夢は白黒か

 今朝、クルマの中で聞いていたJ-WAVEで、映画監督の塚本晋也氏が「夢は白黒なので・・・」と話していた。本当に白黒だろうか。

 郷秋<Gauche>は余り夢を見ない。目覚めた時に覚えていることが少ないと言うべきなのかも知れないが、まっ、見たとしても覚えていなければ見なかったのと同じだ。もちろんまったく見ないというわけではない。が、ストーリーは覚えていても、その夢が白黒(あるいはセピアなどのモノクローム)だったのかカラーだったのかは覚えていない。覚えていないのではなく、色についての認識はほとんどないというのが正直なところである。

 夢を「ストーリーのある映像(動画)」と考えれば、それは睡眠中に自分自身が作り出す映画やテレビドラマのようなものであるとも言える。現実の映画やテレビドラマ、静止画像である写真も特殊な効果を狙ったもの以外は、今はほとんどすべてカラーである。新聞、週刊誌や自治体や各種団体の「お知らせ」のように低廉な経費で印刷されるものには白黒の写真も使われてはいるが、それとて1面には大きなカラー写真が配されていることが多い。

 かつてはどうであったか。郷秋<Gauche>の家に初めてやってきたテレビジョン(テレビのことだ。これが正式名称だと思う。普及の初期には正式名称で呼ばれることも多かったと記憶している)はもちろん白黒であった。2台目も白黒で、カラーになったのは3台目であった。新聞にカラー写真が掲載されることはなかった。雑誌もカラーは巻頭の特集記事の、それも最初の数ページだけでそれ以外は同じグラビアでも白黒であった。

 映画がどうであったのか、記憶が定かではないが白黒のものとカラーのもの、両方があったように思う。「パートカラー」という、肝心な部分だけがカラーになっているものも存在していたことは後になって知った。家庭や写真館で撮影する写真は、もちろん白黒。カラー写真がなかったわけではないが、それは「ハレ」の日にだけに使われる特別なものであった。高価であったが、発色も悪く退色も早かった。

 つまり、かつて(昭和30年代以前と考えて欲しい)は目にする映像や写真のほとんどすべてが白黒であった(幕末~明治期には白黒の写真に絵の具で着色した彩色写真が作られていた)。動画、静止画を問わず、画像は白黒と言うのが常識であったはずである。

 だとすれば、睡眠中に自分自身が作り出した映画やテレビドラマたる「夢」もまた、当時の人々は白黒の映像として認識していたのではないだろか。だから「夢は白黒」。現在はどうだ。現実に目にする画像はすべてカラーである。だから「夢もカラー」。

 画像と言えばカラーが常識である時代以降に生まれた人の夢はカラー。画像が白黒であった時代を知っている人はカラーもあれば白黒も。場合によってはパートカラーもあり。白黒の画像しか知らない時代の人が見た夢は、白黒。郷秋<Gauche>の仮説である。

注:必ずしも厳密ではないが、ここでは「画像」には動画と静止画の両方を含み、動くものは映像あるいは動画、動かないものを静止画(像)あるいは写真と標記している(はずである)。


 今日の1枚は、晩秋以降に草むらを歩くとズボンにくっついてくる厄介者、小栴檀草(コセンダングサ)の実(種)。マクロレンズでぐっと寄って見ると、ズボンにくっつく、その仕組みが良くわかりますね。
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