レノボ・AT&TウィリアムズDriver's Day(その3/最終回)

 片山右京、中嶋一貴が共に訴えたのは、F1が如何にハイテク化したとしても、あくまでもF1は人がマシンをドライブするスポーツであるということ。片山は、その現役時代、モナコでのレースを振り返り次のように語った。

 当時は、今のように、ステアリングから手を離さなくても変速が出来るパドルシフトではなく、市販の乗用車と同じH型のシフトだったので、変速のたびに右手をステアリングから離すわけだが、モナコのようなコースでは、右手はシフトノブを握りっぱなし、つまり、ステアリングはほとんど左手のみで操作していた。そのため、左手の指がステアリングを握ったまま固まってしまい、レースが終わってマシンを降りる時には、左手の指を、右手で一本ずつステアリングから引き離さなくてはならなかった。

 パワーステアリングもパドルシフトもない時代、片山はコックピットの中で、文字通りマシンと戦っていたのである。

 中嶋一貴は、GP2時代からパドルシフトシフトであり、片山が経験したような体力的はストレスを感じることはないというが、1レースで2-3kgも体重が落ちるF1は、やはりスポーツであると共に、レースの戦略を常に考えながら走る事が求められる、知的スポーツの要素が強くなってきていると語っていた。

 これから10年、もしFIAの発表の通りエンジンの開発が全面的に禁止されるのならば、シャーシの性能と共にますます重要になるのがドライバーの運転技術と戦略的思考であろう。FIAが、もし、その点に着目してエンジンの開発禁止を打ち出したのであれば、大いに評価しなければならないが、どうもそれだけではないらしいところに、ファンはFIAに対する不信感を募らせているのだろうな。

 最後に、レノボがウィリアムズに提供しているITソリューションについて。

 レノボは、ウィリアムズにマシン設計のためのスーパーコンピュータを提供している。このスーパーコンピュータは、風洞実験で得られたデータの解析に用いられ、各サーキットのデータを元にして、最適な空力デバイスの設計に利用されている。

 また、マネジメント部門を含め、500名と言われるウィリアムズのスタッフに対し、同数以上のPCが供与されている。供与されているPCは、レノボブランドではなく、ThinkPadである。そして、このThinkPadは、特にF1チームであるウィリアムズのためにカスタマイズされたものではなく、市販されているものと同一スペックであり、このベーシックなマシンで、バーレーンやマレーシアといった過酷な環境の中でも十分にその機能を発揮しているという。

FW29の横にはLenovoと大書してあるが、チームに提供されているPCは、実はIBMから引き継いだブランド、ThinkPadなのである。果たして、ウィリアムズのスタッフが使うPCがLenovoブランドになる日はくるのであろうか。


 抽選による一般の招待者は300名とのことであったが、その他、上顧客や報道関係の席もたっぷりと用意されており、500名程が集まっていたように見えた。
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レノボ・AT&TウィリアムズDriver's Day(その2)

 ウィリアムズのマシンが展示されていたわけでもないですし、全体として、特別面白いと言うほどの内容ではありませんでしたが、それでも幾つか興味深い話しが聞けたことは確かです。

 まず、中嶋一貴の来期。勿論何も決まっていないと言うことを前提にしながらも、一貴の口から、出来るものならウィリアムズで走りたいと言う希望が語られました。ウィリアムズのドライバーに選ばれる要素としての「速さ」はブラジルGPで示す事が出来たと考えているようです。

 確かに、昨晩も書いた通り、レース中第5位のラップタイムを記録していますから、その点では問題はないでしょう。トヨタのバックアップを得てドライバーとしての階段を登って来たことを考えれば、トヨタエンジンのカスタマーであるウィリアムズのシートに座るのは、流れとしては、確かに自然ですね。ウィリアムズとしても、「中嶋ジュニア」がもたらすジャパンマネーも魅力であることでしょう。

 一貴がウィリアムズを望む理由の一つとして、面白いことを言っていました。それは、ウィリアムズならば、今の生活を大きく帰ることなくレースを続ける事が出来るから、と言うものでした。一貴は現在イギリスのオックスフォード在住。ウィリアムズの工場が近いことから、住まいを変える必要がなく、今の生活のベースとペースを変えることなくF1に乗れるならそれが一番良いと考えているようです。

 トークショーの最後の30分が参加者からの質問に答える時間となっていましたが、その時に質問の一つに、ステアリングハンドルに付いている沢山のボタンを見ないで操作できるようになるまでにはどのくらいの時間がかかるのか」というものがありました。ブラジルGPにおけるルイス・ハミルトンの失速がステアリング上のボタンの押し間違えなのではないかという情報を意識した質問に思えましたが、これに対する一貴の答えは次の通りでした。

 ステアリング上にはホントに沢山のボタンが並んでいて、いまだに全部のボタンをブラインドタッチで操作できるわけではない。ラジオ(無線)のボタン以外は、今でも目で確認しながら操作している。

 確かに、これまでも、レース中に消火器のボタンを押してしまった(これはステアリング上のボタンではなかったようですが)ドライバーもいるなど、結誤、操作は多いようですね。今のF1はパドルシフトのセミオートマチック、パワーステアリング付きと、かつてのF1と比べると操縦そのものは楽になっているようですが、その代わりにレース中に操作しなければならないボタンが多くて、それはそれで大変なようです。

 ちなみに、ルイス・ハミルトンの失速の原因について一貴は、直接聞いたわけではないけれど、ステアリング上のボタンの操作ミスだと聞いている、と言っていました。(その2はここまで)


 大変リラックスして話をしていた片山右京、中嶋一貴の両氏。
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行って来ました、レノボ・AT&TウィリアムズDriver's Day

 台風20号接近による雨の中、横浜から遥々椿山荘まで行って来ました。
 いつもはTVの画面でしか見ていない片山右京、中嶋一貴が目の前で話をしていると言うのは、何か不思議な感じですね。でも、お二人ともTVで見ているお姿、そのままでした。

 意外だったのは、司会役で登場した、元第2期ホンダF1の監督、桜井淑敏さんでした。ウィリアムズ・ホンダ、マクラーレン・ホンダ全盛期の監督で、当時、インタビューに登場する時にはいつも濃いサングラスをかけ、強面で、ぶっきらぼうかつ強気のコメントで、取っ付き難い印象だったのですが、20年後の桜井氏はすっかり円熟の境地というのか、普通のオヤジさんになっていたのが印象的(ちょっとガッカリ?)でした。

 話の内容は明日以降書いていきたいと思いますので、今日のところは第一報ということで、このくらいにしておきたいと思います。

 とは言え、これじゃちょっと物足りない方も多いかも知れませんね。思い直して、ちょっとしたエピソードをご紹介しておきます。

 最後の質疑応答の時間の最後に、参加者女性からの「ブラジルGPの後、ご家族と話したことがあれば教えていただきたい」との問いに中嶋一貴は、あまり家族で話をする機会はないけれど、GPの前に電話をくれた父(言わずと知れた、日本人最初のF1レギュラードライバー、中島悟だ!)に、「俺は7位だったぞ」と言われたという話が披露されました。

 口下手な悟氏ではありますが、そんな一言に思いをこめて、愛息にエールを送ったのだろうなと思うと、熱いものが込み上げてきました。

 結果はご存知の通り、予選でのタイヤの使い方を間違ったためにスターティンググリッドは19位と沈みましたが、9台抜きの10位フィニッシュ。レース中の最速ラップは、チームメイトのニコ・ロズベルクのみならず3位入賞のアロンソをも上回る5番手のタイムを記録しています。順位はともかく、これには悟氏もきっと満足であったことでしょうね。(明日に続く)


 左から、桜井淑敏、片山右京、中嶋一貴、Chris Taylor(ウィリアムズチームIT担当チーフエンジニア)、レノボ社担当者、の各氏。
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F1もいつの日にか

 ラリージャパンが始まりました。こういうレースの回を重ねることで、日本でのF1公道レース開催の芽も出てくるのかも知れませんね。

 日本での公道レースと言えば、郷秋<Gauche>は以前から熱海でのレースを提案しています。没落一途の熱海を再生するイベントとしてぴったりじゃないかと。駅から歩いて行けるし、勿論宿泊場所は山ほどあるわけですから。

 もし、熱海では道が狭すぎると言うのならば、南青山のホンダ本社ビル前を通る東京青山コース、あるいは横浜のみなとみらい地区というのも良いのではないでしょうか。みなとみらい地区は、公道レースのための条件が揃っていますから、かなり現実性があるんじゃないかと思うんでけどね。

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10年間同じエンジンって、いったい・・・

 FIAが、F1用エンジンの開発を今後10年間禁止することを発表した。

 シャーシとタイヤの性能が向上することで、たとえ同じエンジンを使っても、F1マシンは速くなり続ける。しかし、その場合の速くなるための主たる要素である空力とタイヤのコンパウンド性能は、少なくとも200Km/h以上で走行する場合に有効な技術であり、一般公道を走る市販車の性能向上には、おおよそ関係にないレベルでの話である。

 翻って、F1のエンジン性能向上のために開発された技術は、比較的簡単に市販車のエンジンにフィードバックする事ができる。それは、燃費の向上、馬力やトルクの向上、耐久性の向上などであり、一般消費者にも大いに歓迎される技術である。

 だからこそ、世界の名だたる自動車メーカーはこぞってF1に参戦し、自社の技術力をアピールするわけなのだが(ホンダとトヨタは、少なくともここ数年、アピールできていない。アピールできているとすれば、ドイツの2つのメーカーと、フランス某社に比し、自社の技術が劣っていることである。つまり資金の無駄遣い)、最も重要なエンジンの優秀性をアピールできないとなると、幾つかのメーカーは、F1から撤退し、他のカテゴリ、つまり自社のエンジン技術の優秀さを判り易い形で表現できるカテゴリでのエンジン供給にシフトする可能性があるのではないだろうか。

 ただし、先に記したようにシャーシ技術の向上で好タイムをたたき出すことは可能であるから、現在は禁止されているようだが、市販車へのフィードバックが可能な技術、つまり、高度なトラクションコントロールやアクティブサスペンション、AWDなどを解禁することで、大手メーカーをF1に繋ぎ止めることは可能かも知れない。

 いずれにしても、F1が真に世界最高峰のモータースポーツであることを目指すのならば、エンジンの開発を凍結するなど、もっての他。具の骨頂である。エンジンについては、むしろ次々に高いハードルをもうけて、エンジンサプライヤー(現在ではエンジン、シャーシ共に製作するコンストラクターが多いが)を競わせるべきである。

 例えば、燃費。1980年代のF1用ターボエンジンは、わずか1.5Lの排気量から予選ではなんと1,500馬力、本選においてもさえも1,000馬力を絞り出していたが、ターボエンジン最後の1988年には、305Kmをわずか150Lのガソリンで走り切ることを要求されていた。1,000馬力のエンジンで激しい加減速を繰り返し、300Kmオーバーでレースをするマシンの燃費が2Km/Lだったのである。この時に開発されたターボ技術、省燃費技術は速やかに市販車用エンジンにフィードバックされている。

 燃費だけではなく、排出ガスの清浄性を求めても良いし、静寂性を求めても良いだろ。また、現在はレギュレーションで禁止されているロータリーエンジンなどを認めても良いし、ル・マン同様、ディーゼルエンジンの参入を認めるのもよし(現在のF1において禁止されているのかどうかは未確認)、バイオ燃料使用のエンジンや電気モーターとのハイブリッドエンジンの参入を促しても良いだろ。

 つまり、あらゆる形式のエンジンの利用を認める。その代わりに、市販車に速やかに導入することが可能な技術的ハードルを設けるのである。

 このような厳しい技術的課題を解決できるのは、少数のメーカーに限られる。かつてのコスワースのようなエンジンがF1を走ることはなくなるだろうが、下位のカテゴリでその力を発揮できる仕組みを作ってあげればよい。F1には、「世界最高峰」の名に相応しい技術力持ったメーカーだけがトライすればよいのである。


 今日の1枚は、白粉花(おしろいばな、別名夕化粧)。夏の花かと思われがちですが、実は秋になってもまだ咲いています。夏の間は早朝に咲き、日が高くなる頃には萎んでしますが、秋になると、昼を過ぎても花は萎まず、朝寝寝坊の郷秋<Gauche>もその花を楽しむことができます。
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広辞苑第6版刊行

 1998年11月の第5版刊行から10年目。もはや紙に印刷した、本の体裁を持った広辞苑の刊行はないものと思っていたのに、2008年1月に、第6版が刊行されるのだという。ちょっとした驚きだな。

 郷秋<Gauche>は本が好き。辞書もネット頼りになった昨今だが、郷秋<Gauche>はかなりの頻度で「本」の辞書、取り分け広辞苑を「読む」。自宅とオフィスの両方に置いてているほどである。辞書はどこから読み始めてどこで読み終わっても良い。辞書は、読み物としても実に優れているのである。

 さて、広辞苑(岩波書店)の刊行状況は次の通りである。

  1955年5月  第1版
  1969年5月  第2版
  1976年12月  第2版補訂版
  1983年12月  第3版
  1991年11月  第4版
  1998年11月  第5版
  2008年1月  第6版(予定)

 第5版までは、改定の間隔が短く徐々に短くなってきていることにお気づきだろ。にも関らず、第6版の刊行まで10年を要した言うのはいささか不可解ではあるが、「本」として出版することの迷いがあったがための10年ではないかと、郷秋<Gauche>は考えている。

 それにしても、広辞苑、今ではすっかり日本語のデファクトスタンダードになり、「広辞苑によれば」が枕詞として定着しているのだから恐れ入る(面白さでは新明解国語辞典第4版(三省堂)には負けるが)。この枕詞、実に便利な言葉であり、郷秋<Gauche>もかなりの頻度で使っているのは「郷秋<Gauche>の独り言」の読者諸兄姉ならば、先刻ご存じのはず。

 今回の改訂では「カタカナ語」や情報通信・金融に関する語、所謂流行語として登場したけれど、その後「定着」した言葉などが大幅に増えているという。

 「正しい日本語」という言い方が存在するが、言葉は常に変化するもの。平安時代の日本人と、現代の日本の高校生が、それぞれが日本語と信じる言葉を使って会話し、果たして、意思疎通ができるかどうか、怪しいではないか。

 それほどに言葉は変わるもの。その変わり様の生き証人が「広辞苑」であると言っても良いかも知れない。その変わりつつある日本語を知るためにも、広辞苑第6版を買わないわけにはいかないだろうな。

今日の1枚は、気がつけば、そこここで深まり行く秋。
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マクラーレン、提訴へ

 マクラーレンは、ブラジルGPにおいてウィリアムズとBMWのマシンに搭載されていた燃料の温度が規定より低かった(注)ことに関して、ブラジルGPのレーススチュワードがレギュレーション上、温度についての基準が不明確であることなどから、ウィリアムズとBMW 4台にペナルティや失格などの裁定は出さないことを決定したことを不服とし、FIAの国際控訴審に提訴する意向を表明した。

 マクラーレンは、「私たちが議論しているのは、ロズベルグ、クビサ、ハイドフェルドのマシンに対するスチュワードの決定についてだ。それゆえ、提訴の意志を申し立てる決定をした」としているが、もし、この申し立てが認められれば、ブラジルGPにおけるハミルトンの順位が繰り上がり、それに伴い獲得ポイントが増え、結果としてハミルトンが2007年のシリーズチャンピョンとなる可能性がある。

 これに対して、マクラーレンの二人のドライバーは「僕たちはいい選手権争いをしたことには満足している」「2007年のワールドチャンピョンにふさわしいのはライコネン」(アロンソ)、「終盤で最もいい戦いをしたのはキミだった」(ハミルトン)と、至って冷静に、ライッコネンこそが2007年のチャンピョンに相応しいことを認めているのにも関らず、マクラーレンは提訴するつもりらしい。マクラーレンは、F1がスポーツであることを忘れてしまったのだろうか。

注:温度が低いと燃料の密度が高くなることから、燃料の容量当たりに発生するパワーが増大する。また、シリンダー内の冷却効果が上がりエンジンの耐久性に良い効果を与えることなどから、レース結果の向上につながる可能性がある。


今日の1枚は、山茶花と共に咲き出した茶の木(お茶)の花。
山茶花(さざんか)と茶は、共にツバキ科、同じ仲間である。
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7年目の栄冠

 チャンピョン争いを演じる3人の中で、その座に最も遠かったキミ・ライッコネンが2007年F1最終戦を制し、ワールドチャンピョンシップの栄冠を手にしたことは既報の通り。

 ライッコネンは、宿敵フェルナンド・アロンソと同じ2001年にF1デビューを果たしている。アロンソが初めてタイトルを獲得するのはデビューから5年目の2005年だが、ライッコネンはその2年前、2003年にはミヒャエル・シューマッハとタイトルを争っている。その戦いは最終戦までもつれ込んだのだが、結果は2ポイント及ばずライッコネンは涙を呑んでいる。ちなみに、もしキミがこの年にタイトルを獲得していれば、その時点での史上最年少F1ワールドチャンピョンとなっていたはずであった。

 ついに栄冠を手にしたライッコネンであるが、デビューから7年目にしてのタイトル獲得は、いささか時間がかかっていることは確かである。

 1987年(CXが全戦中継を始めた年だ)から今年までの21年間に、10人のワールドチャンピョンが誕生しているが、デビューから最も早くタイトルを獲得したのは、デビューの翌年に栄冠をつかんだジャック・ビルヌーヴ(1997年/ウィリアムズ・ルノー)である。が、彼はF1デビューの前年、CARTシリーズにおいてタイトルを獲得しているから、F1デビューとは言っても今年のルイス・ハミルトンあたりとはちょっと経歴が違う。

 1987年以降のチャンピョンの多くは2シーズン以上のタイトルを獲得しているが、ジャック・ビルヌーヴと同様、1度のみのタイトルを獲得したドライバーにはデーモン・ヒル(1996年/ウィリアムズ・ルノー)がいる(もう一人については後述する)。1992年にF1デビューしたヒルは5年後の1996年にタイトルを獲得しているが、その後はチームに恵まれず1999年に失意の内にF1の舞台を去っている。

 7度のチャンピョンに輝くミヒャエル・シューマッハはデビューから4年後の1994年に最初のタイトルを獲得している(ベネトン・ルノー)。4度、チャンピョン獲得のアランプロストはデビューから6年目の1985年に初タイトル(マクラーレン・ポルシェ)を獲得と、やや時間をかけている。

 3回タイトルを獲得したネルソン・ピケはデビューから4年目の1981年に初タイトル獲得(ブラバム・フォード)、同じく3回のアイルトン・セナが初めてのタイトルを手にしたのはデビューから5年目の1988年(マクラーレン・ホンダ)であった。

 2代目フライング・フィン(F1における初代フライング・フィンは、ニコ・ロズベルグのパパであるケケ・ロズベルグ。デビューから5年目の1982年に、おそらくは史上最少の44ポイントでシリーズチャンピョンを獲得している)と呼ばれたミカ・ハッキネンは1991年にデビューしているが、チーム(マシン)に恵まれず、最初のタイトルを獲得したのはデビューから8年目の1998年(マクラーレン・メルセデス)で、ライッコネンよりも1年多い不遇時代を送っている。フライング・フィンは、「大器晩成型」なのか。

 21年の間の10人のチャンピョン、デビューからタイトル獲得までの平均年数を計算すると、5.9年という数字が得られたが、タイトル獲得まで13年をかけたつわものがいる。愛すべき大英帝国の息子、ナイジェル・マンセルである。

 昨夜の中継でも話題になった、21年前(1986年)の「三つ巴」の役者の一人でもある。デビューから7年目のこの時、2ポイント差でタイトルを取り逃がしたマンセルがチャンピョンの座に着くためには更に6年を要するのである。

 1993年デビューのルーベンス・バリチェロが来シーズンのタイトルをものにすれば、マンセルの記録を更新することになるが、これはあくまでも仮定の話しであり、まず、ありえない。マンセルのタイトル獲得まで13年の記録は、当分破られることはないだろ。

 苦節7年、ついにタイトルを手中に収めたキミだが、彼の真価が問われるのは、今年ではなく来年、2008年シーズンのはず。まっ、そのことは、今日はおいておくことにしよう。無冠の帝王の道を歩むのかとも思えたキミがタイトルを手にしたのだから。今日のところは、Kimi, Congratulations !


 例によって記事本体とは何の関係のない今日の1枚は、昨日に引き続き、いち早く黄葉した桂。昨日のアップ(35mm換算300mm)に対して、今日は「引き」。昨日のものと同じレンズのワイド端の27mm(35mm換算)で撮影したもの。同じレンズ(カメラ)でも望遠側目いっぱいとワイド側とでは、このくらい表現の仕方が変わってくるという「作例」としてご覧いただけると嬉しいです。どうぞお手持ちのカメラの望遠側とワイド側を使い比べてみてください。

 なお、今日の写真のように、空がバックになる場合には、プラス2/3~1程度の露出補正をすると良いでしょう。露出補正についてはお手持ちのカメラの取扱説明書をご覧になって研究してみてください。
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Kimi, Congratulations !

 2007年 F1ワールドチャンピョンシップを制したのは、キミ・ライッコネン!
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中嶋一貴、Q2に進めず

 琢磨と左近は予想通りだが、フリー2で、ニコにコンマ009遅れの8位につけていただけに中嶋一貴の19位はちょっとがっかり。テストドライバーとしての経験は積んでいても、まっ、これが初めてのレースだから、仕方がないということかな。

 ちなみに、父、悟はF1最初のレースを予選11位からスタートし7位で終えている。ただし、チーム・ロータスは、この年64ポイントを獲得し、コンストラクターズランキングはマクラーレンに次ぐ3位であった。

 中嶋一貴が駆るウィリアムズの今シーズンは28ポイントで4位。とは言え、マクラーレンのコンストラクターズポイント剥奪によりランクが繰り上がった結果の4位だから実質5位で、ポイントも87年のロータスの半分以下である。

 こうして父、悟と比べられてしまうのは2世ドライバーの宿命とは言え、気の毒である。19位からのスタートではあるが、一貴が良いレースをすることができれば、一人のF1パイロットとして、評価されるようになることだろ。そのためにも、シングルフィニッシュは期待したいところである。

今日の1枚は、いち早く黄葉した桂。

☆☆☆

 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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レノボ・AT&T ウィリアムズ Driver's Day

 来週の土曜日に、椿山壮で開催されます。

第1部「フォーミュラ・ワン 人間編」対談
“フォーミュラ・ワン・ドライバーの視点から、“モーター・スポーツ”としてのフォーミュラ・ワンの今と昔を語る。”

第2部「フォーミュラ・ワン 技術編」パネルディスカッション
“ドライバーとエンジニアが、“テクノロジー・スポーツ”としてのフォーミュラ・ワンの今と昔を語る。”

ゲスト:片山右京、中嶋一貴、桜井淑敏 ほか

 くじ運のない郷秋<Gauche>にしては珍しく、定員を大幅に上回る申込みがあったようですが、運良く300人の中の1人に選ばれました。マシンが展示されるかどうかについては案内では触れられていませんが、豪華なゲストの話を聞くことができるだけでも貴重な機会。今から楽しみです。

  “レノボ・AT&T ウィリアムズ Driver’s Day”の詳細はこちら

今日の1枚は、久しぶりに見た青空。
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58mm径がない

 ソニーから、DSLR αシリーズ用のアクセサリとしてCarl Zeissブランドのレンズ保護用のフィルターが発売になると発表になった。T*コーティングが施されているから、フィルター枠にはCarl Zeiss T*のロゴが入っている。

 Carl Zeiss T*のフィルター、先日手に入れたCarl Zeiss Planer T* 1.4/50mm ZF用にぴったりじゃないか。11月9日の発売日にはヨドバシへ!と思ってαシリーズのサイトを見たら、58mm径がないじゃないか。

 もう一度αシリーズのサイトを確認したところ、ミノルタからキャリーオーバーのレンズ、カールツァイスレンズのフィルター径は全部で5種類(49/55/62/72/77mm)。Carl Zeiss Planer T* 1.4/50mm ZFと同じフィルター径58mmのレンズがない。

 自社のレンズに必要のないサイズのフィルターを作らないのは、当然とも言えるけれど、ブランド力がものを言う日本においては、Carl Zeiss T*ブランドのフィルターなら、ニコンのユーザーは勿論、キヤノン、ペンタックス、オリンパスのユーザーも、ドイツ製のレンジファインダーを愛用するコアな愛好家も、きっと購入することだろう。

 郷秋<Gauche>としては、まずは58mm、さらに52/67mmもあると嬉しいかな。別にソニーじゃなくてもコシナが作ってくれてもいいんだけどね。Kenkoとmarumiは存亡の危機に立たされるかも知れないけど。もっとも、KenkoかmarumiのOEMだろうから同じかな?


 気が付くと、いろんなサイズのいろんな種類のフィルターが何枚も。レンズ保護のMCは1本に1枚、PLは径ごとに1枚、その他特殊効果フィルターも数種類。77mm辺りになるとフィルターと言えども結構なお値段ですから、ニコンMFが相当無理をしてでも52mmに統一したのは見識というべきですね。
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A380初号機納入

 エアバスA380 第1号機が、最初の顧客であるシンガポール航空に納入された。当初の計画から約1年遅れての引渡しとなったが、全席エコノミーなら800席という、ジャンボジェット(ボーイング747)をも上回る巨人機がいよいよ就航することになった。

 シンガポール航空は、この総2階建てのA380を、個室となるスイートクラスを含め471席というゆとりのあるコンフィギュレーションとしシンガポール-シドニー間で毎日1便を運行するという。

 シンガポール-シドニーって、成田-シンガポールとほぼ同程度の距離だから、所要時間はせいぜい7時間。離陸後と着陸前の各1時間を除いたら、中5時間だ。5時間と言えば、「のぞみ」で行く東京-博多間の所要時間。5時間のなかで、ダブルベッドにもなる個室で眠り、食事もするとなると、相当忙しいんじゃないかと思うのは、貧乏根性の染み付いた郷秋<Gauche>だからだろうか。

 A380の引渡しが遅れたことで、エアバス社の経営に黄色信号が灯ったのを見てほくそ笑んだのは、新世代787でエアバス社に対抗しようとするボーイング社であるが、A380初号機納入のニュースとほぼ同時に、787の初飛行が半年程度遅れそうだとのニュースが飛び込んできた。エアバス社の経営陣は、このニュースを聞いてニンマリとしたことだろ。

 A380は同じ便数でより多くの旅客を、ゆったり贅沢に運べる。787は低燃費を生かし、運行頻度を上げて旅客の利便性を高め、また、長い航続距離を生かして、新たな航路を開拓する。両者の戦略は大きく違っているようにも見える。

 が、実はエアバス社は787対抗としてA330をベースにしたA350の開発を進めているし、ボーイング社は3クラスで450席が可能な747-8の開発を進めている。まっ、ライバルがいるということは良いことだという、例え話だな。


 今日の1枚は、例によって記事本体とは何の関係もない、常磐山査子(トキワサンザシ)。
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