十月晦日

 明日からは11月。11月と聞くと、もう冬隣りの印象だが、今年はちょいと違う感じだ。やけに気温の高い日が多く、今日なども半袖で闊歩する若者を大勢見かけた。かく云う郷秋<Gauche>もはるか昔の学生時代、文化の日前後に行われる学園祭の時に、半袖のポロシャツを来ていたら変人扱いをされたものである。101日には冬服に着替え、暑くても半袖など着ないのが習いの、昔の話しである。

 

 随分と近しく付き合い、愚息共も随分となついていた後輩が、三人目となる男児を出産したとの写真付きのメイルをくれた。母子共に健康だとの事。まずは目出度い。子はその家のみならず、地域のそして国の宝である。廃炉まで30年以上かかると云う原発等、彼らの時代までも脅かす負の財産を残してしまったことを詫びると同時に、屈せず良き国を作って欲しいものだと願わずにはいられない。

 

 インドGPも終わってみれば、またしてもセバスチャン・ベッテルのPole to win。若き2年連続チャンピョンとそのチームは、既に消化試合となったGPにおいてもその手綱を緩める気配はない。巷では、年間最多PP、勝利記録の塗り替えが話題となっているが、マンセルの14 PPやミヒャエルの13勝は、年間16戦だった当時のもの。獲得ポイント数と同様、年間19-20戦の今どきとは比較にならない。

 

 Nikon D800の発表が、タイの洪水被害のために延期された模様。噂では1026日に発表され約一か月後に発売予定であったようだが、今の様子では無期限に延期と云う事になりそうだ。一方、中国の工場で生産されている「1」は予定通り発売され、売れないだろうとの郷秋<Gauche>の予想を裏切り、BCNの最新のデータによれば、一眼レフ&一眼カテゴリでV117位、J118位と健闘の様子。

 

 このblogページの右側バーにあるリンクコーナーにバナーを入れる作業がようやく終了した。gooが提供している標準のインターフェイスからではバナーが入らないので、HTMLで書いて直接張り付けてみた。「独り言」のblog化はともかく、「恩田の森」をblog化したのは僅か10ヶ月前だと云うのに、HTMLをすっかり忘れている体たらく。脳味噌が退化の一途を辿っていることを実感した。トホホ。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、手前には大根畑、その向こうには里芋畑が見える、たおやかな十月末の谷戸。

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中間貯蔵施設を首都圏に誘致しよう

 福島第一原発の事故により、広範囲ににわたり放射能に汚染された福島県で、これから本格的な除染作業が始まる。それは、都市部の側溝等に止まらず、農地や山林など非常に広範囲(福島県は岩手県に次ぐ広大な面積を有する)での作業となり、その結果、除去された汚染土壌、落葉・落枝が大量に発生する。問題は、その土壌等を長期間保管する保管場所である。

 

 まずは、除去作業が行われた地域で一時的に保管することが必要になるだろう。その後最終処分までの間、安定的に数十年保管する中間貯蔵施設が必要になる。勿論その間に、汚染土壌を短期間に効率よく除染する技術を開発することも必要となる。更には除染後の土壌を埋設する最終処分場を選定する必要がある。政府の発表によれば、中間貯蔵だけでも「最低」でも30年は必要だと云う。その間、大量の汚染土壌をいったいどこに保管するのか。そしてその最終処分場は・・・。

 

 郷秋<Gauche>は、中間貯蔵施設を首都圏に設置すること、そして最終処分場として東京湾を提案する。理由は簡単である。

 

 福島第一原子力発電所では、東京電力管内、取り分け首都圏(以下、首都圏と云う)で消費されるための電力を発電していた。福島県民は原発で作られた電気をただの1ワットたりとも使っていなかった。首都圏に住む私たちの為の原発が福島県につくられ、その原発が事故を起こしたために田畑を捨て、家を捨て、仕事を捨てて避難生活を強いられ、高線量の中での生活を強いられているのは、首都圏住民ではなく福島県民である。

 

 首都圏では0.3マイクロシーベルト毎時の「高い値」の放射線が観測されたとしてニュースになり、除染作業が行われたと云ってはニュースになっているが、福島県民200万人の半数以上が住む中通り地方では、いまだに1.20.5マイクロシーベルト毎時程度の放射線量の中での生活を強いられている。

 

 何の責めを負う事も無いはずの福島県民が依然高い放射線の中で生活を強いられ、また県内外への非難を強いられているのは誰の為なのか、何の為なのかを考えたい。答えは実に簡単。福島県民の過酷な生活を強いているのは郷秋<Gauche>を含めた首都圏住民なのである。私たち首都圏住民の快適・快楽的生活のために原発が必要となり、その為の原発を作ることを「暗に」認め、福島県につくることを「暗」に要求したのは私たち首都圏住民であり、その結果が福県県民に甚大な被害ももたらしたのである。

 

 原発事故の直接被害は勿論のこと、風評被害等、原発事故に起因するすべての被害を受けている福島県民には何の落ち度もないのである。勿論それらの被害は、国と東京電力によって完全に保障されるべきであるが、それは国と東電がすることで、私たち首都圏住民が何もしなくて良いと云う事を意味する訳では勿論無い。

 

 何の責任もないのに重大な被害を受けている福島県民に、これ以上の負担を強いることのないように、中間貯蔵施設を首都圏に設置し、そして除染後の土壌等を東京湾の埋め立てに活用するのである。

 

 「そんな危険なものをどうして私たちに近くに持ってくるのか」と云う人もいるだろう。しかしだ、考えてもみて欲しいい。土壌が放射能で汚染されたのは、私たち首都圏住民が多くの電力を使用し、その為に原発を必要とした結果ではないのか。福島県民には何の責めもない。それは首都圏住民に責任があるのかと問いたい方もおられるだろう。責任はあるのだ。一度事故が起きれば甚大な被害が予想された原発建設を容認した私たちに責任があると、郷秋<Gauche>は明言する。

 

 「私たち」には首都圏住民だけではなく、福島県内への原発建設を容認し、永年多額の補助金の受けてきた福島県と福島県民、そして、そのような電力行政を「是」としてきたすべての日本国民が含まれることをも認識しておきたい。ただしその中で最も責任の重いのは、原発の便利さを最大限に享受してきた首都圏住民であることは間違いのない事実である。

 

 その責めを福島県民にだけ押し付けるのはフェアではない。原発の便利さを最大限に享受してきた首都圏住民が、その責任の一端を追わなければならないのは自明なのである。

 

 中間貯蔵施設を一か所に集約するのが難しければ、東京、神奈川、千葉、埼玉の一都三県に分散すればよい。中間貯蔵施設が首都圏にあれば土壌の除染後に東京湾を埋め立てるのにも都合が良いはずである。そのくらいのことを受忍しても余りある程の迷惑と損害を、福島県と福島県民にかけたことを、そして今もかけ続けていることを私たち首都圏住民は、あらためて、はっきりと認識するべきである。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、また干されたまま残っていた稲。この田んぼは稲刈りが遅かったことから脱穀も遅くなったっている。恩田の森では一番最後の脱穀作業をなることだろう。

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インドGP開幕

 インドGPが始まった。インドで初めてF1のレースが開催されるサーキットの名前は「ブッダ・インターナショナル・サーキット」。まずは名前が素晴らしいが、近年初開催を迎えている韓国同様(恥ずかしながら、富士スピードウェイも同じだったが)、工事が完了しておらず、TVには登場しないであろう部分ではかなり酷い状況らしい。

 

 新興工業国の仲間入りを果たし、特に自動車産業の更なる発展の起爆剤としたいインド政府の肝いりで初開催にこぎつけたインドGPだが、その運営等については次年以上への宿題を沢山もらいつつの初開催となるようである。

 

 それにつけても、我が国の自動車産業黎明期に、自動車産業においては新参の弱小企業であったホンダが、本田宗一郎が、鈴鹿サーキットを建設したその先見の明には感服せざるを得ない。

 

 さて、そのインドGPで唯一の日本人ドライバーである小林可夢偉は18番手スタート。後ろにはバージン、HRT、ロータスしかいない、事実状の最後尾。序盤では好調を維持したが、中の開発が進まなかったようである。今シーズンこれ以上の好成績は困難だろうからので、2012年に期待するしかないと云う事になるな(ペレスがペナルティで可夢偉の後方グリッドをなった模様)。明日の決勝レースで、せめえオーバーテイクで見せ場を作ってもらいたいものである。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、山茶花(さざんか)。山茶花は江戸時代から多くの園芸種が作られたようである。これはツバキ科の特徴である、大きな黄色の蕊がまったく見えない品種。

 

昨日の素朴な疑問:昨日、「飲むお茶の色は緑色(グリーン)なのに、どうしてブラウンの事を茶色と云うんだろう」と書いたが、実の色をして「茶色」と云うのだろうかと思った。椿の実は黒だが、お茶の木の実は確かに「茶色」である。

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恩田の森、更新

 お待たせいたしました。本日、恩田の森で撮影しました写真をこちらに掲載たしましたので、ぜひご覧ください。
恩田の森Now 

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今更Nikon FM2用のカメラケース

 Nikon(ニコン)の名機、かつての写真学生御用達のFM2専用の革製カメラケースが新発売。まずはこちらをご覧くださいな

 

 FM2用となってはいるが、当然のこととしてFMFM2New FM2FM3AFEFE2で使えるケースで、しかも5色もある。要するに、「ミラーレス」がカメラ女子に受けていることから、カラフルなケースやネックストラップが各社から売り出されているが、同じ「ノリ」で作られたのがこのFM2用(と云うか、売られた台数から云えば、New FM2用だろう)の革製カメラケースという事だろう。ちなみに、当然の事のように「下半身」しかない。

 

 しかし凄いのが、黒や濃淡二種の茶色だけではなく、バイオレットと赤があること。これはもう「フィルムカメラ女子」狙いであることは間違いない(「フィルムカメラ女子」狙いなら、白も欲しいところだが、後から追加されるだろうか)。しかしなぁ、DSLR(デジタル方式一眼レフ)と違って、フィルムのカメラは一本(どんなに頑張って撮っても38コマ)撮り終わったら、巻き戻して裏蓋を開けてパトローネを取り出して新しいフィルムを装着しなければならない。

 

 この時に、カメラケースがどれ程の邪魔者になるのか、考えたことがあるだろうか。って、つまりこんなケースを作る人と、使う人の両方に考えてもらいたい。ケースを外さないと裏蓋が開けられず、閉じた後にまたケースを装着しなければならないのである。こんな余計な手間暇がかかるのに、それを承知でケースを使うか? ただでさえ時間がかかるフィルムの交換だと云うのに、更に余計な手間暇をかけていたら、間違いなくシャッターチャンスを逃してしまうぞ。

 

 などと余計な心配をするのは郷秋<Gauche>くらいのものかも知れない。カメラは単なるファッションで、一本のフィルムに初詣と海水浴とスキーと云うのは極端にしても、一日の撮影では一本しか撮らないと云う方には特に不便でもなんでもないことだろう。しかしFM2って、もう2万円以下で買えちゃうようだけれど、程度の良い売り物はほとんどないんじゃないかな? 綺麗な色の新品の皮ケースに入れるなら、やっぱりカメラだって綺麗なのがいいけれど、綺麗なボディを探すのは大変だと思うな。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、畑にぽつんと置かれた背負い籠。この籠に畑仕事の道具を入れて畑に出向き、採った作物をこれに入れて家に戻るのだ。ちなみにこの籠の主は、ちょっと離れたところで除草の仕事中。

 

本日の素朴な疑問:飲むお茶の色は緑色(グリーン)なのに、昨日掲載したように花弁は白、蕊は黄色なのに、どうしてブラウンの事を「茶」色と云うんだろう。

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何事も起らなかった10月27日

 結局今日は、何事も起らなかった。いや、別に台風が来る予定だったとか、地震発生の兆候があったと云う事ではない。あったのは、Nikon(ニコン)D700の後継機、D800発表の兆候。そう、約10日前、つまり、タイで大規模洪水が発生する前までは、今日、1026日にD800が発表されることになっていたのである。

 

 郷秋が待ちに待っているD800は、またしても天災により発表が遅れることになった。ニコンだけの話ではないが、3.11で大きな被害を受けた企業の中でもグローバルな展開をしている企業が、今度はタイでの水害被害によって、今年2度目の天災による被害を受けることになったのだ。

 

 しかしだ、一体全体D800はいつ発表されるんだろうね。こう度々先伸ばしにされたのでは、さすがに嫌気がさしてくる。だからと云っても、郷秋C社に転向する事はないけれど、DSLRに背を向けて、フィルムを使うSLRに「転進」してしまう可能性が無い訳ではない郷秋だぞ。だって、馴染の店でまずまずの程度のF3Tの黒がMD-4とのセットで、リーズナブルな価格で売りに出されているのだよ(^^)

 

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、花期を迎えた「チャ」、つまり、お茶の木の花。低木なのに下を向いて咲く花が多いので撮影が難しい。どうしても「お茶=侘び・寂」とステレオタイプに考えてしまうので、より一層難しくなる。本当はレフ版で光を補った方が良いのは判っているのに、横着してストロボでごまかしてしまった「不出来」である。今週末、リベンジできると良いのだが・・・。

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新作ポストカード

 実は、結構たくさんのオリジナルポストカードを制作している。人の迷惑も考えずに押し売りをしたりすることもあるが、各種取り混ぜてまとめて50枚程の注文を頂くこともなくはない。って、そういう奇特な人は実家の母と伯母(母の妹)くらいのものだが(^^;

 

 自分でも頂き物の礼状や、暑中見舞いの返礼を出しそびれていた友人へのシーズンズグリーティング用に必要だったので、17日と23日に撮った写真を使ってポストカードを作ってみた。

 

 

 ハガキのアスペクト比(縦横比)は1:1.48Nikon(ニコン)のDSLRアスペクト比1:1.5(通常は2:3と表記される)に極近いので、一枚の写真ならばほぼトリミング無で収まるので良いのだが、幾つに折ってもアスペクト比が変らない1:1.414A4等の用紙)よりも若干長細いので、上のカードのように複数の写真を組み合わせようとすると、縦位置の写真の上下を若干切り詰める必要が出てくるので、多少の工夫も必要になる。

 

 利用目的が最初から判っていれば、そのようにフレーミングすることができるのだが、大抵は撮った後で利用の仕方が考えられるので、せっかく上下ぎりぎりに配置した「重要な添え物」が切れてしまったりすることも出てくる。

 

 それならば最初からトリミングを前提に多少広めに押さえておけば良いと云う事になるのだが、それをしだすとどうしてもフレーミングが甘くなる、つまり、テーマが不明確になり同時に撮影時の緊張感が薄れるので、それはしなく無いと云うジレンマに陥ることになる。

 

 上のポストカードが上出来かどうかは別にしての、観念的と云うのか、理論的と云うのか、技術的な話である。

 

 ちなみに写真左上から、小紫(こむらさき、恩田の森Now 1017日に掲載)、残り柿(blog 1025日掲載の別ショット)、山茶花(さざんか、blog 1024日掲載)である。付けたタイトルは「里の秋」だが撮影場所はいずれも、一般的には都会的だと思われている横浜市青葉区内である。このミスマッチが、郷秋<Gauche>としては結構気に入っている。と、自画自賛。

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NHK受信料値下げ反対

 NHKが受信料を値下げするらしい。今すぐするのかと思ったら、来年の10月、つまり1年後からだと云うから、さぞかし鬼も大笑いしていることだろう。例えばの話しだが、来年の10月までの間に、全国のNHKの施設が集中的にテロ攻撃され、復旧対応のために一気に経営状態が逼迫することだって無くはない。その時にはどうするのだ。想定外も想定しなければならない世の中だと云うのに。

 

 そもそも、郷秋<Gauche>はNHK受信料の値下げに反対だぞ。月に120円値下げされても郷秋<Gauche>はちっとも嬉しくない。値下げなんかしなくていいから、その財源を次世代の、あるいは次々世代の放送技術の開発に投入するべきである。一家庭にとっての120円は微々たるものでも、全国の家庭の部分を集めれば膨大な額になる。潤沢な資金に物を云わせて、絶対に他国が追随できないような、画期的技術、全世界のスタンダードになる必然性をもった圧倒的に高度な技術を開発するのだ。

 

 技術立国と云われたのは一昔もふた昔も前の話し。今やかつての発展途上国にトップランナーの座を脅かされ、分野によっては既に二番手、三番手に転落している。郷秋<Gauche>は繰り返して云う。月120円の値下げなどする必要はない。放送技術分野でトップランナーであった時代の輝きと優越性を再び我が国のものとするのだ。それはまた、全世界に対して日本が出来る貢献だろう。するべきである。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、柿。「残り柿」と云うにはまだ少し早いだろうか。

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昭和っぽい?

 先日、久し振りに乗った電車の中で、高校生の女の子が話している、こんなフレーズが耳に飛び込んできた。

 

 「なんかさ、昭和っぽいのって、いいよね」

 

 何故か、前もなければ後ろもなく、そこだけが聞こえてきた。「なんかさ、昭和っぽいのって、いいよね」。果たして「三丁目の夕日」でも見て来たのかどうかは勿論判らないし、いったい全体、何を指して「昭和っぽい」と云っているのかは謎である。

 

 それはさておき、そうか、今どきの高校生は、3年生だってもうすっかり「平成時代」に入ってからの生まれなんだ。と云うより、平成生まれの大卒が会社に就職している時代になたのだと、あらためて思った郷秋<Gauche>であった。

 

 郷秋<Gauche>がもの心ついた昭和30年代には、明治生はまだ立派な現役だった。その後「明治は遠くなりにけり」なんて云われるようになったけれど、それは大正から数えて50年程は経った頃だったろうか。まだ、いろんなことの移り変わりがゆっくりだった頃、つまり「10年ひと昔」などと云われていた時代の50年と、今の10年が同じくらいの「時代感覚(間隔?)」だろうか。

 

 だとしたら、もはや既に「昭和は遠くなりにけり」、昭和時代が懐かしむ程に遠い昔になりつつあると云う事である。昭和生まれ(しかも真ん中より前だ!)の郷秋<Gauche>としては、ついつい「テレビのチャンネルを回す」と云ってしまったり、電話をかける仕草で、ダイヤルの穴に指を入れて回してみたりと、もう完全に昭和時代の遺物ぶりを発揮しているなぁ。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「さざんかさざんか咲いた道、たき火だたき火だ落ち葉焚き」の歌に出てくる山茶花(さざんか)。椿に良く似るが、椿が春の花であるのに対して山茶花は、落ち葉焚きの季節、つまり晩秋から冬にかけての花なのである。

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里芋と薩摩芋

 今日は、いつも写真を撮らせていただいている方の所に、撮った写真をお持ちした。これまでも、ご自宅が判っている方の場合はご自宅に、ご自宅が判らない方の場合には、畑であった時にはその場でお渡ししているが、今日、お渡したいと思って持参した三軒分の写真は、2軒分は畑でのお仕事中に、一軒はちょうど自宅においでの時にタイミングよくお渡しすることが出来た。

 

 写真を撮らせていただいているお礼に、荒らさないように気を付けながらの話しだが、田んぼや畑の隅に入らせていただいているお礼にお持ちする写真なのだが、大変喜んでいただけることが多い。7年間通ううちに顔を覚えていただき、怪しい者ではないことも知っていただいた結果だろうと思うと、こちらも嬉しくなる。

 

 今日は、たまたま先週、「いい写真が撮れましたか?」と声をかけてくださった方の所に写真をお持ちした。畑でたまにお目にかかるだけの方だったので、チャックの付いたビニール袋に入れた写真を作業小屋の雨に濡れない所にピンで刺して置いてこようかと思って用意をしていたのだが、折よく畑仕事をされていたので、写真を直接お渡しして、ちょっとお話することも出来た。

 

 7年前に恩田の森での撮影を始めた時に思った、風景や草花と云った自然だけではなく、都会の中に残された里山で暮らす人たちを撮ってみたいと云う願いがようやくこの頃適うようになってきた。郷秋<Gauche>だって、見知らぬ誰かにいきなりカメラを向けられたら、ムッとする。でもそれが、多少なりとも見知った人ならば、腹も立たない。そんなものである。

 

 

 今日の一枚は、写真のお礼にと、その場で掘ってくださった里芋と薩摩芋(果たして「サトイモとサツマイモ」と片仮名書きした方が判り易いだろうか)。芋と云えば、ジャガイモとサツマイモをすぐに思い浮かべるが、旧来、日本で芋と云えば里芋の事であったとの事。頂いた芋の半分は、来春庭の隅に植えてみようと思い、深めの穴を掘って埋めておいた。残りの更に半分程をシリコンスチーマーで蒸して田楽味噌をつけて食べた。これだと蒸した後に手で皮をむけるので手間がかからない。懐かしいい味がした。ありがとうございました。そしてごちそう様。

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恩田の森、更新

 お待たせいたしました。本日、恩田の森で撮影しました写真をこちらに掲載いたしましたので、ぜひご覧ください。
恩田の森Now 

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万年筆

 今日の神奈川新聞にパイロット萬年筆、もとへ、パイロットコーポレーションの一面広告。

 

 

 「万年筆は、時間がかかる。でも、その時間は、相手を思う時間になる。」

 

 一面全て和田誠氏の手書きの文字をイラスト。何が素敵かって、きっと、和田氏の人柄が表れているのだろ、お世辞にも達筆とは言えない、その文字が素敵だ。シンプルだけれど味のある万年筆とインク瓶のイラストも、普通だったらここは活字だろうと云う、会社名と住所も、URLもロゴタイプも手書きなのがいい。

 

 「万年筆は、時間がかかる。そこが、いい。」

 

 郷秋<Gauche>もまったくそう思う。秋の夜長に、万年筆で手紙を書いてみたくなったぞ。さて、誰に書こうか。

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親ばか

 今日は日比谷公園の前にある、日本プレスセンターまで出かけて来た。郷秋<Gauche>の写真を使ってもらう打ち合わせ、では勿論なく、愚息の書いたコピーが展示してあると云うので見に行ってきたと云う、親ばかな話である(^^;

 

 

 2011年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」に応募し、残念ながら入賞はできなかったが、最終選考まで残ったことから、全17点の一つとして、展示されるに至ったとの事。

 

 

 

 作品のUpです。「仕事」と云うテーマに基づいて、「おとなは、仕事に育てられる。」と云うコピーを考えて、アート担当のパートナーとのコラボレーションの結果生まれた作品がこれ。(初出時にはありませんでしたが、本人の了解が取れましたので掲載しました。)

 

 私たちは日々の生活の中で夥しい数の「コピー」を目にしている訳だが、こうして一つのテーマに基づいて、いろいろな人の、いろいろな切り口から、いろいろなタイプのコピーが生まれ、それを紙媒体に文字だけで、あるいは写真と共に表現されて出来上がった作品は、同じテーマに基づいて制作された作品とは思えない程のバラエティに富んだもので、なかなか面白かった。

 

 ワンパターンになりがちな郷秋<Gauche>の写真も、切り口を変えてみれば、これまでのものとは違ったものになるのかなと、どう切り口を変えるのか、果たして立ち位置を変えずに切り口を変えられるものなのか、立ち位置が変ったらどうなるのか、そもそも立ち位置は変るものなのか、変えていいものなのか等々、いろいろと考えさせられたコピーの展示会見学であった。

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自転車の取り締まりを強化?それは違うだろう!

昨日のニュースに、警視庁が自転車の歩道走行禁止を厳格運用(許可された場所を除く)すると云うものがあった。歩道を傍若無人に走る自転車によって死亡事故も起きている現状を踏まえ、本来車道を走るべき自転車が歩道を走ることを事実上黙認していたことをあらため、厳格に運用する、つまり、歩道を走行する自転車を取り締まることを伝える記事である。

 

ブレーキの無い「ピスト」で路上を走行するなどもってほか。こう云う自転車の運転者はどんどん検挙すればよい。携帯電話で話ながら、更にはメイルを見ながら打ちながらの走行も検挙すればよい。夜間の無灯火も、即検挙だ。歩行者に危害を与える可能性のある危険な自転車運転はどんどん検挙せよ。それらは、間違いなく危険なのだから。

 

でもだ、もっと危険なのは、交通量の多い、それでいて幅員が狭く自転車専用の通行帯の指定がない車道を自転車で走行することだ。確かに自転車が歩行者にぶつかることによる死亡事故も起きていることは事実だが、もし、すべての自転車が車道を走行したならば、自転車対歩行者の事故の何百倍もの自転車対自動車の事故が、しかも重大な事故が起こることは火を見るよりも明らかである。

 

警視庁がまずするべきは、自転車の歩道走行禁止の厳格運用ではなく、都内のすべての道路に、歩道と共に自転車通行専用帯を設けることである。まずはそれを実施し、その上でなお、歩道を走る自転車があれば、それを取り締まれば良い。危険な車道を走らざるを得なくなった自転車が重大な交通事故に巻き込まれたとき、警視庁はその責任を取る覚悟があるのか。「法律で車道を走ることが決められている」からなどと説明でもしようものなら、警視庁を支持する都民はゼロになるぞ。

 

ついでに云わせてもらうならば、自転車の取り締まりを厳格にするのならば、同時に危険な歩行者も大いに取り締まってもらいたいものだ。漫画本を読み(眺め)ながら歩く者を、携帯電話の画面を見つめかつ操作しながら歩く者を、他人を火傷させる危険を顧みず火のついたタバコを指に挟んで、有害な煙の吸引を他人に強要する歩行者を、是非とも取り締まってもらいたいものである。

 

 すべての道路に、歩道と共に自転車通行専用帯を設けることが不可能なことは勿論知っている。無理なことは無理なのだ。同様に自転車に歩道を走るなと云う事もまた無理なのである。どちらも無理ならもっと現実的な折り合いの仕方が、指導の仕方が、運用の仕方があるだろう。

 

 取り締まりを強化すれば解決すると云う問題だけではないことに気が付いていながら気が付かない振りで取り締まり強化を打ち出した警視庁は、まったくもって怪しからんぞ。警視庁のすることは、全国46道府県の警察がすぐに真似しようとするのだから、もっと自覚を持って、本当に必要なことが何なのかを考えて行動して欲しいものである。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、コスモスの蜜を集める蜜蜂。この頃、自分で蜜蜂を飼うことはできないだろうかと思う郷秋<Gauche>である。

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AF‐S DX 16-85mmがモデルチェンジ?

 Nikon RumorsAFS DX NIKKOR 16-85mm F3.5-5.6G ED VRII型に進化するのではないかとの情報が掲載されているが(see here)、これは実に怪しい。だってそうだろう。このレンズは2008222日発売と、登場からまだ310カ月未満の新しいレンズで、VRだって最初からVR II(ロゴがゴールド。I型は赤)だったんだから。

 

 同じクラスのレンズにAFS DX 18-200mmがあるが、こちらは200512月に発売となり、39ヶ月後の200994日にII型に進化している。コーティングが変ったとか云う人もいるけれど、「違いの判らない男」郷秋<Gauche>には勿論その違いは判らない。唯一わかるのは、自重で伸びてしまう鏡胴にロックスイッチが付いたことくらいだ(恥ずかしながらVRIIに進化した違いも判らない)。

 

郷秋<Gauche>は18-200I型を5年使った後にII型にスイッチしている。I型を使い始めて3年目くらいにVRユニットが壊れたので修理に出した時に、ホコリがたくさん混入していたレンズ内部のクリーニングもしてもらった。その後2年間で再び埃が多くなってきたので(特に鏡胴が伸びるタイプのズームレンズの宿命である)、オーバーホールも考えたが、費用対効果を考えて結局II型に買い替えた。

 

 この顛末を詳しく書くとこう云うことだ。既にD7000が出ていることからD90+18-200mmII型」のキットが激安で売られていた。まず、これを購入。新品同様のD90と手持ちの18-200mmI型」をセットで知人に適価で譲渡。差引18-200mm II型を3万円程度でゲットしたことになった。時折レンズキットが激安で出ている時があるが、そういう時を狙ってこういう裏技も使えると云う一例。ただし、18-55mmのようなレンズは新品でもほとんど値段が付かないので要注意。

 

 閑話休題。16-85mm F3.5-5.6G ED VRは、良いレンズである。広角側を35mm判換算で24mm相当の画角まで広げたのと引き換えに望遠側を抑えているのが18-200との最大の違いだが、広角側が換算24mmだと、更に広角のレンズを必要とするケースは多くない。室内での撮影で換算300mmは必要なく125mmあれば十分。郷秋<Gauche>は、徒歩での自然風景撮影でこれ一本でと云う時にはマクロ代わりにもなる18-200mmを、室内撮影の時、もしくは70-200mm70-300mmと云った望遠ズームとの併用の時には16-85mmと、使い分けている。

 

 またまた話が逸れたが、16-8518-200と比べると各種収差が程よく抑えられ、少々小振りとなった、実にバランスの良いレンズである。望遠側が見劣りするのに実売価格がたいして違わないことに不満を感じる方がいるかも知れないが、これはもう一度使ったら離せない、非常にコストパフォーマンスの高いレンズなのである。新たなズームレンズ購入を考えている方にとっては一考に値すると断言する。

 

 その16-85がモデルチェンジするとなるといったいどんなレンズになるのか。フォーカスレンジを替えずにコーティングを進化させることが考えられるが、価格を考えるとナノコーティングはないだろう。広角側を更に14mm35mm判換算21mm)まで広げて18-200との差別化を更に進めると云う事も有り得ないわけではない。もしそうなら、多少価格が上昇しても郷秋<Gauche>は即、買い替えだ。

 

 しかしなぁ、18-200のような売れ筋だからこそ、4年を経ずしてのバージョンアップも可能だった訳だが、玄人筋には評判は良くても本数が出ているとはとても思えない16-854年足らずでモデルチェンジとは、郷秋<Gauche>には俄かに信じられないぞ。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、採る人もないままに熟し朽ちつつある、柘榴(ざくろ)。何ともったいないことか。そのまま食べるもよし、焼酎に漬けるもよし、料理に使うもよし。もったいなさ過ぎである。と云いながらも、人様の庭のもの故、郷秋<Gauche>には撮ることしかできない。何ともはや恨めしい。

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