去年今年

 まもなく新しい年がやって来る。しかし、不思議なものだ。昨日と今日、今日と明日、毎日繰り返されることなのに、明日だけが何故か取りざたされる。確かに地球は太陽の周りを回っているらしい。それも365日かけて。それは認めるとしても、どうして次の年の始まりが明日なのか。誰かが決めたんだろう、明日が新しい年の初めの日だなんて。あと数十分後に新しい年がやって来る。昨日から今日に変わったように今日から明日に変わるだけなのに。

 去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子

 去年今年は「こぞことし」と読む。過ぎ去った年を惜しみ新しい年への期待の思いとを表す季語である。去年から今年、過去から未来へが一本と道だとすれば、その道を歩く自らの姿を俯瞰し、ある一点を超えて行くその姿を見つめる思いが込められた季語である。昨日と変わらぬ今日を生きる私、去年と変わらぬ今年を生きてゆく私。しっかり見つめることを忘れがちな昨今である。

 懐かしい友との再会があった。悲しい別れがあった。楽しく愉快に歌った。つらい別れの歌も歌った。人との出会いと別れ、事との出会いと別れ、物との出会いと別れ。時の流れって、結局は出会いと別れなのかなぁ。



今日の1枚はなるせの森の冬の尾根道

 新しい年が、皆さん一人ひとりにとってよきものでありますことをお祈り申し上げております。
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 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますのでぜひご覧ください。
恩田Now 
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横濱

 年末年始の楽しみ用に本を幾冊か買ってきた。郷秋はテレビを見ないから、その時間の多くを活字を眺めて過ごす。活字と言っても別に難しいものではない。新聞であったり趣味の雑誌であったり、時には気軽な小説だったり、新書や選書であったりもする。本を読むという程の事ではなく「活字を眺めて」過ごすのだ。

 昨晩、夕食後に急に思いついて駅前の書店まで買いに行ってきたのだ。その中の1冊はちょうど発売直後であった「考える人」(新潮社)の2006年冬号。これについてはそのうちに別項で登場するかも知れないが、今日書きたいのは「横濱」だ。「横浜」でも「横浜ウォーカー」ではなく「横濱」だ。「濱」の文字にこの雑誌のこだわりが隠されているのに気が付かれたことだろう。

 一昨日、神奈川新聞で見かけた記事について書いた。この「横濱」も実は神奈川新聞社発行の季刊雑誌なのだが、一般的な雑誌とは少し変わったところがある。奥付けを見ると、こう書かれている。「編集:横浜市市民局広報課・神奈川新聞 協働編集」。販売店も限られる。市役所、各区役所などで販売されており、一般の書店での取り扱いはどうやら限られた書店のみとなっているようだ(「協働」の文字にもこだわりを感じる)。



 事実、最初に訪れた青葉台駅周辺では一番大きな書店、ブックファーストでの取り扱いはなかった。まさかないはずはないだろうと散々探したが結局見当たらず、レジで聞いたところすぐに端末機で検索してくれはしたのだが、その答えは「横浜ウォーカーならございますが」であった。「横濱」だと言っただろう! 仕方がないので次いで大きい文教堂に行ったところ、こちらにはちゃんと並んでいた。

 どんな体制で編集しようと販売しようと、本(雑誌)の勝負どころは、勿論その中身だ。今号は96ページの本文のうち約1/3を特集の「横浜郊外の隠れ名店!」に割かれているが、これに目を奪われてはならない。本号の真髄は「横濱の秘めたる歴史―谷戸のくらしと食事事情―」であり「町の記憶・世代別に語るわが町の原風景」である。

 「横濱の秘めたる歴史」では現在港北ニュータウンとなっている都筑区が、かつて農村地帯であった当時のことが紹介されている。点在する谷戸で暮らす人びとの様子が活写され、当時の様子を彷彿とさせる。今となっては1970年以降の大規模な宅地造成により当時の姿を見ることはなかなか困難ではあるけれど、そんな横浜の原風景がまったくなくなってしまったというわけではない。

 我田引水ではあるけれど、私が毎週末に歩いている青葉区恩田地区には横浜の原風景ともいえる谷戸の暮らしが現代のそれと同居しながらも残されている。詳しくは website恩田の森をご覧いただきたいが、果たしていつまでこの姿を保つことができるのかはわからない。が、しかし失われてしまった谷戸が多い中で比較的良く残されている地域があることも知っていただきたいのである。

 さてこの「横濱」、そんなに古くからあるわけではなく、初号が2003年夏に発売になった季刊誌である。過去の主な特集記事を拾ってみると「横浜の街はまるごとテーマパークだ!」「ペリーが見た横濱・Japan」「これぞ、横浜の食!」「山手界隈散歩」「横浜・ホテル物語」と横浜市民ならずとも手にとって見たくなるタイトルが並んでいる。バックナンバーは横浜市刊行物サービスコーナー(231-0017 中区港町1-1 Tel:045-671-3600)で手に入るようである。

季刊誌「横濱」 編集:横浜市市民局広報課・神奈川新聞 発行:神奈川新聞 定価:500円(税込み)最新号は12月23日発売のVol.11 2005年冬号。横浜市のサイトでも大々的に宣伝してる。

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春を待つ

 今年も残すところあと二日となった。年が明ければ「新春」と呼ばれる「春」がやっては来るけれどこれは暦の上、言葉の上でのこと。本当の冬、厳冬は1月そして2月にやってくる。森の木々は葉を落とし、厳冬の後にやってくる本当の春を待っている。すっかり葉を落としまるで死んでしまったかに見える木々だが、実はその内にはしっかりと春の芽吹き、開花の準備をしながらその時を待っているのだ。



 左上から時計回りに梅の花芽、紫陽花(アジサイ)、クヌギそして白木蓮(ハクモクレン)の花芽。春一番に咲く梅の花は、今すぐに開花してもおかしくないかのような装い。紫陽花は防寒のための皮を持たずに青い芽を寒風に晒したまま春を待っている。クヌギは幾重にも硬い皮を被って縮こまっているように見える。白木蓮はいかにも温かそうな毛に包まれて春を待つ。
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新刊書 vs 新古書

 購読している神奈川新聞にこんな記事を見つけた。
 「新刊も古本も売る書店」―目からウロコの新商法―12/28 10頁 文化欄

 ブックオフを筆頭とする「新古書店」(新しく出来た古書店ではなく、車に「新古車」があるように新品に近い古書を売る店の意味だろうけれど、しかし、おかしな名前だ)が身近になって久しいが、今度は新刊書店と新古書店の複合店がオープンしたと言うのだ。

 ブックオフ(相模原市)同様、東京発ではない。広島を本拠地とするフタバ図書が始めた(らしい)新業態のようだ。フタバ図書の東京進出一号店、椎名町店(豊島区)を視察した書店主が書いた記事である。

 一階が新刊書店、二階が新古書店そして地下がDVDなどのレンタルという店の構成であり、新刊書と新古書が並んでいるわけではないらしい。古書店部分は「エコロジア」という店名がつけられ、あくまでもそれぞれの店が隣接した形なのだという。

 それにしても本の価格。最近のベストセラー「生協の白石さん」の場合、新刊本は定価1,000円、荒利230円に対して新古書の販売価格は680円。買い取り価格が350円だから荒利が330円なのだという。新古書は安定的に仕入れができる保障はないし、返品も出来ないけれど、新刊書を売るより新古書を売るほうが利益が出ると言うのもなんだかなぁ。

 書店側の損益は別にして、消費者としてのメリットが多いことも事実である。新古書店で売られている本(特にベストセラー物)はカバーの破れや傷みもなく、小規模書店で多く人が手に取り傷んだ状態で売られるものよりも状態が良かったりするのだ。それが新刊書定価の7割弱で手に入るのだからありがたい。更に読んだ後に新古書店で買い取ってもらえば結果として新刊書価格の半分ほどの値段で話題の本を読むことができることになるのだろう。

 新業態の書店登場も良いが、郷秋<Gauche>としては書店業界にお願いしたいことがある。大型新刊書店、新古書店では利益確保のために雑誌や売れ筋の新刊本のみを並べ、売れないけれど、売るべき、価値ある本がおろそかにされる気配があるが、売れ筋であげた利益で、長期間書架を占領しながら利益は出ないかも知れないけれど、価値ある本をぜひとも書架に並べておいて欲しのである。在庫ゼロで商売ができるネット書店との競合もあるだろうけれど、出版文化をそして日本の文化を支える気概をもってぜひともお願いしたい。



今日の1枚は、雑木林から見上げた冬の空。
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やっぱり電球がいい

 リビングの照明器具の電球が切れた。しかも立て続けに2個も。
 我が家のリビングはたいして広いわけではないけれど、ダイニング部分(食卓の上)とリビング部分にそれぞれ天井からペンダント型の照明器具をぶら下げている。勿論それだけでは暗いので、部屋全体に明かりが欲しい時のためにそれぞれのコーナーに4つずつスポットライトがある。



リビング部分の天井。2階にあるので船底状に高くとっている。

 勿論全部電球(白熱灯)だ。蛍光灯の青白い光は仕事場なら良いが寛ぐ場所には合わない。しかし1部屋で60Wの白熱灯を13個もつけたひには合計780Wだから暑くてたまらない(勿論スポットライトは通常コントローラーで絞っているので全開にすることはないけれど)。780Wだから電気代だってバカにならない。

 そんなこんなで数年前の夏にペンダント型の電球が切れた時に電球型・電球色の蛍光ランプに替えてみたことがある。でも、やっぱりだめだった。店頭で通常の蛍光色(昼間色?)のものと比べた時にはいかにも電球色であった蛍光ランプも、実際に自宅で点けてみると、やっぱり青白くて落ち着かないのだ。

 結局、食卓の上は通常の電球と電球色の蛍光ランプを1つずつ、リビングは3つのうち2つを電球色の蛍光ランプ、1つを通常の電球にすることで落ち着いた「電球色」の明かりとなることがわかり、それ以来数年このミック・スライトで過ごしていた(天井直付けのスポットライトは電球のまま)。

 ここに来て立て続けに電球が切れ、買い置きの電球も切らしていたので近所の電気店に買いに行った。勿論通常型の電球を買いに行ったのだが、店頭ではこれまでの電球型蛍光ランプよりも更に寿命が延び一層電球色に近づいたと言う商品が展示されていたので試しに買ってみたのだが、やっぱりだめだった。結局もう一度電気店に行って通常の60Wの電球を買ってきて、ようやく落ち着いた元の明かりになったのである。

 郷秋<Gauche>だって、いまPCに向かっているデスク上の明かりは勿論(昼間色の)蛍光ランプだ。今時の蛍光ランプはチラつかないし明るくて仕事にはこれが一番いい。でもこの明かりで食事をしようとは思わない。仕事の時には仕事用の、食事や寛ぎたいときにはそれ用の明かりがあるのだ。とくに冬の間、このオレンジ色の電球の明かりは心まで温かくしてくれる。やっぱり電球がいい。
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トヨタの本気

 今月20日、トヨタは2006年の生産を906万台(ダイハツ工業、日野自動車を含み全世界において)とすることを発表した。これが計画通りとなればトヨタはGMを抜き生産台数世界一、世界一の自動車メーカーとなる。第二次世界大戦後にヨチヨチ歩きを始めた日本のトヨタが、ヨーロッパで生まれアメリカで育った自動車産業の雄になる日が来るのだ。

 「日本のトヨタ」と書いたが、トヨタはいまや全世界に工場を持つグローバルな企業である。かつては小さくて燃費の良くて廉価なクルマのメーカーであったが、アメリカにおいてはレクサス・ブランドの成功により高級車メーカーとしての地位も確かなものとし、いち早くハイブリッドカーを開発し、新しい時代の低公害車でもトップを独走する企業でもある。世界一の自動車メーカーとしての風格をすでに備えていると言っても良いだろう。

 そのトヨタがどうやらF1でも本気になったようだ。

 11月末、トヨタは2006年シーズン用マシンTF106を発表。この異例に速い新マシン登場で周囲を驚かせたが、今度はトヨタF1の運営会社であるTMGの冨田社長が「明らかに、初優勝を遂げるというのはわれわれのまず果たすべき目標だ。(中略)フォーミュラワンで成功を収めるというのは、F1に参加した以上われわれの使命であることは間違いない。われわれが今年(来年?)は果たすべきは、まさに優勝、それだけなのだ」と2006年中の初優勝に向けて檄を飛ばした。

 そしてこんどは「トヨタ、ライコネンに巨額オファー提示?」のニュースだ。
2005年のチャンピョン、フェルナンド・アロンソが2007年にマクラーレンに移籍することについては今月19日に書いたばかりだが、アロンソの移籍により他のドライバーの移籍話が一気に噴出する結果となっている。その筆頭がキミ・ライッコネンだ。

 ライッコネンには以前からフェラーリへの移籍の噂が絶えなかったが、アロンソのマクラーレンへの移籍が発表されて以降、噂は一気に現実味を帯びたものとなってきている。22名(2006年シーズンのレースドライバー)のF1パイロットの中でも優勝できるドライバーはその1/3。ライッコネンはまさにその筆頭だから、どのチームも欲しい。

 問題はライッコネンが来てくれるだけのマシンを作れるのか、見合うギャラを出せるのかの二点だ。トヨタは勝てるマシンを作る自身があるのだ。世界一の自動車メーカーというステータスも手にすることになる。そしてライッコネンをドライバーに迎えることが出来れば、マクラーレンやかつてのフェラーリのような常勝チームも夢ではないということだ。

 それにしてもトヨタ。独『ビルド』紙が報じるところによれば、トヨタがライコネンに対して提示した金額は5年間の総額が1億ユーロ(約138億円!)というのだから驚きだ。これが事実だとすれば彼の年棒は約28億となり、高すぎると指摘されている現トヨタのドライバー、ラルフ・シューマッハの19億円(推定)を大きく上回り、フェラーリのミヒャエル・シューマッハの44億円(推定)に次ぐF1界2番手のものになる。

 豊富な資金にものを言わせての優勝、年間タイトル獲得は果たしてあるのか。


 例によって記事内容とは無関係の今日の1枚は、旧東京音楽学校奏楽堂で撮影したものです。
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旧東京音楽学校奏楽堂

 一昨日、写真を掲載したホールは旧東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の奏楽堂です。明治23年に創建されたこの奏楽堂は、国の重要文化財に指定されている日本最古の木造の洋式音楽ホールで、昭和62年に現在地に移築されています。


 2階にある音楽ホールは、滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌った由緒あるものですが、現在でも演奏会の開場として使用することが可能です。ステージにはスタインウェイのフルコンサート・ピアノがあり、必要最小限の照明も設備されています。


 勿論、最新の設備が施されたホールとは比べようもありませんが、木造故の温もり、その古さが他では得られない独特の雰囲気を醸しています。古いものに手を入れて使い続けるというその考え方に、郷秋<Gauche>は大いに共感しました。

 旧東京音楽学校奏楽堂のWebsiteはこちらにあります。ちなみに一昨日郷秋<Gauche>がステージ・マネージャーを務めたのはソプラノの山崎小桃さんのコンサートでした。

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 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますのでぜひご覧ください。
恩田Now 
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Merry Christmas !



Glory to God in the highest heaven,
and peace on earth to those with whom he is pleased !


[ The Gospel according to Luke 2-14 ]

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雇われステマネ


 今日は都内某所で「雇われステージ・マネージャー」をしてきました。小さいけれど独特の雰囲気のあるすごく素敵なホールでした。


 今日のところは客入れ前のわずかな時間に撮った写真をご覧いただくとして、詳しいことはまだ後日書きたいと思います。


「ははーん、あそこだな」とお気づきになられた方も多いことでしょう。

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うさぎの目

 
 果たして本当にうさぎの目が赤かったのかどうか思い出せないけれど、子供の頃に作った雪のうさぎの目は南天(ナンテン)の実だった。雪だるまの口や目は炭(木炭)だったような気もするけれど、これは確信を持てない。まだ身近なところに炭があった時代ではあったけれど。

 このところの寒波で、鹿児島では観測史上最高の積雪を記録したと言うけれど、横浜は相変わらずカラカラに乾燥した晴天が続いている。いったいいつまでこの天気が続くのか。そろそろお湿りが欲しい頃だ。
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Nikon、快進撃

 これまで、デジタル方式一眼レフではキヤノンの一人勝ちと言われてきたけれど、どうもここに来て様子が変わってきたらしい(こちらの下から1/4程のところにある販売台数シェア推移を参照あれ)。

 デジタル方式一眼レフは2強とその他大勢と言う図式が定着していた。2強とは言ってもキヤノンはニコンの倍程も売っていたし、その他大勢とはいっても3社だけ。この3社(オリンパス、ペンタックス、コニカミノルタ)はどれもシェア10%程のところをウロウロしておりニコン、キヤノンにはとても太刀打ちできる状態ではない。
 
 こちらのシェア推移グラフをご覧いただければお判りの通り、わずか半年の間にキヤノンは30%もシェアを落とし、落としたシェアの半分をニコンが奪い、半分を下位3社で分け合った格好となっている。

 注目はだ、伸びるニコンがシェアを落としたキヤノンを捉え、更には逆転しようとしていると言うことだ。ニコンとキヤノン、その企業規模を考えればとても太刀打ちできないはずのニコンがシェアでキヤノンを上回るとは、これは大したことだぞ。クルマで言えばホンダがトヨタを追い越すようなものだ。

 さて、このニコンの快進撃の原動力は今年春に登場したD70sD50であることは間違いない。特にD50は高性能をわかりやすい形で包み、フィルム方式一眼レフ中級クラスの価格で売り出したのだから売れないわけがない。そしてトドメは12月16日発売のD200である。

 D200はハイエンド・アマチュア向けの機種であるが、そのスペックはプロ用としても十分な内容であり、特に防塵・防滴を施したマグネシウム合金製のボディーなどはプロユースを意識したもの以外の何物でもない。

 キヤノンとしてもここで引き下がるわけはないから、ニコンの天下がいつまでも続くものでないとは思うけれど、このデジタル方式一眼レフのシェア争いは面白くて当分は目が離せないぞ。

 しかしだ、シェアこそ一番ではないけれど、プロのカメラマン・写真家から絶大な支持を得るニコンだからこそ「持つ喜び」もあろうと言うものだが、ニコンがシェアトップとなると、クルマで言えばトヨタだ。D200はクラウンの下のマークⅡと言うところか?お乗りの方には申し訳ないけれど、郷秋<Gauche>としてはそれはいやだぞ。

 ニコンはシェア的にはキヤノンの下がいい。D200の売れ具合も5Dの下でいい。あんまりメジャーになってしまってはニコンの価値が下がるではないか!


そんな訳で今日の1枚は、いま売れに売れているニコンD200で撮影したもの。
[ 撮影 : なるせの森 ]
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増ページ大特集

 度々書いている講談社のPR雑誌「本」(サブタイトルには「読書人の雑誌」とある)の2006年1月号が届いた。開いてみてビックリ驚いた。原武史氏(明治学院大学教授)の「鉄道ひとつばなし」が連載10周年記念との事で例月は4ページなのに今月はなんとほぼ倍増の7ページ立てとなっているではないか!

 「日本の鉄道全線シンポジウム(上)」と銘打った特別版だが、果たして「上・下」なのか「上・中・下」なのかはわからない。いずれにしても例月の4ページ立てではちょっと物足りなかった郷秋<Gauche>には嬉しい特別版である。中身は読んでのお楽しみ、とするが、ちょっとだけ「サワリ」を。

 鉄道の話題としては、記憶も生々しいJR福知山線については他の路線よりも多くのスペースが割かれているのは当然だが、50程登場する路線で次に多くのスペースを割いているのがなんと、我が東急田園都市線なのである。複数回登場する路線もあるが、一回で9行を割いた東急田園都市線がその分量としては単独トップの座を獲得している。

 何故か。答えは簡単、原武史氏の最寄り駅が東急田園都市線青葉台駅だからである(個人情報の暴露ではない。過去に氏自らそのことを本連載で記している)。そんな自らの最寄線について氏は「私の沿線は、多摩田園都市と呼ばれる首都圏でも指折りの高級住宅地です。「上質な暮らし」が根付いています。これを文化と呼ばずして、何と呼ぶのでしょうか」と田園都市線に「言わせる」のだが、すかさず阪急神戸線にこう言い返される。

 「ふん、何が「上質な暮らし」だ。芦屋川のお嬢様が聞いて呆れてしまうわ。(中略)「たまプラーザ」だの「あざみ野」だの、「~が丘」だの「~台」だのちゅう駅名が文化的なのかいな」。原武史氏は自虐的でもあるのだ。


 人がそうであるように、樹木にも勿論個性がある。その個性の本質は葉や花ではなくその幹・枝で知ることができると、私は思う。これは柿の木。どう見ても個性的な枝ぶりである。その奔放かつ緻密な枝ぶりが増幅する、凛とした空気感をお伝えできるだろうか。
[ 撮影 : すみよしの森 ]
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アロンソ、動く

 2005年シーズン、ルノーにコンストラクターズ・チャンピョンをもたらし自身も最年少チャンピョンに輝いたフェルナンド・アロンソが2007年にマクラーレン入りするという驚きのニュースがリリースされた。

 以前からアロンソには移籍の可能性をうかがわせる情報が多数あったが、よもやマクラーレンに移籍とは。最も可能性の高い噂としてはフェラーリ入りが囁かれていたが、今シーズンの体たらくを見て嫌気が差したのか。

 マクラーレンは強力な二人のドライバーを揃え互いに競わせることで有名であるが、もし2007年にライッコネンとアロンソ、二人のチャンピョン(ライッコネンは2006年にチャンピョンを獲得する)がシートに座るのだとすれば、アラン・プロストとアイルトン・セナという名ドライバーを揃え、最強と言われたHONDAエンジンを積んで圧倒的な強さを誇った1988-89年シーズンの再来となる可能性大である。

 しかしアロンソ、何故にルノーに見切りをつけたのか。
今シーズン最速と言われたMP4-20を作り上げたマクラーレンではあるが、2006年にはエンジンがV8 2.4Lに変更になり、更に2007年にはタイヤがBSのワンメイクになるなどで、マクラーレンが2007年に戦闘力のあるマシンを作れるという保障があるわけでないな。にも関わらずなぜにマクラーレン移籍なのか。

 最大の要因は「ギャラ」である、と郷秋<Gauche>は見る。彼がこれまでルノーから貰っていたギャラは相当に安かったとはもっぱらの噂だ。最年少チャンピョンに輝き2006年には大幅増額かと思われたが、どやらそうはならなかったようだ。数度優勝した程度のドライバーよれも、最年少でチャンピョンを獲得した自分の契約金の方が少ないのだとしたら、それはそれは不満だろうな。


 自宅からかつらの森にいく途中にある公園では、blog掲載用の写真を時々撮っています。今日はその公園での1枚。手前の木は樹皮が剥げ落ちた様子でお判りですね。百日紅(サルスベリ)です。

 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますのでぜひご覧ください。
恩田Now 
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裸木

 
 「はだかぎ」は勿論冬の季語で、時の如く葉をすっかり落とし裸になってしまった木を指す。同類の季語には寒木、冬木、枯木立、冬木立などがあるが、葉を落としたクヌギやコナラと言った雑木に似合う季語は「裸木」をおいて他にはない。

 葉を落とした欅はどれも力強く美しい。それに引き換えクヌギやコナラは太い幹が不器用にあばれ、くねり、お世辞にも美しいとは言えない。それでもなお冬の雑木が私の心を惹くのは、人目を気にせず自分のやり方で天に向かっているかに見えるからであろうか。

[ 撮影 : いつもの東京都下某所 ]
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落ち葉

 
 所によってはくるぶしあたりまでも降り積もった落ち葉。あるものは人によって集められ、あるものは自然のなすままに時間をかけてゆっくりと朽ち土に返っていく。そしてその土が木々を育んでいくんだ。時間はゆっくりとゆっくりと回っていく。それに引き換え、人間のすることはなんと忙しないことか。

[ 撮影 : いつもの東京都下某所 ]
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