一月尽

たそがれの壁の絵暦二月尽  飯田龍太

 俳句の季語に「二月尽」があります。二月最後の日。日が伸び寒さが緩み、長かった冬の終わりが近づき春が近づいてきたことを詠むのに相応しい季語です。三月尽(やよいじん)、九月尽と云う季語もあります。それぞれ春が終わり初夏を迎える、秋が終わり冬がやってくる時期に使う季語ですが、どうやら「一月尽」と云う季語はないようです。

 一月の終わりを現す季語としては「晦日正月」があります。晦日は月の終わり、正月は一月の異名ですので、一月の終わりの日を云います。正月の晦日ですので「正月晦日」ではないかとも思うのですが、季語としてはなぜか「晦日正月」です。

 以前に「正月晦日」と書いたことがありましたので、これは間違いであったかとあらためて思い調べてみたところ、菊池寛が『日本武将譚』に「天正十九年正月晦日、政宗は米沢城を発して上京の途についた。」と書いているようです。季語としては「晦日正月」のようですが、一月の最後の日を表す言葉としては「正月晦日」(しょうがつみそか、しょうがつつごもり)は、どうやら間違ってはいないようです。


 鈍色の空と冬枯れの欅。明日の夜からは再びの雪になるのか

注:盛大にパープルフリンジが出ております。光の状況によっては驚くほど素晴らしい絵を作るiPhoneですが、どうやらこの手の絵は不得意のようです。

 「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月29日に撮影した写真を6点掲載いたしております。雪の残る森の様子をどうぞご覧ください。

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最新のカメラの高感度性能

 すでに5年前の時点で、もうカメラは買い換えなくても良いのではないかと思うほど、つまり十分にフィルムカメラを追い越したであろうと思うほどの性能に達していたように思うのですが、それでも最新のカメラを手にすると更に高性能になっていて驚きます。とりわけ高性能化が凄まじいのが高感度画質の改善です。


 ISO25600から更に二段階の「増感」が可能ですから、最高は102,400と云うことになりますね。郷秋<Gauche>が実際に使用するのは3200かせいぜい6400程度までですが、これはもう画質的には全く安心して使える範囲。まったくすごい時代になったものです。

注:ISO25600と云うのは、昔のカラーフィルム(ASA100)だとF5.6、1/30秒と云う、手ブレ限界でようやく撮ることができたものがF11、1/2000で楽々とシャッターを切ることができる程の高感度です。

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新しいおもちゃ(その二)


 12日に新しいおもちゃ(その一。Bluetoothの送受信機)をご覧いただきましたが、TaoTronics社製品のC/Pの高さがいたく気に入り、またまた同社の製品を購入してしまいました。今度はBluetoothイヤホンです(今頃?!と云うなかれ)。相変わらずC/P最強です。リンゴ社純正Bluetoothイヤホンの1/8の価格です。今どきのIT小物セレクションの最大のポイントはC/Pです。左右がワイヤーで繋がっておりますので、片方をどこかに落として来る心配もありません。大変気に入って永らく愛用して来たiPod nano(第6世代。歴代最小・最軽量)も引退の時期が来たようです。

 新しいおもちゃ、その一とその二は手のひらに乗る数10グラムの小物でしたが、実は重さ1000グラム程の新しいおもちゃ(その三)も手元に届いております。これについてはもう少し使ってみてからレポートしたいと思いますのでしばらくお待ちくださいな(^^)

「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。まだ冬の只中にある森の様子をどうぞご覧ください。本日(1月29日)撮影の写真は明日の掲載を予定しておりますので、こちらもしばらくお待ちくださいますようお願いいたします。

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早春か浅春か


 猫柳の蕾です。猫柳が子猫の尻尾のような蕾を見せ始める季節。まだ冬だと云うのに、早く春になって欲しいばかりに先人が作った言葉が「浅春(せんしゅん)」です。早春は早い春のことですが、浅春は、ありもしない願望的あるいは妄想的な季節名なのです。と郷秋<Gauche>は勝手に思っております。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。まだ冬の只中にある森の様子をどうぞご覧ください。ちなみに次回の撮影は1月29日を予定しております。

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音楽は時に暴力ともなる


https://response.jp/article/2018/01/24/305155.html?utm_source=facebook&utm_medium=social
 

 東京メトロが「日頃ご利用のお客様により快適な車内空間をご提供することを目的に」、通勤電車の車内でBGMを流すのだそうです(試験的にとのことですが)。

 音楽は、聴きたい時に聴きたい音楽を聴いて初めて心地良い時間を過ごすことができるものですが、人によって聴きたい音楽、つまり好きな音楽が異なります。同じジャンルの音楽であったとしても、人によって好き嫌いがあります。例えばJazz。私が好きなJazzは1950年代から1960年台半ばまでに流行ったスタイルものです。それ以外のものも時に聴くこともありますが、好みのものは多くありません。好きなJazzであっても聴きたいものと聴きたいと思わないものがあるのです。

 たとえ好きなジャンルの音楽でも、聴きたくない時だってあります。音楽を聴くのには疲れ過ぎていることだってあります。コンサートで素晴らしい音楽を聴いた後には、いつまでのその余韻に浸っていたいと思うもので、あらぬ音楽は邪魔もの以外の何者でもありません。

 最近、ドアの上部にモニターを取り付けた電車が増えて来ていますが、見たくない時には目を背け、あるいは瞼を閉じていればその映像は目には入って来ません。でも、耳には蓋がありませんので、もし車内のスピーカーから音楽が流れてくれば、それを止める手立てはないのです。聴きたくない時に聴きたくもない音楽を聞かせられるのは暴力以外の何ものでもないと、私は思うのですが・・・

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。ちなみに次回の撮影は1月29日を予定しております。

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父島、1976年(その8、最終回)

 19日に唐突に始まり、42年前に小笠原・父島で撮った写真を脈絡なくご覧いただいてきた「父島、1976年」は今日でおしまいです。

 連載開始前の18日に掲載した写真から数えると16点の写真をご覧いただきましたが、モノクロームとカラーの違い以上に最近のblogやFacebookに掲載している写真とはまったく傾向が異なる写真であることに驚かれた方もおられるかも知れません。当時の私はフォトジャーナリストになりたいと本気で思っておりましたので、何かしら社会的なものに関心とカメラのレンズが向いていたのでした。

 同じような傾向の写真としては、2005年7月19日から28日に「お化けマンション」、2011年1月28日から2月5日に「IMAGES of YOKOSUKA」、2011年1月28日から2月5日には「小笠原、父島」を連載しておりましたので、古くからblogをご覧くださっている方はご記憶かも知れません(父島の写真は実は二度目の掲載で、その時と同じ写真もいくつかあります。写真に添えられた小文は前回の方がずっと丁寧にたくさん書いております)。興味を持たれた方は画面右端にある「過去の記事」を辿ってご覧ください。

 1976年頃にはこのような写真を撮り、当時通っていた写真学校「現代写真研究所」に持っていってはけちょんけちょんに酷評され、懲りもせずにまた同じような写真を撮っては酷評されてを繰り返しておりましたが、その後の長い休止期間を経て2004年にNikon D70を購入すると同時に「自然スタジオ『恩田の森』専属フォトグラファー」として写真の世界に戻ってきたのでした。

 40年前のどことなくキナ臭い写真と里山の草花の写真との間には相当のギャップがあるように私自身も思うのですが、そのことについては「IMAGES of YOKOSUKA」掲載時に、意外とちゃんと説明をしていたようですので再掲いたします。

 「『IMAGES of YOKOSUKA』は私の写真の原点と云っても良い作品だと思います。ここ7年程は主として恩田の森をモチーフとして撮影を続けていますが、恩田の森に残された美しい里山の風景を撮ることに止まらず、そこに住み、田んぼや畑を耕す人たちの姿を撮ることは、ベトナムにつながる、当時のキナ臭い横須賀を撮るとの同じ「根っこ」があるように思えるのです。まだまだ先の長い話ではありますが、『リアリズム写真』の『作法』により恩田の森の風景写真を作り、残すことが私の目指すところであるのです」

 我ながら立派な心構えではありますが、この時から更に7年を経た今、その結果が出ているのかどうか大きな疑問ではあります。

 「父島、1976年」の最終回にご覧いただくのは、21歳の郷秋<Gauche>と小笠原・父島の光る海。


 郷秋<Gauche>が持っているのはPENTAX SP+28mm。撮ったのはもちろん郷秋<Gauche>ではないけれど、カメラは郷秋<Gauche>のもう一台のPENTAX、SL+50mm。


 この写真を見ると、今でもフランク・プールセルの「アドロ」が聴こえてくるのが不思議。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。

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父島、1976年(その7)

 今日は「父島シリーズ(その7)

 山の上の方から200mmのレンズで引き寄せた父島の今と昔。今と云っても、撮影は1976年だから42年前のこと。昔の方は更に31年前、つまり今(2018年)から遡ること73年前に時間が止まってしまったかのような、そんな写真である。


 42年前の父島・二見港。東京から着いた父島丸2600トンが大きく見えるのだからいかに小さな桟橋なのかがわかる。現在就航している三代目おがさわら丸は11000トンだと云うから父島丸の4倍もの大きさ。港湾設備もきっと拡張されているのだろう。


 どの辺りからどこを撮ったのかは全く記憶にないが、今から73年前の1945年の終戦とともに打ち捨てられた建物の31年後の姿。果たして今はどうなっているのか。

 まったくの思いつきで掲載を始めた父島の写真。なんの脈絡もなく7日間ご覧いただいて来ましたが、明日は一枚の写真と小文とを掲載し、それで連載を終わりにしたいと思います。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。

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父島、1976年(その6)

 今日は「父島シリーズ(その6)


 今は二十四時間で着くようですが、40年前には36時間以上かかりました。竹芝桟橋を夕方出航し、父島・二見港に入港するのは翌々日の昼前。元気だったのは東京湾の中にいる間だけで、外海に出てからはずっと船酔いに悩まされました。


 乗船して二日目は、右を見ても左を見ても、見えるのは海と空だけ。


 三日目の昼前にようやく着いた父島・二見港。岸壁には島中の人が来たのではないかと思うほどたくさんの人が来ていました。返還前には週に二、三回、グアムから米軍の飛行艇が来ていたそうですが、返還後には父島丸が週に一便のみ。新聞は一週間分がビニールパック、肉類は全て冷凍。テレビはビデオテープに収めて届いた一週間分の番組がケーブルテレビで放送されていました。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。

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父島、1976年(その5)

 今日は「父島シリーズ(その5)


 父島のジャングルの中を当てもなく歩いていて見つけた小屋にいた老人。旧島民で最近帰島した。帰島した旧島民用のアパートに住んでいるが、昼間はここで畑仕事をしているのだと云っていたように記憶している。


 畑仕事と云ってもこの有様。「サトウキビを植えたんだが、育たんのだよ」。


 ジャングルの中に建つ粗末な小屋。かつてこの島で暮らし、戦時中は本土に疎開し戦後20数年を経て再び島に戻ってきた老人。彼はこれからどこに行くのか。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。


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父島、1976年(その4)

 今日は二見港で撮ったものの中から。


 港は子供たちの遊び場。服を着たまま海に飛び込んで遊ぶ子もいる。


 そんな港の中では子供たちだけではなく畳2枚分はあろうかと云う巨大なエイが悠々と泳いでいる。

 「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月7日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。

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父島、1976年(その3)

 父島の歴史を調べてみると、欧米人と日本人とがほぼ同時期にこの島を発見し、多少の出たり入ったりはあっても、この小さな島で混住していたことがわかる。今日の一枚は、父島の欧米系の住民。日本人が住む、いかにも日本風(伝統的日本家屋ではない)の家屋とは全く異なる、例えばハワイ・オアフ島の海沿いにあるような住宅をいくつか見かけたことを記憶している。


 島国故の単一民族国家と云われる我が国において(注)、欧米あるいはポリネシア・ミクロネシアにルーツを持つ住民との混住があったことはあまり知られていない事実ではないだろうか。外国籍居住者が増えつつある昨今、父島における混住のありようは大いに参考になるのではないかと思われる。
注:沖縄および北海道の先住民族、少なくない数の在日中国人・朝鮮半島出身者とその子孫がいることを忘れてはならない。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月21日に撮影した写真を7点掲載いたしております。真冬の森の様子をどうぞご覧ください。

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父島、1976年(その2)

 今日は、一昨日に父島での空港建設計画の記事を書いたことをきっかけに昨日から唐突にはじまった「父島シリーズ(その2)」です。
注:写真はいずれも1976年に郷秋<Gauche>が撮影したものです。


 二見港を見下ろす山中に作られた港湾防衛のための要塞跡。穿たれた窓から見えるのが二見港。手前の穴は砲座を撤去した時に出来たものと思われる。


 上の写真とは別の施設の内部。鉄筋コンクリート二階建ての建物であったが。急ごしらえであったからなのか二階の床部分のほとんどが崩落していた。

 撮影時点で戦後31年、返還後8年。島内のいたる所に大戦当時の建物が残り自由に出入りができる状況であったが、それから41年。果たしてそれらの建物や施設はいかに。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月7日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。

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父島、1976年

 昨日、40年前に小笠原諸島・父島で撮った写真をご覧いただいた。発掘ついでに今日からしばらくは父島の写真をご覧いただくことにしよう。


 1944年、サイパン島から本土に向けて退避中の輸送船、濱江丸はかろうじて父島までたどり着くが、ここで座礁。その後米軍の魚雷が命中し炎上全損。40年前にはまだその船体を見ることができたが、今ではそのほとんどが海中に没してしまったようである。


 その濱江丸から脱落したと思われるスクリューが浜にうち打ち上げられたままになっていた。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月7日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。

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父島に空港建設

 幾度となく「出ては消え」を繰り返している小笠原諸島での空港建設。最近では父島の隣の兄島への建設計画が報じられたが、自然環境破壊に繋がるとして立ち消え。今回はこれまでにも検討された、父島にある旧日本軍の須崎飛行場跡地に1200m級の滑走路を整備してはどうかと云う案のようだ。1200mあればボンバルディアのQ400の就航が可能だが、1200mの滑走路のためにはかなり大規模な造成工事が必要になるらしい。

 ATR42-600を前提に考えると800mの滑走路があれば就航可能であり、建設費用・工期および自然環境負担を大幅に低減することが可能だろうか。ただATR42型の日本での導入実績が、現状では多くないので運行するエアライン等の選定の問題もありそうだ。

 航空路が開設されれば、交通機関は週に一便、24時間を要する船便しかなく現状から画期的な改善が図られ、島民の利便性向上は計り知れない。「週に一便、24時間」を考えると地球上でもっとも遠い場所の一つである小笠原の観光資源価値も大いに高まることが期待される。ただし、貴重な自然環境保護を考えれば、現状の「週に一便、24時間」にも大きな意味があるとも云えるだろうか。


 という訳で今日の一枚は郷秋<Gauche>が40前に父島・二見港で撮った出航前(東京に戻る)の「父島丸」。現在は「三代目おがさわら丸」が24時間で東京と父島を結んでいるが、郷秋<Gauche>が訪れた当時は船中二泊の36時間を要したと記憶している。

  「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月7日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。次回の撮影・掲載は今週末を予定しております。どうぞお楽しみに。

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Zマウント?

Nikon Rumorsによれば、間もなく登場するニコンのフルフレーム・ノンレフレックス機には、60年の歴史を持つ一眼レフ最強のFマウントを捨て、全く新しい「Zマウント」が導入されるのだそうだ。

 「Zマウント」なる名称は不確実なようだが、フルサイズ・ノンレフレック用に設計された新しいマウントの内径は49mm、フランジバックは16mmとのこと。ミラーボックスが不要となることから当然のこととしてフランジバックはFマウントの約1/3と圧倒的に短くなり、ボディの小型軽量化に大いに貢献することだろう。

 マウント内径は49mmと、Fマウントの44mmより5mm拡大されている。これは、フルサイズ・ノンレフレックで先行するソニーのEマウントよりも2.9mm大きい。登場した1959年時点では最大のマウント内径をほこったFマウントであったが、のちには「小さな」44mmゆえにレンズ設計者が随分と苦労したと聞いており、云ってみればニコン悲願のマウント口径拡大である。

 さて、60年間使用されてきたFマウントを捨ててまで新しいマウントを開発したニコンだが、これは自社の生き残りを賭けた大英断。単にマウントの新規開発にとどまらず、既存の60ものレンズの、少なくとも半分は再設計の必要があるだろから当分の間ニコンの大きな負担となることは間違いない。それを覚悟してでもの新規マウントなのである。

 ただいまの私はD850の納品を待っているところであるが、ニコン製のDSLRを購入するのはこれが最後になることだろ。それが3年後なのか5年後になるのかはわからないけれど、間違いがないのは次に購入するニコン製カメラのマウントはFマウントではないと云うこと。寂しいような、それでいて楽しみである、ニコンのマウント変更である。

 と云う訳で今日に一枚は、SLR最強のFマウントをもつF2 Photomic A。現代のプロ・ハイアマチュア用のDLSRでは小さく見えるFマウントも、F2に穿たれたマウントはそれなりに大きく見える。それだけ当時のSLRのボディがコンパクトであったこと云うことである。


 「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは1月7日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最初の森の様子をどうぞご覧ください。次回の撮影・掲載は今週末を予定しております。どうぞお楽しみに。

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