唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
新連載小説「夫を亡くして」
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不評だった(郷秋<Gauche>的には、と云ういことです。為念)朝日新聞の連載小説「C線上のアリア」が10月末で終了し、門井慶喜氏の「夫を亡くして」が始まりました。内容は「明治の詩人北村透谷の妻・ミナが主人公。透谷が自死し、娘と残されたミナは、英語を学び、教員となり、時代を駆け抜けます」とのことですが、タイトルが、なんだかなぁ・・・
主人公の出身地が青葉山荘からは程近い今の町田市野津田だと云うので、最初から親近感を持って読んではおります。2回目だったか3回目だったかに「東京の塾(学校)に行きたい」と云うような件がありました。野津田は町田だから東京じゃん、と思ったけれど、考えてもみたら町田が東京府に編入されるのは1893(明治26)年ですから、当時の野津田は神奈川県であったと云うことになりますね。
ところで作者の門井慶喜氏、読書傾向が著しく偏っている郷秋<Gauche>ではありますが、読んだことがあるような気がして書棚を見渡したら、一冊だけありました。「銀河鉄道の父」(講談社文庫 2020年4月15日1刷。単行本は2017年9月刊行)。
4年前に読んだはずですが、記憶が薄ぼんやり。伝記ではなく小説仕立てだったような気がするのですが、それ以前にたくさん読んでいた宮沢賢治に関するものとごっちゃになってしまっているようです。普通なら上下巻とするくらいのボリュームがあるものですが、また読んでみようか知らん。
横浜市青葉区の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影・掲載しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは11月10日に撮影した写真を6点掲載いたしております。佳き秋の日となった森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
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#朝日新聞 #新連載小説 #C線上のアリア10月末で終了 #門井慶喜 #夫を亡くして #町田市野津田 #町田は神奈川県
ノーベル文学賞と村上春樹
ノーベル文学賞が、日本時間の今夜8時に発表になるようですね。
もう20年以上になるでしょうか、この季節になると村上春樹氏の受賞を願うファン(とそれにつられてマスコミ)が騒ぎ出すようになってから。
私が思うにノーベル文学賞は、所謂純文学作品に与えられるものであり大衆文学や娯楽作品、エンターテインメント、ライトノベルに類する作品の作家におくられるべきではないと。
私が思うに「純文学」とは、読後の読者の人生に何某かの痕跡を残すもの、つまり読者の人生に何某かの影響を与え、それがひいては世の中、つまり社会にも何某かの影響を与える可能性のある文学であること。読んで楽しい、面白いだけの作品は純文学作品とは云いません。
私が思うに村上春樹氏の作品は所謂エンターテインメントです。面白いです。読んでいてどんどん引き込まれていきます。読み終わった時に「あぁ、読み終わっちゃった。もっと読みたいのに」と思いますが、その後には何も残りません。私の人生を変えるような痕跡は何も残しません。もう一度書きます。氏の作品は所謂エンターテインメントであると。
ですから私が思うにエンターテインメント作品作家である村上春樹氏は、そもそもノーベル文学賞の対象外なのです。いや、私は氏の作品を過小評価している訳でも酷評している訳でもないのです。むしろ高く評価しているのです。エンターテインメントとして。
私は氏の作品をたくさん読んでいます。そして読むたびに書評擬きも書いています。ハードカバーの単行本だけではなく出先で読むための文庫本まで揃えてある作品もいくつかあるほどです。嘘だと思うなら
https://blog.goo.ne.jp/gauche7/s/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9
をご覧ください。はっきり云って私は、村上春樹作品のファンです。ファンなら氏のノーベル文学賞受賞を願うだろうと思われるかもしれませんが、私は願っても望んでもおりません。先にも記した通り彼はエンターテインメント作品作家ですので、ノーベル文学賞とは最初から住む世界が違うのです、残念ながら。
いや、考えてもみれば残念ではないのです。ノーベル文学賞はまったく別な世界の価値、出来事ですから。村上春樹作品にふさわしいのはノーベル文学賞ではないのです。そうだ、新しい文学賞を作りその賞を氏に贈れば良いのです。世界で最も優れたエンターテインメント作品作家に贈る「村上春樹文学賞」。最初の受賞者はもちろん、村上春樹氏です。
と云う訳で、例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、青葉山荘で咲いている秋明菊。
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#ノーベル文学賞 #ノーベル賞文学賞 #村上春樹 # 比喩の天才 #純文学 #大衆文学 #娯楽小説 #エンターテインメント
セロ弾き賢治の誕生日
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8月27日、今日は宮沢賢治の誕生日。
戸籍上は1896(明治29)年8月1日出生(Wikipedia)のようですが、新旧暦間の錯誤からそのような届けになったのではないかと云うことのようで、後述の「全童話」巻末の年譜には端から8月27日と書かれております。生きていれば128歳になりますね。
生誕100年であった1996(平成8)年に角川文庫から「宮沢賢治全童話 全9巻」の刊行が始まりました。「セロ弾きのゴーシュ」はその中の一冊ですが「改訂新版(初刷)」とされています。5月25日刊行となっていますが、私は夏の帰省の折に実家近くの書店で9冊まとめて購入したような記憶が蘇ってきました。
もう一冊の「詩集」は「全童話」に先立つ1995(平成7)年刊行の改訂初版となっています。こちらは奥付から1963(昭和38)年の初版から1994(平成6)年まで2年に3回ずつ、計52もの版(刷)を重ねてきた超ロングセラーであることがわかります。
注:版と刷の意味は承知しているつもりですが、31年間で52版と云うのは如何にも多く、ここでは「刷」の意味なのではないかと思ったりしております。
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#宮沢賢治 #みやざわけんじ #角川書店 #童話作家 #詩人 #セロ弾きのゴーシュ #版 #刷り
岩波新書のような顔をした岩波ジュニア新書
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いま読んでいる岩波新書。と思ったら、岩波新書のような顔をした岩波ジュニア新書。中高生向けの岩波ジュニア新書のカバーの上に、更にもう一枚大人向けに岩波新書風カバーがかけられて岩波新書を装っている岩波ジュニア新書でした。数量限定の特装版とのことです。
どうしてこんな手の込んだことをしているのかと云うと・・・、腰巻(帯)に書いてありました。
「岩波“ジュニア”新書 大人は手に取りずらい・・・?」
本離れが著しい中高生には買ってもらえないので、多少は小遣いを持っている中高齢者にも「“ジュニア”新書」を買ってもらおうと云う魂胆、元へ、営業戦略なのでしょうね。岩波の経営戦略にのせられて買ってしまいました(^^;
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#岩波書店 #岩波新書 #岩波ジュニア新書 #本離れ #出版不況 #中高齢者向け戦略
C線上のアリア
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4月1日から朝日新聞で掲載が始まった連載小説「C線上のアリア」。
最初にタイトルを見た時にCentury風のフォントのCの文字がGに見えてしまい、湊かなえ氏のサスペンス・ミステリーらしいが、「G線上のアリア」? って何、なんと安直かつチープなタイトル!と思ったけれど、よくよく見たらG線ではなくC線だった。
「G線上のアリア」は、日本人ならクラシック音楽のファンならずとも一度はどこかで耳にしたことのある旋律だろう。郷秋<Gauche>のblogをご覧くださっている方には釈迦に説法だとは思うけれど、念のために書いておこう。
「G線上のアリア」(ジーせんじょうのアリア。Air on the G String(英語)、Air auf der G-Saite(ドイツ語))は、J.S.Bachの管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068の第2曲「アリア (Air)」を、ピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のためにドイツのヴァイオリニストであるアウグスト・ウィルヘルミが編曲した作品。ヴァイオリンの4本ある弦のうち最も低い弦、G線(ゲーせん)のみで(も)演奏できることからそう呼ばれている。
では、なぜ湊かなえ氏の連載小説のタイトルが「C線上のアリア」なのか。もちろん 有名な「G線上のアリア」が下敷きになっているわけだが、ヴァイオリンの弦は高い方かEADG(ミ、ラ、レ、ソ。演奏者の間では、通常ドイツ語読みで、エー、アー、デー、ゲー)であってC(ツェー)線はない。
「C線上のアリア」とは、ヴァイオリンには存在しないC線でアリアを奏でる、つまりまったく架空の世界が奏でられるということなのか、あるいはこれからチェロかヴィオラ(注)が登場してBachの美しいアリアが奏でられるのだろうか。少なくとも68回目の今日までのところではC線、G線を問わずアリアは聞こえてきてはいないが、これからどんな「アリア」が奏でられるのか。楽しみである。
注:チェロとヴィオラは1オクターブ違う(ヴィオラがオクターブ上)が弦は共に上からADGC(ラ、レ、ソ、ド。通常ドイツ語読みで、アー、デー、ゲー、ツェー)である。
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#朝日新聞 #連載小説 #新聞小説 #湊かなえ # C線上のアリア #G線上のアリア #ヴァイオリン #ヴィオラ #チェロ #ドイツ音名
「積ん読山」を読み崩す〜見つけた「弘法も筆の誤り」
使いもしないのに古いカメラやレンズを、読みもしないのに書籍を、読めもしないのに楽譜を買い込む癖のある郷秋<Gauche>なのであるが、いつか時間ができたら読もうと買い込んで積んでおいた本(「積んでおいた」は慣用句。「岩波講座 転換期における人間」の第10巻「文化とは」 1989年刊)をついに読む、その時が来た。目出度い、実に目出度い。サンデー毎日サマサマである。
まずは前書きから、と最初の一行に視線を落としてびっくり驚いた。
「やがて二十一世紀、西暦二〇〇〇年を迎える。」と書かれているではないか。
この本は20世紀末の1989年刊行であるから「やがて二十一世紀を迎える」は、書かれた世紀末の空気感を巧みに表現してはいるが、21世紀の始まりは西暦2000年なのか? 答えはNo。21世紀の始まりの年は2001年なのである。
件の前書きは1500字ほどのものだが、その最後に「編集委員」と記されている。その編集員とは宇沢弘文、河合隼雄、藤沢令夫、渡辺慧の4名。20世紀後半の錚々たる碩学たちであるから、正に「弘法も筆の誤り」、である。
しかしだ、考えてもみればこの全集は岩波書店が企画し、岩波編集部が考えた各巻の内容や著者を先の編集委員に示し、「まっ、いいんじゃないか。」で作業が始まり、前書きも岩波編集部の誰かが書き、「まっ、いいんじゃないな。」で印刷されたのではないのか。いよいよ21世紀が間近となり、新しい世紀の始まりが2000年ではなく2001年だと知った時には、編集者はさぞかし青くなったことだろう。
新しい世紀の始まりがいつなのか、それは新しい世紀が間近になってきた頃、随分と話題になり混乱もしたものであった。1世紀は100年の括りであり、1から始まった100番目の数字が100であるから次の新しい100年は101から始まる。20世紀は1901年から始まった100年であるから20世紀の最後の年が2000年であり、21世紀の始まりは2001年なのである。
このblogの読者の中で次の世紀、つまり22世紀が始まる2101年に立ち会える方がどれほどいるか知る由もないが、もし幸運にも立ち会える方がおられるとしたならば、22世紀の始まりは西暦2100年ではなく2101年であることを世に知らしめて欲しいものである。
果たして人類がその時を無事に迎えることができるのか実に心配な昨今の世界情勢であるから、その時の人類が幸いの内に新しい世紀を祝い迎えることやできることを心から願わずにはいられない郷秋<Gauche>であることを最後に記しておく。
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは10月28日に撮影した写真を6点掲載しております。秋も深まりつつある森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
blog「恩田の森Now」
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#岩波書店 #岩波講座転換期における人間 #宇沢弘文 #河合隼雄 #藤沢令夫 # 渡辺慧 #21世紀の始まり #22世紀の始まり
「街とその不確かな壁」読後感想文(のようなもの)
4月17日と26日に、村上春樹氏の新刊「街とその不確かな壁」について書きましたが26日に書いた通り、ゆっくりゆっくり読んでおりましたがさすがに4月中には読み終わってしまっておりました。
本を読んだら読書感想文。と云うか小学校・中学校の時に、読書感想文を書かなければならずイヤイヤ読んだ方もおられるかもしれませんね。私は自由意志で読みましたが、なんとなく感想を書いてみようかなと云う気分になりましたので以下、感想文(のようなもの)。
小説には珍しく「街と壁」には「あとがき」がついております。そのあとがきに村上氏がこう書いておりました。
「ホルヘ・ルイス・ボルヘス(注)が言ったように、一人の作家が一生にうちに真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ。ーと言ってしまっていいかもしれない」。
注:ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード(Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo(1899年8月24日 - 1986年6月14日)はアルゼンチン出身の作家。
村上氏の「街と壁」はまさにその通りの作品。氏自身も良くお分かりのようなのだが、ならば何故「街と壁」を書いたのか。氏は「歳を取ってくると、あといくつ長編が書けるかと思う。決着をつけたかった」と語っているようだが、私に云わせれば、「街と壁」は手を変え品を変え捏ねくり回しただけの、まさに蛇足的作品なのである。コロナ禍で他にすることがなかったからなのか、あるいは作家の性でただただ書かないではいられなかったと云うことなのだろうか。
4月26日に書いた通り第一部は1985年の「世界の終わり」そのものであり、第三部はその要約的変奏。長い第二部は新しく書かれたものですが、これはいつもの「村上ワールド」でファンの皆様の期待を裏切りません。好きなものはいつでも何度でも食べたいですよね。お楽しみいただけることとは思いますが、読み終わっても後には何も残らない、氏のいつものエンターテインメント(娯楽的作品)です。
第二部に登場する図書館がある町のモデルが、福島県南会津町であるように読めることから、「ハルキスト」の聖地巡礼で会津が賑わうのではないかと福島県内では盛り上がっているようです。
参考:福島民報の記事 https://www.minpo.jp/news/moredetail/20230414106367
第二部は「私」が図書館長につく場面から始まるのですが、「私」がその面接のため「東京から図書館に向かう際に、東北新幹線を郡山で降り、在来線で会津若松まで行き、ローカル線に乗り換え、山と山との間を縫うように抜けて着いた駅の前には(タクシーが一台もいない)タクシー乗り場と(バス待客が一人もいない)バス乗り場があり、図書館までは歩いて十分ほど」と書かれているのです。会津若松からのローカル線が会津鉄道だとすれば、「私」が降りた駅は(人口一万五千人の)南会津町にある会津田島駅となり、その駅から十分ほどのところにある図書館が第二部の舞台(モデル)なのではいかと云う訳なのですね。
しかし、ここに問題が一つ。東京から南会津町にいくのに、どうして新幹線に乗って郡山に行き、在来線に乗り換えて会津若松まで行かなければならないのか、と云う問題です。
新幹線で郡山、郡山から磐越西線で会津若松、若松から会津鉄道で会津田島まで行くと4時間35分程度、10,740円かかりますが、東京から北千住に行き、そこで東武鉄道の「リバティ会津」に乗車すれば野岩鉄道、会津鉄道を経由し3時間24分、5,683円で会津田島に到着です。どうしても東北新幹線に乗りたい、郡山と会津若松を経由したいと云うならば別ですが、そう云うこだわりがないのであればどう考えても「リバティ会津」利用がお得です。一時間早く着き、電車代はほぼ半額なのですから。
小説ですので必ずしも事実に沿う必要はない訳ですが村上氏が、「私」が館長になる図書館が南会津町にあることを想定(前提に)して書いたのだとすれば新幹線に乗りたい、会津若松を経由したいと云う強い希望があったのか、単に「リバティ会津」を知らなかっただけなのか。図書館のある町までの経路と車窓風景を詳細に描写していますが、それはフツー使うであろう経路ではないだろうと云う突っ込みを入れたくなってしまう訳ですね(若松で途中下車し歴史の街を探訪したいと云うのであれば話は別ですが)。
と云うわけで、読書感想文ではなく「読後いちゃもん文」になってしまいましたが、書いてみました。これから読む、読みたいと云う方もおられるかも知れませんのでネタバレにはならないように一応、気をつけたつもりです。私は、村上作品は少数のあえて読んでいないものを除いてほとんど全て読んでおりますが、ハルキストではありませんので熱烈な信奉者にはお叱りを受けそうなことを書いたかも知れませんが、あくまでも「独り言」ですので気になさらないでいただけましたら嬉しく思う次第です。
【参考】最近書いた「街とその不確かな壁」に関する記事
「街とその不確かな壁」 2023/04/26
https://blog.goo.ne.jp/gauche7/e/c20b46a76ab004e886dc3246f0afc80b
「村上春樹氏の新作? 地図が必要ですね」 2023/04/17
https://blog.goo.ne.jp/gauche7/e/e06ab10b12b51d86a4fef661f097a133
【参考】もう20年近く前のことになりますが村上氏の読むべき作品とその順序について書いておりますので、興味を持たれた方はぜひご覧ください。
「物事には順序ってものがある」 2005/12/12
https://blog.goo.ne.jp/gauche7/e/143cacac50d7e630ec2312972c714ef8
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#村上春樹 #新作? #街とその不確かな壁 #世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド #ハルキスト #聖地巡礼 #大物作家作品の校閲 #校閲したのか?
「街とその不確かな壁」
17日に村上春樹氏の新刊「街とその不確かな壁」が届いたことを、そして読み始めたことを書きましたが昨日、ようやく第一部を読み終え第二部に突入しました(遅読なんです)。集中して読めば一日半あればで読めてしまう分量ですが2,700円(税別)もする本を一日半で読んでしまったのではもったいないのでゆっくり、ちびちび読んでおります(ケチなんです)。もっとも、最近のCDは3,200円くらいしますが(40年前もそのくらいした) 、録音(再生)時間は最大74分(当初規格)と40年前と同じですから本はタイパは悪いけれど、コスパは抜群に良いということになりますね。と云う訳で、昨日ようやく第一部を読み終えて第二部に入りました。
17日に「骨格は1985年の『世界の終わり』そのものです。果たして新作と云えるのかどうか。読み進むにつれて、新作ならでは驚きの展開は、ないんだろうな・・・」。と書きましたが、第一部はその通りでしたが、第二部はまったく新しく書かれたもののようです。なんとなく「海辺のカフカ」の香りがいたしますので驚きはなく、と云うことはいつもの「村上ワールド」です。ファンの皆様、ご安心ください。
なお、「世界の終わり」の僕が「私」に、一角獣が「単角獣」に、門番が「門衛」に変わっていますが、その意図は不明です。
で、第二部を読み始めて、郷秋<Gauche>のふるさと「郡山」の名がいきなり登場したのにはびっくり。内容と感想についてはここではまだ書きませんが、ただ、ちゃんとした校閲を経たのだろうかという疑問が生じたことは書いておく必要があるでしょう。毎年ノーベル文学賞の有力候補となるほどの作家の作品には、校閲者も恐れ多くて「赤」を入れられないということなのでしょうか。でも、有名作家であればあるほど間違いは許されませんから念入りな校閲が必要なはずです。新潮社、しっかりせよ!
郷秋<Gauche>校閲(その1)
p.204 「そのZ**町は会津からさほど遠くないところにあるということだった。」
→「会津」とは福島県の西半分を占める会津地方(旧会津藩領)全体を指す言葉。ですから、この場合には「(会津)若松から」としなければなりません。
郷秋<Gauche>校閲(その2)
p.245 「図書館にはWi-Fi設備などは設置されていなかったから、私が自分のコンピュータにアクセスできるのは自宅に限られていた。」
→自分のコンピュータには好きな時、必要な時にいつでもアクセスできます。「限られる」のは(Wi-Fi等を経由した)インターネットへのアクセスです。
第二部(本書は全655頁の内、半分以上を第二部が占めています)をもう少し読み進んだところでまた感想なり「いちゃもん」を書いてみたいと思いますのでどうぞお楽しみに。
【参考】もう20年近く前のことになりますが村上氏の読むべき作品とその順序について書いておりますので、興味を持たれた方はぜひご覧ください。
「物事には順序ってものがある」
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#村上春樹 #新作? #街とその不確かな壁 #世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
村上春樹氏の新作? 地図が必要ですね
右下が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
に綴じ込まれている「街」の地図。文庫版にも入っております。
村上氏の新作? 「街とその不確かな壁」が届きました。これは、新作なんでしょうかね。まだ第一部のチャプター7までしか読んでおりませんが、骨格は1985年の「世界の終わり」そのものです。骨格だけではなく、壁も門番も「世界の終わり」そのものです。果たして新作と云えるのかどうか。読み進むにつれて、新作ならではの驚きがあることを期待したいと思いますが、驚きの展開は、ないんだろうな・・・。
ところで、オリジナルたる「世界の終わり」(書籍)にあって、今回の「街とその不確かな壁」にないものが一つあります。それは「街」の地図。この地図がないと「街」の成り立ちや様子を理解するのが難しいのではないでしょうか。
村上氏にはハルキストと呼ばれる熱烈なファンがいることは承知しておりますが、まさか「世界の終わり」を読んでいないハルキストはいないでしょうね。だって、「世界の終わり」を読んでいない読者が「街とその不確かな壁」を読んでもその内容を十分に理解することはできないんじゃないかと思うんですよね。他の作家の作品はいざ知らず、村上氏の作品(特に初期作品)には読むべき順番があり、この順序を踏まないと彼の作品を十分に理解し楽しむことができないんです。
もう20年近く前のことになりますが村上氏の読むべき作品とその順序について書いておりますので、興味を持たれた方はぜひご覧ください。
「物事には順序ってものがある」
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横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは4月16日に撮影した写真を7点掲載しております。春爛漫となった森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
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柳田國男は玉川学園前駅では下車しなかったのか?
「歴史のダイヤグラム -鉄道にみる日本近代史-」(原 武史著 朝日新書 2021年9月30日第一刷発行)を読んだ流れで、20年近く前に読んだ同氏の「鉄道ひとつばなし」(講談社現代新書 2003年9月20日第一刷発行)を読み返している。一度読んだはずなのだが、その内容はすっかり忘れており、新鮮だ。どちらも新聞あるいは定期刊行物に連載されたものがベースなので一話は短く、飲みながらあるいは寝る前にちょいと読むのに最適である。その「鉄道ひとつばなし」の一項、「成城学園から小田急に乗って –平塚らいてうと柳田國男」(70頁)にこんな記述があった。
(子を成城学園に通わせ、1927年に成城に移り住んだ)柳田は1943-44年にかけて毎週水曜日を散歩の日と定め、小田急の下り電車に乗って多摩川を越え、郊外に出かけることが多くなる。
稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)、東生田(現・生田)(郷秋<Gauche>注)、柿生、新原町田(現・町田)・・・・・・らいてうには馴染みがなかったこれらの駅に、柳田はしばしば下車した。(72頁)
郷秋<Gauche>注:原は西生田駅を現「生田駅」としているが、これは錯誤で現「よみうりランド前」ではないかと思われる。
時は1943-44(昭和18-19)年のことであるがこの時、柳田は柿生と新原町との間にあった、鶴川駅と玉川学園前に降り立ったことはなかったのだろうか。
なぜ、私がわざわざ鶴川と玉川学園前と書いたかと云えば、鶴川には白洲次郎(1940年から在住)が、玉川学園前には柳田が成城に転居した当時、成城高等学校校長であった小原國芳が、1929年に新たな教育の夢を実現せんと成城を辞し玉川学園を創立し、その地に住んでいたからなのです。
果たして日本民俗学の開拓者である柳田國男と、最後の私塾創立者・新教育の開拓者である小原國芳、戦後は吉田茂の懐刀として、GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎との間に、同じ小田急沿線居住者として交流はなかったのか、大いに気になる郷秋<Gauche>である。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、森の中で開花の時を待つ鶯神楽(うぐいすかぐら)。
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは2月19日に撮影した写真を5点掲載しております。立春過ぎとは云え、寒い一日となった森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
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#原武 #柳田國男 #小原國芳 #玉川学園 #鉄道を通して見る世相 #鉄道の文化的側面 #ウグイスカグラ #スイカズラ科スイカズラ属
源実朝を討った公暁が隠れた大銀杏
このところ、いつか読もうと思って買い込み積んであった本を少しずつ読んでいます。今読んでいるものの一つがこれ。
日本に自生する樹木のうち代表的な26種について、その植物学的特徴とともに文化的な側面についても書かれていて興味深い一冊。その中の「イチョウ」の項に面白いことが書かれておりました。
銀杏(いちょう、公孫樹とも書く)は世界最古の樹種で、日本列島においては100万年前に絶滅したのだそうで、その銀杏が日本列島に再びやってきたのは室町時代(1338-1573年)。
世界の大方で絶滅しはずの銀杏が中国の奥地に取り残され生き延び、その子孫が再び日本の土地に根を張ったとのこと。その証拠の一つとして905年に編まれたと云う古今和歌集には銀杏に相当する樹木に関する記述がないことが挙げられています。
公暁が鶴岡八幡宮の大銀杏の陰に隠れ、右大臣拝賀式のために同宮を訪れた源実朝を討ったのが1219年ですが、古今和歌集まで遡らずとも、銀杏の到来が室町時代だとすれば、公暁による実朝暗殺時点、日本には銀杏の木がなかったことになります。
公暁が大銀杏の陰に隠れて実朝を討ったと云う言伝えは、水戸光圀が編纂を命じた新編鎌倉志(1685年刊行)に暗殺の様子についてそのような記述があり、この言説が流布したとされる説がありますが、果たして事実は如何に。
注:樹齢1000年、公暁が隠れたと云われていた鶴岡八幡宮の階段脇の大銀杏は2010年、強風によって倒木しました。
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは1月29日に撮影した写真を5点掲載しております。冬の曇り空の下の森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
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#公暁による源実朝暗殺 #鶴岡八幡宮の大銀杏 #水戸光圀 #新編鎌倉志
また会う日まで
朝日新聞朝刊で連載されている池澤夏樹氏の「また会う日まで」がいよいよ最終盤となり、あと五日で連載が終了するようです。2020年8月に始まったこの連載小説は、一年で終わるのだろうと高を括っていた郷秋<Gauche>の予想に反して本日現在で526回目ですが、先週、1月末で完結ことが先週アナウンスされました。
これまで新聞小説など余り読んだことがないので調べてみところ、全一段だと19文字✖49行(挿絵を除く)で931文字、これが531回となりますから全494,361文字、400字詰原稿用紙にすると1236枚となります。小説は300枚を越えると「長編」と云うようですから、「また会う日まで」は堂々たる長編ですね。
この連載小説は池澤氏の大伯父である秋吉利雄(聖公会信徒にして旧日本海軍少将、理学博士(天文学)。1889-1947年。池澤の実父である福永武彦が秋吉利雄の甥に当たる)の伝記的小説です。時折登場し、時代背景とその時代の空気を伝える「M氏」を除いては概ね事実に沿って書かれているようです。
その終盤、秋吉利雄の帰天の部分がやけにあっさりと書かれているのが気になりました。一年半年前、連載の最初に今際の際の秋吉利雄が己の生き様を回想するシーンが描かれていたことを思い出したのですが、詳細はほとんど忘れてしまっておりました。単行本として出版されてものであればページを繰って確認することができるのですが、そのあたりは新聞小説の宿命と云うことになりますね。
池澤氏の父である福永武彦は「また会う日まで」にも描かれているようにある時信仰を捨てながら、死の2年前に信仰を取り戻し召天しています。池澤氏の作品をこれまでに読んだことがありませんので、その思想的な立ち位置がどこにあるのかまったくわかりませんが、いずれ推敲され単行本として出版されることと思いますのでその折にはじっくり読んでみたい「また会う日まで」です。
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは1月22日に撮影した写真を5点掲載しております。冬枯れの中にも春の気配が感じられるようになってきた森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
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#池澤夏樹 #福永武彦 #また会う日まで #秋吉利雄 #朝日新聞連載小説
「また会う日まで」
小出しにされたものを毎日ちびりちびりと読む新聞小説などは、まったく性に合わずこれまでまともに読んだこともなかったが、現在朝日新聞で連載中の「また会う日まで」(池澤夏樹作)はなぜか毎日、ちびりちびりと読んでいる。
「また会う日まで」は池澤直樹の大伯父、秋吉利雄の生涯を書いたものだが概ね事実に沿って描かれたいるようである。秋吉はクリスチャン(聖公会)にして軍人(最終位は海軍少将)であり、同時に天文学者(東京帝国大学理学博士)である。私は、先の大戦へと続く世にあってキリスト者であることと海軍軍人であることを、どのように折り合いをつけて生きてきたのか興味を持ち読み始めた。
この連載小説の作者である池澤は、秋吉利雄の妹の子、つまり甥に当たり後にフランス文学者、詩人、小説家として知られるようになる福永武彦(1918-1979)の子であるが、一昨日の第439回では1945年7月7日、福永に長子が誕生し「夏樹」と名付けられたことが書かれている。この夏樹こそが「また会う日まで」の著者である池澤夏樹その人なのである。
昨年8月から連載が始まった「また会う日まで」であるが、当初は一年で終わるのだとうと考えていたのだが、今年8月時点では太平洋戦争の只中で、ようやく一昨日に7月7日から幾分過ぎたところ、つまり終戦のひと月前まで話が進んだところである。ここに来て自身の誕生について書くことで最終回の一つ手前にある山を越えようとしているところだろうか。
この先も楽しみな「また会う日まで」ではあるが連載開始からすでに一年三カ月が経過し、序盤の頃の話はすでに忘却の彼方。連載終了後には単行本として出版されることだろうから、その時には一気に読んでみたいものである。
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#池澤夏樹 #秋吉利雄 #福永武彦 #朝日新聞 #新聞連載小説 #また会う日まで
“秋のホン祭り”開催中
勤務先の、幼稚園児から高校3年生までが利用する図書館で素敵な読書の秋を満喫して欲しいと、司書教諭企画の“秋のホン祭り”開催中。この中で郷秋<Gauche>オススメの本を二作品、郷秋<Gauche>の蔵書を四冊と、図書館の蔵書である著者自筆原稿のファクシミリ版(中央の白い表紙の大型本)を展示していただいております
「子供たちにお勧めお本があればぜひご紹介ください」と云う案内をいただきましたので、さっそく郡司芽久著「キリン解剖記」と宮沢賢治著「セロ弾きのゴーシュ」をご紹介。
「キリン解剖記」はキリン好きだけではなく、将来の夢や進路に悩む人たちにもぜひ読んでもらいたい本。自分の夢に向かってどう進んで行けば良いのか分からない、悩んでいる方にとって、「叩けよさらば開かれん」を地で行く(結果としてそうなっていた?)著者の芽久さんは良きロールモデルとなることと思います。
「セロ弾きのゴーシュ」は云うまでもない宮沢賢治の代表作の一つ。金星音楽団のセロ(チェロ)奏者のゴーシュは度々楽団の演奏の足を引っ張ることから楽団長に叱責されます。そんなゴーシュの元に次々に現れる猫やかっこう、たぬきやネズミとの触れ合いを通して一人前のセロ弾きへと成長していく物語です。ゴーシュもまた、強い意志を持って努力を惜しまなければ夢は叶うと云う意味では、将来の自分を考えなければならない世代にとっては一つの「お手本」とも云えるでしょうか。
注:「キリン解剖記」の著者、郡司芽久さんとは偶然の同姓で、親戚ではありません。
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#読書の秋 #子供たちにお勧めの本 #図書館 #司書教諭の嬉しい企画 #郡司芽久 #キリン解剖記
賢治の誕生日
今日は宮澤賢治(1896(M.29) – 1933(S.8))の誕生日。私が師と仰ぐ小原國芳先生は賢治の9歳年上の1887(M.20)年生まれですが、大学入学直後に当時86歳の先生にお目にかかることができております。賢治は若くして亡くなっていますが、もし長生きしていれば会う機会はあったかもしれないと思うと何か不思議な気がいたします。
今では日本人でその名を知らぬ人はいないほどの賢治ですが、存命中はまったく無名で失意の内に亡くなっています。今日一枚は、そんな賢治の存命中に唯一出版された短編集である「注文の多い料理店」(1924(T.大正13)年12月1日発行)。私が持っているのは1973(S.48)年に刊行された復刻版です。
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#宮澤賢治 #童話作家 #誕生日
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