アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

蜘蛛女のキス(映画)

2015-08-15 20:37:12 | 映画
『蜘蛛女のキス』 エクトル・バベンコ監督   ☆☆☆☆

 大昔に観た『蜘蛛女のキス』をiTunesのレンタルで再見。なつかしかった。そして昔観た時と同じように、いささかビザールな、けれどもロマンティックで哀しい物語世界にたっぷり浸ることができた。原作はアルゼンチンの作家マヌエル・プイグ。

 この映画は、単純に見えてなかなか凝った虚構の組み立て方をしている。まずメインは男色者モリーナと政治犯ヴァレンティンの物語で、生き方も考え方も対照的なこの2人は同じ独房に入れられている。この2人が最初水と油のように反発し合い、時にはほとんど憎しみさえ抱きながらも、やがて融和し、最後には一種の愛情で結ばれるようになるというのが主要なプロット。2人とも男という特殊さに加え、独房にいるのだから、どうしても空間と登場人物が極端に限定された会話劇になる。

 それから、あちこちに挿入される回想場面。これによってモリーナとヴァレンティンが入獄する前どんな人生を歩んでいたのか、またそれぞれの過去の愛の形が観客に暗示される。そして最後に、この映画最大のトリックというべき仕掛けがモリーナによってヴァレンティンに語られる映画の話。この部分だけ画面がモノクロというかセピア色になる。

 このいわば「映画中映画」の話はとびとびながら継続して語られるので、本作は①モリーナ+ヴァレンティンの「現実」の物語と、②映画中映画の「虚構」の物語が交互に切り替わるスタイルとなる。また、独房の中の会話劇である①に対し、②は第二次大戦中のパリ社交界を舞台にした豪奢で華やかなメロドラマで、その対照がこの映画の味わいを深くしている。

 更にいうと、このメロドラマはモリーナの夢想の世界を具現化したものである。これはフランスの女歌手とナチ高官の禁じられたロマンスの物語で、美貌の女歌手はナチ高官に一目惚れするが、ナチへのレジスタンス活動のため心ならずもスパイになり、最後はレジスタンスの仲間に射殺され、愛する人の腕の中でこと切れるという結末になる。ヴァレンティンはこれをナチの宣伝映画だといってモリーナを非難するが、モリーナはそういった思想信条にはまったく関心がない。この物語が美しく、悲しく、ロマンティックであることをひたすら賛美する。

 従って①と②は単なる二つの対照的なプロットというだけでなく、モリーナの外形(もしくは肉体)と内面(もしくは魂)の物語となる。観客はこの映画を通してモリーナというオカマ、通常は滑稽またはグロテスクな存在として見られるオカマの優しさと悲哀を知り、間違いなく彼を愛するようになるが、モリーナ役のウィリアム・ハートの素晴らしい演技に加えて、この独特の構成がそれに一役買っているのは間違いない。

 そしてもう一つ、言うまでもないことだが、このメロドラマのストーリーがモリーナ自身の運命を予告していることも、映画制作者の油断のならない企みの一つである。

 ただひたすら美しいものに憧れたモリーナと、世界に正義をもたらそうとしたヴァレンティン。監獄の中で、モリーナはヴァレンティンに優しく、親切だった。しかしヴァレンティンの「正義」に協力したばかりに、モリーナは死ぬことになる。モリーナの死を知った後拷問され、モルヒネで眠ったヴァレンティンは昔の恋人の夢を見る。二人は永遠の愛を誓い合って、ボートで海へと漕ぎ出していく。一見して明らかなように、この夢はモリーナが語った「蜘蛛女」の映画と入り混じっている。これはモリーナ的感性の世界なのだ。そしてこの夢の中で、ヴァレンティンがふと思い出したように呟く「モリーナは?」の一言が、彼の心に死ぬまで突き刺さったままとなるだろう罪悪感を示している。

 モリーナ役のウィリアム・ハートは、本作の演技でアカデミー主演男優賞を獲った。彼の演技によって、私たちはモリーナという一人の人間が生命を持ち、目の前に現れ、動き、喋るのを見る。その表情、身振り、手振り、目線、笑顔、どれもが心に残る。彼が撃たれて倒れる時、私たちは一人の人間が喪われた痛みを感じずにはいられない。あまりにも感動的な演技で、この映画に命を吹き込んだのは役者ウィリアム・ハートであると言っても過言ではないだろう。

 ヴァレンティン役のラウル・ジュリアはアダムス・ファミリーで有名だが、個人的には『推定無罪』での弁護士役がとても印象に残っている。好きな役者である。この映画ではウィリアム・ハートの受けに回っているが、やはり手堅い芝居を見せている。

 ヴァレンティンの過去の恋人、モリーナの映画の中のフランス人歌手、そして蜘蛛女を、すべて同じ女優が演じているのも暗示的だ。あのラストも多義的に開かれていて、その意味は観客の想像に委ねられている。

 単純にモリーナとヴァレンティンの愛の物語として見るとストレートな悲劇のようだけれども、実はさまざまな細かい仕掛けによって、映画全体が魅惑的な多義性と暗示性をまとっている。とても詩的な、美しい映画だと思う。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿