「大学院履修生」は職業か

 今日の神奈川新聞「自由の声」(所謂と「投書欄」である)に、「著名人擁立 有権者も問題 大学院履修生 ○□△○男35(茅ヶ崎市)」と云う投書が掲載されていた。この際この投書の中身は郷秋<Gauche>が書こうとしている主題に関係ないので特に説明しない(タイトルの「有権者も問題」は「有権者も問題」だと思うが、この際良いこととしておこう)。

 郷秋<Gauche>が云いたいのは、果たして「大学院履修生」が職業であるのかと云うことである。神奈川新聞の投稿要領によれば、実名が原則で、(前略)住所、氏名、年齢、職業(後略)を書かなければならないことになっている。とすると、神奈川新聞は「大学院履修生」を「○□△○男」氏の職業として認めたことになるのだが、さて、「大学院履修生」って何だ?

 今の大学には「科目等履修生」と云う制度がある。正規の大学生ではない高等学校卒業以上の方が(実際には大卒者が多い)、ある大学で開講されている授業科目の一部を履修して、正規の単位を修得できる制度のことである。「大学院(「件の○□△○男」氏は「科目等」の語を省略しているものと思われる)履修生」とはその大学院版だから、大学を卒業した、正規の大学院生以外の方が大学院で開講されている授業科目の一部を履修して、正規の単位を修得できる制度、その学生と云うことになる。

 お判りの通り「科目等履修生」とは、正規の大学(院)生ではない、パートタイムの学生である。パートタイムの学生だから、多分、通学定期を買うことができない。あくまでもパートタイムなのである。

 職業とは、広辞苑を引くまでもなく「生計を維持するために日常的にしている仕事」のことだろう。つまり、それをすることで収入を得る事が出来るのが職業だ。だから、学生は正しい意味での職業ではない。主婦が職業であるかどうかについて論じ出すと際限のないことになるので今日は避けておくが、「主婦」が「学生」と共にその方の「属性」を表す有力が分類項目であることは間違いない。

 同様に、「元国会議員」とか「元小学校高校」「元警察官」が、元の職業に関連する内容の投書をした場合、その「元職業」つまりその方の属性は投書内容をより深く理解する助け(あるいは説得力)になることは確かである。しかし、「科目等履修生」は記事内容理解の為の何の助けにもならない。

 収入を得るためと云う意味では「アルバイト」や「パートタイマー」が、あるいは「会社員」が本来の職業であって、「科目等履修生」はあくまでも従たるものであるのだから。もっとも「○□△○男」氏が職業として「政治学研究科科目等履修生」(そうならばと云う仮定の話だが)と書いてくれたならば、多少の意味を持つことにはなったかも知れないが。

追記:今日はトルコGPについて書くつもりでPCに向かったのに、書きあがった記事はまったく別のものでした(^^;。間抜けもいいところだけれど、トルコGPについては明日こそは書きたいと思っております。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、田植え時の「白山谷戸」。間に小さな畑を挟んで手前に田植え前、奥に田植えの終わった田んぼ。横浜の原風景の一つである。
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日替わり天気

 昨日・今日はいつ降りだすかという雨催いの天気。でも一昨日はほんの数時間で腕が真っ赤に日焼けするほどの晴天。そして明日はまたそんな好天になるようだ。「日替わり定食」ならぬ「日替わり天気」である。「女心と秋の空」と云うのは変わりやすいものの例えだが「2010年春の空」も変わりやすいものの例として辞書に書き加える必要があるんじゃないかと思うほど、安定しない天気が続いている今年の春~初夏である。


 安定しない天気が続く中でも一昨日は奇跡的な好天。好天過ぎて雲の一片さえもない青空。抜けるような青空は一般的には喜ばれるかもしれないけれど、写真を撮る人間にしてみると余り嬉しくない。銭湯のペンキ絵じゃあるまいし、変化がなさ過ぎるのである。「青い空に白い雲」が、ステレオタイプと云われようとも、写真には欲しい空なのである。
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魔の手が今度はウェバーに

 フリープラクティス2で好タイムを出していたウェバーだが、残り5分、最後のアタックに入る前にマシンをコース脇に止めている。今シーズン序盤戦で、速さがありながら度重なるトラブルの為に幾度も悔しい思いをしているセバスチャン・ベッテルだが、そのベッテルのマシンにとり付いていた「トラブル」と云う名の悪魔は彼の新しいシャーシ「ランディ・マンディ」を嫌い、今度はチームメイトであるマーク・ウェバーのマシンにとり付いたのかも知れない。予選で悪さをすることはなかったようだが、3戦連続最前列から発進する決勝レースでもおとなしくしているという保証は、まったくない。

 ここイスタンブールパークのコースはマクラーレンのマシンに合っているのかも知れない。最初のフリープラクティスでルイス・ハミルトンがトップタイムをたたき出したあと、2回目のトップはジェンソン・バトンである。2勝するもモナコの0ポイントが祟ってランキング4位に甘んじているバトンだが、あるいは、ジェシカに取られていた分のパワーをもレースに注ぎ込んだ結果のトップタイムか。予選ではトップ、ウェバーからコンマ486遅れの4位となったが、決勝レースの戦略次第では表彰台にも手の届く位置ではある。

 近年のテスト(開発)ドライバーは、次世代のレースドライバーを発掘するためのポストのようになっているけれど、本来は経験豊かなドライバーがなるもの。だから山本左近がヒスパニア・レーシングのテストドライバーのシートを得たとのニュースを目にして郷秋<Gauche>はびっくり驚いた。なぜなら、山本左近は次世代のレースドライバーにもなり得ないし、経験豊かなドライバーでもないからである。しかしだ、考えても見れば開発ドライバーが必ずしもフリープラクティスで好タイムを出す必要はなく、そのフィードバックにより開発が進められたマシンでレースドライバーが予選・決勝で好成績を残す事が出来ればよいわけである。22-24位はその成果と云うことである。

 2010年シーズン序盤戦、終始若いチームメイトの後塵を拝したミヒャル・シューマッハだが、やはり不調の元凶はそのシャーシにあったということなのか、ここに来てニコと互角の予選結果を出している。そうは云っても二人が常に前後している事を考えると二人ともマシンのパフォーマンスを最大限まで引き出した結果であり、現時点では両ドライバーがマシンのポテンシャルを上回るドライビング能力を持っている、逆に云えばMGP W01のポテンシャルがミヒャエル、ニコ両ドライバーの力量に追いついていないと云う事の証明でもある。

 チャンピョンシップ獲得のためにはもっとも重要なシーズン中盤戦、2010年F1第7戦決勝レーススタートまで23時間。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、雨催いの横浜港。
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恩田の森、更新

 本日、恩田の森で撮影いたしました写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
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雪の下

 春まだ浅い頃、溶け出した雪の下から愛らしい花が顔を出すのならばこの名前が付けられたのも理解できるが、今どき咲く花に「雪の下」はないだろうとずっと思っていた。今年もまた咲き始めたのを機会に調べてみたら「雪の舌」説を発見した。これなら判るぞ。つまり、「雪のように白い舌のような二枚の花弁がある花」の「舌」が「下」に変化したと云うのである。

 動植物の姿は大方が左右対称である。植物の葉っぱも動物の顔も、皆左右対称である。勿論人間の顔も左右対称だが、微妙な「ずれ」が美しさの源であると云う説もある。つまり、完璧な左右対称は整ってはいても人に感性に訴えかける美しさに欠けると云うことなのである。左右対称の美しい中に潜む極僅かな破綻、それは目の大きさであったり眉の形、唇の形であったりするのかも知れないか、その微妙なアンバランスが人の心を揺れ動かのかも知れない。

 「雪の下」の花の形について書くつもりであったが、話が横道に逸れた。

 「雪の下」の花は左右対称ではあるが、上下は非対称である。花弁が独立していない合弁花の場合は上下非対称の場合も多いようだが(奇数枚数の花弁の場合は除くとして)、花弁が独立していながら上下非対称の花は珍しいような気がするけれど、どうだろうか。まっ、美しければそれで良いのだとは思うけれど、いったいぜんたい何の為に、誰の為にこんな姿になったのかを考え出すと眠れなくなりそうなので、止めにしておくことにしよう。

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オリンパスのユニット交換式カメラ

 暫く前にOLYMPUS(オリンパス)のE-3の後継機種がユニット(モジュール)交換式になるのではないかと噂が流れたが、郷秋<Gauche>はこれを聞いて幻の「Mシステムカメラユニット」を思い出した。

 この「Mシステムカメラユニット」についてはネット上を検索してもほとんど情報がないが、幸いオリンパス自身が写真と共に簡単な解説のページを用意してくれている(see here)。このページの説明の中で「ミラーボックス機能をまとめたユニット、ファインダーユニット、フィルムバックユニット」と書かれているが、それについてはこちらの写真をご覧いただくと良くご理解いただけることだろう。

 ご紹介した両ページには「1969」と記されている。1969年に試作機が完成したと理解してよいのだと思うが、それはオリンパスが満を持してM-1(すぐにOM-1に改称)を世に送り出す4年前のことである。1969年当時の一眼レフ市場はニコン、キヤノン、ミノルタ(現在ソニーが継承)、ペンタックスの他にコニカ、フジ、リコー、ヤシカ、コシナ、トプコン、ミランダなど多くのメーカーが鎬を削っていたが、オリンパスは後発メーカーとしてこの市場に進出するに当たり、尖兵としてまずは当時のスタンダードマウントと云えるPマウントのFTL(1971年発売)送り出しながら、同時にまったく新しい革新的なカメラの開発に取り組んでいたということになる。

 しかし、ファインダーやフィルムバック交換可能な「Mシステムカメラユニット」はオリンパスの「独創」ではなく、中判のハッセルブラッドなどでは以前から導入・実用化されている方式であった。後発メーカーとしては既存のモデルにはない付加価値が必要と考えて35mmの一眼レフにおいてもフィルムバックの交換可能なモデルを検討したと云うことなのだろう。折りしもそれまでの白黒が中心からカラーが急速に台頭してきた時期でもあるが、カラーフィルム(及びプリント)が高価であったことから一台のボディで白黒、カラーの撮り分けの可能性を検討したのではないかとは、郷秋<Gauche>の想像である。

 結果として35mmの機動性を最大に生かしたコンベンショナルなスタイルながら、当時としては最小最軽量のM-1を完成させたオリンパスであったわけである。そのオリンパスがデジタル時代のフラッグシップ、E一桁シリーズにおいてユニット交換式を導入するとなると、いったいどんなカメラが登場するのか、実に興味深いぞ。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、柚子(ゆず)の花。同じミカン科ですので似ていて当たり前なのかも知れませが、それにしても17日にご覧頂いたレモンの花とそっくりです。ただ、柚子方は花弁が5枚のものと4枚のものの両方があるような気がするのですが・・・。
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ちょっとクラシカルに

 フィルムで、しかもマニュアル・フォーカスで撮る準備がほぼ整った。いつ出撃命令が出てもいいようにと(って、出撃命令を出すのは郷秋<Gauche>自身なんだけどね)、FM3AとFE2にネックストラップも取り付けた。FE2の方は、イカレていた「アテプラ」(吊り環(ボディとストラップを繋ぐ三角の金属環)がボディに当たってボディのブラック塗装が剥げるのを防ぐプラスチック製の小さなパーツ)も取り替えた。

 がしかし、どうもしっくりこない。それもそのはず、最初に取り付けたのはD300で以前に使っていた幅45mmの「スーパーワイドIIストラップ」と云うイカツイもの。D300+MB-D10+70-200G VR=約3kgのカメラをぶら下げるためのストラップをオールドファッションな一眼レフに付けてみると、やっぱりなんとも不似合いなのである。そこでこんなストラップを買ってきて付けてみた。


 シルバーのFM3AにはHAKUBAの茶色の皮製を、ブラックのFE2には帆布生地と革を組み合わせた「ナチュラルストラップ」(Nikon純正で4月30日に発売になったばかりの新製品。4色ある中で黒だけが白のステッチが入り、お洒落)を付けてみた。ちなみにどちらも30mm幅である。

 郷秋<Gauche>的にはどちらも結構いい感じだと満足しているのだが、あえて難を云えば、最近の「女子カメラブーム=たすき掛」の影響なのか、いずれも「たすき掛・首掛け」兼用の為にストラップがちょっと長めなこと。まっ、郷秋<Gauche>の場合は胴が長いからこれくらいがちょうどいいとも云えるけど(^^;

 さて、この2台(FM3Aは外せないが、FE2はF3かEMへの変更の可能性もある。レンズは20mm~200mmのAi-Sの中からその朝の気分で装着。「軟弱」なズームは使わないと心に決めている)を持って、果たしてどこに何を撮りに行くのかと云う事が問題なわけだが、実はこころ密かに決めた場所がある。しかしだ、もうすぐ写真展が始まるので、これが終わるまでは行けないかも。トホホ。
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ジウジアーロ氏、VWの軍門に下る

 VW(フォルクスワーゲングループ)が25日、イタリアのイタルデザイン・ジウジアーロ社(IDG)を買収することを発表したとの報道。

 イタルデザインはロータス「エスプリ」(72年)、VW「シロッコ」(73年)、同「ゴルフ」(74年)、いすゞ「ピアッツア」(81年)など、自動車史に残る名車をデザインたことで知られると共に、Nikon(ニコン)F3、EMなど自動車以外のデザインでも偉大な足跡を残してきたデザイン事務所である。

 40年にわたり関係浅からぬVWがそのイタルデザインの株式90.1%を取得することが発表されたわけだが、VWグループ各社の製品のデザインだけにと止まるのではなくイタルデザインの活動がこれまで通り、工業デザインの各分野で発揮されることを願わずにはいられない郷秋<Gauche>である。


 カメラの世界にも大きな足跡を残したジウジアーロ=イタルデザインだが、そのもっとも大きな成果物がこのNikon(ニコン)F3(写真はF3P+MD-4)。良く云われることだが、F3は傾斜した独特のスタイルのモータードライブMD-4を装着した姿が美しい。ただし、ファインダー(交換式)はアイポイントが高く高機能(実用的)なDE-3(ハイアイポイント(HP)ファインダー)よりも、小振りなオリジナルのDE-2アイレベルファインダーを装着した姿が最も美しいと、郷秋<Gauche>は断言する。
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社長!の趣味

 今日の日経に「社長の趣味」と云う、小さいけれど郷秋<Gauche>的には興味深い記事が掲載されていた。

 件の記事は日経の調査ではなく帝国データバンクが企業データベースに収録している約130万社の代表者を対象に主な10種類の趣味について集計したものだそうだ。

 日経はこの記事に「『社長の趣味』ゴルフ3割下回る 釣り人気上昇」と云うタイトルをつけている。2001年には社長!の34.7%がゴルフを趣味としていたが、今年4月時点では28.4%まで低下したそうで、その原因を日経は「保有していたゴルフ会員権を資金繰りのために売却したり、接待ゴルフの減少でプレー機会が減少したことが背景にあるようだ」としている。

 ちょっと待て。「保有していたゴルフ会員権を資金繰りのために売却したからゴルフが出来なくなった」とか「接待ゴルフの減少でプレー機会が減少した」事が原因でゴルフが趣味だと云う社長!が少なくなったって、経費でゴルフが出来なくなったからゴルフが趣味じゃなくなったということか?!趣味って元々身銭を切ってするもので、会社の経費でするのは仕事あるいは無駄遣い(あるいは社長は「税金対策だ!」と云うかもしれない)であって趣味じゃないだろう!

 会社の経費の無駄遣いと、身銭で楽しむ趣味との違いがわからない社長!って、なんだかなぁ・・・。少なくとも郷秋<Gauche>はそんな社長!とは一緒に仕事をしたくはないぞ。

 さて、ゴルフのあとには読書(8.2%)、釣り(4.7%)、旅行(4.0%)、ドライブ(1.3%)、絵画(0.8%)、カラオケ(0.3%)、コレクション(0.2%)、楽器演奏(0.1%)と続くのだが、これらを合計しても59%にしかならない。後の41%の社長!は無趣味ということなんだろうか。それにだ、音楽鑑賞と楽器演奏、つまり聴くのと自分でするのとが分けてあるのに、絵画は描くのと見るのとが分けていない。さらには、社長!が好きそうなマージャンやパチンコ、盆栽(ここはガーデニングじゃなくてやはり盆栽だろう)、ゴルフ以外のスポーツもトップ10内に入っていない。

 郷秋<Gauche>としては、絵画が0.8%なら、写真とかカメラが趣味だと云う社長!が2.8%はいていいんじゃないかと思うんだけれど、写真もカメラもトップ10には入っていない。なんだか日本の一般常識的な理解と大きくずれた調査結果だなぁ。大丈夫か、帝国データバンク。帝国データバンクのデータを鵜呑みにして垂れ流す日経も大丈夫だろうか。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「大人の遠足」。恩田の森には時々大勢の大人が遠足にやって来る。大人と云っても大抵の場合、老人、元へ、前期高齢者の皆様だ。いったいどう云う人や団体が主催するのかわからないが、時々こう云う団体様に遭遇する。この日も三ヶ所で同じ団体に遭遇した。多分「春の恩田の森を歩く」とか「青葉区の自然探訪」とか云うタイトルの参加者募集記事が市や区の広報に載っているんだろうな。そのうち郷秋<Gauche>も前期高齢者の一人として同じような「歩く会」に参加するかも知れないので、これもまた良しとしておこう(^^;。
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森の代掻き

 見渡す限り続く田んぼではない。小さな谷戸にある小さな田んぼ。果たして一家の一年の食卓を賄えるのかどうか心配になるほどである。

 これまで意図して家屋を写しこまないようにしてきた恩田の森の写真。そのためにフレーミングには随分苦労も工夫もしてきた。良い勉強にもなった。でも、最近考えが少し変わってきた。恩田の森は家一軒ない深山にある訳ではない。都会に残された、ほんの小さな森である。その森のあちらこちらに小さな畑があり小さな谷戸に田んぼがある。呼べば応えてくれそうなところまで住宅が迫ってきているのが今の恩田の森である。

 そんな森の有様を撮っても良いのではないか、ご覧頂いてもよいのではないかと、最近思うようになってきた。それこそが本当の「恩田の森」なのだと。今しばらくは逡巡することとは思うけれど、これからはまさしく都会の中の「恩田の森」をご覧頂く機会が増えてくることだろう。


 昨日恩田Now に掲載した写真を上の写真を見比べていただきたい。縦か横かの違い。田んぼのすぐ脇にある民家が写った横位置の写真と森の深さを強調し民家を排除した縦位置の写真。どちらも恩田の森の現実である。
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Nikon D700 cannot be ordered in Germany

  Nikon Rumors によれば、ドイツではD700の新たな注文を受け付けていないとのこと。注文を受け付けないと云うことは、前提として店には在庫がないと云うことか。所謂「ディスコン」(discontinued:生産中止の意味で使われ「ディスコン」と略称される。「デジカメ」と共に郷秋<Gauche>の嫌いな言葉)と云うことなのだろうか。

 店頭から在庫が消えて、新たな注文も受け付けないというのは、モデルチェンジの一つの兆候ではあるけれど、普通は新製品が登場しても旧モデルの在庫があってこれを廉売する。クルマなんかの場合、例えばメルセデスなどだとニューモデルが出た後に完成され切った旧モデルは一つの「買いパターン」であると云われたりもしたけれど、DSLR(デジタル方式一眼レフ)の場合は、フェラーリやポルシェと同じで「最新のモデルが最良のモデル」である。

 話がちょっとずれたが、果たしてドイツでD700の新たな注文を受け付けていないことが、D700がモデルチェンジする兆候であるのか否かは、今日のNikon Rumorsの情報だけでは判断できないな。


 例に寄って記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、本日我が家の庭の一隅(先日ご紹介した赤花夕化粧 のすぐ隣なり)で咲く「昼咲桃色月見草」。花の形は本物の月見草 に似ているが、その名の通り桃色であることと昼間に咲く事が違っている。数年前に面白半分で種を買ってきて蒔いたところ自生したものである。一昨年までは鉢植えにしていた月見草の自生化(地植え)に取り組んでいるので、それが適った後にはお引取りいただくか、昼間に目を楽しませもらうために残すのか迷うところだが、いずれにしても判断が必要になるのは二、三年先のことになるだろう。
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恩田の森、更新

 本日、恩田の森で撮影いたしました写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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病気再発

 調べてみたら、前回の発作が最悪の状態に達したのは2007年の5月17日、ちょうど3年前であった(see here)。blogは、実にと云うのかまさにと云うのか、日記であるから、自分がいつどんな状態であったのかを知るのに大変役に立つ。ペンで紙に書いた日記では考えられないことだが、blogであれば、キーワード検索すればそれが3年前の5月17日のことであった事がすぐわかる。勿論判ったからと云って病気が治るわけではないけれど。

 3年前に3台あったNikon EMは、露出計が動かなくなった義父の形見と、2ヶ月前にオークションで手に入れたまずまずの状態のものと、やはりオークションで手に入れた「ジャンク品」の各1台。ただし「ジャンク品」、届いてみればモルトが傷んでいるだけで露出計もちゃんと動いているお買い得品であった。結局義父の形見の修理と「ジャンク品」のモルト張替えを依頼し、暫く後に完調のEM3台が揃うことになった。その後に3台もいらないだろうと思って義父の形見以外の2台のうちのどちらかを手放し、EM2体制で約3年が経過し、完治かと思った矢先の再発である。

 今日、我が家にやってきたEMはとても30年前のものとは思えないほどきれいなで、露出計もモルトも問題のない、コレクション・コンディションと云っても過言ではないほどの個体である。さっそくクロスと綿棒を使ってきれいに磨き上げて防湿庫にしまった。今度FM3Aを持ち出す時のサブにはFE2ではなくこのEMを使うことにしよう。しかしだ、治ったかに思えた病気が思わぬところで再発とは、なんとも情けない話だが、きれいで可愛いEMを見つけると、我が家に連れて来ないではおられないのである。やっぱり、病気である。


 と云うわけで今日の一枚は、本日我が家の住人となったNikon EMである。最近の女子カメラブームのお陰で、細身でクラシカルなネックストラップが沢山出回って来ている。EMに似合いそうな一本を早めに探しに行って来るとしよう。
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「素見に行った」?

 今日の神奈川新聞の「照明灯」にこんな件(くだり)があった。「かつて小欄を担当した先輩から『絵画展をやる』と連絡があったので素見に行った。」

 辱を晒すようだが、郷秋<Gauche>は「素見」と云う言葉が読めなかった。意味もわからなかった。勿論すぐに辞書を引いた。新聞は我が家のダイニングテーブルでビールを飲みながら読んでいた。まずはいつもテーブルの下に転がしておいた「新明解国語辞典」(第4版、三省堂)を引いてみた。「すけん」でも「そけん」でも出ていなかった。

 神奈川新聞の「照明灯」と云えば、朝日新聞の「天声人語」に当たる第一面のコラムである。誤植などの間違いはありえない。でも「新明解国語辞典 第4版」には載っていない。ならばと、我が家にある唯一の漢和辞書「学研 漢和大字典」を引いてみたがやはり出ていない。念のためにと思って広辞苑を引いたら出ていた。

【素見】すけん、見るばかりで買わないこと。また、その人。ひやかし。

 ネット上で調べてみると「品物や遊女を見るだけで買わないこと。また、その人。ひやかし。そけん。」とあった。郷秋<Gauche>のPC搭載のIMEスタンダード2003では「そけん」では「素見」と出るが「すけん」では熟語変換しない。試しに「ひやかし」と入れてみたが「冷やかし」は出てきても「素見」は出てこない。

 「素見」と云う言葉を知らなかった郷秋<Gauche>が無知であったわけだが、しかし、漢和辞書にも、かなりポピュラーな国語辞書にも載っていないような言葉を一面のコラムで使うのはどんなものだろうか。ネット上で調べた限り、「素見」には「遊女を見るだけで買わないこと」と云う意味もある余り上品な言葉ではないようだが、神奈川新聞はそんなことは気にしないのか。

 郷秋<Gauche>の無知を棚に上げて云わせてもらえば、現在では憚られるような意味があり、かなりメジャーな辞書にも載っていないような言葉を、看板コラムで使うべきじゃないよな。素直に「冷やかしに行った」と書いた方が、文頭にある「身内の話を書くのは気が引ける。」と書かれている通り、まさに「気が引ける」感じが出てよかったんじゃないかと思うぞ。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、我が家の庭で咲いていた花。何という花なのかは・・・。
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「スイングジャーナル」、休刊

 月刊のジャズ専門誌「スイングジャーナル」が6月19日発売の2010年7月号をもって休刊との情報。と云う事は今日、最後から2番目の「スイングジャーナル」が書店に並んでいるということである。

 「スイングジャーナル」を買わなくなって何年が経つだろうか。って、何年じゃなくて何十年である。学生時代には、本屋での立ち読みか新宿や吉祥寺のジャズ喫茶!に行った時にすみからすみまで、それこそ舐めるようにして目を通して資金の目処がついた時に買うべきLP、エアチェック(お若い方はご存知ない言葉だろうな)すべき曲をメモったものだ。大学を卒業してからは時々買えるようになったけれど、やっぱり「スイングジャーナル」で次に買うべきLPの目星を付けたものである。「スイングジャーナル」は僕らのジャズの教科書であったのだなぁ。

 「スイングジャーナル選定ゴールド・ディスク」に至っては、飯に味噌を付けて食べる超貧困生活をしてでも買わないではいられなかったものであった。「スイングジャーナル選定ゴールド・ディスク」で一番インパクトが大きかったのはコルトレーンの「至上の愛」だな。最初は「何だ、これは」と思ったものだが「ジャズ友」に云えば馬鹿にされること必至であったから必死で聞き込んで「良かった、凄い!」と云ってはみたものの、ホントに良いと思えるようになったのは、恥ずかしながら30歳を過ぎてからであった。コルトレーンは然程に深く偉大なのである。

 買わなくもう何十年も経っているから、はっきり云えば「スイングジャーナル」が休刊しようがしまいが郷秋<Gauche>の日々の生活には何の影響もない。残念ながら。でも高校時代まではジャズなんか聴きもしなかった田舎者(郷秋<Gauche>のことだ)をジャズの世界に導く大きな力となった「スイングジャーナル」がなくなってしまうというのは、郷秋<Gauche>の生き方にまで影響を与えた恩師が亡くなるようなものであり、やはり淋しい。

 NAVIの休刊の際にも書いたが、雑誌の休刊は、イコール廃刊である。いくらスイングジャーナル社が「今後、支援企業が見つかれば復刊を検討したい」と語ってみたところで、支援企業が見つかるのならばこれまでに見つかっているわけで、これかから見つかる訳もない。残念ではあるが、やはり、休刊は即、廃刊なのである。

 しかしだ、ここで「スイングジャーナル」が廃刊となったとしても、「スイングジャーナル」のこれまでの仕事が否定されるわけでは勿論ない。むしろ、「スイングジャーナル」が廃刊になってこそ、「スイングジャーナル」がいかに偉大であったのかを多くの人が知ることになるんだろうな。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、谷空木(たにうつぎ)。恩田Nowでご紹介した箱根空木(はこねうつぎ)は、咲き始めは白色で時間の経過と共に紅色となるが、谷空木は最初から紅色で、枝に対する花の付き方も箱根空木とは異なる。
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