ニワトリが先か卵が先か

 という、古くて新しい命題がある。果たして、ニワトリが先なのか卵が先なのか、生物学的な答えがどうなっているのかは判らないけれど、いま、私たちの前には「ニワトリか卵か」以上に重要な命題がある。

 スポンサーが付くから速くなるのか、速いからスポンサーが付くのか

 今日のFMotorsports F1は二つのニュースを報じている。一つはウィリアムズ・チームに相次ぎ二つの新スポンサー。そしてもう一つがスーパー・アグリ首脳、「100%売却もあり得る。各々の記事内容はリンク先をご覧頂きたいが、郷秋<Gauche>が言いたいのは、つまりこういうことだ。

 速いマシン、話題(人気)のドライバーを擁するチームのマシンはマスコミへの露出が多い。よって、そのマシンあるいはドライバーのヘルメットやレーシングスーツに会社のロゴタイプを貼り付ければ高い広告効果を得られるから、スポンサーが付く。チームはそのスポンサーマネーを更に速いマシンを作るため、より速いドライバーを雇うために投資する。チームの成績は更に上昇する。当然だ。

 遅いマシン、話題(人気)ではないドライバーを擁する(しか擁せない)チームのマシンはマスコミへの露出が少ない。よって、そのマシンあるいはドライバーのヘルメットやレーシングスーツに会社のロゴタイプを貼り付けても高い広告効果を得ることは出来ないから、スポンサーが付かない。チームにはスポンサーマネーが入らないから、速いマシンを作るため、より速いドライバーを雇うために投資することは出来ない。当然チームの成績は更に低迷する。然り。

 「郷秋<Gauche>が言いたいのは、つまりこういうことだ」などと書くまでもない。どちらも当然、当たりまえ。速いチームはますます速くなり、遅いチームはいつまでも遅いまま。いつの日かチーム売却あるいは倒産の憂き目を見る。

 って、別にSAF1が売却されたり消滅したりする事が当然だと思っているのでは、勿論ない。少しでも速くなれば、小さなスポンサーが付くかもしれない。そのスポンサーマネーでもう少し速くなれば、もう少し大きなスポンサーが付くかもしれない。そしてもう少し速くなるかも知れない。これを人は「良循環」という。良循環なんて言葉、ないか。

 遅ければ小さなスポンサーも付かない。スポンサーマネーが入らないからマシンの開発が進まず、ますます他チームに更に水をあけられ、しまいには「動くシケイン」とまで言われるようになる。最後まで付いていた小さなスポンサーも逃げ出し、買い取り手もなくチームは破産に追い込まれる。これを人は「悪循環」という。

 スポンサーが付かないから遅いのか、遅いからスポンサーが付かないのか。「ニワトリと卵」と同じだなと言いたかっただけなのだが、いささか、否、相当くどかった。すまん。
 
 例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、昨日掲載した梅の古木の手前にあると書いた枝垂れ梅(2月23日撮影)。2月18日に掲載したものと同じ梅だ。明日はもう散っているかなぁ・・・。
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ホンダ、2008年の「動くシケイン」?

 2008年シーズン開幕前、最後の合同テスト最終日にトップタイムを記録したのは意外にもトヨタのヤルノ・トゥルーリ。ひとり気を吐き、1分20秒台に突入。まっ、それ程調子が悪いわけではないことの証明にはなっても、本番で速いかどうかは「?」だな。だって、27日のタイムだけで言えばフェラーリが19台中の9番手、13番手なんだから。(タイムはこちらをご覧頂きたい。)

 ただ、27日のタイムから間違いなく言えることは、2008年のホンダが断トツに遅いであろうということ。ひとり20秒台を記録したトゥルーリを除いて、21秒台、22秒台に8台ずつがひしめく中、23秒を通り越し、24秒台にブルツとバトンが仲良く並んでいるのだから、今シーズンのテールエンダー、「動くシケイン」は、ホンダで決定だろう。

 フォース・インディアのエイドリアン・スーティルに、「今年はホンダに勝てる」などといわれているようじゃ、ホンダもおしまいだ。本田宗一郎が草葉の陰で泣いていることだろう。

 おっと、ホンダがテールエンダーから逃れる方法が一つだけあるぞ。それは、ホンダがSAF1に資金提供して、SA08をグリッドに並ぶことができるようにしてあげること。これで目出度くテールエンダー脱出、ブービー賞獲得だ!
 
 例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、すみよしの森の梅の古木。手入れが良いのか、古木の割には花のつきがいい。何よりも黒々とくねった幹が力強く、この古木の手前にある枝垂梅と共に、毎年開花を楽しみにしてる木である。
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フィアット500、日本での発売開始

 いつ登場するのかと、待ちにまっていたフィアット500が3月15日に日本において正式に発表され、同日から販売が開始されるとのアナウンスがなされた。価格は225万円。このミニマムトランスポーターが、日本でどれ程売れるのか、楽しみである。

 最初の500は1936年に登場し1955年まで製造され、「トポリーノ」(ハツカネズミの意)の愛称で親しまれた。フロントに小さな水冷エンジンを載せ、後輪を駆動した。

 二代目500は1957年に登場。空冷のエンジンをリアに積む、リアエンジン・リアドライブ車で、NUOVA 500(ヌゥオーヴォ・チンクエチェントと読む。新しい500の意)で、このモデルから「チンクェチェント」と呼ばれるようになり、1977年まで生産が続けられた。最後の1台がラインオフしてから既に20年が経過しているが、イタリアでは今でも多くの500が走り回り、日本においても愛好家により少なくない数のチンクェチェントが飼育されている。

 このチンクェチェントのデザインをモチーフにし、現代のテクノロジーで蘇らせたのが今回日本でも販売の運びとなった500である。初代から数えると三代目の500であり、いわば「ニュー・ヌゥオーヴォ・チンクエチェント」と言って良いクルマではあるが、どうやら、単に「500」(チンクエチェント)と呼ばれるようである。(詳細はこちらを参照)

 このチンクエチェント、VWのニュー・ビートルやニュー・ミニと同類であるわけだが、この3台、クルマ好きならどれも欲しいと思わせてします妙味を持っている。特に小さい500は、愛玩動物のようでもあり、「我が家でも1台飼ってみようか」という気にさせられてしまうから不思議。

 日本でも、例えばスズキのフロンテ・クーペや、ホンダZなどのデザインをモチーフにして、Aセグメントのサイズのボディに現代のテクノロジーを詰め込めば、なかなか魅力的なクルマが出来上がり結構売れるんじゃないかと思うけれど、どうだろう。

 「軽」だけじゃなくて、トヨタ2000GTなんかも、あの大きさ(安全性と快適性のための僅かな拡大は認めよう)、あのデザインの中で再構築すれば、アルファ・ロメオのスーパースポーツ、「8Cコンペティツィオーネ」(8Cはオット・チと読む)にも劣らぬ、魅力あるクルマが誕生すこと請け合いである。

 出してくれれば、ニュー・ホンダZも、ニュー・トヨタ2000GTも、郷秋<Gauche>は買うぞ。ただし1/43(^^;。
 
 例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、春間近の柔ら名光が差し込む、すみよしの森の竹林の小径。
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SAF1は走る!

 経営危機が囁かれるSAF1、インドマネーが買い取るのではないかとの憶測が流れていたが、「カーティケヤン、スーパーアグリとの交渉は決裂?」と報道されているところ勘案すると、どうやらインドマネーとは交渉不成立の模様。デビットソンに代えてカーティケヤンをSAF1のシートに据える事をホンダが認めなかったことの結果なのか。

 シーズン最後の合同テストにSAF1のマシンが姿を現さなかったのも、ホンダのモータースポーツ活動に関する会見に鈴木亜久里氏が欠席したのも、SAF1がギリギリまで、より有利な交渉を続けているがためと思いたい。SAF1は、2008年も日本のモータースポーツファンの夢を乗せて走る!それを信じたい。
 
 例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、曽我の梅林の北方にある、みかん山から箱根外輪山を見る図。
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ポール・フレール氏、死去

 スクーデリア・フェラーリF1チームのドライバー、「ル・マン24時間」においてフェラーリチームを優勝に導いた超一流のレーシングドライバーにして、世界で最も優れたモーター・ジャーナリストであったポール・フレール氏が2月23日に死去した。享年91。氏の偉業を偲び、ここに謹んで哀悼の意を表します。

 郷秋<Gauche>は、氏を30年前にCAR GRAPHIC誌上で知った。レーシングトラックで培ったドライビングに対する確かな視点、クルマの挙動を余すことなく著す至高の筆致。まさに西にポール・フレール、東に小林彰太郎あり、である。

 CGとの関係から度々来日し多くの日本車に乗り、あまたの車評を残したが、郷秋<Gauche>が特に記憶しているのは、二代目ホンダCR-Xを絶賛し、身銭を切り、911と共にヨーロッパにおける自身の足としたことである。かのPF先生(ポール・フレール氏の尊称)が惚れ込んだと言うCR-Xを是非我が物としたいと思いながら果たせないでいる郷秋<Gauche>である。

 PF先生については、最新の著書「はしる まがる とまる」が出版されたのを機にblogにも書いている(2005年8月26日)。「はしる まがる とまる」の元となったと言っても良い「ハイスピード・ドライビング」についても触れているので、PF先生についてお知りになりたい方、サーキットにおいてより速く、公道においてよりスマートに走りたい方は是非こちらをご覧いただきたい。
 


 例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、曽我の梅林の続き。人出を避けみかん山を少し登ったところで見つけた紅梅と谷戸の白梅。

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中嶋一貴がトップタイム

 バルセロナテスト3日目、コンマ1秒差以内に5台が、1秒の中に10が並ぶ中でトップタイムをマークしたのは、ウィリアムズ・トヨタの中嶋一貴。100周以上の周回を重ねたドライバーも少なくない中、わずか32周で1分22秒153のタイムを記録している。

 レースと違い、テストでは燃料タンクが重かったり軽かったり、あるいは新しい空力パーツのテストをしていたりと、その結果がレース本番にそのまま反映されるわけではないから、ここで喜んでみても始まらないのだけれど、並み居る強豪を向こうにまわしての日本人ドライバーがトップタイムをたたき出したと言うのは、やはり嬉しいものである。

 ただし、他のチームが引き上げたあともバルセロナに残りテストを続けたフェラーリのマッサが、前日に一貴が記録したタイムを1秒645も上回る1分21秒808のスーパーラップをものにしている。やはり今シーズンはフェラーリの一人勝ちなのか。
 
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、曽我の梅林の続き。
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春一番

 関東地方に、春一番が吹きました。去年より9日遅いそうですが、今年の春一番はちょっと凄過ぎです。いつものように恩田の森に出かけたのですが、もの凄い風。気温は、おそらく10度以上あったのだと思いますが、風に伴う埃も凄くカメラのレンズ交換も憚るほどでした。
 
 今日の一枚は、一昨日の続き。曽我の梅林周辺で撮影したものの中から、みかん山にある小さな梅林から相模湾を臨む図。

☆☆☆

 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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ブラウン管が無くなる日

 テレビやコンピュータのディスプレイとして長らく使われてきたブラウン管が、早ければ1、2年後には日本の市場(店頭)からその姿を消しそうである。

 ブラウン管はカール・フェルディナント・ブラウン(1850年~1918、ドイツ)が発明した映像(画像)表示装置で、英語ではその構造からCathode Ray Tubeと呼ばれ、直訳日本語では陰極線管とも言われる。要するに真空管の一種であり、これがなかったら、テレビ放送は成り立たなかったという、大変重要なものである。

 そのブラウン管も液晶やプラズマといった、まったく異なる原理の平面型ディスプレイの登場によって、そのマーケットが加速度的に小さくなってきていたのはご存じの通り。ブラウン管のテレビを使われている方はまだ結構いることと思うが(我が家がそうだ)、今、このブログをCRTのモニターでご覧の方は、多分20人に一人くらいではないだろうか。

 静止画像が中心だったPCのモニターの方が、動画を前提としたテレビの受像機よりも早い時期に平面型ディスプレイに移行したからである。と書いて、気がついた。ブラウン管とCRT、同じものだけれど、テレビ放送の受像機(ようするのテレビのこと)の場合にはブラウン管、PCのモニターの場合にはCRTという言葉を使う事が多いようだ。どうしてだろう。

 場所も取らないし消費電力も少ない。初期のものと比べようもない程、色の再現性も応答性も良くなっているから(放送業界のプロに言わせると、性能的にはいまだにブラウン管のディスプレイに一日の長があるそうだそうだが、業務用にあっては既に新しいブラウン管方式モニターは入手できないらしい)、早晩世代交代するものとは思っていたが、国内では、あと1、2年でブラウン管が姿を消すという予想にはちょっと驚いた郷秋<Gauche>である。
  
 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日の続き。曽我の梅林周辺で撮影したものの中から。
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郷秋<Gauche>、観梅に行く

 風もなく穏やかな晴天となった今日、小田原の曽我梅林に梅を見に行って来ました。首都圏近郊の梅林の多くが、公園などに植えられた花を楽しむためのものであるのに対して、曽我の梅林は、梅の実を採るために植えられた梅の木です。つまり、梅の果樹園なんですね。ここで採れた梅が「小田原の梅干」として出荷されるわけです。

 平日だと言うのに、なかなかの人出でしたが、農家の方の話によると、今年は花のつきが悪いとのこと。なんでも一斉に咲かないのだそうです。10年に一度くらいこういう事があるのだそうですが、それでも3月までには次々に咲き、開花が遅い分、寒さで落花(実)するものが少なくなるので、収穫のためには悪くないのだそうです。

 JR御殿場線の下曽我駅近くには、中河原梅林、別所梅林など有名な梅林がありますが、ヘソの曲がった郷秋<Gauche>は、例によって人出を避けて、みかん畑の中の農道を登り、収穫前のみかんのオレンジ色と点在する梅を楽しみ、鳥のさえずりを聞き、遠くに霞む相模湾を眺めながらビールを飲んできました。

 小田急線で新松田まで行き、JR 御殿場線に乗りましたが、この御殿場線が、なんとJR東海なんですね。勿論、東海道新幹線がJR東海で、これが東京駅まで乗り入れているのは知っているわけですが、神奈川県内の在来線はすべてJR東日本かと思っていましたのでちょっとビックリ。Suicaが使えないので、久しぶりに券売機で切符を買い、改札口の駅員さんに鋏を入れてもらって(実際はスタンプですけどね)乗車しましたが、ちょっと新鮮不思議な感じでした。
  
今日の一枚は、瑞雲寺の東側にある小谷戸で見つけた梅林。
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東芝、HD DVD事業からの撤退を発表

 一昨日(18日)、東芝、HD DVD撤退か という記事を書いた。その中で、マスコミは盛んに東芝の「HD DVD撤退」を書きたてたが、当の東芝は「何も決まっていない」(西田厚聰社長)と報道を否定していることを紹介した。

 ところが、東芝は昨日(19日)になって、HD DVD事業からの撤退を正式に発表した。確かに、東芝は18日時点では「何も決まっていない」と言ったのであり、「HD DVD事業は止めない」と言ったわけではない。だがしかし、前言はいかにも言い逃れ的で、HD DVDユーザーヘの説明責任を果たしているとは思えないコメント。HD DVDユーザーの東芝への不信感は、ますます高まったことだろ。

 そして、昨日は「HD DVD事業からの撤退」と共に、「競合していた規格「ブルーレイ・ディスク(BD)」に基づく製品を発売する計画は現時点ではない。」と発表。ここで問題なのは郷秋<Gauche>が付した下線部分、「現時点では」という文言である。

 「(今は)何も決まっていない」と言いながら、舌の根も乾かなぬ翌日には「HD DVD事業からの撤退」を発表して憚らない東芝のこと、高画質(大容量)の映像を録画できる、HD DVDとは別規格の次世代DVD(つまりはブルーレイ・ディスク(BD)と言うことだ)を、作らないとは限らない。否、早晩BD規格のビデオレコーダーを発売するだろうし、BD規格のPC用のデータレコーダーも出すことだろう。

 ならばだ、「BD規格に基づく製品を発売する計画は現時点ではない。」ではなく、「マーケットのニーズを見極め、今後の対応を慎重に考えたい」ほどの言い方をしておけば良かったものを。あるいは、東芝は「武士は食わねど高楊枝」を貫くつもりなのだろうか。もしそうであれば、東芝も天晴れではある。
 
 例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、すみよしの森で咲く椿。この時期、梅ばかりがもて囃されるが、梅の季節は、また椿の季節でもある。
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広辞苑の謎

その壱 物故者が編者である訳
 広辞苑の編者は、1955年発行の第一版から2008年1月に登場した第六版まで、一貫して新村出氏であるとされている。しかし、当の新村氏は、第二版(1969年)が登場する2年前、1967年8月に没している。したがって、広辞苑の編者として関ったのは第二版の途中までであるはずだが、1976年12月発行の第二版補訂版以降も、編者としてその名前を留めている。今では国語辞典の代名詞までになった広辞苑の編纂に、新村氏が寄せた並々ならぬ熱意を忘れぬための顕彰の意味があるのだろうか。
 ちなみに、広辞苑の第一頁は、今も、第一版出版に際しての、新村出氏による「自序」である。

その弐 広辞苑には「広辞苑」がない
 総項目数24万を誇る広辞苑にも、「甲子園」はあっても「広辞苑」の項はない。「『広辞苑』によれば・・・」とは、随筆などの常套句であるが、果たして「広辞苑」とは何なのか、広辞苑を引いてもその謎を解くことは出来ない。広辞苑に載せるまでもない、日本人なら誰でも知っているべき言葉ということなのであろうか。
 ちなみに、「随筆の書き方講座」などでは、「『広辞苑』によれば・・・」という書き出しは、如何にも陳腐だから避けたほうが良いと教わるらしい。

その参 紙に印刷された広辞苑第七版は登場するのか
 第三版から第四版までが8年、第四版から第五版までが7年。第五版出版から9年が経過し、もはや紙に印刷された広辞苑は登場しないのだろうと思いかけた頃に「第六版近く登場」のニュース。これにはいささか驚かせられたが、果たして紙に印刷された広辞苑第七版が登場するや否や。郷秋<Gauche>は、広辞苑は言葉の意味を調べる道具ではなく、日本語に関する読み物と考えているので、紙に印刷した、本の形をした広辞苑第七版が出版されることを願ってやまない。
 ちなみに、郷秋<Gauche>は広辞苑第四版のCD-ROM版が出たとき(1995年頃であったか)にすぐに購入してみたが、「読み物」には適さないこと、当時のPCでは常時ドライブにCDをセットしておかなければならなかったことなどから、実用に供することはほとんどなかった。
  

 今日の1枚は、郷秋<Gauche>がオフィスで使っている広辞苑第六版。新しい辞書を手に入れると、新しい知識を手に入れたような気がして、ちょっと嬉しくなる。ただし、これはまさしく「気がする」だけで、「新しい知識を手に入れる可能性を手に入れた」だけである。第五版では巻末に収録されていた漢字・難読語一覧、アルファベット略語一覧が別冊付録(本体と同じ函に収まる)とされ、さらに、第五版にはなかった日本文法概説や手紙の書き方などが加えられている。

「新村出編 広辞苑 第六版」岩波書店 定価 本体8,000円(2008年6月30日までは特別定価 本体7,500円)、机上版は同12,000円(同13,000円)
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東芝、HD DVD撤退か

 1月22日に、次世代DVDはブルーレイで決まり?という記事を書いた。その時点で、ブルーレイディスクとHD DVDの海外における陣割やシェアに関する情報を十分に持っていなかった郷秋<Gauche>は「全世界的にも日本国内に近い状況であるようには思えるけれど、ソフト供給側の体制の問題もあるので、「日本の状況=世界の状況」と言い切る事が出来ないのが難しいところである」と書いたが、海外でもブルーレイディスクが圧倒的に優勢であったようである。

 16日以降、マスコミは挙って「東芝、HD DVD撤退を検討=次世代規格争いで苦境」(時事通信)、「東芝のHD-DVD事業、全面撤退含め見直し」(日刊工業新聞)、「東芝 年末商戦惨敗で決断 新世代DVD撤退へ」(毎日新聞)、「東芝がHD DVD方式から撤退で最終調整、規格争いは収束へ(ロイター)などと書きたてた。

 これに対して当の東芝は、HD DVD事業について「今後の事業方針について検討しているのは事実だが、事業の徹底については「何も決まっていない」(西田厚聰社長)と報道を否定。

 まぁ、結局はHD DVD事業から撤退するんだろうな。売れないHD DVDにこだわるよりも、得意なフラッシュメモリなどに経営資源を集中させた方がいいからな(もっとも東芝は「NAND型フラッシュメモリの新工場建設計画」という報道も否定しているが)。

 しかしだ、HD DVDプレーヤー(レコーダー)を既に買ってしまった人はどうすればよいのか。30年前の「ビデオ戦争」(ほぼ決着がついたのは20年前だったかな?)では勝ち組だった東芝も、次世代DVDでは負け組みとなることは確実。

 そうは言っても次世代DVDから撤退するのではなく、いずれブルーレイ規格のプレーヤーやレコーダーを出すことになるのだろうから、時期を見てブルーレイ規格のプレーヤーやレコーダーに買い換えると言うことになるのでしょう(東芝製でなくても良ければすぐに買い替え?)。

 消費者を蚊帳の外に置いたデファクトスタンダード争いはまったく迷惑な話であるわけだが、まだ海の物とも山の物ともつかないうちに、新しいものに飛びついてしまった我が身の不運、同じ過ちを繰り返さないための「授業料」だと思って諦めるしかないでしょうね。
 
 例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、すみよしの森の農家の庭先の枝垂れ梅。今週末辺りには満開かも知れません。
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春間近・・・ふきのとう

 すみよしの森の畑の脇では、ふきのとうがたくさん顔をのぞかせていました。
 
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春まぢか・・・福寿草

 あかねの森の民家の庭先で福寿草が咲いているのは見つけました。
 

☆☆☆

 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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畳と女房は新しい方が良いのか?

 お恥ずかしい話だが、10年ぶりに畳の表替えをした。「畳と女房は新しい方が良い」という諺?がある。女房については、「新しいのじゃなくて、慣れ親しんだ方が良い」という御仁もいるやも知れぬが、畳が新しい方が良いことに異論を持つ方は、まずいないだろう。

 青々とした畳表のせいで、夜でも部屋が明るく見える。そして何よりも井草の心地良い香り。我が家では使うことの少ない和室だけれど、この香りが消えぬうちに一夜を過ごしてみるのも良いかも知れない。他人の家で寝ているようで落ち着かないかも知れないけれど。
 

 我が家の青畳。ストロボ2灯で撮ってみたけれど、難しい。昼間の障子越しの光で撮ったものと、要差し替え!
 我が家は、構造上、南側の「掃きだし」の窓以外には障子をつける事が出来ない。そのため和室ではありながら東向きの窓には和紙を使ったブラインドを提げている。写真で見ると奇異な感じがするかも知れないけれど、実際には茶室として使っている時にもさほどの違和感はない。実は障子だけではなく、雨戸も付かないため、この部屋に泊まった客人は日の出と共に目覚めることになる。
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