アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

不滅の物語

2005-09-07 12:39:18 | 
『不滅の物語』 イサク・ディーネセン   ☆☆☆☆

 再読。デンマークのカレン・ブリクセン、またの名をイサク・ディーネセンの短篇集。「文学の冒険シリーズ」の一冊である。これはオリジナルの短篇集ではなく、著者の色んな短篇集からあれこれ寄せ集めたものとなっている。全部で七篇。

 不滅の物語
 満月の夜
 指輪
 カーネーションを胸に挿す若い男
 悲しみの畑
 エコー
 女人像柱 -未完成ゴシック物語

 この人は20世紀最大の物語作家と言われていて、一番有名なのは『バベットの晩餐会』だと思うが、これは映画にもなった。いい映画である。原作の素晴らしさは言うまでもない。
 ディーネセンは自然主義、ヒューマニズムが主流となった時代において時代錯誤とも言える貴族主義的、超俗的、人工的な物語を書いた。その物語はアラビアン・ナイトとゴシック物語の結婚とも言うべき趣きをたたえていて、すべてに共通するモチーフは運命、そして神秘である。小説というより物語という方がしっくりくる作品ばかりだ。
 彼女の小説に登場するのは貴族、地主、枢機卿、商人、オペラ歌手、将軍、といった人々。先にゴシック物語と書いた通りだが、実のところこれは単なる体裁で、本質はとてもそんな生易しいものではない。彼女の物語ほどメロドラマから遠いものはない。巧緻を極めた形而上学のアラベスク、とでも言うべきか。

 彼女の物語では、人間達は常に運命の大きな流れの中にあり、人智を越えた神秘的な力が人々を支配している。謎めいた力が働き、偶然の積み重ねのようなエピソードが最終的には明晰な図柄を描く。その図柄は非常に巧緻で複雑に仕組まれているため、見定めるのは容易ではないが、確かにそこにある。
 この人の物語は感情ではなく知性に、というか悟性に訴えかけてくるのである。

 そういう彼女の短篇集の中でも、本書は全体的に分かりにくい話が多いような気がするのは私の気のせいだろうか。読み解くのが容易ではないのである。

 おそらく最も分かりやすく、仕掛けが鮮やかなのは『不滅の物語』である。金の亡者であるクレイ氏が、世界中の船乗りに語り継がれる、けれども決して起きたことはない虚構の物語を実際に起こそうとする話だ。言ってみれば実利の信奉者が虚構を現実化し、そのことによって虚構に打ち勝とうとする試みである。
 実際に物語の通りに事態は進み、クレイ氏のもくろみは成功したかに見えるのだが、若い船乗りは「おれが聞いた話とはまるで違う」と言い、そして「自分はこのことを絶対に誰にも話さないだろう」と言うのである。人間性の不思議によって、虚構が現実にしっぺ返しをする。そして最後にはすべてが、貝殻の中から聞こえる音に収束して物語は唐突に終わる。う~ん、鮮やか。

 『満月の夜』も、運命の不思議と人間性の不思議が交錯してアラベスクを描くような巧緻な話である。運命のからくりは母親による赤ん坊のすり替えという、『冬ソナ』並みのメロドラマティックな設定によって用意されるが、それによって導かれるストーリーはまったく予断を許さない。ディーネセンの仕掛けはお涙頂戴ではなく、人間性に潜む神秘をあぶりだす為に機能する。言ってみれば、ディーネセンは物語を借りて形而上学的な実験を行っているのだ。

 『指輪』『カーネーションを胸に挿す若い男』は短い話だが、一筋縄ではいかないところは他の短篇と同じだ。『悲しみの畑』の寓意は比較的分かりやすいような気がするが、『エコー』『女人像柱』はまたまた難しい。『エコー』は声を失ったオペラ歌手が、自分の声を持つ少年を見つけてレッスンをするという摩訶不思議な話である。

 とはいえ、ディーネセンの物語が難解で頭ばかり使うというわけではない。謎めいていて巧緻なのは確かだが、物語の愉悦に満ち満ちているのだ。濃厚なロマンの香りを堪能できる。
 そもそもディーネセンの形而上学というのは哲学的というよりは、ボルヘスのような遊戯性というか、逆説性を感じるものが多い。ポエティックなのだ。決して頭でっかちではない。

 まあ、この人の物語の豊穣さというのは読んでみないと分からないと思う。ディーネセンを初めて読むなら『バベットの晩餐会』をお薦めするが、ディーネセン中毒になったら本書も必読である。手に入るうちに入手しておきなされ。

 それにしても、ディーネセンの『最後の物語』とやらの全訳は出ないのだろうか?

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