アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

復讐するは我にあり

2011-04-02 14:57:25 | 映画
『復讐するは我にあり』 今村昌平監督   ☆☆☆☆☆

 米国のCriterion版を購入して鑑賞。初見である。ただし存在ははるか昔から知っていた。印象的なタイトルだし、裸の女性が横たわっている前に緒方拳が座り二ヤッと笑いながらこっちを見ている、という例のポスターがインパクト絶大だったからだ。子供心に、なんかすごくエロそうでこわそうな映画だと思った。

 そう思いながらこの歳になるまで観なかったのは、今村昌平監督のアクの強さが必ずしも私の好みではないからだが、やはり名作という評判が気になり、とうとう観た。そしたらやっぱりすごい映画だった。観終わったあと、鉛のかたまりを呑みこんだような気分になる。圧倒される。アクの強さも思ったとおり相当なものだった。

 とにかく、緒方拳の演技のすさまじさ。これに尽きる。彼が演じるのは本作の主人公にして、バケモノのように得体の知れない存在・榎津巌(えのきづいわお)である。この榎津の不条理かつ圧倒的な存在感をまざまざと、手で触れられるほどにリアルにスクリーン上に現出させた、もうそれだけで充分だ。緒方拳という役者は必殺シリーズのキャラクターや『鬼畜』のせいでどこか人がいい、強い中にも人間的な弱さを垣間見せるような印象があるが、本作ではまるで違う。黒ずんだ異様なカタマリがスクリーン上にあるような不気味さだ。観るものの理解をまったく峻拒する、謎に満ちた、恐ろしい存在でありながら、やはり我々と同じ血が流れる人間なのである。この映画の撮影中、緒方拳はいつもの彼ではなかったと夫人が言ったそうな。榎津巌が憑依していたのだ。間違いない。

 この物語は実話をもとにしている。映画の中のエピソードはほとんど全部本当にあったことなのである。これには驚いた。犯人である西口という男は榎津と同じく詐欺も殺しもやる凶悪犯で、平然と人を殺し、大学教授を騙って微塵も疑わせず、女にも不思議ともてたらしい。裁判官が「悪魔の申し子」と呼んだこの西口、クリスチャンだったというのも榎津と同じで、この男について書かれた文章を読んでいると深くて暗い井戸の底を覗き込んでいる気分になる。人間性というものの奥に潜む、謎と戦慄を思い知らされるのである。

 それからこれまたびっくりなのは、この映画は実際の殺害現場で撮影したそうな。最初に榎津が専売公社の集金員を殺す場所など、本物の殺人現場なのである。制作陣のその執念にも慄然としてしまう。そこで殺人を演じた緒方拳、それを撮った今村昌平、ともにまともな神経とは思えない。映画の魔に魅入られているのだ。実際、この映画の殺人場面は派手でもスタイリッシュでもないかわりに、異様に生々しい。ゴムのシートみたいなものをかぶせて出刃包丁でめったやたらに刺しまくる。無言で金槌を振り上げ顔を殴る。だらだらと血が出てきて、息を荒くしてもみ合う殺人者と被害者を、カメラは一歩引いたところからじっと眺めている。これらの殺人場面はなぜか脳裏に焼きついて離れなくなる。

 映画は榎津が逮捕された場面から始まり、取調べと逃亡中の出来事、この二つが平行して語られる。部分的に幼少時代のエピソードなども挿入される。冒頭、パトカーに乗って連行される榎津が鼻歌を歌っている場面から始まるが、すでに只者ではない。過去の回想が始まると、何の前ふりもなくいきなり人を殺して金を奪う。弁護士と偽って金を騙し取り、知り合った本物の弁護士を殺す(西口は実際に死体を押入れに入れたまましばらく一緒に暮らしたというからすごい)。その後大学教授をかたって宿屋の女将ハル(小川真由美)と関係を持つが、実際の事件では順番が逆らしい。女将とその母親に会い、世話になり、そのあげくに殺し、家財道具を売り払って金に替え、その後別の町に現れ詐欺を働いたようだ。順番を入れ変えたのはクライマックスにハル母娘の殺人を持ってくるためだろうが、この場面はとにかく強烈だ。大学教授をかたるあたりではちょっとコミカルさというか、愛嬌すら漂わせるのだが、その奇妙な同居生活のあげくの殺人はまったく慄然とする。榎津が母親を殺そうとじっとこたつに入って待つ場面、殺しに行こうと一度立ち上がり、来客が来てまた黙って腰を下ろす場面、さらに来客が帰るのを待つ間こたつの表面を硬貨でガリガリとひっかく場面。どれも圧巻だ。大体、なんで自分をかくまってくれているともいえるあの二人を殺すのかさっぱり分からない。頼りたい気にならないのだろうか。この男は孤独が怖くないのだろうか。

 榎津の父親は厳格なクリスチャンで、死刑を控えた榎津に会いに来て「自分の中に悪魔がいて、それがお前となってこの世界に生まれてきた」みたいなことを言う。さらに「お前は自分が憎んでいる人間を殺すことはできず、自分を慕ってくる人間しか殺せない」と罵倒し、唾を吐きかける。これはハルの母親が言う、私は憎んでいた奴を殺してすっきりした、お前はどうだ、というセリフと対応している(ハルの母親もかつて人を殺し刑務所に入っていた)。憎んでいる人間は殺せず、慕ってくる人間を殺す。幻覚なクリスチャンの内面の悪が凝り固まって生まれ出た殺人鬼。「悪魔の申し子」。榎津は暗い深淵である。

 ちなみにタイトルの「復讐するは我にあり」は聖書の言葉で、要するに人間の悪行に報いを与えるのは人間の役目ではない、神に委ねよ、という意味である。榎津が誰かに復讐をするために人殺しをしているという意味ではない。

 榎津を取り巻く人間たちもまた曲者ぞろいで、名優たちが素晴らしいパフォーマンスを見せてくれる。厳格なクリスチャンながら息子の嫁に密かな欲望を抱く榎津の父親に三國連太郎。榎津の妻に倍賞美津子。殺人犯と知りながら榎津を慕うゆきずりの愛人ハルに小川真由美。そして人殺しの過去を持つハルの母親に清川虹子。特に、三國連太郎と清川虹子が良い。

 観終わった後、ブレッソン監督の『ラルジャン』を思い出した。あれも自分の面倒を見てくれた女性を金のために殺す男の話だった。しかしラルジャンの主人公が冷たい虚無であるのに対し、殺人犯・榎津は圧倒的に生々しく、人間くさい。その生々しさがこの映画を抽象的な寓話にせず、アクチュアルなものにしている。癒されるような映画では決してないが、人間の謎と深淵を描き出した圧倒的傑作だ。特に神がかりともいえる緒方拳の芝居は必見。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿