三葩(みひら)?

三葩なる四葩三葩と四三二けり


 紫陽花は、その花色が時により場所により変わることから「七変化(しちへんげ)」という別名を持っている。額紫陽花は時に「額の花」と呼ばれ、また装飾花の花びらが4枚であることから俳句の世界では四葩(よひら)と詠まれることもある。

 今日の1枚は「紅額」と呼ばれる山紫陽花の園芸種。この「紅額」、よく見ると装飾花の花びらが3枚しかない。俳句に詠むときには「三葩」とするのか。そんなことはないだろうな・・・(^^;。

 16日に掲載した装飾花が八重咲きの変わり額紫陽花の品種名が「墨田の花火」であることが判明しました。
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人を撮りたい

 昨年4月にデジタル方式の一眼レフを購入し(郷秋<Gauche>的には)本格的な写真撮影を再開して1年2ヶ月。約20,000枚(Photoshopに取り込んだ画像の枚数は今現在22,091と表示されている)の写真を撮影したけど、そのほとんどが恩田の森で撮影した草花や風景だ。

 1年間に20,000枚も撮っている割には自分で納得のゆく程上達していないんだな。その原因をデジタルゆえの「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」や機材(主にレンズ)の不十分さに求めたりするんだけれど、きっとこれは違うだろう。おそらくは感受性の不足と基本的には動かないものばかりを撮っていることから来る緊張感の欠如なんだと思う。

 実は、しばらく前から「人」を撮ってみたいと思いようになってきているのだ。働いている人の表情なんかを撮ってみたいなって。たった一枚の写真にその人のこれまでの人生のすべてが写りこんでいるような写真。まっ、無理だろうけど。

 明確なリアクションのある被写体(つまり「人」だ)を撮影する時の、撮影する側の緊張感は相当なものなんだろうと思う。そんな緊張感の中で撮影することでしか得られない、テクニックではない何物かを得られるような気がする。その何物かを得た後で撮る花や風景はこれまでとは、きっと違ったものになるだろうな。

 でもなかなか難しそう。大体がだ、撮らせてもらうことをお願いすることが、難しい。それが郷秋<Gauche>の一番だめなところだとわかってはいるんだけれど。


 さて、そんな郷秋<Gauche>の今日の1枚は、はるか遠くに「人」がいる、1枚。まっ、「人がいる風景」あたりから始めてみようかな。
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いまさら言わなくたって

 そうは思うけれど、やっぱり言いたい。暑い!暑い!暑い! 今日は「暑い」を通り越して「熱い」って感じでしたね。どのくらい暑いかと言えば、ビールが美味いくらい暑い!って、ビールはいつだって美味いけど。

 6月だと言うのに東京・大手町では正午前に36.2度と、東京の6月の最高気温を記録したとか。東京の日最高気温によれば、6月のこれまでの最高気温は1963年6月26日に記録した35.7度だから42年ぶりに0.5度更新したことになる。

 首都圏では猛暑となった今日、新潟県では大雨による「避難準備情報」が出されていると言う。特に中越地震の被災地では土砂崩れの危険があるというから心配だ。雨雲がもう少し南に下りてきて、首都圏の水瓶となっている群馬県北部に降ってくれるといいんだけれど、なかなか上手くいかないものだなぁ。


 さて、そんな飛びっきり暑い日にお届けする1枚は、北海道・富良野の爽やかなラベンダーの香り。というのは真っ赤な嘘、先週土曜日に撮った近所の家の玄関脇のラベンダー(^^;。
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実は、日本は広い!

 今日、沖縄の梅雨が明けたらしい。同時に東北北部、北陸が梅雨入りしたのだという。沖縄地方が梅雨入りしたのは5月2日だから、それから56日遅れての梅雨入り。何とまあ日本も広いことか。

 地図を広げてみればわかることだが、東西方向で言えば東経122度56分の与那国島から153度59分の南鳥島、南北方向で言えば北緯45度31分の宗谷岬から20度25分の沖ノ鳥島までと、確かに広い。どのくらい広いかと言えば、東西方向では時差にして124分。2時間以上だ!

 東京と那覇でさえ経度にして約12度の差がある。経度1度に付き4分の時差だから東京と那覇では48分もの時差があることになる。東京から沖縄に出かけると日の出が遅く夕方がいつまでも明るいのに驚くわけだが、経度の差を考えれば当然のことでもある(日本の「最端」に興味を持たれた方はこちらをご覧ください)。

 南北にどのくらい広いかと言えば、最北端に近い稚内市の2月の最低気温の平均が-7.6度(寒さだけで言えば-13.2度の帯広市が日本で一番)、同じ月の那覇市の最低気温の平均が14.3度だからその差21.9度だ。

 狭い狭いと言われる日本だけれど、北東端から南西端までの広さをアメリカ合衆国と比較するとだ、東西方向では約半分だけれど南北方向で言えばほとんど同じ広さを持っている。ということはだ、乱暴な言い方をすれば日本の面積はアメリカ合衆国のほぼ半分とも言えなくもない。全部陸地ならばの話だけれど・・・。それにしてもちょっと乱暴過ぎたかな?


 さて、例によって話題とは何の関係もない今日の1枚は、収穫時期を迎えた枇杷(ビワ)。いつもの東京都下某所で撮影。

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紫陽花

 
 昨日・今日と二日続けての真夏日。急に暑くなるとやはり身体にこたえます。今日はちょっと涼しげな1枚。竹林の中から見た山すその紫陽花です。
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カメラマンと写真家、あるいはフォトグラファー

 写真を撮る人のことをカメラマンと言ったり写真家といったりするけれど「カメラマン」と「写真家」、何が同じで何が違うのか。

 郷秋<Gauche>は「カメラマン」という言葉を余り好きではありません。カメラマン=カメラを扱う人=写真を撮る人、という意味なのでしょうが、このカメラマンと言う言葉には写真を撮ることに主体性がなく、あそこに行ってあれを撮って来いと言われて撮っている人、というニュアンスを私は感じます。

 定番の「広辞苑」を開いてみると案の定1.専門の写真技師。写真家。2.新聞社などの写真撮影担当者。と出ています。ユニークな解釈で知られる「新明解」(第4版)によれば、写真の撮影技師。(狭義では、新聞社などの写真部員を指す)とある。

 やはり「カメラマン」と言ったときには広辞苑で言えば2番の、新明解で言えば括弧書きの意味合いが強いようです。「ヒコーキの前輪が外れて滑走路上で立ち往生したぞ。すぐに行って撮って来い」なんて言われて慌てて飛び出して滑走路上で動けなくなっているヒコーキや頭を下げている社長の写真を撮って来るんだな。

 それに対して「写真家」は自分の自由な意思で写真を撮るというイメージが強い。こちらの方は、広辞苑によれば1.写真を撮る人。2.特に写真を芸術の表現手段として撮影・制作する人、とある。新明解でも、芸術としての写真を撮ることをライフワークとする人、とあるから、芸術の1分野としての写真を撮る人のことを指すようだ。

 確かに新聞紙上に掲載されるヒコーキ事故の写真が芸術的であったことはないし、またそれでは困る。報道分野の写真はまず客観的かつ事実関係を正しく表していないとな。そういう写真を撮る人を「報道カメラマン」という。これならその実をよく表している。

 では、「報道写真家」はどうだ。たった1枚の写真が強いメッセージを発し、雄弁に語りかけてくることがある。そんな写真を撮るのが「報道写真家」あるいは「フォトジャーナリスト」かな。商業写真家のように儲からないから取材は勿論自費で、出かける前には土方仕事で旅費を稼いでいる姿が見えてきたりする。でも彼らの撮った写真は時に世論を動かし、国や世界を動かし、そしてピュリッアー賞という大いなる名誉を受けることもある。

 最近「写真作家」という肩書きを目にすることがあるけれど、これはちょっと大仰な感じがするな。個人的には、カタカナにしただけで写真家とどこが違うのかと言われそうではあるけれど「フォトグラファー」という言い方が好きだ。
 チェリスト、エッセイストにしてフォトグラファーの郷秋<Gauche>です(^^)。

 今日の「4枚」はこちらでご覧ください。

恩田Now 
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BMW、ザウバーを買収

 このところ低迷を続けているザウバーに、ついに業を煮やしたのか、BMWが噂どおりザウバーを買収、2006年からはフルワークスチームとして参戦することが発表された。

 これはこれで悪くないと郷秋<Gauche>は思うけれど、また一つプライベートチームが消えていくのは何とも寂しい。かつてのようにDFVエンジンさえ積んでいればプライベートチームでも勝つことができた時代とは違うと言うことだ。

 こうなると2006年のプライベート・チームはレッドブルと愛すべきミナルディ、2チームだけになってしまう。昔はこんなじゃなかったのに。

 フジテレビが全戦中継を始めた1987年には15チーム26台が参戦しているが、ワークス体制での参戦はマクラーレン、ウイリアムズ、ロータス、ベネトン、フェラーリの5チーム10台だけで残りの10チーム16台(1台参戦のチームが4つあった)は所謂プライベートチームだ。ティレル(もっと昔にはタイレルと呼んでいた。懐かしいぞ!)、 AGS、マーチ、ローラの4チーム5台はなんとコスワースDFZでの参戦だ。

 ホンダターボエンジンを搭載しワークス体制で参戦するウイリアムズとDFZを積むAGSとの差は今年のルノーやマクラーレンとミナルディ以上の差があった。例えばホンダエンジンが1-4位を独占した第7戦イギリスGPでは、ウイリアムズの65周に対してAGS/コスワースDFZを駆るパスカル・ファブルは何と6周遅れの59周でフィニッシュしている。

 もっともセナがドライブするロータス99T/ホンダでさえ1周ラップされているから、マンセルとピケのウイリアムズ・ホンダが速すぎたと言えるけどね。ちなみにこのレースの中嶋悟はセナの更に1周遅れ。ただし、これは中嶋のマシンの燃料が残り少なくなっていたためにマンセルに更にもう1ラップされることでガス欠を免れるという作戦ではあったけれど、中嶋の背後にマンセルが近づいていたことは確かだな。いかんいかん、話が横道にそれた。

 まっ、何が言いたいのかというと、DFVのプライベートチームでもレースを楽しみ、そして勝てたのははるか昔のことであって、今のF1は巨大自動車メーカーが面子をかけて戦う商業至上主義のレースとなってしまったということだ。

 では、そんなレースはつまらないかと言えば決してそうではない。自分のクルマと同じエンジンを積んだマシンが隣の親父のクルマに勝ったら愉快じゃないか!もっとも、自分のクルマのエンジンとF1のエンジン、同じ字体でHONDAと書いてあっても、ほとんどなんの関係もないけど。

 と言いながらウイリアムズ・ホンダがコンストラクターズ・チャンピョンになった時、担当の営業さんが記念にとFW11Bのプラモデルを持ってきてくれたぞ(今でも組み立てずに記念にとってある)。逆にプジョーエンジンが勝てないままプロストと共にF1を去って行ったときには自分の306が急にショボク見えたりしたけれど、これはこれで楽しい?!

 ここでもう一度プジョーがカムバック。そしてVW-Audiが参戦、そうだ、ポルシェとフォードもカムバック、GMグループはオペルブランドで参戦だ。俄然面白くなるんだけどなぁ。


 今日の1枚は南天の花。もっぱら秋から冬にかけて赤くなった実を楽しみますが、ジミーではありますが花だって、勿論咲きます。
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おかしなヘッドライン

 Webのニュースでこんなヘッドラインを見つけた。「100歳誕生日にヘリをチャーターし離陸に失敗」

 記事内容はこちら

 このヘッドラインを見て私は一瞬「100歳の誕生日にヘリを操縦して離陸に失敗」したのかと思った。「チャーターし離陸に失敗」では、チャーターしていた人に非があり離陸に失敗した、つまりチャーターした人が自分でヘリを操縦していたかのように読める。でも「チャーター」だから「ヘリを借り上げ」たわけだ。自分で操縦するためなら「ヘリをレンタル」かな?でもいずれにしてもこのヘッドラインでは記事内容を的確に伝えているとは言い難い。

掲載されていたヘッドライン
  「100歳誕生日にヘリをチャーターし離陸に失敗」

郷秋<Gauche>ならこう書くヘッドライン
  「100歳の誕生日にチャーターしたヘリ、離陸に失敗」

 2文字多くなるけれど、これなら内容を読み違えることはないだろう。Web上のニュースはPC画面で見るという制約からか、おおよそ20文字、多い場合でも30文字程度でそのヘッドラインが付けられている。この文字数で記事内容を的確に表現するのは確かに容易ではないと思うけれど、新聞紙上の見出しを見て内容をも読み違えることは少ないから、この違いはどこから来ているのか気になるところだ。

 新聞記事見出しは、記事を書いた記者が付けるのだろう。自分で書いた記事につける見出しだから短くても的確な見出しを付ける。しかもその記者は日本語を操ることについて相当の訓練を積んでいる。

 ではWeb上のニュースはどうか。新聞社や通信社から配信された記事を取捨選択肢しヘッドラインを付けることをどんな方が担当しているのかが問題だな。これはまったくの想像だけれど、新聞社の記者ほど日本語を読み、書くことについての訓練を受けていない方が書いているのではないだろうか。だからWeb上のニュースではヘッドラインを見てその記事内容を連想するのに時間がかかったり、極端な場合にはどんな事件なのかまったく想像できないことが時として起こるのではないだろうか。ヘッドラインを付ける方の日本語能力の差?かな。まっ、私の方の日本語理解能力に問題があるのかも知れないけれど。

 お前の書く文章だって意味がよくわからんぞ!という声が聞こえてくる前に、今日はこのあたりで失礼。


 今日の1枚は、梅雨のさなかに咲き始めた夾竹桃(キョウチクトウ)。白は一重、ピンクには八重咲きが多いような気がするのですが、これはピンクの一重。
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フィルム(で撮るカメラと写真)の話(その2)

 今日は18日に書いたフィルムを使うカメラ・写真の話の続きです。

 郷秋<Gauche>は、実は自分で現像・プリントすることを経験した世代だ(そんなことはわかってるって!)。結構筋金入りだったりして(^^;。世事の忙しさやらなにやらに追われていつしか写真を撮ることも無くなり熱も冷め、引伸ばし機も、いっぱいあったバットやポリタンクもみんな人にあげてしまった。その頃のもので今も手元に残っているのはフィルム現像用のステンレスタンクと引伸ばし機用のEL-Nikkor 50mm F2.8だけだな。

 それはともかく、長い長い中断を経て写真活動(というほどでもないけれど)を再開して約1年、デジタルの一眼レフで20,000枚近く撮影したけれど、このところ妙にフィルムで撮ってみたくなって来たのです。フィルムで撮るというよりは、古めかしい金属製のずっしりと重たいカメラで、自分でピントを合わせて撮ってみたくなったということかな。

 で、そんな撮り方のためにF3を買っちゃたんです。勿論格安の中古だけど伝統のNikon F一桁、1980年から何と2000年まで製造されたジウジアーロデザインの名機中の名機です。でもって、このF3でリバーサルではなくネガフィルムで撮影するんです。そして写真屋さんでフィルムの現像だけをお願いする。今時の写真屋さんは親切だからインデックスのプリントを作ってくれる。これを見ながら使えそうなコマをフィルムスキャナでスキャニングしてPCに取り込みます。フィルムスキャナは1200万画素の解像度があるから、ざっとNikonD2Xで撮ったのと同じ程度の解像度のデータになります。この後はいつもの D70で撮ったのと同じようにPhotoshopで加工してWebに載せる、あるいは必要に応じてネットプリントするということになります。

 撮影はフィルムだけれど、フィルム現像以降の処理はすべてデジタル、というわけです。それじゃ最初からデジタルカメラと撮るのと同じじゃないかと言われそうですが、そうではないのです。ますは自分でピントを合わせるという作業を通してファインダーの向こうにある被写体と対峙・会話する、そしてフレーミングをあれこれ考えながら慎重にシャッターボタンを押す。この一連の動作がデジタルカメラで撮る場合には飛ばしがちで、ついつい安易にシャッターボタンを押してしまうのです。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、とばかりにね。

 もっともF80を使っちゃうとピントあわせはカメラ任せとはなるけれど、何枚撮っても「タダ」のデジタルカメラとは違ってフィルムの場合には現像代だけでも1コマ当たり20円かかるし、フィルムスキャナでデータ化するにしてもそれなりに手がかかるから、やっぱりシャッターボタンを押すときには慎重になる。この「慎重になる」がいいんです。何だかいい写真が撮れそうな気がして。

 結局アナログ、つまりフィルム使うのは撮影の時だけなんだけれど、これは5月4日に書いた通り、今の写真の現像・プリントのプロセスとまったく同じなんだな。自分でデータを取り込んだりPhotoshopを使って自分で加工するかどうかの違いだけ。

 そうなるといよいよ残された道はモノクロフィルムで撮影して自分で現像すると言うことになるかな。もっともこれだってフィルムを現像した後はスキャニングしてデータ化するわけだから、カラーのネガフィルムで撮ってデータにしてからPhotoshopで「色を落とす」のとほとんど同じかな。


 さて、今日の1枚は田んぼ。都市部以外にお住まいの方には別に何と言うこともない風景かとは思いますが、首都圏にあっては貴重な財産なのです。横浜市青葉区に残された自然をもっとご覧になりたいと言う方は下のバナーをクリック!ちなみに「恩田の森」の写真はすべてデジタルで撮影したものです。



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再びF1 アメリカGPについて

 F1アメリカGPがレースと呼ぶのも憚れる程の酷いものであったことは、昨日書いた。だけれど、郷秋<Gauche>は今日も書きたい。今日はタイヤ問題ではなく、フェラーリチームとその二人のドライバーのレースマナーについてだ。

 まずはチームオーダーの問題だ。あからさまなチームオーダーが出されることによりレースの面白みが大いにスポイルされることから、数年前にチームオーダーが禁止となった。面白みが大いにスポイルされる以前に、そもそもがスポーツマンシップにもとる行為、つまり八百長だ。

 チームオーダーとは、例えば、フェラーリのNo.2ドライバーであるルーベンスはNo.1ドライバーであるミヒャエルを(彼のマシンがトラブルを抱えているなど明らかに遅い場合を除いて)パスしてはならない、というチームからの命令のことだ。フェラーリチームは伝統的に二人のドライバーに序列を付け、かつ、このチームオーダーを出すことで有名だ。

 チームによってはこういった習慣のないところもある。例えばウイリアムズ。古い話にはなるがピケとマンセルがチームメイト同士で熾烈な戦いを繰り広げたことはつとに知られる。またセナとプロストを擁した絶頂期のマクラーレン・ホンダチームもまたジョイントNo.1の二人のドライバーを存分に競わせたことで有名だ。もっともこちらは88年の鈴鹿、シケインで同士討ちとなるなど、余り上手くいかなかったことでも知られるが。

 さて、今回のアメリカGPにおけるフェラーリのチームオーダーはこういうものだった。

 48周目だっただろうか、ピットインしたミヒャエルが本コースに出るとちょうどそこに最初のピットインでミヒャエルに先行していたルーベンスが差し掛かるところだった。辛くも接触こそは免れたものの弾きだされたルーベンスはグリーン上を走りコースへと戻る。コースに戻るや速いペースでミヒャエルを追い、ついにはコンマ5までその差を詰め最終コーナー手前ではマシンを右に寄せオーバーテイクのチャンスを伺う。これ以上長くスリップストリームに入っていると冷却水温が上がるのではないかと心配になる頃、チームからラジオを通してオーダーが入る。「二人揃ってゴールすることを望んでいる」と。いかにもF1最古参チームらしい、実に老練かつ含蓄あるオーダーだ。

 このオーダー以降、ルーベンスはミヒャエルとのギャップを2秒程に保ちチェッカード・フラッグを受け、二人は目を合わせることもなくパルクフェルメからポディウムに向かう。

 結果は勿論今季初のフェラーリの1-2フィニッシュ。いかにタイヤ問題による「自主的リタイヤ」があったとしても、そのことの責任はフェラーリにはない(フェラーリが反対しなければ、本コース上に臨時のシケインを設けることで20台のレースが実現していた可能性がなかったわけではないが)。

 異常なレースであったことは確かだが、彼らにやましいことがなければ互いの健闘を称えあい、今季初の1-2フィニッシュをそれなりに祝えたはずだ。そして、初めてのシーズンの初めてのポイント、初めてのポディウムと嬉しくないわけがないモンテイロをシャンパンファイトで祝福してあげるのも、大先輩である二人の義務であったはずだ。コース上のマナー、勝者として相応しい表彰台でのマナーを、F1最古参のチームであるフェラーリが忘れてしまったのだろうか。

 繰り返すが、今回のアメリカGPは異常なレースであった。しかし、それを更に後味の悪いものとしたのはフェラーリチーム、そしてその二人のドライバーである。メディアはこぞってミシュランタイヤ勢の14台が自主リタイヤしたことを書き立てるが、出走僅かに6台という前代未聞のレースの中で行われたこと、そして表彰台の上で行われなかったことこそが、書かれるべきである。

 チームオーダーを出してはならないことに加え、「3位までの入賞者はプディウムにおいてシャンパンファイトを演じなければならない」と、レギュレーションで定めることを、郷秋<Gauche>はFIAに提案する。



今日の1枚は、またまた紫陽花。まだまだ続きます。

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FIAに問題あり!

 まったく酷いレースだった。と言うより、とてもレースとは思えない代物であった。レースは観客があってこそ成り立つものだ。なのにだ、たった6台しかスターティンググリッドに着かない、観客を無視したレースにしてしまった責任のすべてはFIAにある。

 今シーズンのタイヤに関するレギュレーションに問題があることは確かである。パフォーマンス重視の余り、耐久性・信頼性に欠けるタイヤを作ってきたタイヤメーカーにも問題がある。しかしだ、問題があったにしても20台すべてのマシンがスターティンググリッドに着くことができるための妥協点を見つけられなかったFIAにこそ最大の責任がある。このような異常な形で開催されたアメリカGP以降、今シーズンの残りのレースを正常に運営してゆけるのかどうか、甚だ心許無い。新たなリーグ立ち上げの動きが顕在化してくることだろう。

 今回のGPで唯一の見所となりそうだったミヒャエルとルーベンスのバトルが、事実上のチームオーダーによってついえたことも今後に尾を引きそうな問題である。復活の狼煙を上げた途端のお家騒動はいただけな。フェラーリらしいと言えばそれまでだが。

 ともあれ北米2連戦は終了し、全19戦で争われる今年のF1は後半戦へと折り返す。そしてGPは再び舞台をヨーロッパへと移し、フランス・ドイツの2連戦である。今回の2つの問題が今後のレースにどう影響してくるのか、フェラーリの1-2により拮抗してきたドライバーズ・コンストラクターズ両ポイント争いとあいまってますます目が離せなくなってきた今年のF1GPである。
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F1 第9戦アメリカGP決勝レース、27時スタート

  <第9戦アメリカGP予選結果>

  1:ヤルノ・トゥルーリ / トヨタ 1'10.625
  2:キミ・ライッコネン/マクラーレン・メルセデス 1'10.694
  3:ジェンソン・バトン/ B・A・R Honda 1'11.277
  4:ジャンカルロ・フィジケラ/ルノー 1'11.290
  5:ミヒャエル・シューマッハ/フェラーリ 1'11.369
  6:フェルナンド・ロンソ ルノー/ 1'11.380
  7:ルーベンス・バリチェッロ/フェラーリ 1'11.431
  8:佐藤琢磨/ B・A・R Honda 1'11.497

 フロント・ローの異次元の速さと言ってもいいだろう。3番手のジェンソンから琢磨までは僅かに.220の差だ。更に言えば、1'11.754で13番手となったトヨタの代走、リカルド・ゾンタまで.477。コンマ5秒の間に11台がひしめく結果は、いかにも高速コースらしい予選結果と言えようか。

 ルノー勢は予選出走が4番、5番であったのも関わらず2列目、3列目をきっちりと押さえているのはさすがと言える。スタートのいいルノーのこと、オープニングラップを1-2で決めてくる可能性も十分ある。

 BARホンダの二人も、予選出走順を考えればまずまずのポジションを獲得したが、73周の長いレースをどう走るのか、チーム作戦も重要だ。モントリオールのようなチグハグなレースは見たくないぞ。

 前戦で2-3と健闘したフェラーリも久々に上位グリッドにマシンを並べた。ようやくこの位置まで来るには来たが、ヤルノとの差はコンマ744もある。前戦のように大量のリタイヤはないだろう、と言いたいが昨年は完走僅かに9台だ。オーバールの外周部分ではエンジン全開となる反面、インフィールドは低速コーナーが続く、二つの顔を持ったコースだけにマシンセッティングに長じたチームに分がある、と郷秋<Gauche>は読む。

 北米大陸2戦目のインディアナポリスでのレーススタートは前戦よりもさらに1時間遅く日本時間では午前3時だ。少々辛いが見るしかないだろう!



今日の1枚は、またまた紫陽花。

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フィルムの話

 に出かけた帰りに、昨日の夜にネット経由で注文しておいたプリント受け取りのために近所の写真屋さんに寄った。プリントを受け取り、久しぶりにフィルムで撮った写真の現像を頼んでいる時に、カウンターの上に「FILM&IMAGE」という小冊子が置いてあるのに気が付いて一部いただいて帰って来た。

 家に帰って開いてみると、それは富士写真フィルムが9月に創刊するフィルムを使った写真のPR誌の創刊準備号であった。何といいタイミングなんだろう。

 フィルムでは国内で70%、世界でもコダックと並ぶ30%のシェアを持つフジではあるが、デジタル方式カメラに押されフィルム需要の長期低落傾向には危機感を持っているのだろう。片方では新型のデジカメを次々と市場に投入しながら、同時にフィルム需要の掘り起こしに躍起になっているわけである。

 2002年には世界の年間出荷台数が既にデジタル方式カメラ2,450万台、フィルム方式カメラ2,360万台とシャアが逆転しているから、現在のシェアは既にデジカメが圧倒的多数という状況だろう。

 昨年Nikonが伝統の「F一桁」の最高機種F6を発売したが、その折に「F6はハイエンドアマチュア用として設計した」と言うようなことが何かに書かれているのを目にした。Nikonの「F一桁」と言えば世界中のプロ写真家・カメラマンが使うカメラとして絶対的な信頼を一身に受けてきたカメラである。それがF6に至ってアマチュア用だというのだ。ではプロは何を使うのか。デジタル方式のD2Xだ。

 カメラメーカーに、こうはっきりと行く先を示されては流石にフィルムメーカーも驚いたことであろう。アマチュアがデジタルになってもプロがフィルムなら、フィルムの、そしてフィルムを使うカメラのプレステージは揺るがない。たとえボリュームは小さくても一定の量のフィルムは消費され、上昇志向のアマチュアはフィルムに憧れを持ち続ける。だかしかし、だ。

 さて、話を「FILM&IMAGE」に戻そう。創刊準備号は表紙とも16ページだが9月に発行される第1号は24ページとなり、年4回宅配で年間購読料は1,500円だという。ちょっと高いな。

 創刊準備号の中で興味をひいたのは「モノクロの世界へ、はじめの一歩」と題した見開き2ページの記事。今でもモノクロームのフィルムを売っているのだ(当たり前か)。郷秋<Gauche>が写真に没頭した学生時代は勿論モノクロで、フィルムはもっぱらコダックのTRI-Xだった。ポートレートにはイルフォードが言いと聞いて一度だけ使ったことがあったけれど、それ以外はずっとTRI-X 100ft巻きの缶入りを買ってきて使っていた。また話が横道に逸れた。

 この記事の中で、現在はモノクロの現像を受けてくれる店が少ないと書いてある。果たして本当だろうか(本当なんだろうな)。さらに、自分で現像するのも「手だ」と書いてある。確かに。プリントは暗室がないと出来ないが、フィルムの現像だけなら暗室がなくても出来る。ステンレス製の現像タンクもまだ持っている。ダークバッグさえあれば手軽に現像が出来るじゃないか。

 小冊子の話からフィルムを使うカメラ・写真の話になってしまいましたが、この話は「次回に続く」としたいと思います。お楽しみに。

 今日の「4枚」はこちらでご覧ください。

恩田Now 
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自己責任

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050617-00000005-yom-soci&kz=soci

 感情的になった気持ちはわかるけれど、そこはグッと押さえて冷静にアナウンスするべきだったろうな。でも、内容的には勿論その通り。大人なんだからどんな行動をとってもいい。しかしだ、その結果については自分で責任を持たなければならない。自分の自由(勝手)な行動が原因となり、第三者に不利益を被らせた場合には、その内容によっては責任の取りようもないということも勿論ある。最悪のケースとしては第三者を死に至らしめた場合だ。責任の取りようがない。だから大人はそうならないように慎重に行動する。

 「自己責任」と聞いていつも思い出すのはオートバイ運転時のヘルメット着用と、クルマのシートベルト・チャイルドシート着用だ。こんなものは法律で規制する必要はまったくない。死んでも構わない人は「ノーヘル」でバイクに乗ればいい。同乗している自分の子供が死んでも良いと思っている人はチャイルドシートなんか使わなくたっていい。だけれど、自分や自分の子供が死んでも文句を言うんじゃないぞ。自分自身や家族の命を守るのは大人としての「自己責任」なんだから。

 しかしだ、ノーヘルやチャイルドシート不使用の結果保険金がたっぷり支払われ、結果、郷秋<Gauche>の保険料や税金が上がるなんて、真っ平御免だ。

 人は何をしても自由だ。だけれど、直接にあるいは間接に他者に不利益をもたらすことをして良いわけがない。他者の不利益に対して責任を持ちきれない場合があるから、リスクを少なくするために法律で規制する。その法律を守らないのも自由だが、自由の裏側には義務と責任があることを忘れてはならない。


 今日の1枚は、中国原産の美容柳(ビヨウヤナギ)。柳の木とはまったく関係はないけれど、葉が細長いので「柳」、そして美しいので「美容」。
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天邪鬼

 2、3日晴れ間が続くと、せっかく咲いた紫陽花が可哀想だと書くくせに、2日雨が続くと、もう太陽が見たくなる。人間は何と天邪鬼なのだろう。・・・待てよ、私はそんな風には思わない、って言われそうだな。僕は何て天邪鬼なんだろう。これならいいだろう。



今日の1枚は、装飾花が八重咲きの変わり額紫陽花。
6/30追記:「墨田の花火」という品種だということが判明。
花姿によく合った、なかなか風雅な名前ですね。


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