アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

供述によるとペレイラは……

2005-09-06 01:50:45 | 
『供述によるとペレイラは……』 アントニオ・タブッキ   ☆☆☆☆☆

 アントニオ・タブッキは『インド夜想曲』とこの『ペレイラ』が最も良いと思う。僅差の次点が『レクイエム』と『島とクジラと女をめぐる断片』、第三グループが『逆さまゲーム』『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』『黒い天使』『フェルナンド・ペソア最後の三日間』などの短篇集(及び中篇)の数々、そして『遠い水平線』『夢の中の夢』『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』と続く。タブッキを何から読んだらよいかと聞かれたら私はこの順番に勧める。

 しかしタブッキの作品はどれもこれも高レベルなので、どれを読んでも間違いはない。『ダマセーノ・モンテイロ』を除いて、作品の印象も非常に似通っている。そういう素晴らしい作家のベストであるからには、本書は大傑作でなければならない。

 二大傑作の『夜想曲』と『ペレイラ』を比較すると、『夜想曲』の方が幻想小説の範疇にあるのに対し、『ペレイラ』は普通小説に近い。タブッキ特有の浮遊感や瞑想的な雰囲気は濃厚だが、超現実的な出来事は基本的に起きない。それから、作品のテーマ自体が遊戯的である『夜想曲』に対し、『ペレイラ』には真摯なメッセージが込められている。しかもそれはファシズムへの抗議という、一見非常に政治的なメッセージであり、発表当時はとても「非タブッキ的」なテーマだということで論議を呼んだ。しかしこのテーマはその後『ダマセーノ・モンテイロ』に明瞭に引き継がれていて、一時的な道草ではなかったことが判明する。

 政治的なメッセージというと引いてしまう人もいると思う。実は私がそうなのだが、それを理由にこの小説を敬遠すると大変な間違いを犯すことになる。本書はとても美しく、詩的な小説であり、他のタブッキ小説の美質をすべて備えている。その上にこれまでになかったテーマが乗っかってくるのだが、プロットこそ政治的な設定であっても、タブッキはそれを一人の人間のたましいの再生として描き出している。したがってこのメッセージを単に政治的、と考えるのもまた誤りだと思う。

 物語はいつものように非常にシンプルだ。1938年、ファシズムの影が忍び寄るリスボン、新聞記者のペレイラは文芸部で小説の翻訳などをやっているが、ある時政治活動に係わっているらしい青年と出会う。妙に青年に親しみを覚えるペレイラは青年をアルバイトとして雇い、使い物にならない原稿に金を払ったりしつつ、青年の身を心配する。否応なしに政治活動に巻き込まれることに困惑しながら、ペレイラは自分ができるやり方で青年を助けようとするが、やがて事態は突然、急展開を見せる……。

 ペレイラは新聞記者と言っても熱血漢でも正義漢でもなく、自分の身を案じつつ他人の不幸や不正には胸を痛めるという、ごく普通の人間である。いつもカフェで香草入りのオムレツを食べ、好物のレモネードを飲み、体重を気にし、上司に怒鳴られては謝りながら仕事をしている。家に帰ると死んだ妻の写真が飾ってあり、何かあると妻に語りかけるのが日課である。だから青年がレジスタンス活動を行っていることを知ると青年の身を案ずるが、一方でとんだ連中と関わり合いになったと後悔したりもする。青年にも、あの連中とは手を切った方がいいなどと、思いついたように忠告したりする。英雄とはほど遠い人物だ。
 そんなペレイラが、タブッキ小説の常道で色々な人物と出会い、瞑想的な会話を交わすうちに、自分の中に次第に目覚めてくるある感覚に気づく。重要なキャラクターであるカルドーソ医師はそれを、たましいの連合体という理論で説明する。

 そのスーパー・エゴが、あなたの新しい主導的エゴと闘っているのです。あなたのたましいのなかで進行しているこの争いをもって、あなたは自分自身と衝突しておいでです。

 これはペレイラが勇気や英雄的行為に目覚めるというようなことではなく、人間のたましいの中で起きる、何かしら神秘な出来事として描かれる。このあたりがタブッキの素晴らしさだ。その神秘な何かはほんのささやかなものであって、最後まで隠れているのだが、終盤に訪れる悲痛なクライマックスによって劇的な変貌を見せることになる。最後の最後に訪れるペレイラの変貌はまさに再生というべきものであって、異様に感動的である。タブッキの抑えた文章によって美しく描き出されるのは、人間のたましいが起こす奇跡である。

 さて、プロットについて長々と書いたが、知っている人は知っている通り、タブッキの魅力の半分以上はプロットに依存することなく成立している。彼の文章で描き出される世界は軽やかで、優美で、幻想的で、常に幻覚的なムードを漂わせている。本書は真夏のリスボンが舞台だが、タブッキはいきなり「…リスボンはきらきらしていた」と書く。その通り、本書中のリスボンはきらきらしている。
 タブッキの文章はさりげなく、飾りが少なく、ゆったりしているので、ちょっと見には通常のリアリズムの文体のように見えるが、実はそうではない。催眠的な効果を持った、マジカルな文章だ。

 もう一つ、小説の中では会話もすべて「 」が使用されず、地の文に溶け込むように記述される。改行すらされない。これがタブッキ文体の幻覚効果を高めている。しかも文体が簡潔でゆったりしているので、スラスラと気持ち良く読み進めることができる。

 さらにもう一つ、この小説はタイトルから分かる通りペレイラの供述という体裁をとっている。これが今回のタブッキの見事な「仕掛け」である。この仕掛けが最も生きるのは、読者が最後の一行を読み終えたその瞬間である。完璧なエンディングというしかない。

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3 コメント

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ペレイラさん (sissyboy)
2005-09-07 01:50:21
はじめまして

アントニオ・タブッキ描くところのペレイラに関するうなずける記述を拝見し、ついつい嬉しさのあまりTBを3連打してしまいました。適宜、適当に削除いただければと思います。



私もタブッキはかなり好きなほうですが、序列をつければ第一は「レクイエム」、第二は「供述によるとペレイラは」です。第三には「夢の中の夢」を挙げたいと思います。



「モンテイロの首」のご評価が低いのは理解できるのですが、登場する弁護士が晩年のオーソン・ウェルズを想起させる点と、うまい食い物が出てくる点において、あまり下位に置く気がいたしません。



乱文乱筆失礼しました。

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はじめまして (ego_dance)
2005-09-07 12:11:03
sissyboyさん、TB先の記事を拝見しました。う~む。読書感想文であるところの私のレビューに比べ、社会背景というかイデオロギー絡みの考察が非常に読み応えのある文章ですね。しかし「オムレツ小説」はナイスです。私もこういうのやってみたいんですが、なかなか根気がなくて…。



第一が「レクイエム」というのも納得できます。これも出てくる食べ物がいいですね。意外なのは「夢の中の夢」です。第三位ですか。それに「夜想曲」が入ってないんですね。ううむ。しかしタブッキはどれも良いです。一番最近読んだものが一番いいような気がしてきます。



「モンテイロの首」は作品の出来は悪くないと思うのですが、タブッキ色の希薄さで点が辛くなりますね。まあタブッキ色というのも変化するのでしょうが、過去の作品が持っているマジックが薄れている気がして。ただあのかすれたテープには驚きました。ああいう曲者ぶりは健在ですね。

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sissyboy@hotmail.co.jp (sissyboy)
2005-09-09 02:43:19
インド夜想曲ですね。

実は大学生のころに映画を拝見してから小説を買ったクチです。

しかも、考えてみれば初めてお小遣いをはたいて買ったタブッキ作品でした。

当時は所謂「構造分析」などというものが流行っておりまして、格好のゲーム性の高い作品だななどと思いながら、ついにきちんとした分析をしていない作品です。

切り刻むにはあまりにも気に入っていたせいかもしれません。

そのかわり、卒論には英国のマジック・リアリズム作家を選びました。

あ、ご多用中と存じます。お返事はほかにすることがないと言い切れるぐらい暇でなければ、無用に願います。
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