いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

浜木綿(はまゆう)

2006年03月20日 | 極楽日記(お店紹介)
 名古屋で昔から中華料理の店として親しまれてきた浜木綿さん。八事に出たついでに本店に寄ってみました。日曜日のランチタイムはとても混んでいます。

 系列店は名古屋とその近郊にたくさんあるようですが、山の手にある本店の店構えは極楽親父が子供の頃からほとんど変わっておらず、お客も年輩の人が目立ちます。お年寄りを交えた家族連れが多いようですね。店内禁煙は子供連れにとって嬉しい配慮です。待ち時間が多少長くなっても、空気がきれいならあまり苦になりません。

 この日は宴会用の座敷が先に空いたので、そちらに通されました。処構わず中華の文物、つまり骨董品が陳列してあるのは、古い中華料理店の「お約束」でしょうか。高価なものもあるのでしょうが、陳列のテーマが感じられないし、対照的に周りの内装が傷んでいるため、あまり引き立ちません。美術館と古道具屋の違いと言ったらいいでしょうか。お金を掛ける優先順位を考慮して頂きたいところです。

 老舗だからか、年輩の客が多いからか、接客は馬鹿丁寧な印象。「お茶をお注ぎ致します。」「ドレッシングをお掛け致します。」など、若い人がマニュアル通り喋っている感じで、高級ホテルのそつのない接客ともまた一味違います。私がこの前来たのは30年以上も前のはずだけど、その時からこうだったのでしょうか。

 余計な文物を取り払って、くたびれた畳とか擦り切れた円卓、湿っぽい座布団は新しくした方が印象がいいと思います。接客係も、もう少し自分の言葉で話した方が自然でしょう。全体的にサービスが古臭いです。しかし、こうした淀んだ空気が何となく懐かしい雰囲気を醸し出しているのも事実で、お年寄りはこの方が落ち着くのかも知れません。

 同じクラシックな雰囲気でも、あれこれ食べ歩いた人なら、香港ペニンシュラの「嘉麟楼」みたいな贅沢な空間を好むはずですが、浜木綿の場合は西岸良平の描く中華料理屋という感じです。高級店とは値段が違いすぎるので比較するのも野暮ですが、それにしても同じような価格帯の「香月季」(紹介済)にはずっとセンスの良さを感じました。新しい顧客を開拓しない限り、店は客と共に老いるという見本だと思います。

 料理は点心のコースでした。良くも悪くも懐かしい料理という印象は予想通り。擦り切れた青磁の器に濁ったスープを入れてくる、しかも盛り付けに工夫がない。はっきり言ってセンスが悪いと思います。ちっともおいしそうに見えないもの。茶碗に茶渋がびっちり染みていて、おしぼりで拭くと茶色になるのも興醒め。すべての料理が少し冷めているのは、お年寄りと子供に配慮したのでしょうか?小龍包ぐらいは熱々で頂きたいものです。ラーメンは味の素入れすぎ。

 名前が知られているため、今でも宴会に利用されることは多い店ですが、どうしても八事近辺で中華料理を、という事情がないなら、私なら他の店でお願いしたいと思います。
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