金沢街道「塩の道」(その五・最終回)・・・朝夷奈切通しⅡ

 当然のことだが、左右の山が低くなっているところではその土地の起伏とくねりのままに道となり、急峻な山が立ちはだかれば、その硬い岩盤を切り開き切通しとしているから、時に道はその幅を広げたかと思うと、急に左右の岩壁が迫ってくる。

 浄明寺までは平日にも関らず多くの観光客と共に金沢街道を歩くことになるが、光触寺を過ぎると、まず観光客の姿を見ることはなくなる。朝夷奈切通しを歩くのは、それなりの装備のハイカーのみだが、雨の直後でなければジーンズとスニーカーで歩ける程の古道である。

 切通しのちょうど中ほどで摩崖仏を見る事が出来る。鎌倉を襲おうとする敵を待ち伏せる兵を隠すために作られたとしか思えない凹みに摩崖仏はある。いったい幾百年前に彫られたものなのか、その線刻の鮮やかなのには驚かさせられる。

 久しぶりに訪ねた鎌倉。杉本寺、報國寺ではその穏やかな石仏と竹林を楽しむ事が出来るが、ほんの少し足を伸ばせば、そこは「塩の道」。掘削された800年前をそのままに伝えるかのような古道である。美しくも賑わう寺々を巡るのも悪くないが、時に歴史の重みを感じながら静かに古道を踏みしめてみるのも、良いものである。(おわり)





鎌倉、金沢街道「塩の道」を歩く
その壱・・・杉本寺
その弐・・・報國寺
その参・・・浄明寺
その四・・・朝夷奈切通し
その五・最終回・・・朝夷奈切通しⅡ
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金沢街道「塩の道」(その四)・・・朝夷奈切通し

 浄明寺から金沢街道に戻り、明王院、光触寺、十二所神社を過ぎ和泉橋を渡ると、いよいよ金沢街道の肝、朝夷奈切通し。ここから横浜市金沢区の朝比奈バス停手前までの1.5km程が、800年前に開かれた朝夷奈切通しである。

 26日にも書いたが800年を経たとは言え、元々強靭であったこの辺りの岩盤は崩落もせずに往時の様子をよく留めている。とは言え、シダ類はもとより樹木も800年の間には数代を経ており、切通しの歴史に敵うものではない。

 切通しは、驚くほど深い。さらにその上には、生い茂る樹木が覆いかぶさっているために、晴天のはずにも関らず陽の光は届かず道は暗く、岩盤上方に掘られた祠から見下ろされているようで、薄ら気味悪い。が同時に、深く吸い込む湿った空気には太古の安らぎが含まれているようで、摩訶不可思議な気持ちになる。





鎌倉、金沢街道「塩の道」を歩く
その壱・・・杉本寺
その弐・・・報國寺
その参・・・浄明寺
その四・・・朝夷奈切通し
その五・最終回・・・朝夷奈切通しⅡ
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金沢街道「塩の道」(その参)・・・浄明寺

 報國寺から金沢街道に戻り、わずかに東に進み左に折れた突き当りに浄明寺があります。現在は地名ともなっている浄明寺は、鎌倉五山の一つにも数えられている名刹。本堂裏手には足利尊氏の父、貞氏のものとされる墓があります。

 当然のことではありますが、鎌倉は観光地としてだけではなく、巡礼の地でもあります。一昨日にご紹介した杉本寺だけでなく、ここ浄明寺でも巡礼の方を見かけました。温暖な鎌倉ゆえか、本堂裏山の木々はようやく色づいてきたといったところでした。(明日はいよいよ朝夷奈切通し)





鎌倉、金沢街道「塩の道」を歩く
その壱・・・杉本寺
その弐・・・報國寺
その参・・・浄明寺
その四・・・朝夷奈切通し
その五・最終回・・・朝夷奈切通しⅡ
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金沢街道「塩の道」(その弐)・・・報國寺

 杉本寺の長い石段を降り、滑川(なめりがわ)沿いに金沢街道を東に200m程進み右に折れた宅間ヶ谷(たくまがやつ)に報國寺があります。開基は足利尊氏の祖父、家時と言われていますので、朝夷奈切通しが出来た三、四十年後ということになるでしょうか。

 竹の寺として有名な報國寺は訪れる人も多く、清々とした竹林の中の道を歩く人の姿が絶えません。平日でもこんな様子ですので、休日にはさぞかし多くの人が訪れているのでしょうね。それらの人のために竹林の中に茶席も設けられていました。(つづく)




 最後の1枚はおまけ。報國寺の前にある「楓花」でいただいた「四季彩弁当」。手前左から時計回りに野菜の煮物、鰆の西京漬け、ゴマ豆腐、茄子の煮浸し。美味しゅうございました。私以外に12、3人いたお客さんははすべて女性のグループ。神奈川新聞主催の「東海道再発見!路上観察学会五人衆とかながわの宿場町を歩こう!」の時(こちらを参照)に宮ノ下で食べた昼食と比べると、同じ「箱入り」とは言っても随分と豪華です。

鎌倉、金沢街道「塩の道」を歩く
その壱・・・杉本寺
その弐・・・報國寺
その参・・・浄明寺
その四・・・朝夷奈切通し
その五・最終回・・・朝夷奈切通しⅡ
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金沢街道「塩の道」(その壱)・・・杉本寺

 6月には、八王子市の絹の道を歩いて来た郷秋<Gauche>ですが、今日は鎌倉の金沢街道、別名「塩の道」を歩いてきました。

注:「金沢」の名は、横浜に古くから伝わる地名で、「金沢文庫」が今も地名として残されています。江戸時代には金沢藩が置かれていましたが、維新後に加賀の金沢藩との錯誤を避けるために六浦藩と改名されています。

 絹の道は、明治初年に使われた所謂近代遺産ともいえる道ですが、塩の道は遠く鎌倉時代に使われた道です。古くは「六浦路」とも呼ばれた塩の道は、三浦半島の東側にあり塩の産地であった六浦から塩や海産物を、また全国各地から六浦津(津は港の意)に荷揚げされた物資を鎌倉に運ぶための道でした。

 六浦と鎌倉とを直線で結ぶ位置には急峻な山が立ち塞がっていましたが、この交通路を重視した北条泰時が、1241年(仁治2)に自ら陣頭指揮を執り工事を急がせたのだそうです。硬く急峻な山を切り通し(朝夷奈切通。ガイドブックなどには、現在の地名から、「朝奈切通し」と標記されているものが多いようですが、正しくは「朝奈(あさいな)切通し」のようです)にしたわけですが、800年を経てなお崩落している箇所がほとんどない程に固い岩盤ですので、さぞ難工事であったことと思われます。

 さて、郷秋<Gauche>は海側からではなく鎌倉側、つまり鶴岡八幡宮から東に進みこの塩の道を歩いてきました。塩の道の真骨頂は、ほとんど往時のままの姿で残されている「朝夷奈切通し」ですが、鶴岡八幡宮から切通しに至るまでには、杉本寺、報國寺といった名刹も多く、これらを素通りするわけには行きません。という訳で、タイトルを「塩の道」としておきながら、ハイライトの「朝夷奈切通し」の登場は数日の後となりそうです。

 そんなこんなで、今日ご紹介するのは「塩の道」の最も鎌倉寄り(鶴岡八幡宮から東に約1km)に位置する杉本寺。杉本寺は坂東三十三所観音霊場の第一番札所で、734年(天平6)創建の鎌倉最古の寺院。(つづく)





鎌倉、金沢街道「塩の道」を歩く
その壱・・・杉本寺
その弐・・・報國寺
その参・・・浄明寺
その四・・・朝夷奈切通し
その五・最終回・・・朝夷奈切通しⅡ
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久しぶりの森

 このところ、土日に仕事やら野暮用が入ることが多く、なかなか森に行く事が出来ませんでしたが、今日、10日振りに歩いてきました。たった10日、されど10日ですね。随分と秋が深まっていました。これから暫くは被写体となる花も少なくなりますが、逆に、自然を見る目を研ぎ澄ます良い機会ともなります。一見冬枯れの森にも息づく自然が、美しい自然が隠れているのです。

なるせの森の紅葉。今日掲載の写真からD300です。

☆☆☆

 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらにも掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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アロンソはいずこへ

 マクラーレンを離脱し、古巣のルノーに移籍するものと思われていたフェルナンド・アロンソだが、ここに来てその雲行きが怪しくなってきているようである。

 アロンソに戻ってきて欲しいフラビオ・ビリアトーレであるが、ルノーのCEO、カルロス・ゴーンが、3年契約でなければアロンソとは契約を結ばないとしているのが、最大の障害となり交渉が暗礁に乗り上げていると憶測が流れている。

 アロンソは、フェラーリと2009年以降の契約が既に結ばれていると噂されており、だとするとアロンソが望むルノーとの契約は1年。つまり、アロンソにとってのルノーは、2009年までの「つなぎ」でしかないのである。

 ルノーとしては、1年ではチャンピョンのタイトルを取り戻すことは困難であると考えて、3年以上出なければ契約をしないと言っているのだろう。アロンソがルノーに行く事がないとすると、残る可能性はトヨタとレッドブルということになるが、どちらにしてもアロンソは1年以上いるつもりはない。

 トヨタとレッドブルはアロンソのための十分な資金を持っているようだが、たった1年のために巨額のギャラを支払うかどうか。となると、残る可能性は1年間の「休養」である。問題は1年間の休養の後に、今シーズン終盤と同様の結果を残せるかどうかである。下位チームで走るのか、1年後フェラーリ入りを目指して休養に入るのか。結論はまもなく出されるはずである。

記事本体とは何の関係もない、晩秋のひとコマ。
[東京都下某所にて / 21日撮影]
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日本カー・オブ・ザ・イヤー、ホンダ・フィットに栄冠

 2007-2008日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)にホンダのフィットが選ばれ。今年登場した55台のクルマの中から、フィットが「今年のクルマ」に選ばれたわけだが、フィットは初代がデビューした2001-2002に続いての受賞。

 今年ノミネートされた55台の中で郷秋<Gauche>が気になったのはボルボC30。あとは、発売時期の関係でノミネートはされなかったレスサスIS-Fと、日本ではまだ発売されていないけれど、MINIクラブマンかな。

記事本体とは何の関係もない、晩秋のひとコマ。
[東京都下某所にて / 21日撮影]
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D300登場!

 23日発売とアナウンスされているNikon D300ですが、我が家には一日早く登場。D200の時にも書いたような気がするけれど、「もう道具のせいには出来ない!」って、やっぱり書いておかなくちゃね。自分へのプレッシャーとして。

Nikon(ニコン)DXフォーマットのフラッグシップ、D300。
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日本流では勝てない?!

 トヨタF1を離脱したラルフ・シューマッハが、トヨタ流の取り組みではF1で勝つことはできないと主張しているようだ。

 ラルフは「トヨタ流では」と言っているようであるが、ヨーロッパのチームと比較したとき、それは「トヨタ流」ではなく「日本流」とも聞こえてくる。つまり、ホンダも同じではないかと言うことである。

 「トヨタ流=日本流」とは、チームにおいて「誰か一人だけが目立つようなことがないこと」。つまり、勝利に向けてチームで立ち向かうのであり、そのチームが特定のリーダーに率いられるのではないということのようである。

 ホンダも同じと書いたが、ホンダもF1第1期には本田宗一郎が、中村良夫がいた。第2期 には桜井淑敏と後藤治がいたが、第3期(今のことだ)ホンダF1には、中村良夫や桜井淑敏のような「強烈な顔」がいなかったのも確か。そして2007年には苦戦を強いられ、獲得ポイント僅 かに6ポイントという屈辱のシーズンを送った。

 そのホンダF1がロス・ブラウンを獲得した。勝てない理由を、チームの顔、カリスマ的なリーダーがいないことに求めたのかも知れない。

 「1人の人間が目立つことを決して認めないトヨタ(ラルフ曰く)」に対して、ホンダ は「大いに目立つ人間」を獲得したのである。ここ数年、カリスマ的リーダー不在と言う意味では比較的似たようなチーム運営をしてきた日本の二つのチームが、2008年には違ったアプローチで戦おうをしているようである。

 カリスマ的リーダーを置かない全員野球ならぬ「全員F1」で戦うトヨタと、ロス・ブラウンを旗印に戦うホンダ。果たして2008年はどちらに軍配が上がるのか、楽しみである。

急に色づいてきた首都圏の木々
[久しぶりの東京都下某所にて / 本日撮影]
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冬到来

 北国からは雪の便りが聞こえて来るようになりましたが、横浜も朝夕は随分と寒くなってきており、今日はついにコートを着ての出勤となりました。四、五日前から脚の皮膚が痒くなり(寒冷蕁麻疹)、二日ほど遅れて唇がカサカサになりリップクリームのお世話になることに。横浜にも冬の到来です。

蔦紅葉
[17日、箱根宮ノ下にて]
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郷秋<Gauche>、無謀にもピアノについて語る

 昨晩、ベーゼンドルファーが売りに出されていることを書きました。そして、書いているうちに、10年ほど前にベーゼンドルファーの調整の場に居合わせたことを思い出してそのことも書きました。ハンマーアクションについても書きました。そうしたところが、その時に見た精緻なハンマーアクションの事が頭から離れなくなってしまったのであります。

 ハンマーアクションの模型(1ユニット(1音)分を横から見えるようにしたもの)を以前にどこかで見た事があり、その画像なり、それを図解したものがネット上にないものかと思って探したのですが、結局見つかりませんでした。でも、どうしてもその事が頭から離れないものですから、無謀を承知で、少し書いてみたいと思います。

 ベーゼンドルファーのハンマーユニットを見て驚いたのが、ピアノの鍵盤が単なるスイッチではなかったということでした。オルガンや、簡易な電子式鍵盤楽器の鍵盤は、つまりONかOFFしかないスイッチです。つまり、音を出さない状態が、鍵盤を押して音を出すかの二通りしかないわけです。

 ところが、ピアノの鍵盤は、それを押した途端に鍵盤に直結したハンマーが弦を叩く(つまりONですね)のではないのです。正確なところは忘れてしまいましたが、鍵盤を押すことにより、4つか5つくらいのアクションが一瞬の内に連続して起こり(エスケープメント)、その結果、ハンマーが弦を叩くのです。

 その構造をよくよく観察すると、10.2mm程の鍵盤のストローク(我が家のYAMAHA C3の実測値)の中で、最初の数ミリを速く、そして残りの部分を遅く鍵盤を押した(叩いた)時と、その逆の場合、あるいは鍵盤を最後まで押し切らなかった場合(初心者に多いようですね)とでは、どうやらハンマーの叩き具合と、ダンパーの動き具合が違うようなのでした。

 鍵盤を押す(叩く)わずか10mm程のストロークの中での微妙な強弱や速度の変化、音符の長さに応じて鍵盤を押している間の力などによって音色や音量が変化するわけですが、その変化を作り出しているのが、このハンマーアクションユニット、取り分けエスケープメントなのですね。これを自由に使いこなせるピアノ弾きのみが、表情豊かな音色を自在に響かせることが出来るわけです。この辺りがオルガンや電子式鍵盤楽器にはない、ピアノならではない音作りと言えるのでしょう。

 ピアノ弾きは、その豊かな音色を作り出すために日に何時間も、それを何年も続けるわけですが、闇雲に練習するのではなく、その音色の源としてのハンマーアクションユニットの構造を知っていれば、より早く理想の音に近づくことができるのではないかと郷秋<Gauche>は思うわけです。

 たとえば、サーキットでより速くマシン(クルマ)を走らせようとした時、ただ闇雲に周回を重ねるだけではなく、コーナリング理論(つまるところは力学です)を知り、タイヤのコンパウンド特性を知り、エンジンのトルク特性を熟知していれば、無駄な周回を重ねることなく、ある程度のタイムをさらりと出せるのと同じではないでしょうか。

 もっとも、そんなピアノの構造を知らなくても、コーナリング理論やトルク特性を知らなくても豊かな音色を響かせるピアノ弾き、人より飛び切り速く走れるドライバーはいるものです。しかし、こういう人は、極稀にしか存在しないわけです。「天才」と言われる人たちですね。ただ、これらの人たちも、人の目に触れないところでハンマーアクションの研究をし、あるいはコーナリングの力学を勉強しているのかも知れません。天才が努力をすれば、鬼に金棒。素晴らしい音色、飛び切りのタイムをたたき出すことは確実です。

 写真も同じですね。「下手な鉄砲」よろしく数を撮るだけではなかなか上手くはならないのです。画面の三分割法、絞りと被写界深度の関係、レンズの焦点距離とパースペクティブについての知識を獲得すれば、写真はあっという間に上達します。更に、露出補正と色温度の知識があればもう完璧。後は写真の技術ではなく、物事の見方・捉え方の勉強をすれば良いわけですね。自分自身の立位置(視点)を確立できれば文句なしです。

 話が逸れました。

 ピアノ弾きが、「このピアノは重い」とか「軽い」と言うのを聞くことがありますが、これは鍵盤を押し始めた時、あるいは押し切るった時の重さ、あるいは押した鍵盤が戻ってくる時のスピードや重さを指先で感じ取ってのことでしょう。もっとも、指先で感じ取った微妙な重さ、軽さだけではなく、実際に発せられた音の重さあるいは軽さ感というものも、そのタッチの中に含まれて表現されるような気はします。

 ピアノは、誰が弾いても、その鍵盤に指定された音程(周波数)の音が出ます。これが演奏者自身が音程を作らなければならない弦楽器との大きな違いです(弦楽器でもギターやマンドリンのように「フレット」を持つ楽器の場合には、調弦さえされていれば、原則的には押さえた場所に見合った音程が保証されます)。同時に、ともするとピアノの鍵盤がONとOFFだけを制御するだけで、誰が鍵盤を叩いても同じ音がするではないかと思いがちなのですが、これが大きな間違いな訳ですね。

 ただ、弓で弦を擦って音を出す弦楽器(ヴァイオリンやチェロなど)の場合には、音程と共に音色のすべてを演奏者自身が創らなければならないのに対して、極端な言い方をすれば、ピアノの場合には音色の99%は楽器が創ってくれる。演奏者に委ねられる最後の1%のためにピアノ弾きは長い孤独な練習を重ねるのではないでしょうか(勿論譜読みや曲作りもある)。音程も音色も一から十まで自分で創らなければならないけれど(原則的に)単旋律の弦楽器と、最後の1%のために奏者が死力を尽くすピアノ。果たしてどちらが難しい楽器といえるのでしょうか。

 いやはや、無謀を承知で書き始めたピアノについてですが、やはり郷秋<Gauche>のようにピアノも弾けない(バイエル70番までならなんとか(^^;)、チェロも弾けない(もうずいぶん長いこと楽器に触ってさえいない)者が思いつきで書いたりすべきものではなかったようです。お読みになった方にはまったく何がなんだか理解のしようもない駄文になってしまいました。また、随分と見当違いのことを書いたかも知れません。ただ、これを書いたことで頭の中から「ハンマーアクション」を追い出し、今晩はぐっすり眠れそうな郷秋<Gauche>ではあります。

*この記事は、初出以降、補筆される可能性があります。

昨日に続き箱根。宮ノ下駅下の足湯のあるカフェ。

探せば紅葉もいたるところに。今週末が見頃?

郷秋<Gauche>が書いた、ベーゼンドルファー関係記事
ベーゼンドルファー代理店が倒産 2008/12/13
ベーゼンドルファー、ヤマハが買収 2008/12/02
郷秋<Gauche>、無謀にもピアノについて語る 2008/11/19
ベーゼンドルファー、売却へ 2008/11/18
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ベーゼンドルファー、売却へ

 スタインウェイなどと共に、ピアノの名門と言われるベーゼンドルファー(オーストリア)が売りに出されているそうです。数日のうちにも売却先が決まる見通しだということですが、日本のヤマハも有力候補の一つとして、名前が挙がっているとのこと。

 スタインウェイ(ニューヨーク)がジャズ演奏などでも使われる事が多いのに対して、ベーゼンドルファーはクラシック専用(オスカー・ピーターソンがベーゼンドルファーを弾いていたような記憶もありますが)ですが、郷秋<Gauche>は10年ほど前に、ベーゼンドルファーのフルコンサートピアノ調整の場に居合わせた事があります。

 ちょうど鍵盤ユニットを外してハンマーの調整をしているところでしたが、調律士がハンマーアクションについて、ハンマーを動かしながら説明をしてくれましたが。普段は見ることの出来ない精密で素晴らしい機能美に溢れたハンマーアクションに驚いたものでした。

 私が見たベーゼンドルファーのフルコンサートピアノは低音側を長6度低いハ音とした、97(8オクターブ)の鍵盤を持つタイプでした。通常は使わないその低音部の鍵盤は、間違わないように白鍵と黒鍵の色が逆になっていました。

 さて、この名門ベーゼンドルファー、いったいどこが買い取ることになるのでしょうか。いずれにしても闇雲に増産に走るのではなく、その伝統をしっかり引継ぎ、大切に育てていって欲しいものですね。

昨日の箱根。宮ノ下辺りでもこの程度の色づき。

日本のクラシックホテルの代表格、箱根富士屋ホテル。

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行って来ました、箱根路上観察

 8日に書いた、神奈川新聞の「東海道再発見!路上観察学会五人衆とかながわの宿場町を歩こう!」という企画に参加し、箱根の宮ノ下と湯元を歩いてきました。

 それなりに楽しくはあったのですが、神奈川新聞にまんまとはめられました(^^;。神奈川新聞もやるものだと褒めるべきか、相変わらず記事内容を的確に表すタイトルを付けられない、愛すべき神奈川新聞というべきなのか・・・。

 今回の企画のタイトルは、「東海道再発見!路上観察学会五人衆とかながわの宿場町を歩こう!」です。読者諸兄姉は、このタイトルからどんな企画を想像するでしょうか。

 多くの方は、かつての東海道宿場町が、今どのようになっているのか、そこで暮らす人々の様子、そして訪れる人々を観察するのかと思われるのではないでしょうか。現に、今回の企画の「箱根コース」参加6名の内、私を含め3名はそのように理解していたようです。

 ところがところが、曲者は「路上観察」なる奇妙な造語であったのです。一言で言ってしまえば、「マンホールの蓋を見て回る」企画だったのです。今回の企画に同行する「路上観察学会五人衆」の内、私が知っていたのは赤瀬川原平、南伸坊のお二人のみであると8日に書きましたが、箱根コースに同行されたのは、林丈二氏(林氏についてはこちらこちらをご参照ください)でした。

 箱根登山鉄道の宮ノ下駅に集合したところで神奈川新聞の担当、坂本氏から「『路上観察』とは」というA4のプリントを渡されました。それによると、「路上観察」とは、『路上に隠れ潜む、通常は「景観」「美観」「美しいもの」とはみなされない(下線は郷秋<Gauche>)ものを採集(撮影)し、独自の視点で解読していく街の歩き方、楽しみ方です。『路上観察』の対象となるものは、建物、看板、張り紙、道路標識、マンホール、雨樋(以下省略)」とのこと。

 郷秋<Gauche>もかつて、(一般的基準では)決して美しくはない廃墟などをテーマとして写真を撮った経験がありますので(代表作の内、blogに掲載したものはこちら)、美しいものだけが写真のテーマやモチーフになるわけではないことを百も承知してはいますが、「なんだってマンホールの蓋なんだよ!」と、言いたい。大体、マンホールの蓋を見るのに、「東海道再発見!(中略)かながわの宿場町を歩こう!」はないだろう。

 まっ、基本的には嫌いではないし、楽しくなかったわけでもないし、はつ花で天ぷらそばもご馳走になったことだから(郷秋<Gauche>、安いぞ!)、ここは「よし」としておきましょう。

 この企画で撮影したSDカードは、解散前に担当の坂本氏に渡してしまいましたので、今すぐにはblogに掲載することは出来ませんが、データを落としたCD送ってきてくれると言うことなので、おいおいご紹介できることと思いますのでお楽しみに。って、マンホールの蓋を見たい人は多くないと思うけど。

 と言うわけで、今日のところは午前中に「ロケハン」を兼ねて午前中に宮ノ下を歩いた時に撮影したものの中から大盤振る舞い、一挙3枚掲載です。

 山茶花の咲く中を登っていく(実は下っている)箱根登山鉄道。世界第二位の急勾配を持つ鉄道だそうです。

 明治11年創業という、国内きっての老舗写真館、「嶋写真店」前にて。箱根富士屋ホテルの指定写真館とのこと。

 3枚目はオマケ。今日の郷秋<Gauche>の昼食の図。入るのに相当勇気が要った、店構えの怪しい「曽我の家」。
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お山は雨?

 8日に書いた通り、明日は、神奈川新聞の「東海道再発見!路上観察学会五人衆とかながわの宿場町を歩こう!」という企画に参加するために箱根に行って来る。夜には雲が広がるようだが、夕方までは晴れの予報。って、待てよ、お山はひょっとして、と思い確認したら箱根町はなんと昼から雨の予報。「天気は西からやってくる」の言葉通りである。トホホ。

 撮影(と言うよりは、路上観察?)の時間は宮ノ下が1時間、箱根湯本が1時間半というスケジュール。それほど沢山の写真が撮れるわけではなさそうなので機材は少なく軽くと思うのだが、「ひょっとしたら必要になるかも」と思うと、ついつい重装備になりがちだ。

 悩んだ末に、に行く時にはいつも持ち歩いている75-300mmは置いていくことにした。タムロンの90mmマクロは軽いので持っていくことにしたが、定位置のウエストポーチではなく、デイパックの中に。替わって10-20mmをウエストポーチに。

 荷物になるし、出番がないかも知れないけれど(多分ない)、Planer T* 1.4/50mm ZFを着けたFM3Aを持っていくことにした。でも、せっかくFM3Aを持っていくのに50mmだけじゃな、ということで、「小さいから」とまたまた理由を付けて28mmもデイパックの中に放り込む。結局75-300mmズーム1本よりも重たくなった(^^;。まっ、こんな感じで出かけてきます。
 
今日の1枚は、山茶花。
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