アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ミリオンダラー・ベイビー

2012-04-10 21:42:46 | 映画
『ミリオンダラー・ベイビー』 クリント・イーストウッド監督   ☆☆☆☆★

 英語版DVDで再見。ところでこの作品についてレビューするには物語後半の展開に触れないわけにはいかず、したがってネタバレさせていただく。それでも良い人だけお読み下さい。












 これはアカデミー賞受賞作品ながら、その型破りというか異端的というか、通常の映画と比べた時にあまりに「非常識」なそのストーリー展開で論議を呼んだ作品である。もちろん尊厳死という難しいテーマが扱われていることもあるが、それよりも、夢破れた主人公が半身不随になって自殺を試みそれでも死ねず、やっと尊厳死させてもらって終わり、というこの唖然とする物語展開が一番の問題であったのは明らかだ。同じ尊厳死でも、もっと観客が受け入れやすいストーリーにすることは可能なはずである。おまけにイーストウッド監督はこれを尊厳死に関する主義主張の映画ではなく、自分なりのアメリカン・ドリームを描いた映画だと発言しているようだ。これが、自分なりのアメリカン・ドリーム。すさまじいアイロニーである。

 とりあえず、非常に後味が悪い。痛ましい。動揺させられる。イーストウッド監督の意図はどうあれ、物語の構造が観客の動揺と違和感を助長する仕組みになっている。前半はまるで女版『ロッキー』であり、主人公マギーに感情移入した観客はマギーの快進撃に溜飲を下げ、爽快感を覚えるだろう。彼女を応援し、当然ながらマギーとフランキーの努力が報われ、幸福になることを期待する。ところが映画が準備するのはそれとはまったく逆の、彼らの努力はすべて徒労となり、徒労どころかそのせいで考えうるもっとも不幸な事態を招くという、最高に鬱な結末である。ひどい映画だと言って怒る人も多いようだが、まあ無理もない。

 ではイーストウッド監督はただ『ロッキー』式のアメリカン・ドリームへのアンチテーゼとしてのみこの映画を作ったのだろうか。あるいは単に悲劇的状況の中での師弟愛を描きたかったのだろうか。一見して明らかなのは、マギーには素質があり、努力家で、フランキーのトレーナーとしての腕は確かだということだ。マギーの挫折は必然や因果応報ではなく、まったくの事故であり、悪運だったというしかない。つまり彼女の挫折は不条理な挫折である。そこでこの映画は世界の不条理、ほとんど悪意としか思えない世界の無目的的な凶暴性を描いているという見方ができる。

 ここで私たちはマギーの家族を思い出してもいい。マギーの家族は、これもアメリカが夢見る「理想の家族」の対極にあるような一家で、考えうる最悪の人間たちの集まりである。マギーがファイトマネーで母親にプレゼントすると、母親はなぜ金をくれなかったのか、お前はバカだ、と彼女を罵倒する。マギーが入院すると、家族はまず観光に行き、その後で観光客丸出しの格好で病院に現れ、半身不随となってベッドに横たわるマギーに法律文書へのサインを強要する。ほとんどありえない、シュールレアリスティックといっていいほど悪辣な家族である。なぜこうなのか。
 
 それがこの映画の寓話性を示唆していると考えても、必ずしもこじつけにはならないだろう。フランキーの前に初めて現れた時、マギーは安食堂のウェイトレスとして働き、残り物(というか残版)をもらって帰って自分の食事にしていた。一方フランキーは自分が育てたボクサーには去られ、娘に書いた手紙は全部未開封で戻ってくる。毎晩ひざまずいて娘のために祈っているのにである。娘はなぜ手紙を開封しないで送り返してくるのか。過去、何があったのか。映画はそれを明らかにしないが、それが大きな不幸であることは間違いない。フランキーは欠かさず教会に通っているが、映画の後半で牧師が言う。毎週欠かさず教会に通う人間は、それが何であるにしろ、大きな罪悪感を抱えた人間だと。

 そしてマギー、フランキーと並んで重要な登場人物である元ボクサーのスクラップは、試合が原因で片目を失明し、今ではジムの用務員となっている。つまり、この映画の中では誰もがそれぞれの重荷を背負って生きている。もっとはっきり言うと、誰もがそれぞれの不幸を生きている。スクラップはフランキーに言う、自分やマギーは少なくともやるだけのことはやった、大勢の人間が「やるべきことをやらなかった」ことを悔いて死んでいく世界で、これは悪くない。では、これがこの映画の「救い」なのだろうか。マギーのあまりにも過酷な人生の、これが意義だったのだろうか。

 そういう考え方もあるだろうが、この映画の中ではそれにも疑問符がついている、というのが私の印象だ。マギーは言う、私は一度世界を見た、そんな自分にこの境遇は耐えられない、と。そしてフランキーの人生を見よ。気にかけている娘とは音信不通。最初は嫌々ながらマギーの面倒を見るようになり、やがて本当の娘のように思い始める。しかし彼女は彼が教えたボクシングがもとで半身不随となり、死なせてくれと頼むようになる。彼にはそれしかしてやれることがない。彼を本当の家族だと呼んだ娘に対して、フランキーがしてあげられる最善のことは、彼女の体にアドレナリンを過剰投与することだった。もはや当然のことのように、映画のラストではフランキーの死が暗示されている。

 圧倒的な闇の世界。それが私の、この映画に対する印象だ。世界は闇に包まれている。人々は不幸に耐えて生きるしかなく、しかも生きれば生きるほどますます不幸になっていく。夢は潰える。愛は頓挫する。しかしその中で、人々は何かを祈り続ける。

 この映画には、登場人物が祈る場面が何度か出てくる。特に印象的なのは、フランキーが寝室で就寝前に祈る姿である。膝を折り、頭を垂れ、世界をどこからか見ているであろう神に向かって、祈る。そのゆっくりした動作が、奇妙に心に残る。そして映画が終わった後に浮かんできたのも、やはりあの祈りの姿だった。

 私見では、この映画は世界の闇の中で祈る人間の姿を描いたものである。祈りは聞き届けられない。少なくとも奇跡は起きない。闇は深く、人々は生きることすら全うし得ない。しかし祈る行為そのものが、世界の闇の中でほのかな光を放つ、とこの映画は囁きかけてくるようだ。マギーやフランキーの思いは、たとえそれが報われなかったとしても無価値ではないのだと。では、何のために人は闇の中に生まれてくるのだろう。その答えは、観客である私たち一人一人に委ねられている。辛い人生だけどがんばって生きていこう、なんてありがちな「救い」すら拒絶するこの映画では、もはや逃げ場はない。あなたはマギーやフランキーの人生を無価値だと判断するだろうか。

 映画は生きる希望を謳うべきだ、とこの映画を批判する人がいる。しかし、『ロミオとジュリエット』が同じ批判を受けないのはなぜなのか。先にも書いたが、悲劇をシュガーコーティングする手段ならいくらでもあるはずなのだ。しかし、そういう手段は意図的に排除されている。この映画は観客に気持ちよく涙を流してもらうための映画ではない。

 ところで、ストーリーには色々と論議があるとしても、それ以外の面においてはこの映画は文句なく超A級である。演技、映像、モノローグ、どれをとっても熟成したワインの如く芳醇かつ味わい深い。特にクリント・イーストウッドとモーガン・フリーマン、この二人の爺さんの芝居は世界遺産クラスだ。思い出しただけで唇に微笑みが浮かび、同時に涙が出そうになる。こんな気持ちにさせられる映画には滅多に出会えるもんじゃない。陰影豊かな画面は瞑想的で、メランコリックな美しさを湛えている。

 とはいえ、これは決してうっとり陶酔しながら観終えることができる映画ではない。あなたに激烈な揺さぶりをかけてくる映画だ。観る時は心の準備をしてからどうぞ。

 


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6 コメント

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これは映画館で見た記憶が。 (しの)
2012-04-14 23:07:36
圧倒的なego_danceさんの読書量に口を挟めず、しばらく大人しく読ませていただいてました。
たまに「おっ!これは読んだ♪」という本が出てくると妙に嬉しかったです(笑)。

「ミリオンダラー~」は観た後「うーむ・・・。・・・うーむ。」となった映画でした。
イーストウッドとフリーマンの共演はあまりに豪華でしたが。
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Unknown (ego_dance)
2012-04-16 11:00:47
お読み下さり光栄です。勝手なことばかり書いております。

私もこの映画観た後は「うーむ」となってしまいました。わけが分からず、何度か観たらやっぱり傑作だと思いました。イーストウッドとフリーマンのケミストリーが素晴らし過ぎます。
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まだ未見ですが (Ume)
2013-02-27 17:36:33
全文読みました。圧倒されて涙が出ました。

素晴らしい紹介有難うございます。
観て見ますね。
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Unknown (ego_dance)
2013-03-01 10:01:49
これは私は良いと思うのですが、人によっては駄目かも知れません。評価が割れている映画のようです。
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マギー・・光輝いていたのは 短かったな(悲) (zebra)
2013-10-05 18:48:28
フランキーとマギー、親子に似た絆が出来ましたね "常に自分を守ること" を教訓を教えたり レモンパイの話 マギーの死んだパパと飼っていたワンちゃんのエピソード等  
マギーがアイルランド人ということで 入場曲が アイルランドのバグパイプ楽器での曲だったり、

  ガウンの背中の文字"モクシュラ"・・・重かったです。

 それに ひきかえ ミズーリに住んでいるマギーの家族はひどい。 おっしゃるように最低でした。 情けなかった。

 家を買ったのに 見向きもしない。 マギーの家族たち  彼らはマギーが光輝いていた"闘士"の姿を見ようとしなかった・・ 
 「あとは 残ったものを しっかり 守らないと・・・」だと(怒り) ホントに 守らなけれはならないのは マギー だろうが(`Ш´) そんなマギーに 「恥さらしもいいとこ」とか「負けは負けだろ」とか ・・・
  マギーを最後まで守ったのは トレーナーのフランキーだけ。 彼女の尊厳を守るための 決断には 悲しかったです。
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Unknown (ego_dance)
2013-10-08 03:48:55
悲しい映画でした。あの「モシュクラ」という言葉の意味を伝える場面など、ゲール語が重要なモチーフとして扱われている映画でもありました。
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