『価格破壊』 和田勉・演出 ☆☆☆☆
1981年に放映されたNHKドラマのDVDボックスを入手した。ダイエーの創業者をモデルにした城山三郎の小説をドラマ化したもので、出演は山崎努、いしだあゆみ、松尾嘉代、大友柳太朗、植木等、佐分利信など。演出は和田勉。
物語は、薬や雑貨を扱う個人商店を経営する矢口(山崎努)と妻・奈津子(松尾嘉代)がメーカーからの圧力に屈せず、「自分で売るものの値段を自分で決められないなんて商売人じゃない」との信念で品物を安く売り、店舗を増やし続け、やがて一大スーパーマーケット・チェーンを作り上げるまでの話である。「スーパーマーケット」を誕生させた男、なんてことがAmazonの紹介欄に書いてあるので、それ以前スーパーマーケットというものはなかったのだろう。物語で最初にクローズアップされるのは薬だが、たとえば薬の小売価格は製薬会社が決め、町の薬局はその通りの値段で売るのが慣習だった。もっと安く売る、なんてことをすると製薬会社から問屋に連絡が行き、もう薬を卸してもらえなくなる。こうすることで業界全体が自由競争を排し、(時には法外な)利益率を守るわけだ。矢口はこれに従わず、おれの商品の値段はおれが決めるといってびっくりするような安売りをする。商品は売れ、店ははやる。が、その問屋からはもう卸してもらえなくなる。すると矢口は、もっと遠くの問屋に行って仕入れる。また手が回って売ってくれなくなる、するともっと遠くへ行く。初見の問屋でも売ってくれなくなると、今度の妻の奈津子が行く。
こんな風にして、もっと遠くの問屋へ、もっと遠くへ、と夫婦二人で歩き回るところから物語は始まる。口をへの字に結び、目をギラギラさせて山崎努が歩く、歩く。商売は戦争だ、負ければ死ぬ、と呟きながら。その後ろを松尾嘉代が必死に追いかける。この図がこのドラマ全体を象徴している。とにかくこれは山崎努の迫力、エネルギーを堪能するドラマである。このドラマの山崎努は、いつにも増してエネルギッシュである。戦争でケガをして帰ってきた男との設定で、頭の中ではいつも銃弾が飛び交う音を聞いている。負ければ白骨になるだけだ。これが彼の口癖である。いやもう、とにかくすごい迫力。
また問屋から売ってもらえなくなり、一体この先どうなるの?と不安にかられた奈津子が聞くと、まだ広島がある、九州もあるし北海道もある、と矢口は答える。九州も北海道もダメになったどうするのと問うと、その時はその時だ。普通の人間なら不安にかられてやめてしまうのだろうが、彼はやめない。断固としてつき進んでいく。本当に誰も売ってくれなくなったらどうするつもりだったのだろうと思うが、おそらくその時はまた何か考えて策を出してくるのだろう。矢口のえらいところはあまり先のことまで心配しないことだ。心配してもしかたないし、心配し過ぎると何もできなくなってしまう、ということを分かっている。実際、この仕入れの戦いは途中で状況が変わり、矢口の勝利に終わる。こうして彼はまた次のステップへと進んでいく。
矢口商店はやがて店舗を拡張してスーパーになる。すると今度は地元の商店街の反発をくらい、彼らを代表する代議士との闘いが始まる。牛肉を扱おうとすると認可が下りない。すると矢口は生きた牛を買ってきて自分でする。豚も鶏もする。若い部下たちの中には気分が悪くなって倒れるものも出るが、矢口は率先して、自分の手でそれをやる。製薬会社がアロー(矢口のスーパーの店名)の流通経路を調べるためにラベルの裏や瓶の底に隠し番号を刻印すると、それを消すために消し屋を雇う。ひとつひとつラベルをはがして番号を消し、また貼るのである。一枚につき一円。いやまったく、恐ろしく熾烈な戦いだ。商売とはここまで厳しいものかと慄然となる。
このドラマのヒロインは矢口の妻・奈津子ではなく、いしだあゆみ演じる映子である。映子の父親は矢口商店の近所で薬屋を営んでいたが、矢口商店の容赦ない安売り攻勢によって潰れてしまう。映子ははじめ矢口を恨むが、潰れたのは自分に工夫が足りないせいだといって悪びれることのない矢口の強さにどこか惹かれるものを感じ、会社を辞めてアローに就職する。ことあるごとに矢口に反発していた映子もやがて彼のやり方を吸収し、凄腕の商売人になっていく。そして代議士がアメリカ帰りの事業家(佐藤慶)と組んでアローを潰すためにオットーというスーパーを開店した時、映子は店長としてスカウトされる。オットー対アローの戦いが始まり、映子は矢口のライバルとなる。このオットー篇の主役はいしだあゆみといっても過言ではなく、彼女は安売り競争においてアローを劣勢に追い込むほどの辣腕ぶりを発揮するが、オットー内部の陰謀によって一気に瓦解していく。土壇場で彼女は失敗してしまうわけだが、その原因はというと、やはり最後は人を見る目が大事ということに尽きるんじゃないか。
商売から手を引いたいしだあゆみは後に矢口と再会した時、あんな恐ろしいことをよくやっていたものだ、と述懐する。確かに、このドラマを観ているととても商売なんかに手を出せないという気がしてくる。潰れる、破産する、自殺者が出る。いやまったく、恐ろしい。原作では、映子は矢口に男として惹かれることになっているようだが、このドラマではそのニュアンスはありつつも微妙である。とりたててそういう仄めかしはないが、逆にその曖昧な関係性がドラマの奥行を増している気がする。このドラマのラストは、結婚して妊婦となった映子が夫と手をつないで歩いていく後ろ姿を、矢口が無言で見送る場面である。
それからもう一人、忘れちゃいけないのは佐分利信だ。彼はグランド製薬の社長、つまり矢口が安売りしているのを知って圧力をかけてくる権力者である。適切な価格を守ってもらわないとみんなが迷惑する、などと、あの総理大臣以上の態度のでかさ、生まれ持った偉さのオーラで圧迫してくる。それに不敵な笑顔と傍若無人な物言いで対抗する山崎努。いやー、この二人が真っ向衝突する対決シーンはまったくもって見ものである。
和田勉の演出はクローズアップが特徴らしいが、確かに顔のアップが多い。山崎努の顔がどアップになって、息苦しくなるほどの迫力だ。しかも音楽が結構うるさい。このアクが強い演出はいかにも昭和っぽくて最近ははやらないだろうが、これもこのドラマの暑苦しいまでのパワーを生み出している。なんだかんだで、見ごたえ十分のドラマだ。特に山崎努のファンは見逃せない。
1981年に放映されたNHKドラマのDVDボックスを入手した。ダイエーの創業者をモデルにした城山三郎の小説をドラマ化したもので、出演は山崎努、いしだあゆみ、松尾嘉代、大友柳太朗、植木等、佐分利信など。演出は和田勉。
物語は、薬や雑貨を扱う個人商店を経営する矢口(山崎努)と妻・奈津子(松尾嘉代)がメーカーからの圧力に屈せず、「自分で売るものの値段を自分で決められないなんて商売人じゃない」との信念で品物を安く売り、店舗を増やし続け、やがて一大スーパーマーケット・チェーンを作り上げるまでの話である。「スーパーマーケット」を誕生させた男、なんてことがAmazonの紹介欄に書いてあるので、それ以前スーパーマーケットというものはなかったのだろう。物語で最初にクローズアップされるのは薬だが、たとえば薬の小売価格は製薬会社が決め、町の薬局はその通りの値段で売るのが慣習だった。もっと安く売る、なんてことをすると製薬会社から問屋に連絡が行き、もう薬を卸してもらえなくなる。こうすることで業界全体が自由競争を排し、(時には法外な)利益率を守るわけだ。矢口はこれに従わず、おれの商品の値段はおれが決めるといってびっくりするような安売りをする。商品は売れ、店ははやる。が、その問屋からはもう卸してもらえなくなる。すると矢口は、もっと遠くの問屋に行って仕入れる。また手が回って売ってくれなくなる、するともっと遠くへ行く。初見の問屋でも売ってくれなくなると、今度の妻の奈津子が行く。
こんな風にして、もっと遠くの問屋へ、もっと遠くへ、と夫婦二人で歩き回るところから物語は始まる。口をへの字に結び、目をギラギラさせて山崎努が歩く、歩く。商売は戦争だ、負ければ死ぬ、と呟きながら。その後ろを松尾嘉代が必死に追いかける。この図がこのドラマ全体を象徴している。とにかくこれは山崎努の迫力、エネルギーを堪能するドラマである。このドラマの山崎努は、いつにも増してエネルギッシュである。戦争でケガをして帰ってきた男との設定で、頭の中ではいつも銃弾が飛び交う音を聞いている。負ければ白骨になるだけだ。これが彼の口癖である。いやもう、とにかくすごい迫力。
また問屋から売ってもらえなくなり、一体この先どうなるの?と不安にかられた奈津子が聞くと、まだ広島がある、九州もあるし北海道もある、と矢口は答える。九州も北海道もダメになったどうするのと問うと、その時はその時だ。普通の人間なら不安にかられてやめてしまうのだろうが、彼はやめない。断固としてつき進んでいく。本当に誰も売ってくれなくなったらどうするつもりだったのだろうと思うが、おそらくその時はまた何か考えて策を出してくるのだろう。矢口のえらいところはあまり先のことまで心配しないことだ。心配してもしかたないし、心配し過ぎると何もできなくなってしまう、ということを分かっている。実際、この仕入れの戦いは途中で状況が変わり、矢口の勝利に終わる。こうして彼はまた次のステップへと進んでいく。
矢口商店はやがて店舗を拡張してスーパーになる。すると今度は地元の商店街の反発をくらい、彼らを代表する代議士との闘いが始まる。牛肉を扱おうとすると認可が下りない。すると矢口は生きた牛を買ってきて自分でする。豚も鶏もする。若い部下たちの中には気分が悪くなって倒れるものも出るが、矢口は率先して、自分の手でそれをやる。製薬会社がアロー(矢口のスーパーの店名)の流通経路を調べるためにラベルの裏や瓶の底に隠し番号を刻印すると、それを消すために消し屋を雇う。ひとつひとつラベルをはがして番号を消し、また貼るのである。一枚につき一円。いやまったく、恐ろしく熾烈な戦いだ。商売とはここまで厳しいものかと慄然となる。
このドラマのヒロインは矢口の妻・奈津子ではなく、いしだあゆみ演じる映子である。映子の父親は矢口商店の近所で薬屋を営んでいたが、矢口商店の容赦ない安売り攻勢によって潰れてしまう。映子ははじめ矢口を恨むが、潰れたのは自分に工夫が足りないせいだといって悪びれることのない矢口の強さにどこか惹かれるものを感じ、会社を辞めてアローに就職する。ことあるごとに矢口に反発していた映子もやがて彼のやり方を吸収し、凄腕の商売人になっていく。そして代議士がアメリカ帰りの事業家(佐藤慶)と組んでアローを潰すためにオットーというスーパーを開店した時、映子は店長としてスカウトされる。オットー対アローの戦いが始まり、映子は矢口のライバルとなる。このオットー篇の主役はいしだあゆみといっても過言ではなく、彼女は安売り競争においてアローを劣勢に追い込むほどの辣腕ぶりを発揮するが、オットー内部の陰謀によって一気に瓦解していく。土壇場で彼女は失敗してしまうわけだが、その原因はというと、やはり最後は人を見る目が大事ということに尽きるんじゃないか。
商売から手を引いたいしだあゆみは後に矢口と再会した時、あんな恐ろしいことをよくやっていたものだ、と述懐する。確かに、このドラマを観ているととても商売なんかに手を出せないという気がしてくる。潰れる、破産する、自殺者が出る。いやまったく、恐ろしい。原作では、映子は矢口に男として惹かれることになっているようだが、このドラマではそのニュアンスはありつつも微妙である。とりたててそういう仄めかしはないが、逆にその曖昧な関係性がドラマの奥行を増している気がする。このドラマのラストは、結婚して妊婦となった映子が夫と手をつないで歩いていく後ろ姿を、矢口が無言で見送る場面である。
それからもう一人、忘れちゃいけないのは佐分利信だ。彼はグランド製薬の社長、つまり矢口が安売りしているのを知って圧力をかけてくる権力者である。適切な価格を守ってもらわないとみんなが迷惑する、などと、あの総理大臣以上の態度のでかさ、生まれ持った偉さのオーラで圧迫してくる。それに不敵な笑顔と傍若無人な物言いで対抗する山崎努。いやー、この二人が真っ向衝突する対決シーンはまったくもって見ものである。
和田勉の演出はクローズアップが特徴らしいが、確かに顔のアップが多い。山崎努の顔がどアップになって、息苦しくなるほどの迫力だ。しかも音楽が結構うるさい。このアクが強い演出はいかにも昭和っぽくて最近ははやらないだろうが、これもこのドラマの暑苦しいまでのパワーを生み出している。なんだかんだで、見ごたえ十分のドラマだ。特に山崎努のファンは見逃せない。
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