終戦 (敗戦)の記念日も過ぎた。
大東亜戦争で日本がドイツ、イタリアとともに最後まで戦った戦も戦況が悪化するに及び、ドイツ、イタリアが降伏、最後に残った島国も沖縄線での悲惨な負け戦。日本が広島、長崎と2発の原子爆弾を浴びせられるに及んで、いかに「神風が吹く」と幼い子供まで教えられた日本国も、連合国の「ポツダム宣言」を無条件で飲む決断をした。
それまで軍属のみならず、一般の男子は成人したらすべて検査を受けた。
甲種、乙種、その他に分けられて待機状態、身体強健、であれば甲、次が乙、そして丙といった具合にである。
シンガポール陥落、そしてマレーシア半島から続々と領地を広げる。
また、朝鮮半島から、満州、(現中国)へ。
そして当時のラジオから流れるニュースはいつも同じ。勝ち戦ばかり。大本営発表だった。
何しろ、いざとなれば神風が吹く「日本国」なのだ。
負けることは想定にない。(国民がそう思う教育しか受けてはいない)
当時、幼い時分だったが、父が毎日、夕方新聞を広げて(夕刊は無かった)大本営発表をもとに日本の領土となった部分を赤鉛筆で塗っていた。
後年、家内とシンガポールに観光で行ったとき、現地に「戦争博物館」のような展示施設で見た。大東亜戦争時、日本が勝ち戦のときは「一方には日本軍の幹部が、机を挟んで他国の将兵が首をうなだれて相対している場面があった。そして次の場面は、戦勝国の幹部が机を挟んで日本国の将兵を見下している。全く正反対の場面が展示されていたのである。
戦争は絶対にやってはいけないことであり、もし、勝ったとしてもそれが永久に続くことにはならない。
日本でも大昔から部族同士の戦が絶えたことがなかったし、大東亜戦争に負けて以来、77年もの期間、他国に対しても、国内(内戦)もなかったということは、歴史始まって以来のことと思われる。どんなことがあってもこれは守り続けなければならない。
幸い、今は国民主権の時代だ。大きな大きな代償(犠牲者)のお陰で手にしたものである。
大切に、大切に守りたいものである。
暑さはまだまだ続くと思われるが、峠は越えたと思う。やれやれである。