射的に紹介しないではいられない状態に陥っている郷秋<Gauche>である。

 

 何だか前口上が長くなったが、ようするにD8007月には発表される、そしてその画素数は1800万であると云う情報がcameraGEARGUIDEに、ついでのように掲載されていた(see here)。何のついでかと云えば、D49月に発表される。D41800万画素でISO 204800まで拡張可能であると云う記事のついでである。確かにニュース的にはD4に関するものの方が耳目を集めるからな。

 

 そうは云っても残念ながら、悔しいけれど、口惜しいけれど、郷秋<Gauche>にはD4は買えないし、郷秋<Gauche>には分不相応だから、興味がない(振りをする)。だから今日の記事のメインはD4ではなくD800なのであるが、またまた前振りが長くなったが、cameraGEARGUIDEによればD8007月に発表されるらしい。

 

D4と同じ1800万画素だと云うから、ひょっとするとイメージセンサー自体はD4と同じものを使うことになるのかも知れないな。まっ、ずるずると3年も待たされて、待ちくたびれて遠の昔に興味が失せてしまっているから、もうどうでもいいけど(と云うことにしておこう)。って、くどい(^^;

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、イカリソウ(碇草)。実に不可思議な形の花だが、確かに船の碇に似ている。物の本によれば、超強力な「強精剤」だそうで、これを食べた雄羊が一晩で100匹の雌と交わりすべての雌羊を孕ませたのだそうな。

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水原紫苑氏、原発事故を語る

  今日の神奈川新聞第6面の「意見提言」に、歌人の水原紫苑氏が書いたこの度の原発事故のついての短文が掲載されていた。氏は冒頭「本当に言葉がない」と記している。言葉の世界に生きる氏をして言葉がないのだと云う。

 

 氏は続けてこう書いている。「ただ、たしかなことは、地震・津波・原発事故と続いたこのたびの災厄のうち、原発については、首都圏に住む私たちにも、大きな責任があるという事実である。福島第一原発でつくられた電気は、遠く離れた首都圏の私たちが、一方的に享受してきたものではないか」と。更に「今、いわば加害者のひとりとして、わたしはこうべを垂れる」と続く。

 

 まるで郷秋<Gauche>が14日に書いた「誰のための原発なのか、考えてみて欲しい」を読んでから書かれたかのような文章であるが、そんなことは、ないだろう。件の原発が東京電力の持ち物であることに気が付きさえすれば、そして少しばかりの想像力を働かせさえすれば、首都圏人の過剰なまでに便利で快適な生活の「ツケ」が福島県民に回った事実に気が付くはずである。多くの首都圏人はその事実に気づかぬ振りをし、あるいはその事について深く考えることを避けているだけのである。

 

 14日に郷秋<Gauche>が書かなかったことをも水原氏は書いている。それは「原発が、本当に安全なのであれば、東京に造るべきであった」と。福島に造る時のことだったのか、あるいは柏崎の時の事だったのが正確な記憶がないが、東電側の「絶対に安全である」との説明に対する「なら、東京湾に造れば良いではないか」と云う地元民の反論に、東電のお偉いさんは反論できなかったと郷秋<Gauche>も聞いたことがある。

 

 14日に郷秋<Gauche>が書かなかったもう一つの事実をここに書いておきたい。

 

 それは、原発あるいは使用済み核燃料処理施設など広く原発関連施設が立地すれば、膨大な補助金が地元に落ちると云う事実、産業らしい産業もなかった寒村に一大雇用が生じると云う事実である。それは「ないはず」のリスクに裏打ちされたメリット。あるいは考えないことにhしていたリスクの上に成り立ったメリットである。一度リスクが現実のものとなれば、補助金も雇用もたちどころに消え去ってしまうことを覚悟で、あるいはそのようなことは起こるはずもないと自らに云い聞かせて、行政と地元住民は原発を受け入れたのである。

 

 果たして受け入れたのが、人の顔が見えてこない「行政」なのか、あるいはこれまた個人の顔が見えてこない「地元住民」なのかはわからないが、恐らくは双方である。リスクが現実のものとなった今、互いにその責任をなすり付け合うことになるのかも知れないが、現実にはそんななすり合いをしている間もない程の厳しい避難生活、行政は行政で避難生活を支援することで手いっぱいなのである。

 

 14日には、果たしてどれ程の共感を得られものか恐々として書いた「首都圏住民加害者、福島県民被害者論」であるが、少なくとも一人、水原紫苑氏がまったく同じ考えを持たれていることを知り安堵した郷秋<Gauche>である。

 

 最後に、氏が今回の事故を思い詠んだ歌が掲載されていたのでここに転載する。

 

原子の火に焼かれし唯一の国としてかくも畏れ(おそれ)を知らざりしわれら

 凶事(まがごと)はわれらすべての負うものぞ殊(こと)にも電気をもてあそびしわれら

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「小さなシャベルで一心に竹の子を掘る図」。この写真だけを見るといかにも唐突な一枚ですが、こちらをご覧いただいた後ならば、その必然性をご理解いただけるものと思います。

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