アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

彷徨う日々

2012-04-12 10:59:51 | 
『彷徨う日々』 スティーヴ・エリクソン   ☆☆☆☆

 再読。幻想文学の鬼才エリクソンの処女作である。

 処女作といっても、後のエリクソンとまったく変わらない、混沌とした、情念と妄想に満ちた世界が繰り広げられる。この人はもう生まれつきこうなのだなあ、と思わずにはいられない。テクニックで書いているのではないのだ。

 あえて言えば仕掛けのスケールは後の作品の方がでかいような気もするが、この作品でも妄想的現実の捻じ曲がり方はすごくて、砂に覆われたロサンジェルス、凍りついたパリ、霧に包まれたヴェネツイア、などが出てくる。壮観だ。その中で起きる幻想的イベントもたとえば、幻と化した自転車レーサーたちが霧のヴェネツイアを走り回ったり、ミシェルが乗った汽車が同じ駅に際限なく停車し続けたりする(ずっと停まっているという意味ではなく、停まる駅が全部同じ駅ということ)。

 しかしもちろん、小説のコアの部分は幻想そのものではなく、男女の情念まみれの愛である。本書で出てくる宿命のカップルはローレンとミシェル、そしてアドルフとジャニーヌ。彼らの愛は、エリクソンの物語において愛が常にそうであるように、他の何物にも代替できない愛、この世の終わりを生きているような、行き場のない、ぎりぎりの愛である。妄想と奇想渦巻くストーリーは常にそこに向かって収束していく。

 もう一つの大きな本書の特徴は、これが映画にまつわる物語ということ。というか、映画そのものが大きなテーマになっている。主人公の一人であるアドルフ・サールは「マラーの死」という映画を撮るが、これは当時のあらゆる映画手法を拡大するような映画であり、グリフィスが登場して「マラーの死」に言及する場面もある。「マラーの死」の撮影はアドルフ・サールの完全主義のため難航を極め、結果的に公開されないまま伝説の映画となってしまう。そして数十年後、散逸したフィルムをある男が収集して回る、という物語へと続いていく。このプロットは映画小説の大傑作『フリッカー』のように、映画というものの魅力と呪縛について語っている。

 ちなみにこの「マラーの死」やアドルフ・サールは、『アムニジアスコープ』『Xのアーチ』にも出てくる。やはりこれはエリクソンの原点なのだろう。強靭かつ妄想度の高い文体もすでに全開だし、エリクソン・ファン、および映画マニアは必読である。


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