4月尽

 4月も今日で終わり。始まったばかりだと思っていた2008年も1/3が過ぎ去り、明日は早や5月。4月から身辺の様子が少し変わったことから、この1ヶ月慌しい日々を過ごしたせいなのか、1日はあっという間に過ぎてしまうのに、この1ヶ月を振り返ると、4月1日の出来事がはるか昔のことであったような気がして妙である。

 慌しいと言いながらも、思い起こしてみたら山梨と多摩森林科学園と、今月は2回も撮影に出かけていた。「全然慌しくないじゃん」という声が聞こえて来そうだが、まっ、「忙中閑あり」ということで(^^;。どちらも郷秋<Gauche>にとってはちょっと新境地というのか、新たなヒントを得た撮影行であった。

 2008年4月と言うと、何故だか1ヶ月だけガソリンの値段が安くなった月として、後々語られること月になるかも知れないな。3月末時点で170円(郷秋<Gauche>が入れているハイオク)だったガソリンが一夜にして30円の値下がり。ちょうど入れ時だったので満タンしたが、約1ヶ月後の一昨日給油したけど28Lしか入らなかった。

 約1ヶ月前に、芸術点・技術点共に満点に近いけれどやたらと重たいレンズを手に入れたことを書いた(手に入れないわけには行かない必然的な出会いが、実はあったのだが・・・)。重た過ぎて、構えていると腕の筋肉がプルプル言い出すので「筋トレ」を始めたことも書いたが、それなりに効果が出てきた今日この頃である。

 勿論、重たいことには変わりはないが、構えていて、その重さに耐えかねた腕の筋肉が震え出すことはなくなってきた。鉄アレイならぬ、砂入りのペットボトル(3Kg)を使って毎夜トレーニングに励んでいたが、腕が太くなるほどではないが確実に筋力が付いてきていることは間違いないようである。

 世間的には休日であった昨日も働いた郷秋<Gauche>的には、今日から所謂「ゴールデン・ウイーク」である。その初日は、ここ暫く荒れるに任せていた庭の手入れ。先週末から少しずつ手入れをしてはいたけれど、きゅうりとトマトの苗を植え、スナックエンドウの種を撒き、月見草の種を撒いて作業終了。やれやれ。

 だからどうってこともないんだけれど、こうして夜な夜な駄文を書いていると、それなりに一定の分量を書けるようになるということに気がついた。例えば今晩は一段落140文字で7段落、約980文字。原稿用紙2枚半の分量だ。慣れるとディスプレイ上で見やすい分量、リズムで書けるようになるものだと自画自賛(除く、内容)。
 

 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、今年も我が家のアラカシの下で愛らしい姿を見せてくれた二輪草。カタクリと一緒に取り寄せた二輪草は元気がなくなってきていますが、これは一昨年、お許しをいただいてすみよしの森の畑の隅から移植したもの。やはり地元の気候が合うのか、至って元気です。
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Nikon D60 vs Canon Kiss X2 on “NAVI”

 「クルマ文化」の雑誌、月刊NAVI 6月号でDSLR(デジタル方式一眼レフカメラ)のトップ2が激突!

 郷秋<Gauche>は創刊以来のNAVIの読者だ。NAVIの創刊がつい最近のことであったよう気でいたが、あらためて確認すると6月号でなんと通巻292号。来年2月号で300号、丸25年を迎えることになる、いまや老舗の雑誌である。

 そのNAVI 6月号の「NAVI with Gadgets」ではVOLVO XC70 3.2SE AWDとCanon EOS Kiss X2が登場。6ページの記事のうち約束5ページはXC70に関する記事ではあるが、掲載されている写真のほとんどにはCanon EOS Kiss X2がさりげなく(と言うよりは「わざとらしく」)登場している。

 最後の1ページがKiss X2の紹介に当てられている。キャプションでは「デジタル一眼の進化は急で、(Kiss X2は)現行40Dにも遜色ないスペックを誇る」と、持ち上げてはいるが、大小17枚の掲載写真のうちKiss X2で撮影したとクレジットされているのは僅かに1枚のみ(他に作例的小写真が2枚)。まっ、そうだろうな。

 ちなみにこの「NAVI with Gadgets」、5月号ではSmart Fortwo CabioとPentax K200Dが登場している。特に毎回DSLRと言うわけではなく、4月号はMitsubishi “i”とMacBook Airの組み合わせである。

 さて、話しをNAVI 6月号に戻そう。勿体を付けたわけではないが、「Kiss X2はわかった。Nikon(ニコン) D60はどの記事に登場しているんだ」と気になるカメラファンも多いことだろ。実は「NAVI長期レポート」というコーナーの中の「マツダ・ロードスターRS」のページに登場しているのだが、こちらはたった1ページ。それでもタイトルが「カメラをもって」そされ、ボディ単体とレンズキットの実売価格も紹介されている。デジタル方式カメラの弱点である「白トビ・黒つぶれ」を改善する「アクティブDライティング」の紹介もされている。

 郷秋<Gauche>がこのblogの中でさりげなく、Canonのではなく、NikonのDSLRのことを持ち上げたり、これまたさりげなくCGやNAVI購入を誘うような記事を書くのとは違い、「ちゃんとしたメディア」は、社長の趣味や編集長の好みでD60やKiss X2を登場させるわけではない。当然メーカーからのアプローチがあるわけだ。その点で見ると、NAVI 6月号では「Canonの押しの勝ち」と言うことになるな。

 もっとも、「マツダ・ロードスターRS」の1ページの記事のうち、ロードスターについて書かれているのはホンの僅かで、実質的には1ページ丸ごとD60の紹介だから、Nikonの広報担当も相当頑張ったとも言える。

 DSLRでこそCanonと激しい鍔迫り合いを繰り返すNikonだが、Canonと企業規模を比べれば大人と子どもほどの差があるのは事実。このあたりが「タイアップ記事」の露出量の違いに現れているんだろうな。
 

 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、なるせの森の畑の隅で咲いていた苧環(おだまき)。葉の形が二輪草に似ているなと思って調べてみたら、案の定、同じキンポウゲ科でした。
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スペインGPが良かった5つの理由

 2008年のF1もいよいよヨーロッパラウンドに突入。これからが本番というヨーロッパラウンド第1戦となったスペイングランプリだが、これがなかなか良いレースであった。良いレースであった理由は次の通り。

理由その1 単独クラッシュしたコバライネンが無事であったこと。アイルトン・セナの事故を思い出させる、ブレーキの気配もないまま、マシンがタイヤウォールに一直線に突き刺さった時には背筋が凍りつく思いがした。自力で脱出できないまま経過する時間と共にある思いは確信に変わりつつあったが、上空を舞うヘリに向かい右手を突き上げるコバライネンの姿により、最悪のシナリオへの予感と確信は安堵へと変わった。良かった。

理由その2 ライッコネン、今シーズン2勝目を上げて、ドライバーズポイントで首位に躍り出る。BMWにしてやられていたコンストラクターズポイントでもフェラーリがトップに立つ。実に正しく良いことである。

理由その3 中嶋一貴、7位入賞。どうやら一貴の最大の課題である予選でチームメイトの上を行くも、1コーナーでのポジション取りから一周目で順位を落とすが、荒れたレースを落ち着いて走りきり今シーズン2度目のポイントゲット。大いに自信とつけたことだろ。良くやった。

理由その4 軽いマシンと地元の声援で背中を押され1列目を獲得したアロンソだが、レース中盤で惜しくもリタイヤ。勿論、最後まで走りきったとしても表彰台には届くことはなかったであろうが、リタイヤと同時に起こった、アロンソの健闘を称える大きな拍手は感動もの。F1がスポーツであることを再確認させてくれたぞ。良いではないか。

理由その5 琢磨、最下位なれど最終盤、クルサードの猛チャージを見事に押さえ込むこ数周を国際映像がたっぷりフォロー。マシンの力の差はいかんともし難い中にあっても、同一周回なればこそ許される「バトル」。厳しい現実の中で、琢磨の持てる力を出し切ったレース。良くぞやったり!
 

 今日の一枚は、4月21日、多摩森林科学園で撮影したものの中から、急斜面で凛として咲く桜の大樹。緑がかった白い花からは鬱金桜(ウコンザクラ)を思わせるが、これ程の樹高になるのやら。多摩森林科学園の桜保存林ではすべての木に品種名のタグや看板が用意されているが、写真の桜は距離のある急斜面にあることから名札の確認はならず。
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桜の聖地。なれど写真愛好家の行儀、至って悪し

 

 

 今日の一枚は、4月21日、多摩森林科学園で撮影したもの。同所で撮影した写真は既に23日と25日に掲載しているが、行かれた方はご存知の通り、言わば「桜の聖地」である。江戸時代から伝わる園芸種や天然記念物に指定されている桜のクローンをはじめ、約250種・1700本が植えられており、文字通り「桜の聖地」なのである。

 郷秋は、実は平日に仕事をサボって出かけてきたのだが、花の名所は何処も同じで、年配のご婦人方でごったがい。中・高年の女性9割、その女性に仕方なく連れて来られた男性1割。郷秋が来園者の最年少ではないかと思えるほどであった。

 写真愛好家の姿が多いのも同じだが、幸いにして歩くコースの設置の関係から、人が写真に写りこんでしまうことが少ないのは良いのだが、そこかしこに立っている「三脚禁止」の立て札の前に堂々と三脚を立てて「とうせんぼ」している方が多いのには、顔から火が出る思いであった。

 その多くが、失礼ながらヨドバシやビッグカメラ辺りで2、3000円程で売っているペラペラのもの。まっすぐ立てず、レリーズ(リモートコード)を使わず、レンズのフードは収納状態のままと言った有様で、まったく三脚の意味なしの状態。三脚の正しい選び方・使い方をちゃんと教わらず、ただ三脚を使えばよいと思い込み、三脚禁止のところでも平気で立てるあたりは、中高年向け写真教室の講師の責任と言わざるを得ないだろうな。

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久しぶりのフロントロー対決

 地元、サーキット・ド・カタロニアでの大声援ターボが効いたのか、アロンソが予選2位を獲得。久しぶりにライッコネンとのフロンロー対決を見られることとなった。

 昨年来の不振に喘ぐルノーだが、ヨーロッパラウンドからR28に新な空力パーツや新設計のダンパーなどが投入され、こと、予選に関してはその効果を見る事が出来たようである。だが、それはたった一周のアタックでのことであり、レースは66周で争われる。予選では後塵を拝すこととなったマッサもいればマクラーレンの2台、BMWの2台も控えている。

 久しぶりに一列目からスターとするアロンソには、ぜひとも良いポジションでゴールしてもらいたいとは思うが、たとえ同一周回の戦いではあっても、アンフェアなブロックだけは止めてもらいたいものである。

 フリー2では一時は最速タイムをマークした中嶋一貴だが、今回もQ3進出はならなかった。それでもロズベルグを上回る12番手を確保し、チームメイトとの予選対決を2勝2敗とした。予選の戦い方が一貴の大きな課題の一つではあるようだが、タイム自体はトップチームから大きく遅れてはいないので、決勝レースに期待したいところである。
 

 例によって記事本体とは何の関係も無い今日の一枚は、すみよしの森の民家の庭先で咲いていた卯の花(うのはな)。「卯の花の匂う垣根に、時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて、忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ」と歌われる「卯の花」ですが、正しくはユキノシタ科の空木(うつぎ)の花。
 「卯の花の匂う」と詠われていますので、さぞかし良い香りがするのかと思いましたが、匂いはほとんどありませんでした。試しに広辞苑を引いてみたら、ありました。⑤(丸5)「生き生きとした美しさなどが溢れる」。この意味の「匂う」のようです。確かに「匂い立つような美しさ」という表現を聞いた事があるような気がしますが、今はほとんど使われていませんね。
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変な日本語三題

その壱
 郷秋<Gauche>の通勤経路にある某商店の看板に、「定休日(不定期)」と書かれていた。「定休日」って、定期的、つまり決まった曜日や例えば5の付く日には休みます、ってことだと思っていたけれど、定期的かつ不定期に休むって、どういうことなんだろう。

その弐
 先日、清春芸術村に行った時の事。年配のご婦人が、「こちらの方にも出口はありますか」と案内係りらしいおっちゃんに尋ねていた。すると、「いいえ、出口は入り口だけです」。入り口は入るところで、出口は出るところだと、郷秋<Gauche>は思っていた。

その参
 暫く前のこと、帰宅したらファックスが届いていた。タイトルに「訃報のお知らせ」とあった。「訃報」って、どなたかが亡くなったと言うお知らせだ。「訃報のお知らせ」じゃ、「女性の婦人」と同じじゃないか?

 こういう言葉のお遊び、揚げ足取りを書いた時に限って誤字・脱字があったりして、「人のことを言う前に、お前の日本語の方が怪しいぞ」という突っ込みが、特に金沢や埼玉方面から来たりする。単なるお遊びなんだから、「そういう突っ込みはお止めくださってくださいませ。」と、予め最初に言っておくぞ(^^;)。
 

 今日の一枚は、例によって記事本体とは何の関係も無い、多摩森林科学園の桜の木。
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電球がなくなる?!

 

 我が家のリビング・ダイニング(南側半分)の天井である。ご覧の通り、天井を作る予算がなかったので、屋根の形がそのままむき出しになっているが、まっ、そのことは今日は置いておこう(^^;。で、今日ご覧頂きたいのは、屋根の裏側(我が家にとっては天井だ)についている電球の数である。写真に写っていない1つを加えて7つだ。北側半分(ダイニング部分)には天井と壁に南側と対称に付いている4つの他、食卓の上に、天井からぶら下がっているペンダントに2つの計6つ。全部あわせると13個の電球を使っている。全部60Wだから、しめて780W。

 CO2削減(地球温暖化防止)のために、この電球を2010年までに廃止し、電球型蛍光灯に切り替える事が、ほぼ現実のものとなるようである。つまり、政府が音頭とりとなって、各メーカーに働きかけたところ、メーカー側もこれに応じる姿勢を見せていると言うのである。同じ60W相当の明るさのために電球型蛍光灯が消費する電力は電球の1/3だから、我が家のリビング・ダイニングの電球を全部点けた時の消費電力も780Wから260Wになる。電気代も安くなるし、夏場の暑さも緩和されることだろ。

注1:電球13個、780W分を全部点けることはまずなく、必要な場所だけを点け、かつ、天井と壁についているスポットライト型のものは必要に応じて調光している。食卓の上など必要な場所は明るいが、それ以外の場所は、薄暗い状態のこともある。
注2:白熱電球の発熱量は大したもの。電球13個、780W分の半分程度をつけていただけでも相当の暑さになるので、この暑さから逃れるために、夏場は特に薄暗い中で生活している(^^;。

 電球型蛍光灯が同じ明るさの電球のほぼ10倍と高価なことを除けば、寿命も長いし電気代も安くなるので、家庭の経済を長い目で考えれば良いことずくめのように思えるのだが、郷秋<Gauche>は、ここであえて問題提起をしておきたい。

 それは現在の電球型蛍光灯の色が、たとえ「電球色」のものを選んだとしても、完全に電球と同じではないと言うことである。先に郷秋<Gauche>の家のリビング・ダイニングには全部で13個の電球があると書いたが、実はそのうち、ペンダント型の照明器具には既に電球型蛍光灯を利用している。リビング側のペンダント型3灯のうちの2つ、ダイニング側のペンダント型2灯のうちの1つを電球型蛍光灯に変更しているのである。

 何故、全部を電球型蛍光灯にしないのかと言えば、それは「色」の問題である。つまり、現状では電球色の電球型蛍光灯であっても、その色温度が完全に電球と同じではなく、やや高いようなのである(白熱電球の色温度はおおよそ3000K(単位:Kはケルビン)であるが、感じとしては3500Kくらいなのか、やや白色蛍光灯(4200K程度)寄りの色合い)。

 色温度などについての詳しい説明はここでは省略するが、要するに、たとえ電球色のものであったとしても、現在の電球型蛍光灯では、白熱電球とまったく同じ色合いだとか、その色合いから来る安らぎ感、食べ物(特にマグロの刺身)の美味しさ感が得られないのである。このように、全部を電球型蛍光灯にするとしっくり来ないことから、ペンダント型照明器具の電球の半分を電球型蛍光灯に置き換えていると言うのが我が家の現状なのである。

 勿論、CO2削減(地球温暖化防止)に反対するつもりは毛頭ないし、出来る限り協力したいと思い、我が家でも既に一部で電球型蛍光灯の使用を始めているわけだが、電球型蛍光灯の色温度の問題から、現状では今すぐ全面的に電球型蛍光灯するわけにはいかない。問題は色温度だけ(あるいは色温度だけでは測れない、微妙な感覚的要素があるのかもしれないが)なので、この問題を各メーカーにはぜひとも2年弱の期間に克服してもらいたいと思っている。

 もう一つ心配なのは、所謂「なす型」の電球は電球型蛍光灯に置き換えられても、郷秋<Gauche>の家のリビングの使っているスポットライト型の電球や廊下や寝室などで使っているダウンライト用のスプリクト球がどうなるのかと言うことである。これらの電球はサイズが小さいので、素人目にも蛍光灯化は難しそうである。大体蛍光灯では(一般的に)調光で出来ないから、必要に応じた明るさに調整することも出来ないのも問題である。

 繰り返すが、郷秋<Gauche>は基本的に環境コンシャスな生き方をしているつもりだけれど、例えば日常の暮らしにおいて、蛍光灯の青白、落ち着かない明るいだけの明かりの中で暮らすのはご免蒙りたい。それは文化の問題であり、日本人が欧米人にいくら責められても鯨肉食をやめられないとか、同様に韓国人が犬肉食文化から離れられないのと同じ問題である。もっとも、日本の技術力も持ってすれば、電球とまったく同じ色温度、色的感覚の蛍光灯型電球を作ることが出来ることを、そして我が家の、少なくともリビング・ダイニングの13個の電球すべてを蛍光灯型電球に取り替えることが出来ることを信じたいものである。
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F96?!

 F100ならば「F5ジュニア」の異名で知られた、Nikonのフィルム方式SLRの最後を飾った名サブ機だ。F86ならば「セイバー」の愛称で親しまれ、日本の航空自衛隊でも活躍したノースアメリカン社製のジェット戦闘機だし、F91ならば、ガンダムだ!じゃ、F96って・・・。
 
 もったいぶって、すみません。タイトルの「F96」は、カメラのレンズの開放時の明るさと同時に絞りの量を示す「F値」が96だと言うことです。

 実は先週の土曜日に、写真家の南川三治郎氏の写真展「世界遺産巡礼の道を行く ―熊野古道―」を見て、展示会場に隣接したホールで行われた、氏の講演を聞いたのでした。講演会に付き物の「質疑応答」は氏の希望により展示会場で写真を見ながら行われました。

注:この写真展についてはこちら。同名の写真集については郷秋<Gauche>が3月3日に書いた記事をご覧ください。

 「質疑応答」開始から小一時間、質問の人の列が切れ、そろそろ引き上げようかという南川氏に、郷秋<Gauche>は撮影に使用したという「ディアドルフ8×20」について聞いてみました。

Q1:8×10(「エイト・バイ・テン」と読み、8インチ×10インチのシートフィルムを使う大判カメラ)は知っていましたが、8×20と言うのは初めて知りました。当初からパノラマ的な写真撮影のために作られたカメラなのですか。
A1:そうです。世界に3台しかなく、撮影に耐えられる状態のカメラはこれだけです。(当日、写真展会場に「ディアドルフ8×20」が三脚に据えた状態で展示してあった)

Q2:フィルムは特注ですか?
A2:そうです。富士フィルムに特別にカットしてもらっています。(8×10用の長尺のフィルムを倍の長さでカットしてもらっているものと思われます)

Q3:周辺光量落ち(写真の四隅が暗くなること)もなく、隅々までピントが合い、余りにも緻密な表現なので驚いています。いま、カメラには300mmのFUJINONが装着されていますが、8×20にも十分なだけのイメージサークルが確保されているのでしょうか。
A3:いや、96まで絞っていますから。(「F92」とおっしゃったような気もするが、倍数関係から行けば、96のはず)

 驚きました。絞りが「96」だって。郷秋<Gauche>が持っているレンズの最大絞り値は32(Ai 200mm f4S)。96というと、32から更に3段階絞った状態です。フィルムの銘柄を聞き忘れましたが、ベルビア50だったとすると、相当天気の良い日を選んで撮影しても、シャッタースピードは1/15秒とか1/8秒のはず。

 風景や仏像は2秒だろうが4秒だろうが動かないからいいけれど、人が写っている写真では、「ダゲレオタイプ」時代よろしく、「はい、動かないで」なんて言いながら撮影したのでしょうか。もっとも、すべての写真を8×20で撮影したわけではなく、8×10や4×5(「しのご」と読み、4インチ×5インチのフィルムのこと。これは、今でも写真スタジオなので使われていることがある)も使っているとのこと。これならば、絞り22くらいだったかも。

 ただし、8×10のフィルムを縦に2枚並べて10×16として人を撮影しているものもありましたから、やっぱり、「撮りますよ。しばらく動かないで」といった、「ダゲレオタイプ」時代かレントゲン写真撮影時並みの声がかかっていたのかも知れませね。

 このところ、200mm(300mm相当)F2.8開放のボケで喜んでいる郷秋<Gauche>ですが、世の中にはF値3桁に近いところで表現する写真があることに驚いた郷秋<Gauche>なのでもありました。まいった、マイッタ。
 

 今日の一枚は、南川氏に刺激されたわけではないが、郷秋<Gauche>にしては珍しくF22まで絞って撮影した「桜三昧」。さすがにF22まで絞ると、ISO100ならシャッタースピードは1/10秒となるところだが、いつもISO400で撮影している郷秋<Gauche>の場合は1/40秒。レンズの手振れ補正はONになっているが、それでもブレ防止のために一脚を使用した。(4月21日、多摩森林科学園にて。Nikon D300 / AF-S VR Zoom-Nikkor 70-200mm f/2.8G IF-ED)
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「郷秋<Gauche>の独り言」は何blog?

 最近、世の中の出来事・物事をステレオタイプに見る傾向が強くなっているような気がする。つまり、「犬派 or 猫派」とか、「デジタル派 or フィルム派」みたいな言い方だ。って、「デジタル派 or フィルム派」は、フィルム派がもう圧倒的少数派だから、この言い方自体がもう存在していないかも。

 犬が好きだけど猫も好きな人もいるし、普段はデジタルカメラで写真を撮っているけど実はフィルムのカメラを大事にしていて、時々ではあるけれどここぞという時には使っている郷秋<Gauche>みたいな写真好きだっている。だから郷秋<Gauche>さんは「デジタル派なんですね」と言われると答えに困ってしまうのである。いじゃん、そんな分類。と、最初から結論。

 同様に、blogの世界でも、あのblogは「F1 blog」だとか「写真blog」、「子育てblog」なんて分類があるらしい。だから、ホントは「子育てblog」なのにF1のことばかり書いているのは具合が悪いらしく、タイトル画像の子どものイラストに「パパ、F1もいいけど…、子育てもわすれないでね!」なんて言わせているけど、実はすっかり「F1 blog」で人気を博しているblogもあるらしい。らしいって、カンジさん、すみません。勝手にネタにしちゃって。

 それじゃ「郷秋<Gauche>の独り言」は何blog?って、ステレオタイプな答えを考えようとすると、まったく酷いことになる。だって話題が支離滅裂だからね。

 「郷秋<Gauche>の独り言」は「gooグログアドバンス」のサービスを利用しているけれど、「アドバンス」だけの機能としてのアクセス解析機能の一つに「検索ワード」と言うのがある。つまりgoogleやYahoo!の検索で何をキーワードにして検索した結果「郷秋<Gauche>の独り言」にたどり着いたかと言う統計なんだけれど、これが結構面白い。

 検索ワードで長期間コンスタントに登場しているのが「おばけマンション / 鶴川」だ。これはかつて、小田急線鶴川駅から見えるところにあった建築途中で放置されたマンション。もう3年も前にお化けマンションと題して6夜連続で書いている。30年前に撮影した「おばけマンション」の写真は史料的価値が出てきているかも。利用ご希望のメディア関係者はどうぞ遠慮なくご相談ください。写真使用料はご相談ということで(^^)。

 「天皇 / 御料車」も長期間頻出しているキーワードだ。2年半前、天皇家のお嬢さんご成婚の時に書いた単発物の天皇の御料車が検索に引っかかってくるわけだが、この手の情報は少ないらしく、それなりに貴重な情報元となっている気配がある。ただし、この記事中にも書いたが、天皇の御料車については「『天皇の御料車』小林章太郎編 1993年 二玄社刊」をお読みいただければ仔細に知る事が出来る。

 「もったいない図書館」も頻出するキーワード。自慢じゃないが(実は大いに自慢なのであるが)、おそらくWeb上でもっとも多くの「もったいない図書館」に関する情報を提供しているのが「郷秋<Gauche>の独り言」ではないかと思っている。と、実は大いに自慢なのであるが(^^;。矢祭町「もったいない図書館」については、約1年前に書いているが、記事末尾に「矢祭町、矢祭もったいない図書館関連Site & blog」を掲載しているので、「もったいない図書館」について知りたい方にとっては便利なのかも知れない。

 最近やたらと多い検索ワードが「D90」だ。「D90」で検索すると、今年1月に書いたD60の後継機は・・・が引っかかってくるのだと思うけど、実は近々登場するであろうNikonのD90に関する情報はまったく含まれない、NikonのDSLR(デジタル方式一眼レフ)のネーミングのことについた記事で、多分、多くの方がガッカリされたんだと思う。この場を借りって、自分のblogだから借りなくていいのかもしれないけど、こういう場合の常套句だから、一応、この場を借りてお詫びを申し上げておこう。「ご期待に副えず、まっこと申し訳のない事でございます」。

 と言うわけで、F1ネタありクルマあり、図書館ありカメラあり。その上、毎日掲載される写真と記事本体が何の関係もないのが常という、実にいい加減なblogである。まあね、書いている人間がそもそもいい加減だから仕方がないわけだけど。って、今日もまた実にいい加減なことを書いてしまったなぁと、少し、反省。
 
 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森の眩しい若葉。
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藤の花

 春先の花が咲きだしたかと思ったら、もう藤の花も咲きだしていました。気持ちにゆとりがないせいなのでしょうか、今年はやけに「花暦」の進み方が早いような気がします。
 
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スプリング・エフェメラル

 スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)とは、春先に花を咲かせ、夏前までの僅かな期間葉を残し、そして夏の訪れと共にその姿を消して次の春まで地中で過ごす花のこと。直訳すると「短命な春」となる。「短命な春の花」とでも訳せは良いのだろが、どうぞシックりくる日本語がなく、スプリングエフェメラルと呼ばれることが多いようであるが、郷秋<Gauche>は「春の妖精」と呼んでいる。

 二週間ほど前に掲載したカタクリがスプリング・エフェメラルの代表格といってよいだろうか。首都圏でカタクリの咲く場所は短い期間に大勢の見物客が押し寄せると聞く。群生するまでには気の遠くなるような時間がかかるようだが、盗掘によりあらされることも多く、咲いている場所を見つけても秘密にしておくと言う事が多いようだ。

 さて、今日ご紹介するのはそんな春の妖精のひとつ、二輪草(にりんそう)。そう珍しい植物ではなく、里山などでは雑木林と里地との境や民家と裏山の間などで見かけるが、都市部では群生しているところを見つけるのは難しくなっているようである。恩田の森では、数箇所で咲いているのを確認しているが、群生となると二箇所だけ。今日ご紹介するのは一番大きな群生地。場所は「ひ・み・つ」である。
 
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SAF1に残された道は。そして琢磨は

 一週間、桜のことを書いている間に世の中ではいろんな事があったなぁ。とはいっても、郷秋<Gauche>として一番気になるのはSAF1のこと。果たして来週末のスペインGPのグリッドにつけるのかどうか。ご存知のように、昨シーズンから資金難に喘いでいたSAF1だが、今シーズン参戦に当りマグマ・グループが買収の方向であるとの報道。これにより僅かながらも光明を見出せたかに思えたが、ここに来て話は白紙に。

 シーズン前のテストが出来ないまま開幕戦のグリッドにマシンを並べたSAF1はヨーロッパラウンド前のバルセロナテストも欠席。もっともテストのための資金がないことからの止むを得ない状況ではあるが。11チーム中最小の予算で戦う弱小チームだが、日本での人気はホンダやトヨタにも勝るとも劣らないものがある。それは日本人として2人目のF1ドライバーである鈴木亜久里氏が立ち上げたチームであることと共に、ホンダを追い出された佐藤琢磨がエースドライバーを務めていることによる。

 その琢磨もここまで良く戦ったが、戦闘力のないマシンでは如何ともし難い。琢磨ももう若くはない。このままでは、琢磨の才能は花開かないまま終わってしまうのではないか。SAF1が支援者を探そうとするとき、琢磨がチームの一員である事が唯一の「売り」であることはわかるが、琢磨をSAF1に縛りつけておくのはいかがなものか。琢磨を手放し、彼本来の走りのできるチームへ移籍させてあげてはどうなんだろ、鈴木さん。

 このままではSAF1が消滅してしまうだけではなく、佐藤琢磨という、素晴らしいドライバーの将来をもなくしてしますことになるのではないか。鈴木氏が自ら作り上げたチームの幕を自ら引くのは良いが、琢磨のドライバー人生にピリオドまで打つことはないだろ。
 

 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、昨日「これからでも花見が楽しめる」と書いた、普賢象(ふげんぞう)。普賢は普賢菩薩の略で、普賢象はその菩薩が乗っている像のこと。花の中央での葉のように変化した二本の雌しべがこの象の鼻に似ていることからの命名とのことだが、郷秋<Gauche>にはとても像の鼻には見えない。(いつもの東京都下某所にて)
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桜と桃を追いかけて(その7)

 桜の開花前戦は、沖縄から始まり九州、四国、本州の関東地方までの太平洋側から内陸部へ。関東以北は福島から宮城・山形、岩手・秋田、青森と進み5月の連休の頃に津軽海峡を渡り北海道に上陸する。九州南部と首都圏の開花がほぼ同じ時期なのも面白いが、これも都市化による温暖傾向が一因となっているのだろか。

 郷秋<Gauche>のふるさと、福島県中通り(東北新幹線と東北自動車道が通る県中央部)の平野部は散り始め、会津地方でも若松若松市内は満開、周辺の山間部ではこれから咲き始まるといったところのようだ。緯度の高低と共に標高の高低によっても、当然開花の時期が異なるわけである。

 ここで「桜の開花前戦」と言っているのは勿論「染井吉野」の開花であるが、染井吉野よりも早く咲く桜もあれば、染井吉野がすっかり散ってしまってから見頃を迎える桜も少なくない。郷秋<Gauche>の住む横浜辺りでは、八重咲きの「普賢象」(ふげんぞう)、「関山」(かんざん)、「千里香」(せんりこう)などが見頃を迎えている。これからでも十分花見が楽しめるのである。
 

 今日の一枚は、まさに見頃を迎えた一面の水仙畑をバックにした(たぶん)「江戸彼岸」。一昨日にご紹介した山高神代桜のある実相寺前庭で撮影したものです。(山梨県北杜市武川町にて)

 「桜と桃を追いかけて」と題して先週の土曜日から連載してきた桜と桃の花は、本日でおしまいです。その時にはそれなりに良いものが撮れたと思っていたのですが、帰宅後PCに取り込んであらためて見てみると、納得できるものはほとんどない状態。好きなものしか撮れない自分がいることに気づかされた撮影行でありました。
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桜と桃を追いかけて(その6)

 この季節、美しいのは桃や桜ばかりではありません。萌え出したありとあらゆる木々、林床に姿を現したスプリングエフェメラル、春の妖精たちもまたこの季節の主役です。樹木が、花や若葉だけではなく樹皮も含め、木全体が輝いて見えるのもこの季節。

 林床に咲く小さな花たち。所謂雑草と呼ばれ疎まれることの多い、ナズナ、ホトケノザ、カラスノエンドウなども見方を変えればこの季節の主役です。雑草ではなく、春を彩る小さな花としてご覧いただければ、それぞれが実に美しい草花であることにお気づきいただけることでしょう。(山梨県北杜市長坂町にて)
 

 今日の一枚は、桜の花をバックにした芽吹き前の白樺。若葉が出てくれば桜の花をバックにしてさぞかし映えることだろうと思うのですが、白樺が芽吹きの時を迎える頃には、バックの桜はすっかり散ってしまっています。なかなか思うような絵にはならないのですね。
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桜と桃を追いかけて(その5)

 花は桜。桜は染井吉野。花見と言えば、桜の花を楽しむこと。その桜はと言えば、勿論染井吉野(そめいよしの)である。というのが、平成20年、日本の常識となっている。だがしかし、染井吉野は江戸末期(明治初年とする文献もある)にお江戸は染井村(現在の豊島区)の植木屋が、当初「吉野桜」として売り出したもので、約150年の歴史。そして、その寿命は6、70年と言われている。

 三春の滝桜(福島県三春町)、山高神代桜(山梨県北杜市)、根尾谷の薄墨桜(岐阜県本巣市)が日本の三大桜と言われているようだが、大正11年に揃って国の天然記念物の指定を受けたこれら三古木はいずれも「江戸彼岸」系の樹木のようである。大島桜と江戸彼岸を掛け合わせて創作された染井吉野の寿命が長くても百年と言われる中で、江戸彼岸は優に千年、二千年を経たものが多数存在し、今もこの季節には美しい花で見る者を楽しませてくれている。
 

 今日の一枚は日本三大桜の一つ、山梨県北杜市の山高神代桜。物の本によれば幹周り10.6mで全国第4位の桜です。残念なことに樹高5m程のところから上がなくなっており、その樹勢・華麗さでは三春の滝桜(郷秋<Gauche>の地元だ!)にはとても敵いませんが、直径3mの幹は圧巻。多くの見学客の姿を避け、1500年の時を刻む(樹齢2000年が謳われていますが、実は1500年というところのようです)樹皮と初々しい今年の花とを切り撮ってみました。(山梨県北杜市武川町にて)
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