事務官は同校で事務業務を担当していた

 事務「官」と云うからには公務員身分の人の話だから、郷秋<Gauche>の事ではない。今日の神奈川新聞に掲載されていた小さな記事の最後の行に書かれていた文言である(図らずも3日続けての神奈川新聞「ネタ」である!)

 

「無断欠勤の男性事務官を懲戒免職」と云うタイトルの記事で、防衛大学校(神奈川県横須賀市にある。だから神奈川新聞の横須賀の地域頁に記事が掲載さるのだ)は28日、無断欠勤を続けているとして、同校の男性防衛事務官(35)を懲戒免職処分にした。同校によると、事務官は昨年81日に無断欠勤し、現在まで連絡が取れない状態という。『事務官は同校で事務業務を担当していた』。と云うのがその記事全文である。

 

まずは今日の記事(このblogのと云う事だが)のタイトルにした「事務官は同校で事務業務を担当していた」である。事務官とは、公務員身分であって事務業務を担当する者に与えられた職名だろう。事務官でありながら事務業務以外を担当する場合があるのだろうか。自衛隊において自衛業務を担当するから自衛官、医療・保健業務を担当するから医務官、事務業務を担当するから事務官であるのだから、『事務官は同校で事務業務を担当していた』などと云う説明は不要に思えてならない郷秋<Gauche>である。

 

もう一つ。この記事を読んで「えっ?」と思ったのは、昨年81日に無断欠勤して以降、今日まで連絡が取れない状態であると云うこと。要するに7ヶ月間、この防大事務官は行方不明の状態なのだろう。そうなら、懲戒免職処分になる前に、防大事務官の失踪事件として報道される方が先ではないか(その記事を郷秋<Gauche>が見逃した可能性は多分にあるが)。事件・事故に巻き込まれている可能性だってあるではないか。あるいは、行方不明や失踪ではないけれど、連絡が取れない状態と云うのがあるのだろうか。

 

しかしだ、神奈川新聞と云う新聞は、読めば読む程、日本語表現の難しさについて深く考えさせてくれる、実に優れた新聞だと、つくづく思う郷秋<Gauche>であるぞ。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森咲き始めた紅梅。しかしなぁ、花がみんな後ろ姿なんだよね。撮っている時には気が付かなかったと云う、まったく間抜けな郷秋<Gauche>である。

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神奈川新聞から、驚きの回答

 昨日、神奈川新聞に掲載された写真家 エリオット・アーウィット氏とのインタビュー記事の中で使われた『簡易カメラ』の定義について、「神奈川新聞が云うところの『簡易カメラ』とはいったいどのようなカメラの事なのか、是非ともご教示頂きたい」と、問い合わせ中の郷秋<Gauche>であると、書いた。

 

勿論Webから問い合わせたのだが、なんと電話での回答であった。Webの画面からMail Address明記(必須)で問い合わせたものの回答が電話と云うのも何か不思議な感じであるが、まっ、本題とは直接関係がないので今日の所はおいて置くこととしておこう。

 

さて、神奈川新聞が云うところの『簡易カメラ』の定義とは。「レンズ付きフィルム」、あるいは「使い切り(捨て)カメラ」のことなのだそうだ。特定のメーカーの商品名なので、ここに記すのはどうかとも思うが、要するに、より具体的に、判り易く云えば、『写ルンです』の事なのだと云う。

 

『簡易カメラ』とは、ひょっとすると「レンズ付きフィルム」の事ではないかとは、昨日も書いた。今どき、『写ルンです』が(カメラ付)ケータイと同じ程度に普及していて、あらゆるものを日常的に記録するために使われているとはとても思えない郷秋<Gauche>であるが、神奈川新聞の回答をそのまま使えば、昨日の記事はこう書きかえることが可能になる。

 

「ケータイや『レンズ付きフィルム』の普及もあり、多くの人が日常的に写真を撮ります」「もちろん『レンズ付きフィルム』が普及していて、あらゆるものを日常的に記録するために写真を撮ることも多くなっています」って、やっぱり今どき変だろう。

 

10年前なら「ケータイや『簡易カメラ』の普及もあり、多くの人が日常的に写真を撮ります」は、まだ正しかったと思う。でも、2012年の2月末に、この状況があり得るかと云えば、答えは明白だ。有り得ない。5年前に、既に有り得ない状況だったはずだ。

 

郷秋<Gauche>としては、『簡易カメラ』とは「デジカメ」、取り分けカメラ好きの間では「コンデジ」(コンパクトタイプ・デジタルカメラ省略形)と呼ばれるカメラの事であると云う答えを期待していたのである。そう云う答えが返ってきたら、「デジカメ」や「コンデジ」の事を『簡易カメラ』と呼ぶのはまったく一般的ではないし、第一に、真剣に「デジカメ」を作っている各メーカーに対して失礼ではないかと云いたかったのだが、描いていたストーリーは、いとも簡単に崩れ去ってしまったのでありました(^^;

 

 

と云う訳で今日の一枚は、本文中に書いた、(郷秋<Gauche>が好きな云い方ではないが)世に云う「コンデジ」の一例。今どきの「コンデジ」を代表しているとは云い難いが要するに、ごく普通の(これまた郷秋<Gauche>が好きではない云い方だが)「デジカメ」のことである。

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簡易カメラってなんだ?

 今日の神奈川新聞6面に「写真家 エリオット・アーウィット氏が語る」と題する、氏に対するインタビュー記事(企画特集)が掲載されている。タイトルよりも大きく「いい作品(「良い作品」と書くべきだ!)とは、見る人の感性を引き出すものだ」と、記事最後に記された、写真を撮るとはどういうことなのか、あらためて教えて欲しいとの問いに対する、「写真を撮る時のコンポジション(日本語にして欲しかった)、何を撮るのか、そして人に何を伝えたいのかが大切です。一番大切なことはそうしたあらゆることを一瞬のうちに考えなければなりません(「考えなければならないことです」の誤りだろう)。」は、写真する者として心に留めたい言葉である。

 

さて、本日のタイトル、「簡易カメラ」である。実はこの記事の中に「簡易カメラ」と云う言葉が出てくる。インタビュアーの「ケータイや簡易カメラの普及もあり、多くの人が日常的に写真を撮ります」との問いと、この問いに対する答え、「もちろん簡易カメラが普及していて、あらゆるものを日常的に記録するために写真を撮ることも多くなっています」である。インタビューは英語でお行われたものと想像するが、果たしてどのような単語を「簡易カメラ」として使ったのか。

 

カメラのカテゴリとしての「簡易カメラ」と云う言葉を、少なくとも郷秋<Gauche>は聞いたことがない。強いて云えば「レンズ付きフィルム(使い捨てカメラ)」(初出時に「レンズ付き(使い捨て)カメラ」と書いたのは明らかな書き誤り)「レンズ付き(使い捨て)カメラ」や、いま、一部の愛好家の間で流行っている「トイカメラ」や「ピンホールカメラ」が「簡易カメラ」に該当しそうだが、それらを「簡易カメラ」と書いた記事・文献を、これまで目にしたことがない。

 

と云う訳で、只今神奈川新聞に、「神奈川新聞が云うところの『簡易カメラ』とはいったいどのようなカメラの事なのか、是非ともご教示頂きたい」と、問い合わせ中の郷秋<Gauche>なのであります。って、まったく嫌な性格だね(^^)。でも、「簡易カメラ」なんて言葉聞いたことがないんだから、皆さんだって、知りたいでしょう!

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、ようやく恩田の森でも咲き始めた紅梅。ちなみに昨日ご覧いただいた紅梅とは別の木です。

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この地で教師に

 「福島に生まれ、福島で育って、福島で働いて、福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てて、福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです」

 

福島県立福島南高等学校3年、佐藤李さんが、昨年福島県で行われた全国高校総合文化祭で発表した創作劇のクライマックスを飾った言葉だと云う。残念ながら郷秋<Gauche>はこの劇の事も、18歳にしてこれほど強い意志をもって福島で生きようとする佐藤李さんの事も、今日の神奈川新聞を読むまで知らなかった。

 

その佐藤さんが昨日、福島大学の入学試験に挑戦した。大学で音楽を学び教員免許を取り、卒業後は合唱が盛んな県内の中学校で、生徒と人間としての付き合いが出来る教師になるのが夢なのだと云う。

 

今年の福島大学の前期日程の倍率は県内の志願者が大幅に増え、昨年よりも0.4ポイント高い3.4倍なのだと云う。受験者激減を懸念した福島大学の入学広報活動が実った結果でもあるが、それにも増して福島のために福島で学び、福島で働きたい高校生が多かったと云う事なのだろう。嬉しい驚きである。

 

翻って、福島から遠く離れた地の津波による瓦礫の受け入れを拒否し、福島県内は云うに及ばず隣接県への修学旅行にも反対する人たちの動きが後を絶たない。そんな人たちに、福島のために福島で生きる覚悟を決め懸命に努力する福島の若者がいることを知ってもらいたい。

 

原発の恩恵に浴してきたと云う意味では東電と共に加害者の一人でありながら、瓦礫の受け入れを拒否し修学旅行に反対し、福島県産品の購買に躊躇するする人たちは、真の被害者でありながら、苦悩しながらも未来を見据え福島の地で前に歩いて行こうとする彼らの姿を見て、果たしてどう思うのだろうか。

 

佐藤李さんをはじめ、今、あえて福島で学ぶことを志したすべての福島大学受験者に、朗報が届くことを祈らずにはいられない。

 

 

「サクラサク(桜咲く)」とは、合格を知らせる電報の決まり文句であったが、合格の知らせのある2月中旬・下旬、3月上旬の東北はまだ雪の中。桜どころか梅の蕾さえも襟元を固く合わせている季節である。それを知った上で、佐藤李さんをはじめ、すべての福島大学受験生に今日の一枚を贈りたい。

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恩田の森、更新

 お待たせいたしました。本日、恩田の森で撮影しました写真をこちらに掲載たしましたので、ぜひご覧ください。
恩田の森Now 

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単焦点大口径

 322日対応をあれこれ検討し、一部を実行に移しつつある郷秋<Gauche>であるが、はたと考えた。ズームレンズばかりで良いのだろうかと。

 

実は既に2年前から35mm判フルサイズへの移行を意識して、少しずつ購入して来てはいたのだが、それらの多くはいずれもズームレンズで、しかもフィルム時代に設計されたものがほとんどである。ズームレンズとしては大口径と云われるf/2.8のレンズたちも、考えてみれば単焦点大口径のf/1.2とかf/1.4にはとてもとても太刀打ちが出来ないのでる。

 

このところ、Nikon(ニコン)からは24mm f/1.435mm f/1.485mm f/1.4と云う、飛び切り明るくて飛び切り高性能な単焦点レンズが矢継ぎ早に登場しているが、いずれも飛び切り高価なのと重たいのが珠に傷。

 

85mm f/1.4の後を追って85mm f/1.8が登場したが、コーティングの違いはあるにしても価格は225,750円(税込希望小売価格、以下同)から65,100円へ、重さは595gから350gへと、大幅に廉価かつ軽量化されている。24mm35mmにも、出来ることならば28mm105mmにもこのf/1.8のモデルを用意してもらいたいものである。

 

リーズナブルな価格でありながらズームレンズよりも2ランク上の光学性能と、大きく上質な「ボケ」が得られるなら、50mmも含め5本のレンズを揃えてみたくなる郷秋<Gauche>であるぞ。

 

 

と云う訳で今日の一枚は、(MFでは)郷秋<Gauche>が持っている唯一の単焦点大口径レンズ、50mm f/1.4f/2に絞って)で撮った郷秋<Gauche>の机の上。雨の土曜日、たまたま机の上を綺麗にして撮れる状態だったので撮ったまでの一枚だけれど、蛍光灯スタンドの明かり一つで1/250秒(ISO 400)でシャッターが切れ、これだけ大きなボケが得られるのは、やはり単焦点ならではである。

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シグマSD1の特殊なデバイス

 昨年6月に4600万画素、70万円で登場した弩級DSLR、シグマSD1SD1 Merrillとサブネームを付けるのと同時に、現時点での実売価格55万円から18万円へと大幅値下げして39日に再登場するようだが、事実上同じモデルなのにいきなり価格が1/3に値下げなんて、普通は有り得ない。昨年6月に70万年で購入した人にとってみれば1/4になった訳で、暴動が起きておかしくないほどの出来事だと思のだが、幸いなことに、川崎市麻生区栗木にあるシグマ本社に火が着けられたと云う話しは聞こえて来ない。

 

そんな物騒なことにならないようにと云う事なのだろうな、シグマは70万円でSD1を買ってくれたユーザーにシグマ製品40万円分を購入できるポイントをプレゼントするとの事。何とユーザーに優しい会社なのかと感心すると同時に、だったら最初から18万円で売れよ!と思う郷秋<Gauche>ではあるが、70万円だろうが18万円だろうが、絶対に買わない郷秋<Gauche>でもあるわけだから、そんな余計なことを云う資格はない。

 

しかし、一体全体70万円のSD1は何台売れて、どんな人が買ったんだろうね。Nikon(ニコン)とキヤノン、オリンパスとペンタックス、リコーとパナソニックとソニーも間違いなく買ってばらしたことだろう。だから、少なくとも7台は売れたのだと思うけれど、それ以外、どんな人が買ったのかまたく思い浮かばない、想像力ゼロの郷秋<Gauche>である。

 

前置きが長くなったが、今日書きたかったのは、そんなSD1及びSD1 Merrillに、ニコンやキヤノンのDSLRには無い「ダストプロテクター」と云う特殊なデバイスが組み込まれていると云う事実である。ちょっと長くなるが、SD1のカタログに掲載されている説明文を以下に全文引用する。

 

レンズ交換式デジタル一眼レフカメラにおいて、レンズ交換時のゴミ・ホコリの侵入は大問題。このゴミやホコリがイメージセンサーに付着すると画像に写り込んでしまう場合があります。SD1のマウント部分には光学ガラスによるシールド機構、ダストプロテクターを標準装備。マウント回りにシーリング部品を組み込み、内部へのダストの侵入を最小限に低減。また内部可動機構から発生するゴミのクリーニング用に、ダストプロテクターユニットのワンタッチ着脱機構を採用しています。

 

要するに「ダストプロテクター」は、マウント開口部からボディ内部にゴミやホコリが入り込まないようにするフィルターなわけだ。シグマ以外のDSLRメーカーは、マウント開口部からの異物侵入を防ぐ手立ては全く考えず、ローパスフィルターに異物が付着した時のために、超音波で振るい落とす仕掛けを搭載している。一般的論法で考えると、原因を断つ、つまり異物が侵入しないように「ダストプロテクター」を設けるのが優れた対処法と云う事になろうが、「ダストプロテクター」は実は、イメージセンサーに付着した異物を超音波で振るい落とす仕掛けを導入できなかったシグマの苦肉の策なのである。

 

ローパスフィルターに付着するゴミやホコリはマウント開口部からだけ侵入する訳では無い。レフレックスミラーやシャッター幕等可動部分の多いDSLRでは、ボディ内部でゴミが発生する(金属や樹脂が擦れ合うことによってゴミが発生するのだ。このことについてはシグマも十分認識している)。また、それらのゴミは時に粘着性があり、ブロアーで吹いた程度では落ちないことが多いのである。せっかくの4600万画素も、レンズとの間に「ガラス板」があるんじゃ、解像度の点では随分スポイルされているんじゃないかと心配になる郷秋<Gauche>であるが、繰り返すが、SD1SD1 Merrillも買う可能性がまったくない郷秋<Gauche>には、まっ、関係のない話ではある。

 

 

今日の一枚は、現時点では郷秋<Gauche>が持っている唯一のシグマ製品、APS-C専用の超広角レンズ。性能は価格からすれば十分に満足できるが、難点はやたらに重たいのと、この写真からもわかるようにピント環、ズーム環に巻かれたゴムが白濁して汚らしくなること。「現時点では」と書いたのは、フルサイズ対応のために、もう一本シグマのレンズが増える可能性があるから。こちらはその時が来たらご紹介することにしよう。

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裏焼きのピアノ

 カメラにフィルムを詰めて写真を撮っていた時代の話しだ。プリントする際に、引き伸ばし機のフィルムキャリアにネガを裏返しに入れてしまうと左右が反転したプリントが出来上がった。これを「裏焼き」と云うのだが、左ハンドルのカローラだとか、「私の彼は左利き」(古い!)になってしまったりするので、面白がってわざと裏焼きして遊んだりもした。

 

行ったことのない場所の風景写真などだと気が付かないことも多いが、人物の場合には髪の分け目とかペンを左手に持っていたりすることですぐに気が付く。それらが判らにように帽子を被ったり、手に何も持たない場合でも、人の顔は微妙に左右非対称なので裏焼きにすると違和感があってすぐに気が付くことになる。はい、裏焼きの見本。

 

 

ピアノ教師の皆さんにはお馴染みの『ムジカノーヴァ』3月号の表紙だが、表紙イラストのピアノが全然「馴染じゃない」ことにすぐに気が付く。このピアノのイラストだけが左右逆、つまり裏焼き状態なんだな。専門誌でこんな間違いあるのかと驚くのだが、いくら何でも音楽之友社がここまで間抜けな間違いをすることはないだろうから、エイプリールフールには早いけれど「受け狙い?」かと思うのだが、まじめに間違ったのだとしたら、それはそれは大変な事である。

 

 

 

最初にご覧いただいた表紙を「裏焼き」にしたのがこちら。当然だけれど、文字は全て裏返しだが、その中でピアノのイラストは普通の向きに直っている。ところで、先の裏焼きのピアノを見ていると、実際にこういうピアノがあったとしたら、果たして弾けるだろうかと云う興味が湧いてくるのだが、知人のピアノ弾きは言下に「弾けない」。

 

ピアノじゃないけれど、郷秋<Gauche>の高校時代にこう云う同級生がいた。フォークギターを弾く彼は左利きなのだが、最初は普通に、と云う事はつまり弦を左手で押さえて右手で弾くようにと習い始めたのだが違和感が強くて、結局彼は6本の弦を通常とは逆順に張って、弦を右手で押さえて左手で弾くことでギターをマスターしたとの事。ピックガードがサウンドホールの両側に張られていたから、彼の楽器は遠目にもすぐにわかった。

 

そんな同級生はいたけれど、ヴァイオリンやチェロの弓を左手に持つ演奏者を郷秋<Gauche>は見たことがない。郷秋<Gauche>が見たことがないだけで実際にはいるのかも知れないけれど、ソリストなら問題はなさそうだが、楽器や腕がぶつかってしまうからオーケストラでは弾けないだろうな、きっと。

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ドボコン、モツレク、グンポロ

 「合コン」の変形や間違いではない。「今度の『ドボコン』、楽しみにしています」と聞いて、お判りになる方はどのくらいおいでだろうか。どうだろう、10人にお一人と云ったところか。今やもっぱらカメラとF1blogとして定着してしまった「郷秋<Gauche>の独り言」ではあるけれど、古くからのファンの方にとってはサンデーチェリスト「郷秋<Gauche>」のblogだから、このページの読者に限れば3人にお一人にはお分かり頂けるかも知れない。

 

『ドボコン』とは、ドヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲(コンチェルト)、『モツレク』はモーツァルトのレクイエム、グンポロは、漢字で「軍ポロ」書けばお気づきいただけるかも知れない、ショパンの「軍隊ポロネーズ」の事である。しかしだ、いずれも、ことごとく、まったくもって汚い、厭な、心地の悪い響きの言葉である。

 

しかし、この『ドボコン、モツレク、グンポロ』を自他ともに認めるクラシック音楽ファンが、実は結構好んで使ったりしているから不思議である。判り易い所では、寿司屋で「お茶」とか「生姜」と云わずに「上がり、ガリ」と云って、ちょっと通ぶるのに似ているのかも知れない。しかしだ、例えばエルガーのチェロ協奏曲が「エルコン」と呼ばれているのを、少なくとも郷秋<Gauche>は聞いたことがない。常に「エルガーのコンチェルト」と呼ばれているように思うのだが、これはやはりデュ・プレの功績と云うべきかも知れないな。

 

『モツレク』と云えば、合唱愛好家ならば一度は歌ってみたいレクイエムだが、もつ鍋じゃあるまいし、いかにも汚らしい響きである。もう一つ、是非とも歌ってみたいレクイエムに、フォーレがある。郷秋<Gauche>として感心はしないが、『フォーレク』と云う響きは、『モツレク』と比べれば十数段よろしい。耳障りの点では『弦セレ』(チャイコフスキーの弦楽セレナーデ)や『ミサソレ』(ベートーヴェンの荘厳ミサ曲)なども、それ程気にならないのは確かである。

 

どの世界にも、符丁が存在し、それを使うことで互いに仲間と認め合う事実があることを否定はしないけれど、ドヴォルザークもモーツァルトもショパンも、自分の作品が『ドボコン、モツレク、グンポロ』などと呼ばれていると知ったら、顔を真っ赤にして墓から出てくるのではないだろうか。こんな耳障りな、いかにも汚らしい響きの「符丁」は、勿論使うこともないし、聞きたくもない郷秋<Gauche>であるぞ。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、来週には咲いている、咲いていて欲しい、梅の蕾。しかしだ、春に梅の花が咲いているのは当たり前で、咲きそうで咲かない今こそが梅の「華」かも知れないな。

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格好良過ぎるぞ、アストラ!

 「アストラ」と云われても「何じゃい、それは?」と云う時代になってしまった。アストラとは、GMのヨーロッパにおける主力子会社、アダム・オペル社の主力車種。日本においては、ヤナセがVWの輸入権を失くした後、その「穴埋め」に取り扱ったことで有名だが、ヤナセによるオペル社販売も2006年には終了し既に6年が経過。あれ程走っていたオペル車も最近はめったく見かけることが無くなってしまった。

 

そんなオペルが、36日開幕のジュネーブショーで展示すると云う「アストラOPS(オペル・パフォーマンス・センター)」の写真がいち早く公開された。ウ~~~ン、オペル車にしては格好良過ぎるぞと、思わず唸る郷秋<Gauche>である。だってそうだろう。オペル車と云えば、質実ではあって、何の華もないクルマの代名詞であったはずなのに、格好良過ぎるアストラなんて、オペルには似合わないぞ!

 

と云う訳で、気になる方はどうぞこちらで格好良過ぎるアストラをご覧くださいな。残念ながら日本では(多分)買う・乗ることは来ませんが。

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新築のお社

 恩田の森の、特にすみよしの森にはたくさんの小さなお社や祠がある。いづれも大きくても大人の腰高(例えば悪いが犬小屋程度の大きさ)、小さな物は膝くらいまでの小さなもので、石造りの物もあるし、いかにも手作りらしい木造の物までいろいろである。多くがお稲荷さんで、石彫のお稲荷さんが社の前に鎮座している。稲荷神は農業や食物をつかさどる神様だから、に、あるいは家々にお稲荷さんのお社が祭られているのはごく自然なことだと思う。

 

ただ、物質的に豊かになり、食べ物の心配がなくなると同時にこれらの信仰とそのよりどころとなるお社から人々の信仰心が離れて行ったであろうことは容易にそう想像される。その結果としてお社は荒れ、特に木造の物は朽ち果てたまま放置されたままのものが散見されたが、時に再建されることもある。数年前には、すみよしの森の南麓、子どもの国通り沿いにあったお社が再建されていた。昨日見つけたのが今日ご紹介するお社。

 

これまであった、倒壊した石造りのお社が片付けられ(一部は新しいお社の左右に建てられている)、南向きから少し東に向けられ、地ならしもされた場所に、銅版で屋根を葺いた真新しい木造のお社が建っていた。鳥居も新造され、まるで新しいお社が出来なような趣きである。お社とは古いものとの固定観念があるせいか、新築のお社と云うのはなんだか違和感がなくもないけれど、宗教・宗派を問わず信仰がお年寄りだけのものになってしまったと云われる昨今だけに、信仰の拠り所としてのお社が再建されたのを見て、なんだか嬉しくなった郷秋<Gauche>であった。

 

 

お社を近くで撮った写真はに掲載してありますので、興味を持たれた方は、どうぞご覧ください。

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さようならルビーニョ、さようならヤルノ

 ルーベンス・バリチェロが、さようならも云わずにF1の舞台から去って行った。ルビーニョとしては2012年もシートも確保出来るものと考えていたんだろう。だからこそ引退とは云わなかった。でも、結果的にはシートを得ることが出来ずに、静かにF1から去っていくことになった。

 

ヤルノ・トゥルーリは、2012年シーズンを新生ケータハムで過ごすことが決まっていたはずなのに、ロシア人ドライバーにシートを奪われる形でF1を去ることになった。F1の世界では契約書など何の意味も持たないただの紙切れであることを証明するような出来事である。

 

ヤルノが去ったことにより、2012年シーズンはイタリア人F1ドライバーがゼロと云う、前代未聞のシーズンとなることが確定した。コンストラクター・チームとしては最強のフェラーリが存在しているが、確かにイタリア人ドライバーとなると、すぐには思いだすのが難しい状態が続いていたことは確かで、だからこそヤルノにはもう少し頑張ってもらいたかったのだが、残念なことである。

 

ルビーニョとヤルノが、自らがF1を去ることによってF1に新しい才能を迎え入れると云う役割を果たしたことは、最後の大きな仕事として評価したいものである。F1を去ったとは云え、レーシングドライバーとしては超一流であることは間違いがない二人である。別のカテゴリでの活躍を祈りたい。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、開花まで秒読みとなったすみよしの森枝垂れ梅。

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恩田の森、更新

 お待たせいたしました。本日、恩田の森で撮影しました写真をこちらに掲載たしましたので、ぜひご覧ください。
恩田の森Now 

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二月も半ばを過ぎて

 例年になく寒い日が続いています。神奈川県内の梅の名所では例年通りの日程で「梅まつり」を開催するも花が咲かずにヤキモキしているとか。そうは云っても二月も半ばを過ぎたと云う事は、三月が近づいて来たと云う事。なるせの森谷戸奥の梅も、明日は咲き始めているのではないかと、今から楽しみです。

 

 

今日の一枚は、先週、あかねの森の日当たりの良い民家の庭先で咲いていた梅。

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今日の神奈川新聞の記事から

【本来の言葉遣いを大切に】 読者のページに掲載された、横須賀市在住72歳の主婦の投書。「全然うまい」などと、芸能人がTVで話しているが、「全然」はその後に否定の語を置いて使うのが正しい用法であり「全然+肯定」は誤り。日本語は漢字一つにしても、深い意味合いが隠されているのだから本来の日本語の使用法を大切にしたいとの投書。

 

現在は「全然+否定」の形で、「全然美味しくない」「全然知らなかった」などと使われることが多いが、少なくとも明治以降、昭和10年代までは「全然+肯定」の用法も普通に用いられていたとされる国語学者の研究成果が知られるようになってきている。言葉は時代と共に常に変化しつつある生き物なのである。神奈川新聞が、「全然+肯定」の用法が誤りでることを広く知らしめるためにではなく、「全然」の用法に対する興味・関心を喚起するために採択・掲載した投書であると信じたい。

 

【こんなに難航するとは…】 3.11大震災の復興支援のために、神奈川県内で被災地の「がれき」を焼却処分することについて、県民あるいは焼却場近隣住人の理解が得られないことに対して。被災地以外で焼却処分しようと云う「がれき」は、宮城県あるいは岩手県内で生じたものである。一部の県民あるいは焼却場近隣住人が、放射性物質が拡散されるのではないかと反対しているようだが、取り分け岩手県と福島第一原発と直線距離は、地図を広げて、神奈川県とのそれと同等であることを知って欲しい。

 

将来的には福島第一原発付近で発生している「がれき」の処分問題も浮上するが、それとて、原発の利便を共有してきた、日本国民が等しく受忍しなければならない問題であり、原発の電気は使ったけれど、尻拭いは御免こうむりたいと云うわがままは許されない。少なくとも現時点では問題は岩手・宮城両県の「がれき」処理であり、一日も早く被災地の焼却処分が実現し、被災地復興に貢献できる神奈川県でありたい。郷秋<Gauche>は、黒岩神奈川県知事を強く支持する。

補足:がれき(瓦礫)とは、もともと瓦(かわら)と小石の事だから、これらはどう頑張っても焼却できない。建物が崩れた残骸と云う意味は、おそらくはずっと後になって付け加えられた「意味」なのだろう。言葉は生きているのだ。

 

【オリンパス旧経営陣が逮捕】 前会長兼社長、前常務監査役、前副社長らと共に粉飾をむしろ「主導」した大手証券会社元社員らも同時に逮捕された。1千億円以上の損失を粉飾するための指南役も同時に逮捕されたわけだが、彼らが得た報酬の総額は72億円にも上ると云う。

 

報道された限り最も若い横尾宣政容疑者は57歳とのことであるが、粉飾に関わったのが10年以上前からだとすれば、40代で数億円もの「不正な」報酬を受け取っていたと云う事になる。若くして都内一等地の高級かつ有名なマンションに住まい、超高級輸入車を乗り回す人がいるが、今回の逮捕劇や既に服役中の元某IT企業社長の例を出すまでもなく、若くして巨額の収入を得ている人の多くは、何がしかの違法行為に手を染めているのではないかと思えてしまうのは、低所得・小市民の郷秋<Gauche>の僻みであろうか。

 

それにしてもオリンパス、ミラーレスのトップを快走するだけではなく、大ヒット間違いないE-M5で追いすがろうとするパナソニックとの差を確実なものにしようと云う勢いなだけに、負の歴史を一日も早く清算して本業に専念して欲しものである。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、本日、多摩森林科学園で撮った蝋梅(ろうばい)。名前に「梅」と付いているが、本来の梅とは別属である。

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