アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

砂の女

2007-02-24 13:52:48 | 
『砂の女』 安部公房   ☆☆☆☆

 安部公房の名作を再読。昆虫採集に出かけた男が砂に埋もれたアリジゴクのようなにつかまり、女一人が住む砂の穴の中にあるおんぼろ小屋に幽閉され、なんとか脱出しようと苦闘する物語である。

 冒頭で男の失踪と、七年後に死亡扱いになったことが淡々と記述されるので、男が戻らなかったこと、つまり逃げ出せなかったことは最初から分かっている。だからいかに脱出するか、脱出できるかというミステリ的物語ではない。結局逃げ出せないことを知りつつ、男の痛々しいムダなあがきを丁寧に追っていくという残酷物語である。

 安部公房というのは非常にシュルレアリスムの匂いが強い作家で、もちろんこの作品でも砂に埋もれたようになっているや、その中で砂を掻き出すことが人生と化している女などは独特の超現実感を漂わせているが、彼の作品の中では比較的シュルレアリスムが抑制されている作品だと思う。少なくともコモン君が突然植物にメタモルフォーズするというようなことはない。こういう砂に埋もれたや人生も、ひょっとしたらどこかに存在しているかも、というぐらいのリアリズムはあり、そのリアルとシュールのバランスがこの作品を傑作にしているような気がする。つまり、あまりに寓意や象徴が強すぎることがなくリアルな重さがあり、またあまりにリアル過ぎず荒唐無稽さな面白さやめまいの感覚がキッチリ織り込まれている。

 安部公房には独特の重さがあり、シュールといっても決してボリス・ヴィアンやジャリのように軽やかなシャンパンの泡になることはない。ずっしりした寓話的な重さをいつも持っている。そういう意味では、その重さがうまい具合に生かされたことでこの作品は傑作になったと思う。この人の持ち味はエレガントよりグロテスク、透明感より不透明感にある。

 カフカの影響も強いようで、砂の家に捕まって脱出できないというシチュエーションや、最後に逃げ出せる状態になったらもう逃げ出そうとしなくなっているという不条理感はいかにもだが、カフカの持っている形而上学的パラドックスのような感覚はあまりない。形而上学はあるが、逆説的というより精神分析学的だし、それよりも砂、女の裸、乾き、という皮膚感覚の方が重視されているようだ。カフカの『変身』は虫になったグレゴールがまったく動揺しないその平静さが読者に異様なショックを与えるが、『砂の女』の主人公は幽閉されて動転し、わめき、激しく悪あがきをする。そういう意味ではむしろあたり前の反応で、だからこの小説は普通に筋を追ってサスペンスを愉しむという、娯楽小説的な読み方もできるようになっている。特に後半、主人公が手製の縄梯子で砂の上に昇り、脱出を企てるあたりはかなりハラハラドキドキできる。

 文体も、平易で衒いのないカフカに比べ、かなりアクロバティックな比喩を駆使する人である。不安と焦燥に満ちた世界が生々しく描出され、その世界にははっきりと安部公房の刻印が押されている。

 岸田今日子主演の映画化作品も良いらしく、前々から観たいとは思っているのだが、どうも重たそうで躊躇してしまう。しかし岸田今日子という人は実に安部公房的な存在感を持つ女優さんだな。きっと映画も面白いんだろう。
 


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2 コメント

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Unknown (ジョン)
2011-01-28 14:39:57
楽しく拝見させていただいています!

映画はとても面白いですよ。アメリカにいらっしゃるなら、Criterionが販売している勅使河原宏監督のDVDがお薦めです。アマゾンのレビューでもすごく評価が高いので一度ご覧になってください。
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砂の女 (ego_dance)
2011-01-30 13:49:08
映画面白いですか? 確かにCriterionから出ていますね。レンタルDVD屋には絶対置いてないし、買ってみようかな…
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