アブソリュート・エゴ・レビュー

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白い巨塔~誤診裁判篇(その2)

2011-11-06 20:56:20 | テレビ番組
(前回からの続き)

 花森ケイ子もまた、さらに存在感を増している。財前に事前に誤診の危険性を注意したり、財前の母親と会って語り合ったりするエピソードが追加されていることもあるが、財前の愛人でありながら、時に財前の痛烈な批判者になるというその多面性にますます拍車がかかる。たとえば、裁判には必ず勝つ、おれの処置に間違いがなかったことを証明してやる、有名な弁護士だってつけているんだ負けるわけがない、と息巻く財前に、「そうね、勝つかも知れないわね」と軽く相槌を打ち、しかし思いがけない鋭い視線と口調でこう切り返す。「でも、患者を死なせたあなたの医師としての責任はどうなるの?」

 これもまた痛烈なせりふである。こういう時のケイ子は、ほとんど里見の分身のようですらある。

 また、この「誤診裁判篇」のキーパーソンというべき柳原医師を高橋長英演じていて、彼もいい仕事をしている。彼の場合は、まーとにかく見ていて歯がゆいこと、「もうちょっとしゃんとせんか!」と怒鳴りつけたくなるほどうじうじした役柄だが、彼はもともと善意の医師であり、里見より前に断層撮影の必要性に言及した、言ってみれば里見型の人間なのである。にもかかわらず気の弱さから大学内の封建性に逆らうことができず、偽証をしてしまう。彼がいるからこそこのドラマが成立するし、里見の勇気が引き立つことになる。高橋長英氏はこの気弱な、善意の人物をものすごい説得力で演じていて、柳原医師は話の進行とともにどんどん追いつめられていく。医師としての良心と保身との間に板ばさみになって、その苦悩は見ていて辛いほどである。

 それからまた、ドラマ版では患者の家族、つまり佐々木商店の人々が丁寧に描かれていることも特徴だ。死んでしまう佐々木庸平もしっかりとキャラを持っているし、妻の中村玉緒、息子の中島久之もいい。彼らが血肉を備えた人間として描かれているからこそ、ドラマが盛り上がっていく。

 と、いいことばかり書いているが、欠点がないわけでもない。TVドラマなのでわかりやすくしようという趣旨なのだろうが、原作では暗示するにとどめてあったところをあからさまに説明したり、強調してあったりする。たとえば、断層撮影なんかいらない、と財前が言うのを聞いた花森ケイ子が、その後に起きることをほぼ予言してしまうのはさすがにどうかと思うし、財前外科の医局員たちにいたってはほとんどならず者集団である。特に安西の目つきの悪さはチンピラとしか思えず、言動もチンピラ並みだ。そういうところはちょっと極端過ぎるが、まあ、他が素晴らしいので目くじらを立てる気にはなれない。

 ところで映画版はこれ以上先がなく、里見が大学を追放されて終わりというやりきれない結末だったが、まだ先があるというのが、初の完全映像化であるドラマ版の良さである。原作でも、里見が今後どうなるかわからないまま一旦終わっていたが、このドラマ版では里見の再就職先が決まり、視聴者をほっとさせてから次へ進むようになっている。またその部分にはドラマならではのアレンジが施されていて、里見に再就職の口を持ってくるのは大河内教授ということになっている。この再就職のエピソードは「誤診裁判篇」の結末の苦さを薄め、衝撃を弱めているきらいはあるが、にもかかわらず山本學や、特に大河内役の加藤嘉の芝居によって感動的な場面になっている。

 財前、鵜飼の腹黒コンビは勝ち誇り、里見は失意とともに大学を去らねばならない。佐枝子や三千代もみなこの苛酷な現実を前に衝撃を隠せず、言葉もない。そんな中、里見家に突然大河内教授がやってくる。常に峻厳な大河内がここでは非常ににこやかである。そして里見に、君にぴったりの仕事があると言って、癌センターの話をする。

 大河内は基本的に厳正中立の人であり、鵜飼・財前には冷淡で里見には共感している風でありながらも、決して里見と結託したり、これまで具体的に言葉をかけて励ましたりはしなかった。大河内なら鵜飼に対して里見の援護射撃もできたと思うが、おそらく自分の任ではない(現医学部長は鵜飼)ということで、それもやっていない。しかしここで初めて、大河内は里見のために行動する。里見のことを思いやり、彼が一番望んでいるもの(=研究の続行)を救ったのである。この、敗訴から辞職、そして癌センターへの一連の流れはお涙頂戴の演出ではまったくないにもかかわらず、この大河内の行動、初めて見せた自分の弟子への愛情に、私は涙を禁じ得なかった。原作にも映画にもない、とても美しいシーンだと思う。

 さて、次はいよいよ第三部・控訴審篇である。



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