クルサード、年貢の納め時か

 伝統の一戦、イギリスGPを前にして、ホンダのJ.バトンが「優勝争いはルイスに任せるしかないだろうね」と、報道陣に語ったとか。別に今更、そんなコメントをしなくても、君が優勝争いに絡んでくるなんて、誰も思っていないから。

 そんなずうずうしいバトンのコメントはさておき、ここで注目したいのは、現役最年長の37歳にしてレース出場236戦つわもの(現役ドライバーではバリチェロに次ぐ第2位の出場回数だ!)、デビッド・クルサード。

 そのクルサードが、「引退の時が来たら、立ち去らないといけない。それが人生という旅なんだ。涙を流すときが来るだろう。次の挑戦に向かうかもしれない」と、自身の引退について、既に達観したようなコメントを残している。

 そこまで潔く言われると、「おいおいデビット君よ、まだまだやれるんじゃないか」と言いたくなるところだけれど、まだまだやれそうなうちに若い才能にシートを譲るのが男と言うものだよと、言いたくもなる。


 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、夢のような花、合歓の木の花。
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琢磨よ、ホンダを見限れ!

 フォース・インディアが、来季のエンジンをフェラーリからホンダにスイッチし、それに伴って佐藤琢磨をドライバーに起用するのではないかとの報道がされている。

 フォース・インディアもチャレンジングなチームかも知れないが、名手フィジケラをもってしても、SAF1なき後のテールエンダーが定位置のチーム。ご本家ホンダでさえも似たような状態であることを考えれば、いつまでもホンダの影響化にいて良い結果を得られないのは明白だ。

 琢磨よ、ワークス・ホンダのシートを奪われSAF1にシートを見出してた後の苦しいシーズンを思い出せ。ホンダの手に乗るんじゃないぞ。君は、ホンダの後押しが無くてもやっていけるドライバーだ。自分の道は、自分で切り開くんだ。


例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、ラベンダー。
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紫陽花のある風景(その3)

 紫陽花は日本固有の植物であるヤマアジサイ(園芸種のガクサジサイに似ているが、花(装飾化)の色は白。伊豆半島辺りが原産地と言われている)がその原種と言われているが、今日目にする数多くの品種(園芸種)は、江戸時代末期にシーボルトがヨーロッパに持ち帰り、彼の地で改良されたものが元になっていると言われる。言わば「帰国子女」であるが、日本的な庭園などでその美しさが一層引き立つのは、やはりその血筋故であろうか。

いつもの東京都下某所にて
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紫陽花のある風景(その2)

 雨は、取り分け梅雨時の雨は鬱陶しいけれど、これがなければ日本の農業は成り立たないし、その後にやってくる暑い夏のありがたさも半減する。と同時に、日本人独特の季節感もまた失せてしまうことだろう。鬱陶しい雨の中だからこそ、引き立つ美しさがある。

いつもの東京都下某所にて。
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紫陽花のある風景

 首都圏では、紫陽花の季節もそろそろ終盤。「姥紫陽花」という言葉はないようですが、それでも小雨の中で見る紫陽花はまだまだ美しく、ささくれた心を優しく撫でてくれます。

久しぶりの、東京都下某所にて。
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横浜の歴史的建造物探訪(その7・今回の部、最終回)

 今日の一枚は、100年後にも存在しているとすれば、その時には「横浜の歴史的建造物」と言われているであろう、みなとみらい地区にあるクイーンズ・スクエアと、その向こうにある通信用アンテナのための鉄塔。

 この一枚からだけを見ると、何のデザイン的主張もないかに見えるツルリとしたビルと、機能最優先で造った結果、図らずも幾何学的な面白みが醸し出されることとなった鉄塔との対比が面白くてレンズを向けてみた。

 横浜の歴史的建造物探訪は、これにて一旦終了となるが、折りに触れて横浜の街(山の手の奥の奥の街のことではなく、横浜中心部の意味)を歩いて、郷秋<Gauche>なりの写真を撮ってみたいと思っている。第2部掲載の折には、どうぞお付き合い願いたい。

 そんなことを思っていた矢先、横浜松坂屋本館(1922年竣工)が、今秋に予定されている松坂屋の営業終了と共に取り壊されるとのニュースが聞こえてきた。出来ることならば、初回(19日)にご紹介した日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)のような形ででも、その面影を残してもらえれば嬉しいものである。

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横浜の歴史的建造物探訪(その6)

 今日、ご覧いただくのは、勿論皆さんご存知の「赤レンガ倉庫」。こういう誰でも知っている建物を撮るのって、すごく難しいですね。幾枚か撮ったのですが、ご覧いただけるようなものがなく、ようやく選んだのが今日の一枚。歴史的建造物である「赤レンガ倉庫」と新しい建造物でありる「ベイブリッヂ」のツー・ショット。

 そころで、今日で六日目になる「横浜の歴史的建造物探訪」でご覧いただいているのはすべてモノクローム(白黒)の写真。久しぶりにF3にトライXを詰めて撮ってみました、というわけでは勿論なく、いつものD300にAF-S VR 70-200mm、カラーモードで撮ったものをPhotoShop Elements 6.0でモノクローム(白黒)化したものである。

 カラー写真の白黒化は、操作は簡単なのだが、白黒化の際に、単純に色のデータを削除してしまう方法だけではなく、「どの色をどの程度黒くするのか」などを細かく設定する方法もある。また、彩度を-100%にして白黒化する方法もあるのだが、これと色のデータを削除するのとの違いがいまひとつ良くわからない。また、最初から白黒モードで撮る場合との差は、さらに?

 「色の道」は勿論難しいのだけれど、こうして久しぶりに白黒の写真を作ってみると、それは色がない分簡単などころか、色がないのに「色を見せる」難しさをひしひしと感じ、自分でフィルムを現像し、自分で印画紙を焼いて作る白黒に勝るとも劣らない難しさ、チャレンジし甲斐のあるものだと感じた郷秋<Gauche>なのでありました。

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横浜の歴史的建造物探訪(その5)

 「まだ続くのか?しつこいぞ」とお嘆きの諸兄姉もおいでかとは思うのですが、諸般の事情で、今日を含めてあと3日は「横浜の歴史的建造物探訪」が続きますので乞うご期待。元へ。乞う忍耐(^^;。

 今日ご紹介するのは、1929年(昭和4)に完成した「富士銀行旧横浜支店」。粗削りの四角い石を積み上げた外壁は、いかにもお堅い銀行らしいのだが、軒下の稲妻模様(雷文)が、可笑しい。

稲妻模様(雷文)は、雷を呼ぶ雷竜を表し、中国皇帝の力の象徴であったことから、力を誇示し、また魔よけの印と言われているようだが、浅薄な郷秋<Gauche>には、ラーメン丼の文様にしか見えず、何とも微笑ましいというのか、可笑しいのである。


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横浜の歴史的建造物探訪(その4)

 横浜の歴史的建造物探訪、四日目にご紹介するのは、横浜指路教会(しろ)。指路教会はJR根岸線の桜木町と関内のほぼ中間、やや関内駅より辺りの線路際にあるので、後ろ姿だけはご覧になられている方も多いことだろ。指路教会は、ヘボンが建てた教会で、1892年(明治25)に献堂式が行われているが、その教会堂は関東大震災で倒壊し、現在の建物はその3年後に再建されたものである。

 ところで、指路教会を建てたジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn,1815年3月13日 - 1911年6月11日)を、皆さんはご存知だろうか。

 ヘボンは1859年(安政6年)に来日した米国長老派教会系の医療伝道宣教師であるが、彼の名前を最も有名にしているのは「ヘボン式ローマ字」であろう。そう、あのローマ字のヘボンなのである。また、日本最初の和英辞典「和英語林集成」編纂者として、明治学院の創設者として、旧・新約聖書の和訳においても中心的な働きをなしたことでも知られている。ヘボンは、実は多くの日本人にとって、縁のある人なのである。

 そのヘボンが、日本における最後の仕事として選んだのが、指路教会の建設であった。高い尖塔を持った赤レンガ造りの教会堂が完成し献堂式を終えると、彼は明治学院の初代総理の職も辞し、33年間を過ごした日本を離れ、故国にもどっているが、その間に高橋是清、林董、島崎藤村など多くの人材を育てらことでもまた知られている。

 赤レンガ造りの教会堂は関東大震災で倒壊し、再建された鉄筋コンクリート造りの建物も1945年5月の横浜大空襲で内部が全焼するなどの被害を受けているが、修復されいかにも長老派の教会らしい、シンプルで堂々とした佇まいを今も見せてくれている。

日本基督教団 横浜指路教会


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横浜の歴史的建造物探訪(その3)

 今日もまた神奈川歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)。今日で終わりなのでお付き合い願いたい。

 既にご覧いただいたとおり、ネオ・バロック様式の旧横浜正金銀行本店であるが、その正面(馬車道側)の屋根には、銅板で葺かれた立派なドームがのっている。この建物の象徴と言っても良いドームであるが、一昨日も書いたように、実は関東大震災時の火災により消失しており、1964年(昭和39)、県立博物館の施設とするための改装工事の折に、保存された旧横浜正金銀行の竣工当時の写真などを資料として、現在のドームが作られたのだそうである。

 このドームを見ていて、第二次世界大戦時の空襲で消失したという東京駅の建設当時のドームと良く似ているのに気がついた。東京駅は旧横浜正金銀行本店を設計した妻木頼黄の先輩に当る辰野金吾が設計し1914年に完成したもの。辰野と妻木は先輩・後輩の関係でありながら、当時の日本建築界ではライバル関係でもあったとものの本に書いてあったが、その二人が10年を経ずして作った建物にのるドームが似ていると言うのも不思議なものである。当時の流行であったのかしらん。

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横浜の歴史的建造物探訪(その2)

 昨日ご紹介した神奈川歴史博物館と、その並びにある日本興亜馬車道ビルの回りを三周程したけれど、なかなか満足な写真を撮る事が出来なかった。それは、歴史的建造物を撮るのだから、現在的かつ世俗的なものを排除して撮らねばという、脅迫観念にも似た思いがあったからかも知れない。

 カメラのレンズを下に向けると、当然、建物竣工当時にはなかった今様のクルマと今様の日本人(と外国人)がウヨウヨ走り、歩き回っている。古いものと新しいものを対比させて撮ることも出来るわけだが、郷秋<Gauche>には、地上のものが何とも猥雑に見えて、そのように撮る気にはならなかったのである。都会の地上にあるものを撮る勇気もテクニックもないのも事実ではあるが。

 それならばと、カメラのレンズを上に向けて撮っみた。これなら古いものと新しいものとを対比させ、かつすっきりと見せられるかと思ったのだが、すっきりし過ぎてつまらない。動きがないんだな。そこでわざとカメラを傾けて撮ってみた。つまらない写真を何とか「見せよう」という時によく使う手だ。案の定、そのわざとらしさだけが目に付くことになってしまったが、自戒の念を込めて、あえて晒しておくことにする。


神奈川県立歴史博物館(旧横浜商金銀行)と北側にある近代的なビル。
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横浜の歴史的建造物探訪(その1)

 郷秋<Gauche>が、歴史的建造物に大いに興味を持っていることは、blog化以前からの「独り言」のファンなら勿論良くご存知のこと。blog化後も、近くは昨年の8月下旬に「江戸東京たてもの園」で撮影した写真を一週間程連続で掲載しているし、9月にも宇都宮の教会も紹介している。って、別に勿体つける程の事はなく、要するに、郷秋<Gauche>は歴史的建造物のファンなのである。

 で、今日からしばらくは、郷秋<Gauche>の地元(と言っても郷秋<Gauche>の家からは小一時間かかる)、横浜市の中心部に残る、歴史的建造物を紹介していきたい。初回の今日、ご紹介するのは、神奈川県立歴史博物館(旧横浜商金銀行、写真左手)と、その並びにある日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店、写真右手)である。

 国の重要文化財に指定されている現神奈川県立歴史博物館は、1906年(明治37)に妻木頼黄(つまきよりなか)により設計され、横浜商金銀行本店として建てられたものである。関東大震災時にシンボルであったドームが焼け落ちたが、1964年(昭和39)に神奈川県が敷地と建物を買い取った後に修復され往時の姿を取り戻し、1967(昭和42)には博物館に生まれ変わっている。

 写真向って右側の建物は1922年(大正11)に矢部又吉の設計によって建てられた日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)。1989年(平成元)に保存・改修工事が完成したが、この改修工事は、建物正面に旧建物のほぼ全部を、そして神奈川県立歴史博物館に面する側の一階部分に往時の建物の様式を復元しながら、上層部には近代的なビルを継ぎ足すという斬新な手法が取り入れられた。

 これにより、当時の様式を復元しながらも新たなビルに生まれ変わった旧川崎銀行横浜支店ビルであるが、この保存と活用の先駆的な手法は各方面から注目され、その後、多くの歴史的建造物の保存と活用の手本となったのだそうである。

 神奈川県立歴史博物館(旧横浜商金銀行、写真左手、横浜市中区南仲通5-60)と、日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店、写真右手、横浜市中区弁天通5-70)。
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郷秋<Gauche>の写真が・・・

 郷秋<Gauche>が撮った写真が、親愛なる地方紙、神奈川新聞に掲載されました。って、別に華々しく一面を飾ったとか、郷秋<Gauche>の名前がクレジットされたとか、そんな大層なものではなく、マッチ箱くらいの大きさ(この比喩は現在もありか?)で2点載っただけなんです(^^;。

 最近はすっかりご無沙汰しちゃていますが、カナロコという変な名前の神奈川新聞のWeb版みたいなサイトがあって、その中の「カナロコ写真帳」というコーナーに秋から春先かけて結構熱心に、恩田の森の他、鎌倉で撮った写真を投稿していたんです。

 なんでもその「カナロコ写真帳」がオープンして1年が経つというので、これまでの投稿された写真の中から40点程を並べた一面特集記事が昨日(6月17日)に組まれたんです。その中に水木の若葉の写真と共に鎌倉の杉本寺で撮った写真が掲載されたのでした。

 だからどうって程のことはないのですが、まっ、一応、証拠写真を添えて、記念のために。

これは11月26日のblogにも掲載した、鎌倉の杉本寺の写真です。
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額紫陽花(その4)

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額紫陽花(その3)

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