アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ガラスの国境

2015-08-12 21:27:19 | 
『ガラスの国境』 カルロス・フエンテス   ☆☆☆☆☆

 今年の3月に水声社から「フィクションのエル・ドラード」シリーズの一冊として刊行され、Amazonにおいてはマッハの速度で入手不可となってしまったフエンテスの最新短篇集。現時点でも中古品しか扱っていない。これは一体どういうことなのか。出版後一週間で在庫が払底し、増版がまだということか、あるいはもう絶版になったのか。待っててもらちがあかないと思い、唯一海外郵送を扱っている古本業者に定価の倍ぐらいの金を払って取り寄せた。そうしないとこのまま稀覯本になってしまうかも知れないと思ったからである。

 さて、収録されているのは以下の九篇。

「首都の娘」
「痛み」
「略奪」
「忘却の線」
「マキラドーラのマリンツィン」
「女友達」
「ガラスの国境」
「賭け」
「リオ・グランデ、リオ・ブラーボ」

 先に短篇集と書いたが、この九篇はテーマや登場人物が共通しているので連作短篇と考えることもできる。ただし各篇の主要登場人物はそれぞれ異なっていて、ある短篇の主役が他の短篇で脇役としてカメオ出演する程度なので、普通の短篇集として読んでもまったく違和感はない。最後の「リオ・グランデ、リオ・ブラーボ」のみ、他の短篇の主人公たちが揃って再登場する総集編的なものになっている。

 共通するテーマは、タイトルに含まれる「国境」からも分かるように、隣接する二つの国、メキシコとアメリカ合衆国の複雑な愛憎関係といっていいだろう。この二つの国の間を行き来し、あるいは憧れ、あるいは移り住む人々の物語である。移民、差別、出稼ぎ、劣等感と優越感、富と貧困、具体的にはそういった題材が扱われている。

 ところで最初の「首都の娘」「痛み」「略奪」あたりまで読んで、これまで私が抱いていたフエンテスのイメージとはかなり違う作品集であることに気づいた。私にとってフエンテスとは『アウラ』の作家であり、神秘と幻想の紡ぎ手なのだが、ここではそういったあからさまな幻想性、バロック風味は影を潜め、その代わりに人間ドラマ色が濃く、テーマである「国境」を照射するかのような社会派的テイストが強まっている。文化的、社会的コンテキストに作家の関心が向かっていて、部分的にはまるでマキューアンかクンデラのようだとすら思った。作品によってアイロニックなユーモアが漂っているのも、そうした印象に拍車をかける。神秘な薄闇の作家だったフエンテスが、モダンで理知的な白昼の作家に変貌したような驚き。

 とはいえ、そこにはやはりフエンテスらしい詩情、ラテンアメリカの作家らしいロマンの香りも失われずに残っている。それらは以前よりもずっと微妙な陰影の中に紛れ込んでいるけれども、フエンテスのファンならば決して見逃すことはないはずだ。また、かつてのバロック的な華麗な文体は更に洗練され、研磨され、象牙のようななめらかさと繊細さを獲得している。あの憂愁に満ちた幻想的作風を期待していたために最初は少々面食らったけれども、このモダンなフエンテスもやはり素晴らしい。

 実に味わい深い短篇ばかりだが、その中で私のフェイバリットを選ぶならば「首都の娘」「女友達」「ガラスの国境」あたりになるだろう。次点が「痛み」「マキラドーラのマリンツィン」「リオ・グランデ、リオ・ブラーボ」だろうか。題材やアイデアもさまざまだが、構成やストーリーテリングももはやアクロバットの域に達していて、先が予想できるものや常套的なものなどただの一つもない。どの短篇にも、「おや?」と思ってまた前のページをめくってみたくなる仕掛けが施されている。ちなみに、さっき「カメオ出演」と書いたが、最初の「首都の娘」で主役を演じる有力者レオナルドとその愛人ミチェリナは、ほぼすべての短篇に少しずつ登場する。
 
 高い金を出して取り寄せたが、その価値はあったと満足している。これから何度も読み返すことになるだろう。
 
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿