『マイルス・デイビス自叙伝 (I)(II)』 マイルス・デイビス/クインシー・トループ ☆☆☆☆
マイルス・デイビスのロング・インタビューを文章におこした自叙伝だが、上下二巻でかなり読み応えがある。自叙伝らしく子供の頃のことから始まっていて、両親のことなんかも詳しく書かれている。父親が歯医者だったとは知らなかった。
10歳頃にトランペットを吹き始め、中学のスクール・バンドで先生に鍛えられる。それからセントルイスのクラブで演奏するようになり、やがてバードことチャーリー・パーカーに憧れてニューヨークに出て行く。「へえー」と思ったのは、あのビブラートをつけない奏法は中学の先生から教わったということだ。「マイルス、ちょっと聞け。ビブラートだらけのハリー・ジェームスみたいな吹き方はやめるんだ。そんなに音を震えさせなくても、年を取れば誰だって震えるようになるんだから。ストレートに吹いて、自分だけのスタイルを作るんだ。お前ならできるはずだ」
かっこいい先生だな。
ニューヨークでバードと一緒にやっていた頃の話がかなり長いが、これを読む限りチャーリー・パーカーというのはとんでもない人間である。音楽にかけては大天才、そして人間性は最悪。ヤクに狂い、酔っ払い、金をネコババし、嘘をつく。責任感のかけらもない。あんまりお近づきになりたい気はしないが、あらゆる意味で常人離れした存在だったのだろう。一方マイルスはというと、あの繊細で内省的な音楽から想像できるように、かなりまじめでストイックな人だなという感じを受ける。もちろん後でヤク中になるし、女性遍歴なんかもすごくて我々常人のスケールでははかれないが、基本的に倫理観を持って自分を律し、自己鍛錬に励む性格のようだ。他のジャズ・ミュージシャンのことを怠惰だと言ったり、クラシックの勉強をしたりするあたりからもそんな性質がうかがえる。
プレステージのマラソン・セッションの話やカルテット結成の話、それから『カインド・オブ・ブルー』のこと、『ラウンド・ミッドナイト』のことなどアルバム制作に関わる話は色々出てくるが、意外とさらっと流してあり、個人的にはちょっと喰い足りない。そのあたりをもっともっと詳しく語って欲しいのである。『ビッチズ・ブリュー』やウェイン・ショーター入りの60年代クインテットのことなど、語ることはいくらでもあるはずだ。私はマイルスの人生そのものというより、あくまで何を考えて音楽を創っていたのかに興味があって本書を読んだので、そういう意味では今ひとつ物足りなかった。
印象的だったのはやはり白人への怒り、ひいては人種差別主義的な警官への怒りを生涯持ち続けていたんだなということだ。クラブの前に立っていただけなのに白人警官に殴られ、告訴された話は本当にひどい。読んでいて頭にくる。「さすがにこれは昔の話だろう」と思う人がいるかも知れないが、アメリカの警官というのは今でもまったくこの通りなのである。私も経験済みだ。一般市民より自分たちの方がえらいと思っているのである。
それから若い頃自分たちの(黒人だけの)バンドを「首狩り族」呼ばわりして笑った白人コメディアンを覚えていて、数十年後に飛行機の中で見かけて挨拶に行った話は最高に痛快である。「もし機会があったら、あの晩お前の言葉を聞いた時のオレの気持ちを教えてやろうといつも思っていた。あの夜言われたことは気にいらんね」
普通マイルスほどの巨匠になったら、何十年も前のことを今さら言うのは大人気ないかな、などと思って止めてしまうだろう。けれどマイルスは言うのである。人が何と思おうと知ったこっちゃない。レーガン大統領のパーティーに出席した時も言いたい放題で、何人ものセレブのご婦人方を怒りで青ざめさせている。私はマイルスのこういうところが大好きだ。
笑える話もあるが、何といっても傑作なのはコルトレーンが歯を治した話。マイルスはコルトレーン独特の音とプレイは彼の歯が抜けているせいだと思っていたので、彼が歯を治すと聞いて青くなった。わざとリハーサルを入れて歯医者に行くのを邪魔したり、せめて演奏の時は外せるよう差し込み式にしてくれと頼んだりしたが、コルトレーンは「お前はバカか」みたいな目で見るばかり。とうとうコルトレーンはきれいに歯を治してきて、その夜クラブのステージに立った。もう奴は前みたいには吹けないんだ、そう思ってマイルスはほとんど涙ぐんでいた。が、トレーンはそんなマイルスの悲しみなどどこ吹く風、いつもの通りすごいフレーズを吹きまくったというお話。当たり前である。これには笑った笑った。
あと、マイルスは日本にはかなり好意的で、日本の女性は魅力的だとか、日本人と黒人はどこか似ているとまで言っている。日本人としてこれは嬉しかった。
それにしても読み通して思うのは、マイルス・デイビスというアーティストがいかに勉強熱心で、意志強固で、自分に正直で、しかも新しいものに貪欲だったかということである。経験的にロック・ミュージシャンにはあまり音楽的知識がないと言いながら、一方ではジャス・ミュージシャンにない長所も見つけてそれを積極的に認めている。自分はバークレーまで行って音楽理論を勉強し、クラシックをバカにするジャズ・ミュージシャンを「なぜそこにあるものを勉強しようとしないのか」と批判する一方で、楽譜を読めないジミ・ヘンドリックスを偉大な音楽家だと認めるのにまったく躊躇しない。そして本書の出版は死の数年前らしいが、マイルスはあいかわらずすさまじい創作意欲をみなぎらせている。いやまったく、頭が下がる。こんな生き方に憧れない男がいるだろうか。
マイルス・デイビスのロング・インタビューを文章におこした自叙伝だが、上下二巻でかなり読み応えがある。自叙伝らしく子供の頃のことから始まっていて、両親のことなんかも詳しく書かれている。父親が歯医者だったとは知らなかった。
10歳頃にトランペットを吹き始め、中学のスクール・バンドで先生に鍛えられる。それからセントルイスのクラブで演奏するようになり、やがてバードことチャーリー・パーカーに憧れてニューヨークに出て行く。「へえー」と思ったのは、あのビブラートをつけない奏法は中学の先生から教わったということだ。「マイルス、ちょっと聞け。ビブラートだらけのハリー・ジェームスみたいな吹き方はやめるんだ。そんなに音を震えさせなくても、年を取れば誰だって震えるようになるんだから。ストレートに吹いて、自分だけのスタイルを作るんだ。お前ならできるはずだ」
かっこいい先生だな。
ニューヨークでバードと一緒にやっていた頃の話がかなり長いが、これを読む限りチャーリー・パーカーというのはとんでもない人間である。音楽にかけては大天才、そして人間性は最悪。ヤクに狂い、酔っ払い、金をネコババし、嘘をつく。責任感のかけらもない。あんまりお近づきになりたい気はしないが、あらゆる意味で常人離れした存在だったのだろう。一方マイルスはというと、あの繊細で内省的な音楽から想像できるように、かなりまじめでストイックな人だなという感じを受ける。もちろん後でヤク中になるし、女性遍歴なんかもすごくて我々常人のスケールでははかれないが、基本的に倫理観を持って自分を律し、自己鍛錬に励む性格のようだ。他のジャズ・ミュージシャンのことを怠惰だと言ったり、クラシックの勉強をしたりするあたりからもそんな性質がうかがえる。
プレステージのマラソン・セッションの話やカルテット結成の話、それから『カインド・オブ・ブルー』のこと、『ラウンド・ミッドナイト』のことなどアルバム制作に関わる話は色々出てくるが、意外とさらっと流してあり、個人的にはちょっと喰い足りない。そのあたりをもっともっと詳しく語って欲しいのである。『ビッチズ・ブリュー』やウェイン・ショーター入りの60年代クインテットのことなど、語ることはいくらでもあるはずだ。私はマイルスの人生そのものというより、あくまで何を考えて音楽を創っていたのかに興味があって本書を読んだので、そういう意味では今ひとつ物足りなかった。
印象的だったのはやはり白人への怒り、ひいては人種差別主義的な警官への怒りを生涯持ち続けていたんだなということだ。クラブの前に立っていただけなのに白人警官に殴られ、告訴された話は本当にひどい。読んでいて頭にくる。「さすがにこれは昔の話だろう」と思う人がいるかも知れないが、アメリカの警官というのは今でもまったくこの通りなのである。私も経験済みだ。一般市民より自分たちの方がえらいと思っているのである。
それから若い頃自分たちの(黒人だけの)バンドを「首狩り族」呼ばわりして笑った白人コメディアンを覚えていて、数十年後に飛行機の中で見かけて挨拶に行った話は最高に痛快である。「もし機会があったら、あの晩お前の言葉を聞いた時のオレの気持ちを教えてやろうといつも思っていた。あの夜言われたことは気にいらんね」
普通マイルスほどの巨匠になったら、何十年も前のことを今さら言うのは大人気ないかな、などと思って止めてしまうだろう。けれどマイルスは言うのである。人が何と思おうと知ったこっちゃない。レーガン大統領のパーティーに出席した時も言いたい放題で、何人ものセレブのご婦人方を怒りで青ざめさせている。私はマイルスのこういうところが大好きだ。
笑える話もあるが、何といっても傑作なのはコルトレーンが歯を治した話。マイルスはコルトレーン独特の音とプレイは彼の歯が抜けているせいだと思っていたので、彼が歯を治すと聞いて青くなった。わざとリハーサルを入れて歯医者に行くのを邪魔したり、せめて演奏の時は外せるよう差し込み式にしてくれと頼んだりしたが、コルトレーンは「お前はバカか」みたいな目で見るばかり。とうとうコルトレーンはきれいに歯を治してきて、その夜クラブのステージに立った。もう奴は前みたいには吹けないんだ、そう思ってマイルスはほとんど涙ぐんでいた。が、トレーンはそんなマイルスの悲しみなどどこ吹く風、いつもの通りすごいフレーズを吹きまくったというお話。当たり前である。これには笑った笑った。
あと、マイルスは日本にはかなり好意的で、日本の女性は魅力的だとか、日本人と黒人はどこか似ているとまで言っている。日本人としてこれは嬉しかった。
それにしても読み通して思うのは、マイルス・デイビスというアーティストがいかに勉強熱心で、意志強固で、自分に正直で、しかも新しいものに貪欲だったかということである。経験的にロック・ミュージシャンにはあまり音楽的知識がないと言いながら、一方ではジャス・ミュージシャンにない長所も見つけてそれを積極的に認めている。自分はバークレーまで行って音楽理論を勉強し、クラシックをバカにするジャズ・ミュージシャンを「なぜそこにあるものを勉強しようとしないのか」と批判する一方で、楽譜を読めないジミ・ヘンドリックスを偉大な音楽家だと認めるのにまったく躊躇しない。そして本書の出版は死の数年前らしいが、マイルスはあいかわらずすさまじい創作意欲をみなぎらせている。いやまったく、頭が下がる。こんな生き方に憧れない男がいるだろうか。
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