いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

石川達三集

2017年03月13日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 芥川賞の第1回受賞作「蒼氓(そうぼう)」では、食えなくなってブラジル移民を決めた農民たちの、それこそ地を這うような生活ぶりが実にリアルで圧倒されます。一等客との天と地のような格差はもちろん、外人客、一等客、船員、ボーイ、移民という厳然たる序列があって、しかも移民はブローカーなどにも食い物にされる実に弱い立場です。移民船の食事は(極めて粗末ながら)支給されるので飢えはないとして、男女混合の蚕棚のようなベッド、揺れる船、赤道直下の猛暑、不衛生、病気。国を捨てて見知らぬ土地に移住する苦痛よりも、まずは日々の苦痛に耐え、「ブラジルに着くまで何としても生きていなければならん」という心情は悲痛です。

 これだけ詳細な記載ができるのは、石川さん自身が移民船の助監督として働いた経験があったからだそうです。それにしては本作に登場する助監督の小水は酷い役回りですね。安請け合いをしては「はははは」と誤魔化すいかにもだらしない若造として描かれており、移民の女性に手を出し、上司である監督からも見限られて、最後は親しくなった移民との縁も切れ、一人サントスの収容所に残る顛末は寂しいものです。終始移民を見下している、やり手の村松監督や、やはり管理意識の強い船の事務長もキャラクターがしっかり出ており、いい演技をしているなと思います。

 このような酷い状況で、それでもどこか希望や明るさを捨てない田舎者の移民に、作者の温かい眼差しが注がれます。どんな境遇でも従うことしか知らぬ夏は、弟の言いなりになって故郷の求婚者を捨てて移民となり、船では小水助監督の言いなりになり、最終的には偽装結婚の相手である勝治の言いなりになってブラジルの農園に骨を埋める決意をします。弟の孫市は強引に姉を移民に誘い込み、ブラジルでの大成功を夢見ますが、実際の状況がわかってくるにつれて夢が破れ、姉に済まない思いを募らせます。そんな中で、再渡航の人や農園の先住日本人たちは、「ブラジルで成功しようと思ってる人は駄目だ。金を持ってる人もだめだ。でも貧乏でいいと思えば気楽なものさ。3年我慢すれば食っていくのは楽だ。」と新参者を受け入れてくれます。これが移民にとって何よりの救いに映ります。

 「ブラジル移民に夢などないし、大成功など今時ない。猛獣も病気もあるし、働いて寝るだけの毎日だが、それに馴染んでしまえば農園がすなわち世界だ。何も余計なことは気にしなくて済む。」

 東北の貧農であった佐藤家と門馬家は、こうして素直に現実を受け入れ、慎ましい暮らしができれば十分と粗末な小屋に落ち着きます。実際はブラジル移民もそこまで単純ではなく、コーヒー価格などの海外情勢にも左右され、とりわけ戦時には太平洋戦争を廻って「勝ち組」と「負け組」の対立など、深刻な問題はあったのですが、この作品ではささやかながら希望の持てる結末になっています。
コメント
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