『Revival』 稲垣潤一 ☆☆☆★
稲垣潤一をよく聴いていたのは大学生の頃である。「雨のリグレット」でデビューし「ドラマティック・レイン」が流行った後ぐらいだったと思うが、当時この人の声には聴いた人をハッとさせるようなあか抜けた魅力があって、私も初期のアルバムをCDレンタルで借りて、テープを何本も持っていた。その後似たような曲の連発でなんとなく聴かなくなったが、最近この『Revival』というCDをAmazonで購入してみたところ、これが結構いい。これは稲垣潤一の過去の曲からセレクトして、ヴォーカルそのままで演奏トラックのみ新しいアレンジに差し替えたものである。プロデュースはあのクリストファー・クロス。1996年版の復刻である。
稲垣潤一はシンガーソングライターばやりだった当時、自分では曲を書かない「ヴォーカリスト」としてデビューした。自分で曲を書かないのは歌謡曲の歌手も一緒だが、当時のニューミュージック系、シティポップス系の音楽シーンでは珍しかった。そしてそれはただ曲を書けないからという消極的な理由でなく、この人が歌うことで曲が活きる、映える、という、ヴォーカリストとしての技量が売り物だったし、実際そう納得させるだけの魅力が彼の声にはあったと思う。
この人の声はレイニーヴォイスなどと言われているが、中性的できれいなハイトーン・ヴォイスである。中性的できれいな男性ハイトーン・ヴォイスは当時でも別に珍しくはなく、オフコースや山下達郎や徳永英明など色々いたし、みんな歌もうまかった(かつ、この人たちは自分で曲も書いていた)。この人たちと比べて稲垣潤一の声が特にきれいだとか歌がうまいとかいうことは多分ない。が、彼のヴォーカル・スタイルには他のシンガーにない独自のフィーリングがあって、それが彼を特別な、唯一無二のヴォーカリストたらしめている。そのヴォーカル・スタイルは彼の声質と歌唱法が一体となったもので、おそらく他の誰にも真似できないし、逆に他の誰かの曲を稲垣潤一が歌ったら模倣にならず稲垣潤一の曲になってしまう、というぐらい強力なものである。
昔「夜のヒットスタジオ」という歌番組があって、この番組の冒頭で歌手たちが他人の持ち歌をワンフレーズずつ歌うのだが、当然ながら他人の曲なので歌い方もぎこちない。あるいは歌唱力があっても曲にしっくり来ない(演歌歌手がポップスを歌う場合など)。当然だが、本人の歌よりずっと落ちる。ところが稲垣潤一が歌うと、本人が歌うよりいいと思わせる時があるのである。これはすごいことだ。特にアイドル系歌手の曲を歌ったりすると、凡庸な曲が妙にかっこよく聴こえたりした。
もともと稲垣潤一は地方のクラブで歌っていたそうだが、デビュー前に彼の歌を聴いたある音楽業界の人間は「黒人みたいな歌い方だな」と思ったという。確かにビブラートをかけないリズミックな歌い方は黒人音楽的と言えないこともないが、といっても昨今大流行りのR&B風歌唱とは全然違う。これはもう、稲垣潤一の発明としかいいようがないヴォーカル・スタイルだ。一体彼はどこでこんな歌い方を身につけたのだろうか。不思議である。彼がドラマーで、ドラムを叩きながら歌っていたことと関係があるのかも知れない。
さて、そんな稲垣潤一のヴォーカルに一時ハマったのは前書いた通りだが、時とともに彼の声質も変化し、だんだん太くなってきて、また歌唱法もあまりにアクが強くなったためにいつしか聴かなくなった。個人的には、デビュー当時のナイーブさを感じさせる彼の歌唱が好きなのである。そんな私にとって、このCDは再録音ではなくヴォーカル・トラックだけはオリジナルのままで変わっていない、というのがポイントだ。古い曲では当然その当時の声のまま。そしてアレンジは新しい。これが私みたいなファンには嬉しい。
アレンジがオリジナルより良くなっているかどうかはリスナーの好みだろうし、曲にもよるだろうが、私は全体に悪くないと思う。オリジナルより多少オーガニックで、風通しの良い、西海岸AOR風の音である。特にシンセサイザーやドラムの音には時代が出るものだが、このアルバムは渋い、抑制されたアレンジになっているのでほとんど時代の匂いがしない。「ドラマティック・レイン」なんて結構地味なサウンドだ。しかしこうしてあらためて聴いてみると、やはり若い頃の稲垣潤一のヴォーカルには色あせない魅力がある。昔のアルバムを久しぶりに聴いてみたくなった。
稲垣潤一をよく聴いていたのは大学生の頃である。「雨のリグレット」でデビューし「ドラマティック・レイン」が流行った後ぐらいだったと思うが、当時この人の声には聴いた人をハッとさせるようなあか抜けた魅力があって、私も初期のアルバムをCDレンタルで借りて、テープを何本も持っていた。その後似たような曲の連発でなんとなく聴かなくなったが、最近この『Revival』というCDをAmazonで購入してみたところ、これが結構いい。これは稲垣潤一の過去の曲からセレクトして、ヴォーカルそのままで演奏トラックのみ新しいアレンジに差し替えたものである。プロデュースはあのクリストファー・クロス。1996年版の復刻である。
稲垣潤一はシンガーソングライターばやりだった当時、自分では曲を書かない「ヴォーカリスト」としてデビューした。自分で曲を書かないのは歌謡曲の歌手も一緒だが、当時のニューミュージック系、シティポップス系の音楽シーンでは珍しかった。そしてそれはただ曲を書けないからという消極的な理由でなく、この人が歌うことで曲が活きる、映える、という、ヴォーカリストとしての技量が売り物だったし、実際そう納得させるだけの魅力が彼の声にはあったと思う。
この人の声はレイニーヴォイスなどと言われているが、中性的できれいなハイトーン・ヴォイスである。中性的できれいな男性ハイトーン・ヴォイスは当時でも別に珍しくはなく、オフコースや山下達郎や徳永英明など色々いたし、みんな歌もうまかった(かつ、この人たちは自分で曲も書いていた)。この人たちと比べて稲垣潤一の声が特にきれいだとか歌がうまいとかいうことは多分ない。が、彼のヴォーカル・スタイルには他のシンガーにない独自のフィーリングがあって、それが彼を特別な、唯一無二のヴォーカリストたらしめている。そのヴォーカル・スタイルは彼の声質と歌唱法が一体となったもので、おそらく他の誰にも真似できないし、逆に他の誰かの曲を稲垣潤一が歌ったら模倣にならず稲垣潤一の曲になってしまう、というぐらい強力なものである。
昔「夜のヒットスタジオ」という歌番組があって、この番組の冒頭で歌手たちが他人の持ち歌をワンフレーズずつ歌うのだが、当然ながら他人の曲なので歌い方もぎこちない。あるいは歌唱力があっても曲にしっくり来ない(演歌歌手がポップスを歌う場合など)。当然だが、本人の歌よりずっと落ちる。ところが稲垣潤一が歌うと、本人が歌うよりいいと思わせる時があるのである。これはすごいことだ。特にアイドル系歌手の曲を歌ったりすると、凡庸な曲が妙にかっこよく聴こえたりした。
もともと稲垣潤一は地方のクラブで歌っていたそうだが、デビュー前に彼の歌を聴いたある音楽業界の人間は「黒人みたいな歌い方だな」と思ったという。確かにビブラートをかけないリズミックな歌い方は黒人音楽的と言えないこともないが、といっても昨今大流行りのR&B風歌唱とは全然違う。これはもう、稲垣潤一の発明としかいいようがないヴォーカル・スタイルだ。一体彼はどこでこんな歌い方を身につけたのだろうか。不思議である。彼がドラマーで、ドラムを叩きながら歌っていたことと関係があるのかも知れない。
さて、そんな稲垣潤一のヴォーカルに一時ハマったのは前書いた通りだが、時とともに彼の声質も変化し、だんだん太くなってきて、また歌唱法もあまりにアクが強くなったためにいつしか聴かなくなった。個人的には、デビュー当時のナイーブさを感じさせる彼の歌唱が好きなのである。そんな私にとって、このCDは再録音ではなくヴォーカル・トラックだけはオリジナルのままで変わっていない、というのがポイントだ。古い曲では当然その当時の声のまま。そしてアレンジは新しい。これが私みたいなファンには嬉しい。
アレンジがオリジナルより良くなっているかどうかはリスナーの好みだろうし、曲にもよるだろうが、私は全体に悪くないと思う。オリジナルより多少オーガニックで、風通しの良い、西海岸AOR風の音である。特にシンセサイザーやドラムの音には時代が出るものだが、このアルバムは渋い、抑制されたアレンジになっているのでほとんど時代の匂いがしない。「ドラマティック・レイン」なんて結構地味なサウンドだ。しかしこうしてあらためて聴いてみると、やはり若い頃の稲垣潤一のヴォーカルには色あせない魅力がある。昔のアルバムを久しぶりに聴いてみたくなった。
今年もレビューを楽しみにしております。
よい一年になりますように。